ニック・ロウ「マクロ経済は自律均衡的か」は愚問

Nick Rowe, ““Is the macroeconomy self-equilibrating?” is a stupid question” (August 09, 2013) from Worthwhile Canadian Initiative


「マクロ経済面において、市場経済は自律均衡的か」

かつて僕はこれがマクロ経済学における最も重要で根本的な問いかけだと思っていた。

今は僕はこれがなんら意味をなさない愚問だと思っている。

ポール・クルーグマンは次のように言っている。(訳注1)

こう考えてみよう。フリードマンは熱烈な自由市場擁護者で、市場は放っておけばほとんどあらゆる問題を解決できると主張した。でも彼はマクロ経済の現実主義者で、市場は結局のところ景気後退や不況という問題を解決することができないということを認識していた。だから彼はマクロ経済学を壁で囲い込んで全てのものから遠ざけ、自由主義的な感覚を出来る限り刺激しないようにしたんだ。うん、彼は安定化政策が必要だということを事実上認めていたけれど、それでも財政なんて汚れたものなんか使わず、貨幣政策だけに頼ることで政府の役割を最小化できるし、ひいては貨幣政策当局の裁量も与えるべきでないと考えていた。

でも根本的なところにおいて、この考えは矛盾している。つまり、市場が大恐慌を起こすほどの間違いを起こしうるのであれば、マクロ以外の点で心からの自由市場信奉者になるなんてこと出来るだろうか。

これを読んで、ポールはミルトン・フリードマンが愚問に対して矛盾した回答を出していることを非難しているように感じた。これは愚問なんだよポール。もちろんミルトンは矛盾した答えを出したことだろう。それが愚問に対して唯一可能な答えなんだ。

なんでこれが愚問かだって?それはこういうことだ。

想像力を自由に解き放とう。考え得る限りでありうる最悪の貨幣政策を考えてみるんだ。それが正確にどういったものであるかは自分のモデルと想像力次第だ。でもそれはおそらく次にような感じの方向性のものだろう。

貨幣政策【最悪】:インフレが上昇し市場が活発化したときには貨幣政策を大きく緩和し、インフレが下落し市場が沈静化している時は貨幣政策を大きく引き締める。

「貨幣政策を大きく緩和する/引き締める」というのが正確にどういったことを意味するかは、それぞれのマクロ経済モデルと、貨幣政策に対する捉え方によって違う。それについては各人に任せよう。でもポールの答えは僕のと大きく異なったものにはおそらくならない。僕らは二人とも、誰が考えたものであれ貨幣政策【最悪】がとても酷いものであると考えるはずだ。

ここでもっと立ち入って考えてみよう。

自分の考える貨幣政策【最悪】が実施されているとして、マクロ経済面において、市場経済は自律均衡的だろうか。」

ここで(少なくとも)99.9%のマクロ経済学者はこう答えるはずだ。「馬鹿なことを言うんじゃない。そんなはずないだろう!」

どういった類の経済学者が「そうだ」と答えるだろうか。0.1%とはどんな人たちだろうか。

可能性として、ありうるとするならば、ちょうどコカインでトリップ中の上にとんでもなく想像力に欠けている極度のリアル・ビジネス・サイクル理論家は、この問いに「そうだ」と答えるかもしれない。

「マクロ経済面において、市場経済は自律均衡的か」という問いが愚問なのは、どういった貨幣政策が取られるかということについて何も言っていないからだ。

この無制約の問いに「そうだ」と答えるのは、ありうる中で最悪の貨幣政策というものが思いつかない人だけだ。そういう人は考えられるうちのあらゆる貨幣政策はどれも等しく良いと考えているということだ。そしてそれは彼が貨幣政策が重要でないと考えているというこだ。

ミルトン・フリードマンの考えを3語にまとめなければならないとするならば、こうなる。「貨幣政策は重要(Monetary policy matters)」

これがとても議論を呼んだ意見だったことを覚えているほどには僕も年を食っている。現代マクロ経済学という魚は、自分がフリードマンという名の水の中を泳いでいることに気付かないんだ。(訳注2)

そして昨今の景気後退から学ばなければならいものがあるとすれば、それは1930年代の大恐慌からも学ばなければならなかったもので、そしてフリードマンが僕らに教えようとしていたものでもある。貨幣政策は本当に大事で、とっても重要なんだ。

マクロ経済学において最も危険な考えは、貨幣政策が重要でないというものだ。(このリンク(PDF)を参照。ありがとうロレンツォ。誰かあの最近の論文のリンクを教えてくれ。僕は休みぼけしてるんだ。)これは正にフリードマンが言っていたことだから、次のように言うこともできる。マクロ経済学において最も危険な考えは、フリードマンがいてもいなくても同じというものだ。

追記:下にあるフランシスのコメント(訳注3)を今すぐ読んでほしい。上で言ったことはマクロや貨幣を超えて一般化できるからだ。制度は重要だ。貨幣政策はそうした制度の一つだ。市場がそうであるように。そして政府がそうであるように。

追記2:こうした「フリードマンはいてもいなくても同じ」というのなものについての解毒剤としては、the EconomistのR.A.による素晴らしい論説(訳注4)を読んでほしい。

追記3:それかスコット・サムナーのこの良エントリを。


訳注1;金融危機以前のクルーグマンのフリードマン評はこちらを参照。

訳注2;2003年のバーナンキの演説拙訳)では同様のことがより詳細に述べられている。

訳注3:該当するコメントは次のとおり。「ニック、これは君が以前に言ったことの一例と言えるよね。制度は重要ってやつ。頭が大分アレな人は「市場経済は自律均衡的」ということが「政府が経済へ介入する必要はない」という意味だと受け取るのかもしれない。でも政府は存在する。その存在それ自体経済構造の一部なんだ。政府は介入しかできない。決まり事や制度といったものを作らなきゃいけないからだ(それが政府の役割ってやつだ)。」

訳注4;この論説についてはサムナーも触れている

Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts