ジョセフ・ヒース「アメリカの民主党は目的達成のための“連合”を規律化しないといけない」(2024年7月3日)

アメリカのリベラル派は、信じられないほど政治が下手で、その無能さが我々にトランプを押し付けたのだ。

(第一次?)トランプ政権が中盤にさしかかった頃、私はちょっとした啓示を受けた。それまでは、共和党の大統領が賛成できないようなことを言うたびに、私はそうした大統領を選んだ共和党支持者に責任を負わせていた。しかしある時点から、民主党支持者からあらゆる言い訳を聞き続けるのにうんざりするようになった。我々(ここでの「我々」というのは「アメリカ以外の世界の人」という意味だ)はアメリカのリベラル派にもっと多くの責任を負わせるべきだ、と思い始めるようになった。アメリカのリベラル派は、信じられないほど政治が下手で、その無能さが我々にトランプを押し付けたのだ。

これに気づいたのは、アメリカのリベラル派学者の話を聴いていたときだった。その学者は、余談としてトランプがいかに酷いかについて話し、最後に「アメリカ国民を代表して」謝罪した。その学者はトランプの当選に個人的な責任を感じているように感じなかったことから、謝罪に不誠実さを感じざるを得なかった。実際、彼女はトランプをまるで宇宙から降りてきたかのように語り、アメリカのリベラル派(と「進歩派」)の振る舞いがトランプの人気とは何の関係もないように語ったのだ。

その日から、私は共和党の成功を民主党のせいにするようになった。結果、いろいろなものが、異なる視点から見えるようになった。例えば、アメリカのエリートらは、「人種差別」こそがトランプ支持者たちを突き動かしている主要な要因だと熱心に主張しているが、これは都合の良い自己弁護の形になっていることにも気づき始めた。労働者階級の共和党支持者が、人種的マイノリティをどのくらい嫌っているのかは定かではないが、一つ確かなのは、エリートのことを心底本当に嫌っている。さて、もしあなたがエリートの一員なら、状況を改善するためにできることが一つあるとすれば、同胞に嫌われるようなことをやめることだ。

むろん、共和党の成功を民主党のせいにするのは不公正だと思う人がいるかもしれない。顔を殴られた人に、殴られやすい顔をしていると非難するようなものだ、と。しかし、もしあなたがたまたま殴られやすい顔をしていて、自分が殴られやすい顔をしていることを知っていて、喧嘩っ早い人で溢れている部屋にいるなら、自分の顔を少しでも殴られにくくするようにするのが、理性的なのではないだろうか?

しかし、民主党はなぜ政治を苦手としているのだろう? いつもの言い訳を脇に置くと、列挙すべき問題は非常に長くなることがすぐわかる。(ところで、部外者としてアメリカ政治を長年観察してきた経験から学んだことの一つが、アメリカ人以外は、連邦レベルでの政治にだけ注目する傾向にあり、2つの政党について非常に歪んだ見方としていることだ。その結果、非アメリカ人のほとんどは、民主党が州や自治体レベルでどんな活動をしているのかあまり知らない。なので、例えば、アメリカでは民主党は共和党より腐敗していると一般的に見なされている、といった事実を非アメリカ人のほとんどは気づいていない。)

もっとも、私はもっと基本的なことに関心を絞りたいと思う。それは、アメリカの民主党議員の多くが、党内統合を規律化することの重要性を理解していないことだ。ヤシャ・ムンクは最近『Persuasion』誌の論文で、この点において、イギリス労働党党首のキア・スターマーの配慮に比べて、ジョー・バイデンがいかに非効率なのかを指摘している。この比較は少し不公平だ。スターマーが並外れて有能なのに対して(例えば、彼がトランスジェンダー問題で、対立をどれだけうまく脱分化してるか考えてみてほしい)、バイデンは他の民主党候補より劣っているわけではない。

こうなっている一因は、アメリカとイギリスの政治制度の違い――特にアメリカには党議拘束がないことだ。党議拘束がある制度では、制度への参加者らは(特に自身の立場が一般大衆に非常に不人気な場合には)、争点によっては黙る必要があるという考えに慣れる。党議拘束はまた、公式の党綱領の作成につながり、その綱領では通常、まとまった政党内で極端な分子が支持するアイデアのほとんどは除去される。これによって、選出を目指す政治家は、不人気なアイデアからある程度の信頼性を持って距離を置けるようになる。

もっとも、こうした制度的な違いはあるとしても、アメリカ民主党は、自党内の過激派を慰撫しようとすることに時間を費やしすぎである。リベラル派は、アメリカの政治的二極化を減らす唯一の方法を、共和党の過激派を攻撃することにあると考えているようだ。二極化を減らすのを目的とするなら、なぜ自分の家を掃除しようとしないのだろうか? 両陣営が共に対立する連合内の過激な極端派を強く憎悪すれば、二極化が引き起こされることを、人は時として理解できない。なので、二極化を和らげる方法の一つは、自陣営の極端派を他者に不快感の与えないようにすることだ。だが、民主党は、共和党の規範侵害を非難する一方で、全く同じ規範侵害を行っている自陣営側にはフリーパスを与えていることが多い。

『ニューヨーク・レビュー・ブックス』はアメリカのエリートの抱く世界観をのぞき込むのにかなり信頼できる媒体だ。少し前に珍しくこのアメリカのリベラルの問題がはっきりと表れている事例を発見した。「歴史の明暗」と題された、アダム・ホックシールドによって書かれた文化戦争へのちょっとした反論記事だ。アメリカでは右派と左派は自身の現代の政治的立場を裏付けるためにアメリカ史を語り直そうとしている。ホックシールドは、(右派の)『ヒルズデール大学1776カリキュラム[1]訳注:『ヒルズデール大学の1776カリキュラム』は、保守派による「国家に誇りを持てるような歴史観」の伝導を目的とする教育プログラム。 と、(左派の)ドキュメンタリー版『1619プロジェクト[2] … Continue reading をそれぞれ取り上げて論評している。いうまでもなくホックシールドは、『ヒルズデール大学1776カリキュラム』については極めて否定的な評価を下しているが、『1619プロジェクト』(とその立案者/ナレーターであるニコル・ハンナ=ジョーンズには手放しで肯定的な評価を下している(「何度も、何度も…、ハンナ=ジョーンズは楽観的歴史観『1776カリキュラム』が無視している歴史の暗黒面に取り組んでいる』)。

しかし、ホックシールドの論評では、その論調と、それぞれのカリキュラムへの具体的な批判の間に著しいミスマッチがある。『1776カリキュラム』にホックシールドが主に抱いている不満は、彼がきちんと取り上げるべきだとするものを、取り上げていない、というものだ。例えば、『1776カリキュラム』は奴隷制度を強く非難しているが、奴隷の日々の恐怖を十分に取り上げていない。あるいは、「アメリカが国土を原住民からどのように奪ったのか」といった問題はスルーされている。あるいは、富の不平等についての議論が十分になされていない(「『1776カリキュラム』で描かれるアメリカ史は政治に終始していて、経済は扱われていない」)。

「『1776カリキュラム』について着目すべき最大の点は、何かが書かれていないかだ」とホックシールドは言う。つまるところ、ホックシールドの批判の中心にあるのは、保守にとって重要なことだけ取り上げて、リベラルにとって重要なものはほとんど無視している、ということになる(例えば「『1776カリキュラム』に欠けているのは、憲法上の権利は始まりにすぎないという考えだ」 [3] … Continue reading )。これは特に驚くべきことではない。歴史研究において、現在への影響については人によって異なる結論に達することがよくある。

一方で、『1619プロジェクト』についてはホックシールド肯定的な評価を行っているが、「このシリーズに欠点がないわけではないが、いくつかは制作者の過失ではない」とする先回りした奇妙な言い訳が行われている。これはつまるところ、いくつかは制作者に過失があるということだろう。ホックシールドは次に、『1619プロジェクト』について恣意的な論点より、はるかに深刻な問題をいくつか指摘している。具体的には、ハンナ=ジョーンズが、一度だけでなく二度!も虚偽の主張をしていることを指摘している。にもかかわらず、ホックシールドはこれを些細な問題として扱い、素晴らしい作品なので気にしなくて良いとしている。

むろんこうしたファクトのいいかげんな扱いは、『1619プロジェクト』に付きまとっている問題点だ。ここでその問題点を裁くつもりはないが、ホックシールドは自身の論評内で、手厳しい批評家なら「虚偽」(あるいは「ありえない事実」の提示)と呼ぶようなことで、二度に分けてハンナ=ジョーンズを批判していることに着目してみたい。最初は、イギリス植民地時代のアメリカでのバージニア総督による布告の影響についての不明瞭な主張だ。ホックシールドは「こうした問題のいくつかは避けられたかもしれない。シリーズの最初の回では、『1619プロジェクト』のホストで発案者であるニコル・ハンナ=ジョーンズは、プロジェクトの初期に歴史学者から受けた批判論点を頑なに擁護している」と指摘し、さらに歴史学者に同意することを明らかにしている

ホックシールドは論評の後半で、より直接的なファクトチェックを行っている。「ハンナ=ジョーンズが時折強調しているものの一つが、アメリカの資本主義は『プランテーションで生まれた』との主張だ。これは事実に反している。ところが、『1619プロジェクト』では、アメリカ史の中心には人間の所有・資産化があり、これこそが歴史の真実だ、としている」。不思議なことに、ホックシールドによるとこれらは『1619プロジェクト』シリーズへの好意的な全体評価に、何の問題もないとのことだ。しかし「事実を反している」ことを言ったり、歴史学者に間違いを指摘されたにもかかわらず、頑なに虚偽の主張を繰り返すことは、特に高校生を対象にしたカリキュラムにおいてだと、小罪ではなく大罪であるように個人的には思う。

論点を繰り返すつもりはないが、もし保守派のカリキュラムに単なる不作為でなく、明らかに虚偽の主張が含まれていたら、どのような反応があるかを想像してみてほしい。当然の結論として、そうした虚偽によって、大枠での主張が信頼できないとされるだろう。ところが、『1619プロジェクト』だと、そうした虚偽は「たまにある強調」としてみなされる。なぜこうも甘いのか? 嘘や誤りがなくともアメリカ史を長年の不正の羅列とするのは十分に可能だ。ホックシールドが生煮えの反応を示しているのは、こうした態度が自身の支持する大義にどれだけダメージを与えるのかについて理解していないのではないかと私は思っている。

たいていの人は、嘘を付くのは最終手段であり、理由もなく付かないと考えている。なので、リベラルなカリキュラムに嘘が含まれているとするなら、リベラルな主張全体が嘘によってしか維持できないとされてしまうだろう。これでは、左派は揃って悪人だと思われるだろう。故に、我々が自身に課す基準は、ホックシールドの論評で行っている基準とは正反対でなければならない。政敵が嘘を付いてごまかしを行うと、政敵の印象が悪くなるが、自陣営が嘘を付いてごまかしを行えば、自陣営の印象が悪くなる。ウソつきの動機となっている感情に同意したからといって、そうした人を甘受すべきではない。

一つだけの小さな記事で大騒ぎしていることを認めよう。1年ほど前に読んだ記事にもかかわらず、私はこの件についてずっと考え続けている。なぜなら、これは、アメリカのリベラルがまさに見落としていることを浮き彫りにしているからだ。アメリカのリベラルは、自身が他人からどう見えているのか、自陣営の行動がどのように二極化を引き起こしているのかについて想像できないようだ。〔トランプを批判していたのにトランプ政権のホワイトハウス報道官になった〕ショーン・スパイサーが、トランプの大統領就任式の群衆の数について嘘を付いた時、権威主義的な政治運動が信奉者に忠誠を示させるためにいかに嘘を付かせるかについて何十もの考察記事が書かれた。これはおそらく事実だが、リベラル派(の多くが自陣営への異議申し立てを恐れるあまり)嘘を付いていると、保守派がリベラル派に対してまったく同じ分析を行っていることを認識することは重要だ。

私は、リベラル・保守の両陣営を同等視したいわけではない。共和党は、明らかに民主党よりも過激になっている。言いたいのは、アメリカのリベラル派は共和党の過激派を攻撃しても成果をほとんど挙げられていないことだ(実際、過激派を煽っているだけのように見える)。なので、自陣営の連合からの怒りを誘発する奔流を規制することに集中したほうが効果的なのではないか、ということだ。

[Joseph Heath, U.S. Democrats need to discipline their own coalition, In Due Course, JUN 03, 2024]

References

References
1 訳注:『ヒルズデール大学の1776カリキュラム』は、保守派による「国家に誇りを持てるような歴史観」の伝導を目的とする教育プログラム。
2 訳注:『1619プロジェクト』は「批判的人種理論」に基づいてアメリカ史の負の側面を強調する教育・政治運動。「1619」はアメリカに最初に奴隷が連れてこられた年を意味している。アメリカ史における偉人(ワシントンやリンカーン)に批評的な見解をとっている。最初にニューヨーク・タイムズ紙で特集掲載されブラック・ライヴズ・マター等の左派の社会運動の理論的根拠にもなった。
3 訳中:アメリカでは「憲法原意主義」という言葉があるように、保守ほど建国時の憲法の杓子定規に解釈し、起草者の当時の意思を尊ぶ傾向がある。左派は憲法の精神を可塑的に運用することを重視している。
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