本ブログの読者の一人である Akka から次のようなメールを頂戴した。
以下の二つの事実が組み合わさるせいで、人生設計(加えて、人生を生きること)がひどく難しくなっているんじゃないかって個人的に思っています。
- 終わりが不確実(いつ死ぬかわからない)。
- 終わりに近づくにつれて(老いるにつれて)、脳やら身体やらの機能が低下する可能性が極めて高い。
40歳の誕生日を迎えた日の夜に眠りにつくと、もう二度と目が覚めない――どんなに長くても40歳までしか生きられない――ってことになったとしたら、世の中はどう違ってくるでしょうか? 経済面でどんな違いが生まれるでしょうか? 文化面でどんな違いが生まれるでしょうか? 世の中は今よりも平和になるでしょうか? 左派(リベラル)好みの世の中になるでしょうか?
出産に関する規範はどんな進化を遂げるだろうかね? 40歳までしか生きられないってことになったら、18歳かそこらで親になれっていう相当なプレッシャーがかかるようになるだろうね (35歳で初の子を授かるなんていうのは非倫理的と見なされるかもしれない [1] … Continue reading。出生率が大幅に下がって、孤児院があちこちにできるようにでもなれば、35歳で初の子を授かるのは美徳と見なされる可能性はある)。多くの人は、道徳にうるさくなるだろうし、信心深くなるだろうし、かなり若い段階で子供を授かることになるだろうね。
その一方で、大学生みたいなライフスタイルを最期まで(40歳になるまで)貫こうとする人も出てくることだろう。つまりは、二極化が起こるだろうね。道徳にうるさいかどうか、信心深いかどうか、子持ちかどうかっていう面でも、ライフスタイルの面でもね。老いっていうのは、あれやこれやの面での格差を是正する役割だったり、(老後に備えた)堅実な貯蓄行動を促す役割だったりを果たしている。40歳までしか生きられないってことになったら、老いに備わるそういう役割(効果)は失われてしまうことになるだろう。
40歳までしか生きられなくなったとしたら、戦争が起こる可能性は高まってしまうだろうね。賢明なる老人がどこにもいなくなって、男性ホルモン(テストステロン)がまき散らされる [2] … Continue readingっていう点だけからしてもね。
40歳までしか生きられなくなったとしたら、お金(住宅ローン)を借りるのが難しくなって、持ち家比率が下がるだろう。投票率も下がるだろう。富の格差は今よりは縮小するだろう。イノベーションの数も今より減るんじゃないかな。(有権者が近視眼的になるために)政府予算に占める裁量的支出の割合は高まるだろうね。
ハンチントン病のデータに目を向けるのも一つの手だ。オスター&ショールソン&ドースの三人の共同論文によると、潜在的なキャリア(親のどちらかがハンチントン病を発症している人)のうちで、自分が将来的にハンチントン病を発症する可能性があるかどうかを知ろうとするのは、検査費用が安くで済む場合であっても、5~10%程度に過ぎないらしい。長くは生きられないっていうことを知るのは、かなり堪(こた)えて不快な体験ってことなんだろう。同じくオスター&ショールソン&ドースの三人の共同論文によると、(検査を受けたりして)自分が将来的にハンチントン病を発症する可能性が高いと知った人は、そうと知った後に(既婚者の場合は)離婚したり(女性の場合は)妊娠したりする傾向にあるだけじゃなく、お金の管理だったり余暇の過ごし方だったりに大きな変化が生じる傾向にあるという。言うまでもないが、ハンチントン病の患者たちは、今のこの世の中に暮らしているわけで、今の世の中では皆がみんな長くは生きられないってわけじゃない。誰もが長くは生きられない――例えば、40歳までしか生きられない――世の中になったとしたら、(繰り返しになるが)保守的で信心深い層とそうじゃない層への二極化が進むんじゃないかというのが私なりの予想だ。
〔原文:“What if we all died at forty?”(Marginal Revolution, April 12, 2013)〕
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