マーク・ソーマ 「その時が限りなく近づいている」(2006年12月15日)

今回のエントリーのテーマは、私事(わたくしごと)だ。そんなわけで、読まずにスルーしてもらっても結構だ。

今日で50歳になる。正確には、今日近辺で50歳になる。というのも、正確な出生日がわからないのだ。身分証明書なんかだと、1956年12月15日生まれということになっている。しかし、私が生まれたのは、14日だったかもしれないし、15日だったかもしれないし、16日だったかもしれないのだ。

私が生まれたのは、日をまたぐ真夜中の時間帯だった。そこで、私の誕生日をいつにするかという問題が持ち上がったが、「どちらの日でも構いません。ご両親の好きな方を選んでください」と言われたという〔ちょっとした脱線:私が幼い頃に読んだ一冊の本に、真夜中に生まれた子供はお化けを見ることができると書かれていた。その時の私は、「それってクールじゃないか!」と思ったものだ。しかしながら、その後の証拠は、私の期待に応えてくれなかった〕。

母の言い分では、私が生まれたのは15日から16日に変わる時間帯だったはずだという。「だって、クリスマスからできるだけ離れている日を誕生日に選ぼうとしたんですもの」とのお言葉。その一方で、父の言い分によると、私が生まれたのは14日から15日に変わる時間帯だったという。絶対にそうだったという。とは言え、そのことを裏付ける証拠は何一つ持っていないという。「俺の記憶ではそうだ」ということらしい。両親にこの話――私が生まれたのは何日だったのか?――を持ち出すと、きまって口論になるものだ。私の判断はどうかというと、いつだって変わらない。母の言い分が正しいように思う。というのも、母も生まれたのが12月で、誕生日とクリスマスを分けて祝うことに神経を尖らせているし、母と父のどちらがこういう類の問題に気を配る性質(たち)かというと、その答えは長年の経験に照らして明らかだからだ。となると、私はまだ50歳じゃないかもしれない。今日の真夜中になるまで、待たないといけないかもしれない。

50歳を迎えるのが気がかりかというと・・・、ノーだ。気がかりなことをあえて挙げると、老眼鏡をかけなくちゃいけなくなるかもしれないことくらいだ。それに、私の指が(10本ではなく)12本あったら――12進法で数えたら――、(50歳じゃなくて)まだ42歳だ。これまでを振り返ると、誰かに聞かれない限りは、年齢のことについてあれこれ考えることはしないできた。今からほんのしばらくの間は、そうじゃないかもしれないけれど。

おっと、無駄話が過ぎたようだ。やらなきゃいけないことがたくさん残っている。その時が思ったよりも速いスピードで近づいているようだ。


〔原文:“The Limit as t approaches T”(Economist’s View, December 15, 2006)〕

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