ビル・ミッチェル「日本はMMTの実証にならないという嘘話 — Part 2」(2022年1月4日) 

MMT派の経済学者は、「インフレ率が2%を超えたら、その時点で国債発行を止めればよい」などとは言わない。もしそんなことを言う人がいたら、その人は私たちの研究に忠実ではない。私たちは「いついかなる時も国債を発行する必要はない」と言っているのだ!フルストップだ。

Bill Mitchell, “The Japanese denial story – Part 2”, Bill Mitchell – Modern Monetary Theory, January 4, 2022

今回は、「マクロ経済政策を通常の制限を超えて推し進めた場合に起きることを示す例として、日本のケースは適切ではない」という主張に関する私の分析のパート2だ。私は以前から、主流派のマクロ経済学(ニューケインジアン)の枠組みを日本のケースに適用しようとすると、金利上昇、インフレ加速、国債利回り上昇、財政破綻といったナンセンスな予測に行き着くと主張してきた。

1990年代以降、主流派のコンセンサスに反する経済政策を導入してきた日本では、そのような事態はまったく生じていない。日本は現代貨幣理論(MMT)の主要な原則を実証している。それを否定しようとする人々が自分の主張を通すには、「パラレルワールドのMMT」をでっちあげるしかないのである。もっとも、そのような捏造は無意味なのだが。

パート2では、前回の分析の延長として、貿易取引、インフレの恐怖、そして「私たちがどんちゃん騒ぎをしている間に、今の世代は身勝手にも将来世代の税負担を増やしている」という議論について考察する。

パート2では、前回の分析の延長として、貿易取引、インフレの恐怖、そして「私たちがどんちゃん騒ぎをしている間に、今の世代は身勝手にも将来世代の税負担を増やしている」という議論について考察する。

話の流れを追ってもらうには、パート2の前にこちらのパート1〔原文邦訳〕を先に読んでいただきたい。

パート1の最後では、純輸出国が自国通貨での金融資産の蓄積を望まなくなった場合に、自国の外部環境が急変することは常にあり得ると述べた。

もっとも、そうした急激な変化はめったに起こらない。先進国は何十年にもわたって恒常的な対外赤字を抱えているが、グローバル金融市場から不利益を被ってはいないのである。

貿易が行われるプロセス、また、通貨発行国が発行する国債の保有者が誰かは別に重要ではない理由を十分に理解するために、パート2では、国際貿易取引と同時に行われる実際の取引を追っていくことから始める。

読者は、保有者が最終的に資金を外国為替市場で換金しない限り、その資金が自国通貨の金融システムから流出することはないことを理解するだろう。

パート1の例にならって、アメリカ人が中国製品を購入するところから始まる取引の仕組みを説明する。

  • まずあるアメリカ人が地元のディーラーから中国製の自動車を購入する。
  • そのアメリカ人が現金で支払う場合、彼/彼女の銀行口座から現金が引き落とされ、自動車ディーラーの口座に現金が振り込まれる。これは、米ドル建ての金融資産の海外貯蓄を増やす効果がある。米国の銀行システムの預金総額は、今のところ変化していない。
  • アメリカ人が車を買うためにローンを組めば、彼/彼女の銀行のバランスシートにはローンが資産として計上され、預金(ローン)が負債として創造される。その後、アメリカ人が自動車ディーラー(中国企業の代理業者)に小切手を渡すと、中国の自動車会社は新しい資産(銀行預金)を手にし、アメリカ人のローンによって銀行の預金総額が増加する(融資が預金を創造する)。米ドル建ての海外貯蓄は、融資額の分増加する。
  • つまり、中国の自動車会社が米ドル建ての金融資産を純貯蓄し、その資産を得るためにアメリカにモノやサービスを売ることを望んだ結果として、貿易赤字(この場合、自動車1台分)が発生する。アメリカにモノやサービスを売ることが、中国側にとって外貨建ての金融資産を蓄積できる唯一の方法なのだ。

もし、中国の自動車会社のオーナーが、米ドル建ての銀行預金を保有する代わりに、アメリカ国債を購入することを決めたとしたらどうだろうか。

さらにいくつかの会計取引が発生する。

  • 中国の自動車会社は国債を注文し、銀行預金は国債を販売している中央銀行(FRB)の手に渡り(政府のどの口座が関連しているかという詳細は無視する)、代わりに国債という紙切れを中国の自動車メーカーの弁護士または代理人に渡すことになる。
  • アメリカ政府の対外債務はその分増加する。
  • しかし、これは単に、アメリカ政府が国債の満期時に、中国の自動車会社の銀行口座に国債の額面金額と利息を入金し(自動車会社が取引する商業銀行に準備預金を追加)、中央銀行の口座(または国債売買を扱う特定の会計構造)から引き落とすことを約束しているに過ぎないのだ。

これらのことを理解すれば、これは単に無利子の準備預金残高を有利子の国債と交換したに過ぎないことがよくわかるだろう。

この取引が主権政府にとって支払能力の問題を引き起こすことはない。

アメリカの消費者は実物の商品とサービスを手に入れ、中国人は紙切れ一枚を手に入れるのだ。

プログレッシブ [1]日本語では「進歩派」と訳されることもあるが、現代におけるプログレッシブ progressive … Continue reading と呼ばれる人々の中には、中国人が保有してる国債のストックを心配する人がいる。

しかし、すべてのカードを握っているのはアメリカ政府だ。この例では、国債は米ドル建てであり、米ドルが米国のシステムから流出することはない。

中国人は、もう十分蓄えたと判断し、実質交易条件(TOT)を変更しようとするかもしれない(つまり、アメリカへの輸出意欲を減退させようとする)。

そのような状況では、アメリカはもはや物質的な優位性を利用することができず、その調整は急激で痛みを伴う可能性がある。

しかし、このような状況であっても、物質的な利益が(全体として)アメリカ国民に有利に流れていることを否定するものではない。

だから、日本の国債を日本の居住者や居住企業が保有し、また他の国の国債を外国人が保有しているという事実は、上記の観点からはほとんど関係ないのである。

外国人がその現地通貨建ての金融資産をどうするかで、異なるシナリオが導かれる。

例えば、現地通貨建て資産(例えば、現地銀行の口座残高)を使って、現地の不動産市場で投機することが政府によって認められている場合、我々は当然ながら警戒し、そのような取引を防ぐ方法を模索するかもしれない。

国によっては、非居住者が購入できるもの、できないものを規制する外国投資審査プロセスを設けているところもある。

しかし、輸出黒字による現地通貨建て資金で国債を購入するのであれば、上記のように特に問題はない。

中国がアメリカ政府に資金を供給しているという主張は、政府が外国勢力に屈服しているという不吉なシナリオの一部とされるが、意味をなさない。

政府は、自国の通貨を発行していれば、いつでも好きなときに支出することができ、国債の保有者が国内または国外にいるかに関係なく、債務の処理と返済は同じである。

債務の返済は、自国通貨建ての銀行口座に入金することで行われる。

しかし、政府が外貨建ての国債を発行した場合、状況は異なる。それは、トラブルへの道である。外貨建ての国債を発行する場合、その処理と返済に必要な外貨準備高を確保するために、十分な輸出収入を生み出す必要がある。

しかし、日本にもアメリカにも、そのような区別は当然当てはまらない。

「ハイパーインフレはすぐそこまで来ている、今にも我々に降りかかるぞ!」という嘘話

伊藤隆敏はこう主張する。

…日本政府は国債で債務不履行に陥る必要も必然性もない。たとえ国債の買い手がいなくとも、日本銀行は現金注入で新規国債やロールオーバーした国債を買い続けることができる。これは非常に高いインフレを招く恐れがある。しかし、MMTの提唱者は、インフレ率が2%を超えたら、その時点で国債発行を止めればよいと言うだろう。

彼の主張のうち最初の部分は正しい。

日銀はいつでも利回りをコントロールできるし、または国債をすべて買い取ることもできるし、両方実施することも可能だ。

過去10年以上、日本政府が新たに発行した全ての国債と、以前に発行した国債のかなりの部分は、意図的な政策として日銀が保有することになった。

これによって多くの結果をもたらす「かもしれない」が、高インフレはその一つではない。

20年以上にわたって、日銀は政府の国庫側(財務省)に事実上資金を供給してきた。実際に行われていることを制度的に覆い隠すような、一次発行入札の見かけにミスリードされないでほしい。

日本政府は何かに対してX円を使うように指示を出し、日銀はその資金が送金されるように適切な口座に入金されるようにするのだ。

では、インフレはどこにやって来るのだろうか?

ニューケインジアンは1990年代にインフレを予測した。

2000年代にも同じ予測を繰り返した。

(伊藤の記事が発表された)2021年末現在、彼らは未だにインフレを予測し続けている。ただし、その表現は〔インフレが〕「起きる」ではなく「起きるかもしれない」に変わっている。

現時点での世界的なインフレ圧力は、パンデミックに関連したものであり、(パンデミックを収束させたり、我々の行動を修正したりすれば)いずれは解消されるものである。

さらに、MMT派の経済学者は、「インフレ率が2%を超えたら、その時点で国債発行を止めればよい」などとは言わない。

もしそんなことを言う人がいたら、その人は私たちの研究に忠実ではない。

私たちは「いついかなる時も国債を発行する必要はない」と言っているのだ!フルストップだ。

そこに条件付けなどありはしない。

だから、2%ルールに基づく彼の他の分析も藁人形批判になっている。

では、国債が問題だという彼の主張について考えてみよう。

彼は、国債の発行残高が多ければ、「満期を迎える既発国債の償還のために」政府は「大規模かつ急激な」財政緊縮をしなければならないと主張している。

私の住む世界ではありえない話だ!

日銀は、ある口座残高(債務返済と準備預金)を増やし、別の口座残高(国債残高)を減らせばいいのだ。

緊縮財政などまったく必要ない。ただキーボードを打ち込むだけで事は済む。

もし、急激かつ大規模な財政緊縮が行われたら、当然、「急激な不況」が起こるだろう。

疑う余地もない。

他にどんな選択肢があるだろうか。

「わからないのか、 インフレがやってくるぞ!」という嘘話

伊藤の答えは次のとおりだ。

唯一の選択肢は、日銀による国債の買い上げであり、その結果、ハイパーインフレとまではいかないまでも、さらにインフレが進むだろう。

「1990年以降、日本が経験したあらゆるインフレのように」ということらしい。

約30年間、インフレ率をプラス(つまりゼロ以上)にするのに苦労し、定期的にデフレを記録しているのに、主流派の経済学者は、財政赤字の額と一致させるために(※財政赤字を賄うためではない)発行された国債を中央銀行が購入すると、インフレやハイパーインフレになると言い続けている。滑稽なことだ。

もうそんな主張は捨て去るがよい。

面白いことに、この手の記事は、冒頭では控えめな主張をしながら、文末に近づくにつれ、「インフレだけでなくハイパーインフレが日本の運命」だの、「大量の失業者が出る」だのと、煽りが増していくのだ。

「将来世代はツケを払わなければならなくなる」という嘘話

インフレのことをうやむやにおいたまま、伊藤は次に世代間負担のことに言及する。

今回承認されたような現金給付やその他のプログラムは現在の世代に恩恵をもたらすが、国債償還に伴う税負担は将来の納税者(その多くはまだ生まれていないかもしれない)が負担することになる。また、既発国債が無制限にロールオーバーされるとしても、国債で賄われた現在の消費に対する利子の支払いは将来世代が負担することになる。

(投票権を持つ国民による)各々の世代は、自らが選んだ政府を通じて、自らの税負担を選択する。

惰性は変化を拒むものではあるが、前の世代が現在の世代に特定の税制を押し付けることはできない。

親の世代に比べれば、私の世代の税負担はずっと軽い。

これは万国共通だ。

他方で、私が生まれる前に行われた教育、医療、交通、公共事業などへの大規模な公共投資の結果、私が利用できる公共インフラは、私の両親が享受していたものよりはるかに質の高いライフスタイルを提供してくれている。

一体どこに負担が生じているというのか。

私の親の世代は、子どもたちが物質的に豊かになるようにと、政府に対し国づくりへの投資を促した。

(私の属する)大人世代は新自由主義に染まり、全く逆のことをしようとしている。それは、私たちが世に残す将来の豊かさを損なうことになる。

詳しくは近々話すこととしよう。

さらに、政府の債務返済は、いつか行われる増税によってなされるわけではない。

政府が行うのは、口座残高の引き上げ(マークアップ)と引き下げ(マークダウン)だ。

確かに、歴史のある時点では、税負担が増加したり減少したりすることはある。

しかし、それは過去の財政政策や国債発行の軌跡とはほどんど関係がない。

将来の豊かさについての話は以上となる。

現世代が将来世代に与える実際の負担は、実物資源の使用と枯渇に関係する。

もし今、私たちが地球環境を破壊してしまえば、将来世代には資源の枯渇した未来が待ち構えることになるだろう。

それこそが世代間の課題であり、それを解決するためには、「グリーンへの移行」(green transition)などを通じて、将来にわたって財政赤字のさらなる拡大が必要となる。

さらに、伊藤が「近いうちに」日本の老齢年金制度が崩壊すると考えている日本の高齢化社会も問題ではある。

しかし、その問題とは、政府がすぐにお金を使い果たし、年金などを払えなくなることではない。

高齢化社会が問題なのは、物質的な財やサービスの生産者が減り、消費者が増えるからである。年金の実質的な価値、つまり年金で購入できるものが枯渇してしまうかもしれないということだ。

このため、次の世代は前の世代よりも生産性を上げなければならないし、さもなければ社会は物質的な願望を真剣にダウングレードしなければならなくなる。もちろん、どちらも望ましいことではあるのだが。

この物質的な要請と環境的な要請とのバランスをとることが、パンデミックが一段落した後に人類が直面する最大の課題である。

そして、(伊藤の主張に沿って)現在の日本の財政政策に「健全財政」の原則を押し付けようとすると、教育、職業訓練、医療といった将来の生産性を高め、そして気候問題に対する技術やその他の手段による解決策を生み出す制度が却って弱体化する恐れが強いのである。

日本政府は補正予算案で、19歳以下の住民に10万円(約1200豪ドル)を現金給付することを提案したばかりだ。

伊藤のような人たちは、これはスキャンダラスで、国を破滅に追い込むだろうと考えている。

私はむしろ、日本の家計が将来の教育や職業訓練の需要に対応し、子供たちが自分の可能性を最大限に発揮できるようにするために役立つと思う。

政府が破産しないことは確実だ。

世代間の議論の問題点は、間違った原則を前提にして展開されていることだ。

世代間移転の問題は、ドルや円の問題ではなく実物資源の問題であり、公的債務総額のレートが250%であるか251%であるかということでもない。

結語

伊藤は、日本の政治家に対する警告として、実に奇妙な主張を述べている。

MMTとその提唱する政策を全面的に支持することは……日本が最も必要としないことである。

そうではなく、日本政府の多くの幹部には、我々の研究に馴染み、貨幣システムのオペレーションの仕組みと様々な政策措置の結果をより良く理解することで、厚生を向上させ、選挙での支持を維持する機会が目の前にあるのである。

伊藤のアプローチは、(1)まず藁の家を建て、(2)次にそれを焼き払う、というものだ。これは、自分の主張に中身がなく、また歴史によって誤りとされている場合に取られる非常に典型的なアプローチなのである。

今日はここまで!

References

References
1 日本語では「進歩派」と訳されることもあるが、現代におけるプログレッシブ progressive は、19世紀から20世紀にかけての歴史的進歩主義とは異なり、人種的平等と少数派の権利を強調する。また所得格差の是正、医療保険制度の改革、最低賃金の引き上げ、環境正義などが主な政策的主張であり、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス、バーニー・サンダース、エリザベス・ウォレンら代表的なプログレッシブ派議員によってプログレッシブという用語が広く知られることとなった。参照
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