マーク・ソーマ 「買い手独占的な労働市場における最低賃金引き上げの効果」(2013年2月18日)

●Mark Thoma, “The Minimum Wage and Employment when Employers Have Market Power”(Economist’s View, February 18, 2013)


まずは、リチャード・グリーン(Richard Green)のコメントからご覧いただこう。

Where’s the monopsony?” by Richard Green:オバマ大統領ポール・クルーグマンロバート・ライシュがこぞって、最低賃金の引き上げを求めている。私も彼らに賛同したいところだ。それというのも、クルーグマンが正しくも指摘しているように、最低賃金の引き上げが総雇用量に及ぼす影響は取るに足らないことが実証的な証拠の圧倒的多数(pdf)によって裏付けられているからである。

しかしながら、ここで疑問が持ち上がる。どうしてそんな結果になるんだろうか? クルーグマンの言い分によると、生身の人間はマンハッタンにある賃貸アパートとは違うから、家賃統制には懐疑的な一方で最低賃金(の引き上げ)は支持するという立場は矛盾しないという。しかしながら、法律で賃金に下限額(最低賃金)を課すせいで労働の超過供給(失業)が生まれてしまってもおかしくないはずなのに、どうしてそうならないのかを説明するのに「生身の人間はマンハッタンにある賃貸アパートとは違う」と指摘するだけでは十分とは言えないだろう。

ある一定の状況下では、最低賃金が引き上げられる結果として雇用量が増える可能性すらあることを理論的に示すのは可能である。雇用主たる企業が労働市場において支配力を持っている――労働市場が買い手独占的である――ようなら、賃金を労働者の生産性を下回る水準に抑えて、雇い入れる人の数(雇用量)を効率的な水準(完全競争が成り立つケース)よりも少なくするのが企業にとって(より多くの利潤が手に入るという意味で)得になる。そんな状況で最低賃金が引き上げられると、労働者に支払われる賃金が上昇して、それにつられてこれまでよりも多くの求職者が労働市場に参入してくる――その結果として、雇用量が増える――可能性がある。最低賃金の水準が(雇用されている中で)最も質の低い労働者の限界収入生産物 [1] 訳注;(労働の)限界収入生産物=財(生産物)の価格×労働の限界生産物と等しい高さに設定されるようなら、それに伴って最善(ファースト・ベスト)の結果がもたらされる――労働者に支払われる賃金も、雇用される人の数も効率的な水準(完全競争が成り立つケースと同じ水準)に落ち着く――可能性もあるのだ。

これまでの話が成り立つためには、労働市場が厳密な意味で買い手独占的である(雇用主が一社だけである)必要は必ずしもなく、完全競争が成立していなければいい。賃金と(労働者の)生産性の乖離がここのところ広がりつつあるようだが、その事実は労働市場で完全競争が成立していないことを示す証拠の一つだと言える。労働市場における需要サイドの構造について事細かな証拠の蓄積が待たれるところだ。

デービッド・カード(David Card)も買い手独占モデルを使って労働市場を分析するのを是としている。ミネアポリス連銀のエコノミストであるダグラス・クレメント(Douglas Clement)が2006年にカードに対して行ったインタビューの一部を以下に引用するとしよう。ここでテーマになっているのは、ズバリ最低賃金だ(中でも「あのような嘆願をするファストフード店は、働き手に対する幾ばくかの独占力を手にしている云々」というコメントのあたりに注目されたい。政策提言という行為に対するカードなりの姿勢も興味深いところだ)。

<最低賃金>

質問者: 最低賃金の引き上げが持つ効果について探っているあなた自身の研究は有名です。その研究成果の多くは、アラン・クルーガー(Alan Krueger)氏と二人でお書きになった本(『Myth and Measurement:The New Economics of the Minimum Wage』)にまとめられています。あなた方の研究結果によると、最低賃金の引き上げが雇用量に及ぼす影響は些細なものだとの結論が得られていますが、その結論は白熱した議論を呼び起こしました。

最低賃金の引き上げに備わる効果について、その後も研究を継続されていらっしゃるのでしょうか? 「生活賃金」(”living wage”)の法制化を求める運動が盛んになっているだけでなく、650名を超える経済学者が連名で最低賃金の引き上げを求めている嘆願書がつい先日公にされたばかりです。こういった動きに対して、個人的にどういった意見をお持ちでしょうか?

カード: 正直なところ、1990年代の中頃以降はこのテーマについてそれほど深くは研究していません。 それはどうしてかと突っ込んで考えてみると、理由はいくつかあります。私たちの研究は、最低賃金の引き上げを求める陣営だけではなく、最低賃金の引き上げに反対する陣営によっても誤って受け止められているように思われます。私がクルーガーとの共同研究で最低賃金引き上げの効果に目を付けた理由は、現実の労働市場がどうなっているかについて理解を深めたいと考えたからでした。もう少し具体的に言うと、私たち二人にとって極めて重要だと思われた一つの疑問に答えを見出したいと考えたからでした。その疑問というのは、単純素朴な需要・供給モデル [2] 訳注;単純素朴な需要・供給モデル=完全競争モデル、という意味で使っているようである。で現実の労働市場における雇用主の行動をどれくらい正確に描写できるのかというものです。単純素朴な需要・供給モデルによると、雇用主が新たに人材(労働者)を確保したいようなら、現行の賃金で必要なだけの人員をいくらでも雇うことができます。さらには、単純素朴な需要・供給モデルでは、労働者たちは別の企業(今雇われているのとは別の企業)にコストをかけずに自由に移動できると想定されているので、個々の企業(雇用主)には労働者に支払う賃金を思い思いの水準に定める余地は残されていません。

労働経済学の分野では、単純素朴な需要・供給モデルとは対照的なモデル(サーチ理論)が過去25年の間に大きな発展を遂げてきています。そのモデルでは、一人ひとりの求職者は新たな職(働き口)を探すために時間や労力を費やさねばならない一方で、雇用主たる企業の側も必要な人材を探し出すために時間や労力を費やさねばならない点が強調されます。この新たなモデルでは、同じ職種であるにもかかわらず、企業ごとに支払われる賃金の水準が異なる可能性があります。この新たなモデルは、労働経済学の分野だけにとどまらず、経済学のその他の大半の分野でも広く受け入れられるに至っているというのが私の考えです。2つの企業が非常に似通った製品を作っているのに、それぞれが定める販売価格(売値)は同じじゃなくて違っているかもしれない。・・・とかいうように、生産物市場を分析するためにもこの新たなモデルが使われています。この新たなモデルの助けを借りれば、単純素朴な需要・供給モデルの枠内では奇妙に思える――少なくとも私にはそう思える――数多くの現象を説明できるのです。

一例を挙げると、企業が欠員(未充足の求人;vacancy)を抱えたままにしておくのには、どういう意味があるのでしょうか? 人材を確保するのに労力なんか一切かからず、すぐにでも必要な人材を雇い入れることができるようなら、欠員など生じないはずです。あるいは、欠員が長らく埋まらないなんてことはあり得ないはずです。1990年代の初頭にクルーガーと一緒に最低賃金について研究していた最中のことですが、低賃金の職を提供している多くの企業が何ヶ月にもわたって欠員を抱えたままなのに気付きました。多くのファストフード店は、「友達を連れてきてくれませんか? 1週間か2週間の短期でも構わないので、この店で私たちと一緒に働いてくれる友達を連れてきた従業員には、ボーナスとして100ドル払います」とかいう感じで嘆願していました。そういう嘆願を目にした私たち二人の脳裏には、次のような疑問が浮かんだものです。賃金を引き上げさえすれば、求人への応募も増えて欠員も解消されそうなものなのに、どうして賃金を引き上げないのだろう?

サーチ理論という新しいパラダイムの観点からすると、あのような嘆願は理に適ったものとして理解することができます。それと同時に、あのような嘆願をするファストフード店は、働き手に対する幾ばくかの独占力を手にしていることも浮かび上がってきます。雇用主たる企業が働き手に対して幾ばくかの独占力を手にしているようなら、最低賃金がほんの少しくらい――あくまでも、ほんの少しだけ――引き上げられたとしても、雇用量が大幅に減る必然性はありません。場合によっては、雇用量が増える可能性すらあります。

サーチ理論は、労働市場の実態を的確に描写しているモデルだと私は信じています。労働市場は数々の摩擦を抱えていて、情報の不完全性に苛まれてもいます。とは言っても、最低賃金を(時給)20ドルにまで大幅に引き上げたとしても、大きな問題は起きないと言いたいわけではありません。そもそも現実的な問題として、アメリカで近いうちに最低賃金が劇的に引き上げられる見込みはありませんし、そういう法案が議会を通過する見込みもありません。

私とクルーガーの共同研究の成果に異を唱えている経済学者もいるようですが、そこにはちょっとした勘違いがあるようです。私たちの研究が、賃金をむやみやたらに引き上げたがっている陣営にゴーサインを出していると受け止めて、狼狽しているようなのです。しかしながら、そのような受け止め方は、私たちの真意とはかけ離れています。クルーガーと共著で出版した本の中であれ、その他の出版物の中であれ、私はこれまでに一度たりとも最低賃金の引き上げを求めた(提言した)ことはありません。政治的な論争からは距離を置くように心掛けているのです。

どうやら多くの人々は、目に触れる研究の多くにはバイアスがかかっていると考えているようです。背後に何らかの魂胆(アジェンダ)が潜んでいると疑っているようです。そのような疑念が生じる理由のいくらかは、最終的な結論が一義的には決まらないという経済学なる学問の性質に由来しているでしょう。最終的な結論を得るためには、何らかの想定を置いたり、データをあちこち微妙にいじくったりする必要が時としてあります。研究者が何らかの魂胆を抱いているようなら、最終的な結論を特定の方向に誘導することもできてしまえます。そのことを踏まえると、政策提言と見なしても過言ではない研究を手掛けている学者に対して疑念の目を向けるのは、まっとうな姿勢だと思います。私個人としては、いかなる種類の政策提言からも距離を置くように心掛けていますが、それにもかかわらず、私の研究を目にした人たちから「こいつは、何らかの魂胆を胸のうちに秘めてるんじゃないか」と疑われるのは避けられないでしょう。

先にも述べたように、最低賃金に焦点を当てた研究からは個人的に手を引いたわけですが、その理由はいくつかあります。一つ目の理由としては、(最低賃金に焦点を当てた研究を続けていると)多くの友人を失ってしまうからです。長年の知り合い――私の最初の就職先であるシカゴ大学で出会った知り合いもその中に含まれています――の中には、私とクルーガーの共同研究の結果を知って激怒したり落胆したりする人もいました。彼らの目には、私とクルーガーが経済学という学問に対して裏切り行為を働いているように映ったようです。

二つ目の理由としては、同じテーマにいつまでもこだわらずに別のテーマに移って、最低賃金の研究については他の人に任せてしまうのもいいかもしれないと思ったからです。自分の過去の研究をひたすら弁護するだけの立場に追いやられるというのは、嫌なものです。最低賃金の引き上げが雇用量の大幅な減少を招くことが信頼性の高い研究によって見出される可能性も間違いなくあり得ると思います。しかしながら、最低賃金の水準が極めて低い現状――少なくとも、私が住む北カリフォルニアではそうです――を踏まえると、今すぐにはそういうことにはならないのではないかと判断しています。最低賃金の引き上げ幅が小幅にとどまる限りは、雇用量に対する影響は大したものにはならないだろうというのが私の判断です。

私の考えでも、買い手独占モデルは労働市場の実態を的確に描写するモデルだと思う。大学院生の時に――すなわち、はるか昔に――書き上げたジョブマーケットペーパー以来の考えでもある(その論文では、労働市場における買い手独占モデルの助けを借りて、実質賃金と雇用量との間に観察される正の相関を説明しようと試みた)。

References

References
1 訳注;(労働の)限界収入生産物=財(生産物)の価格×労働の限界生産物
2 訳注;単純素朴な需要・供給モデル=完全競争モデル、という意味で使っているようである。
Total
0
Shares
0 comments
  1. ピンバック: 徒然なる日記

コメントを残す

Related Posts