1956年に、社会学者のライト・ミルズ(C. Wright Mills)が『The Power Elite』(邦訳『パワー・エリート』)と題された本を出版した。平等だと思われていたアメリカ社会が実は寡頭制(少数者によって支配されている体制)であったことを鋭く抉(えぐ)り出している一冊だ。当時は、軍産複合体の時代だったのだ。ミルズが槍玉に挙げたのは、大企業のトップであり、ウォール街の大物であり、私欲のために政党を動かしている大物政治家だった。この本を通読したことはないが、友人であり同僚でもあるアラン・ハーディング(Alan Harding)と一緒にコーヒーを飲む予定になっていて、彼がやって来るのを待っている間に何か読もうと思ってこの本を棚から引っ張り出してきたのだ。ページをペラペラめくっていると、次のような記述が目に留まった。
「この社会は、少数者のネットワークによって支配されている」と上流層や中流層の間で広く信じられているようだと、道義心を備えた人物は育たない。便宜主義的でお金が物を言う社会では、良心を備えた人物は育たない。
さらにページをペラペラめくっていると、階層的で地位が固定化している戦後すぐの秩序と、現代の寡頭制との間に似ているところが多いことに気付かされた。権力の分布について大っぴらに語り合うべき時が再びやって来たのだろうか?
そう言えば、ジョン・ケイ(John Kay)が銀行によるPPI(Payment Protection Insurance:返済保障保険)の不適切販売問題についてフィナンシャル・タイムズ紙で気炎を吐いている。競争委員会の報告書によると、保険の請求が認められる可能性がものすごく低いこともあり、PPIの販売は売り上げの7割に相当する利益を銀行にもたらしているとのこと。銀行がPPIの販売に注いでいる情熱のほどを考えると、不適切販売を支えるインフラの整備が相当進んでいるに違いない。どうやら「道義心」の欠如についても語り合う必要がありそうだ。
〔原文:“The Power Elite”(The Enlightened Economist, May 13, 2011)〕