マーク・ソーマ 「寡頭制の鉄則」(2012年5月29日)

政治制度に何の変化もないままで政策に改革が加えられると、「シーソー効果」が引き起こされる――経済に及ぼす歪みが大きくて収奪的な政策が改革されると、経済に及ぼす歪みが大きくて収奪的な別の政策が新たに採用されるに至る――かもしれない。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/22662887

アセモグル(Daron Acemoglu)&ロビンソン(James Robinson)の言い分によると、権力を握る利口な少数者の手を縛ることはできないようだ。

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“Shock Therapy on the Altiplano” by Daron Acemoglu and James Robinson:

1952年に起きたボリビア革命は、ドイツの社会学者であるロベルト・ミヘルス(Robert Michels)が言うところの「寡頭制の鉄則」の実例と見なせることを前回のエントリーで説明した。ミヘルスは、『Political Parties』(邦訳『現代民主主義における政党の社会学』)の中で次のように指摘している。

「社会は、支配的な・・・(略)・・・政治階級の存在を抜きにしては存立し得ない。支配階級を構成する要素(支配階級の中身)に関しては、その一部が時折入れ替わることがある。しかしながら、支配階級それ自体は、人類の長い歴史の荒波を潜(くぐ)り抜けていけるだけの強靭さを備えた唯一の要素なのだ。政府あるいは・・・(略)・・・国家は、少数者の集まり以外の何ものでもあり得ない。その少数者らの目的は、世の大衆に対して「法秩序」を押し付けることにある。大衆を支配しようとはやる結果として、大衆を搾取しようとはやる結果として、そうせざるを得ないのだ。・・・(略)・・・大衆の不満が爆発して、遂にはブルジョアから権力を奪い取るのに成功したとしても、・・・(略)・・・表面上の変化でしかあり得ない。大衆の中から新たに少数者の集まりが組織されて、その少数者の集まりが支配階級の座に落ち着くだけなのだ。いつだって必ずやそうなるのだ」(pp. 353-354)

上の引用文で素描されているプロセスに分析を加えているのが、我々二人にサイモン・ジョンソン(Simon Johnson)&パブロ・ケルビン(Pablo Querubín)を加えた四人の共同研究の成果である “When Does Policy Reform Work?”(「政策の改革がうまくいくのはどんな時?」)と題された論文だ。具体的に言うと、政治制度に何の変化もないままで政策に改革が加えられると、「シーソー効果」が引き起こされる――経済に及ぼす歪みが大きくて収奪的な政策が改革されると、経済に及ぼす歪みが大きくて収奪的な別の政策が新たに採用されるに至る――かもしれないのはなぜなのかを論じている。政策の改革の具体例として、1990年代以降に色んな国際機関の薦めによって多くの国が熱を入れている「中央銀行の独立性」に目を向けて分析を加えている。「中央銀行の独立性」というのが何の意味もなさないジンバブエのような国は別として、「中央銀行の独立性」が実現されると、収奪的な政治制度下で政治家が身近な人間を依怙贔屓(えこひいき)したり私腹を肥やしたりするために使える手段が減ることになる。しかしながら、政治家が直面しているインセンティブや制約に何の変化もないままだと、身近な人間を依怙贔屓(えこひいき)したり私腹を肥やしたりするために使える手段が新たに見つけ出されるだけに終わる場合が多いだろう。その新たな手段は、これまでのよりも経済に及ぼす歪みが大きい可能性だってある。「中央銀行の独立性」が実現されて金融政策に対する縛りが強くなると、収奪的な政治制度が幅を利かしている国では、財政赤字が拡大し始めることが多いのだ。

————————————【引用ここまで】——————————————-

アメリカ国内では、減税が「収奪的」な手段の筆頭と言えるかもしれない。オバマ大統領もその他の政治家も(富裕層を対象とした)減税には訴えないと誓ってはいるが、現実はそうはなっていない。財政赤字を減らすとなったら、富裕層に高い税金が課されるだろうか。それともそんなに裕福じゃない層への給付が減らされるだろうか。誰の利害が重んじられてどっちが選ばれそうかというと、あまりにも明らかだ。


〔原文:““The Iron Law of Oligarchy””(Economist’s View, May 29, 2012)〕

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