スコット・サムナー 「『非伝統的』な金融緩和策に対する本能的な嫌悪感」(2011年10月26日)

人間は、血とか生活排水とかを目にしたり、人体の一部(臓器とか)を売るとかいう発想を耳にしたりすると、本能的に嫌悪感を抱く。それと同じように、「非伝統的」な金融緩和策に対しても本能的に嫌悪感を抱いてしまうのかもしれない。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/4698512

ハーバード大学の経済学者であるアルヴィン・ロス(Alvin Roth)によると(pdf)、人間が本能的に嫌悪感を抱く対象はごまんとあるという。血だったり生活排水だったりを目にすると、自然と嫌悪感が湧いてくるのは誰もが知るところだ。人体の一部(臓器とか)を売るとかいう発想に対しても本能的に嫌悪感が湧いてしまうのが人間だ。同じように、「非伝統的」な金融緩和策に対しても本能的に嫌悪感を抱いてしまうのではないかというのが私の意見だ。

リベラル派の面々に非伝統的な金融緩和策に興味を持ってもらうのは、彼らの歯を抜く許可を得るのと同じくらい難しい。「景気を刺激する」という彼らの目的に合致するとしてもだ。保守派の面々を説得するのは、さらに難しい。1930年代の新聞を洗いざらい読んだことがあるのだが、目を通しながら頭を抱えてばかりいた。 保守系の業界紙のどれもこれもが、非伝統的な金融緩和策を嫌っていたのだ。それも、社会主義を嫌う以上に。憎悪が行き過ぎて、あまりに 馬鹿げた発言が平気で口にされるのも度々(たびたび)だった。「そんなアホな」と思うかもしれないが、事実そうだったのだ。非伝統的な金融緩和策は、二つの欠点を抱えているというのが彼ら(保守系の業界紙)の言い分だった。効果が期待できない(効き目がない)というのが一つ目の欠点で――金融政策は紐(ひも)のようなもので、引けても押せないという例の比喩が持ち出されるのが通例――、ハイパーインフレを招く恐れがある(効き目がありすぎる)――(第一次世界大戦後に)ドイツで起きたばかりのように――というのが二つ目の欠点だというのだ。どちらか一方だけしか成り立ちようがないのは言うまでもないが、 そんなことはお構いなしに平気で矛盾が口にされていたのだ。

1930年代の新聞を読み漁りながら、1930年代に比べると今はだいぶマシだと当然のように思っていた。AD-ASモデル(総需要・総供給モデル)みたいに物事を整理するのに役立つモデルが今ではいくつもあるから、目の前にある新聞で語られているような杜撰(ずさん)な考えには陥らずに済むだろうと思っていたのだ。ところが、だ。ドイツ証券のチーフエコノミストである松岡幹裕の指摘をご覧あれ。

本日の日経新聞の記事によると、円高傾向がしぶとく続いていて、欧州の債務危機に伴う不確実性が高まっている事実を踏まえると、日本銀行が次回の金融政策決定会合でさらなる金融緩和に踏み込む可能性があるという。 その記事によると、既存の資産買い入れプログラムが拡充される可能性があり、これまでよりも満期が長い国債の買い入れに力点が置かれるようになるのではないかとのことだ。何もしないよりは何かする方がいいに決まっているというのが我々の見方である。 とは言え、既存の資産買い入れプログラムが拡充される――例えば、買い入れ枠が5兆円だけ増やされる――だけでしかないのだとしたら、 がっかりだ。というのも、これまで通りの後ろ向きで受け身の対応に他ならず、長期にわたる戦略的なコミットメントが欠けているからだ。

2013年4月8日に任期が切れる白川氏が総裁でいる間は、日銀がこれまでの姿勢を変える可能性は限りなく低い。2001年から2006年まで続けられた量的緩和は景気を刺激できなかったというのが日銀の立場であり、白川総裁もその立場に与(くみ)し続けている。しかし、その言い分は正しいだろうか? 財政政策が引き締められ続けたにもかかわらず、為替レートが大振れせずに円安に振れたおかげで、日本経済が2001年から2008年まで史上最長の景気回復を遂げた事実をどう説明するのだろうか? 中央銀行が国債の直接引き受け――財政ファイナンス――のような前例のない行動に出たら、インフレが加速する恐れがあると警告を発するのが日銀のお家芸のようになっている。ちょっと待ってほしい。日銀の言い分だと、金融緩和策は「効果がない」はずなのに、景気が刺激されてインフレが加速する? 一体どうやって? 日銀が語る二つの主張――「量的緩和は効果がない」/「インフレが加速する恐れがある」――は、明らかに矛盾しているのだ。「量的緩和は効果がない」という従来の主張を日銀が撤回しない限りは、金融政策が日本経済を救うための手段として使われる見込みはないのだ。

ベン・バーナンキ(Ben Bernanke)が教えてくれたように、日本人が金融政策について奇妙な考えの持ち主であるらしいことは誰もが知っている。でも、我が国(アメリカ)は大丈夫。神よありがとう・・・といきたいところだが、Fedの高官の中にも日銀と一緒になって「インフレに対する過剰な恐怖」を抱いている人物が何人かいるようだ。

ダラス連銀のリチャード・フィッシャー(Richard Fisher)総裁によると、景気に刺激を加えるのが長引き過ぎてしまう「重大な」リスクに直面しており、Fedによる資産の購入額を現状の6,000億ドルから減らすのも考慮すべきだという。

・・・(略)・・・

フィッシャー総裁は語る。「現状の緩和スタンスを続けることには、重大なリスクが伴います。今以上にさらなる緩和に乗り出すのは、賢明な選択ではないというのが私の考えです」。フィッシャー総裁が語る「賢明ではないさらなる緩和」には、資産の購入額を増やすことだけでなく、量的緩和の縮小(「テーパリング」)に乗り出す時期を先延ばしすることも含まれている。

「資産の購入額を現状の6,000億ドルから今すぐに減らすのも検討すべきかもしれません」とフィッシャー総裁。

・・・(略)・・・

量的緩和の縮小に乗り出すのは6月まで待つべきだと思うかと尋ねると、フィッシャー総裁は「もう既にその時期が来てるんじゃないでしょうかね」と答えた。ただし、インフレが「手に負えないところまでは、まだきていません」とも付け加えた。

とは言え、フィッシャー総裁は、金融緩和は「紐を押すようなもの」(効果がない)とまでは考えていないようだ。・・・いや、待て

「財政当局の協力が得られない限りは、量的緩和であれ、ツイストオペのようにイールドカーブに『柔術』を仕掛けて長短金利の操作を試みるのであれ、さらなる金融緩和は紐を押すようなものに過ぎないでしょう」。

おやおや、我が国でも汚染が進んでいるようだ。

真面目な話をすると、仮に政策金利(FF金利)が8%で、予想インフレ率(ブレーク・イーブン・インフレ率)が1.5%で、失業率が9.1%だったとして、私がこのブログで「FF金利を7.5%まで引き下げよ!」と訴えたとしても、誰も反対しない(異を唱えない)だろう。リチャード・フィッシャー総裁も反対しないし、ボブ・マーフィー(Bob Murphy)も反対しないし、スティーブン・ウィリアムソン(Stephen Williamson)も反対しないし、ジョン・テイラー(John Taylor)も反対しないし、アラン・メルツァー(Allan Meltzer)も反対しないし、リック・ペリー(Rick Perry)も反対しないだろう。誰一人として反対しないだろう。

でも、たった今名前を挙げた面々は、FF金利がゼロ%に達している現状において私が推す提案には反対するだろう。それはなぜなのか? 私が求めるのが「非伝統的」な金融緩和策だからだ。「金融政策は、もう既にだいぶ緩和されている」という意見が大半を占めている――私と意見を同じくする同志の大半でさえもそう思っている――時に、「お金をもっと刷れ」と訴えるからだ 。政策金利を引き下げるのは許容の範囲内で、政策金利を8%から7.5%へと引き下げることに対しては嫌悪感が湧いてこないのだ。

1970年代にFF金利が8%だった時よりも、今(現状)の方が金融政策は引き締められているのだ。でも、そのことがわかっている人間は、この地球上に私とあなたと残り23人くらいしかいない。私としては、ポール・ボルカー(Paul Volcker)元FRB議長が断行したよりもずっと引き締め気味の金融政策を提案しているつもりなのに、周囲からは「我が国をジンバブエの二の舞にしようとしている奴」と受け止められてしまうのだ。アメリカ経済が今のような有様(ありさま)に陥っている理由はたくさんあるだろうが、「サムナーは、我が国をジンバブエの二の舞にしようとしている」と受け止められてしまう論壇の状況も理由の一つになっているのだ。

(追記)論文とか本とかを書くのに忙しい毎日が続いているが、少し時間に余裕が出てきたのでコメント返しもできそうだ。


〔原文:“The natural human revulsion against unconventional monetary stimulus”(TheMoneyIllusion, October 26, 2011)〕

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