●Lars Christensen, “Abe should repeat Roosevelt’s successes, but not his mistakes”(The Market Monetarist, September 27, 2013)
日本から、またもや喜ばしいニュースが届いた。8月のコア・インフレ率(コアCPI)が、前年比プラス0.8%の上昇を記録したというのだ。日本ではデフレが15年にもわたって続いたわけだが、今回のニュースは、日本銀行がデフレの克服に成功しつつある明白な証拠だと言えるだろう。黒田総裁、グッジョブ!
黒田総裁率いる日本銀行が現在進めている取り組みは、1999年にベン・バーナンキ(Ben Bernanke)が日本の政策当局者に要求した行動(pdf)そのものだと言える。
1932年に新たな米国大統領に選ばれたフランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)は、アメリカ経済を大恐慌から救い出すとの使命を引っ提げて、政権の運営に乗り出した。ルーズベルト政権の取り組みの中でも最も効果の大きかった政策行動こそ、今まさに日本が必要としているものである。それは何かというと、銀行システムの再建と、通貨の切り下げを通じて、一層の金融緩和を促した(あるいは、金融緩和の効果を高めた)ことだ。確かに、ルーズベルト大統領が実施した個々の政策の中身もそれはそれで重要ではある。しかしながら、それ以上に重要なのは、彼の姿勢。私にはそう思える。すなわち、アグレッシブさを前面に出して、実験に乗り出すことも辞さなかった姿勢(態度)、言い換えると、アメリカ経済に再び活気を取り戻すために必要なことなら何でもやってみようとしたその姿勢こそ、なお一層重要であったように思われるのだ。ルーズベルト大統領が実施した政策の多くは、意図した通りの結果をもたらしはしなかったものの、彼の勇気――誤ったパラダイムにさっさと見切りをつけて、必要とされていることを果断に試みた、彼の勇気――は、大きな称賛に値する。現在の日本は、大恐慌(と同じくらい深刻な不況)に陥っているとは決して言えないが、潜在的な供給能力を下回る状態が10年近くにわたって続いていることは確かだ。そのような状態から今にも抜け出せそうな気配もちっとも感じられない。しかし、経済の低迷に伴って発生する損失を大きく和らげ得る政策オプションは存在する。そのようなオプションが試みられずにいるのは、なぜなのだろうか?
少なくとも私のような外部の人間にとっては、日本の金融政策は、機能麻痺に陥っているように思える。それも、その大部分は、自ら招き寄せた機能麻痺であるように思える。中でも最も目につくのは、金融政策の当局者が実験に乗り出すことを明らかに渋っていることだ。確実にうまくいくという保証がない試みには手を出したくないと明らかに渋っていることだ。おそらく、日本で今必要とされているのは、「ルーズベルト流の決心(ルーズベルトが見せた決心)」(Rooseveltian resolve)なのであろう。
日本経済は、今のところは順調そのものだ。黒田総裁が「ルーズベルト流の決心」を抱いて新たな政策行動に踏み出したことも疑いない。しかしながら、ここで指摘しておきたいことがある。ルーズベルト大統領は、1932年に、デフレの克服に向けてさらなる金融緩和を後押しした。その判断に関しては、疑いもなく正しかった。しかしながら、彼は同時に、賃金の人為的な引き上げを試みるという重大な過ちも犯したのである。
こうも言えるだろう。ルーズベルト大統領が試みた政策のうちで、需要サイドに関わる政策は成功を収めたが、供給サイドに関わる政策はひどいまでの失敗に終わった、と。ルーズベルト政権下で試みられた供給サイドに関わる政策を簡単に振り返ると、次のようになる。まず第一に、全国産業復興法(NIRA)が施行された。この法律は、実質的には、アメリカの労働市場においてカルテルの形成を促そうと試みたものであった。NIRAは、アメリカ経済に多くの損害をもたらしたが、1935年に最高裁で違憲判決を受け、失効することになった。NIRAの失効も一助となって、アメリカ経済は再び景気回復に向かうことになったが、ルーズベルト政権はその後も労働組合の権限強化に取り組み続けた。1935年に制定されたワグナー法がそのいい例だ。
1937年に金融政策が時期尚早にも引き締められ、そのことが原因となって、アメリカ経済が「不況の最中の景気後退」(recession in the depression)に引きずり込まれてしまった事実については、広く知られている。それに比べると、労働組合の権限強化に向けたルーズベルト政権の好戦的なまでの試みが、1936年から1937年にかけて、労使間の対立の激化を招いた事実については、それほど知られていない。私の判断では、(1936年から1937年にかけての)労使間の対立の激化は、1937年にアメリカ経済を景気後退に引きずり込む上で、時期尚早の金融引き締めとほぼ同じくらい重要な役割を果たしたと思われるのだ。
「ルーズベルトの過ち」を繰り返しつつある安倍首相
仮にインフレが上昇すると、〔名目賃金が物価の上昇率を上回るペースで上昇しない限りは〕実質賃金は低下することになるだろう。実質賃金の低下は、消費の足かせとなるに違いない。ルーズベルト政権が(労働組合の権限強化を通じて)賃金の人為的な引き上げを試みた背後には、そのような「ロジック」が控えていた。極めて素朴な隠れケインズ主義流のロジックだと言えるが、不幸にも、ルーズベルト政権内では広く受け入れられたロジックだった。ルーズベルト大統領は、かようなロジックを根拠にして、賃金の人為的な引き上げを試みた。そして、その結果として、アメリカでは大恐慌が長引く格好となったのである。
遺憾ながら、日本の安倍首相も、大恐慌期にルーズベルト大統領が犯した過ちを、今また繰り返そうとしているように見える。当時のルーズベルト大統領とまったく同様に、賃金の人為的な引き上げを試みようとしているのだ。そのような試みは、アベノミクスの成果を大きく損なう恐れがある。
本日付のブルームバーグでは、次のように報じられている。
先週、経団連や労働組合のトップを相手に行われた会合の冒頭で、安倍首相は、賃上げの要請を行った。賃金の上昇は、経済成長の加速を図るアベノミクスの成否を握るキーとなる要因と考えられている。
ルーズベルト大統領が試みようとしたことと瓜二つだ――不幸なことに、ルーズベルト大統領の場合は、計画倒れに終わらずに、実行に移されてしまったわけだが――。ルーズベルト大統領による賃上げの試みは、アメリカ経済に大規模な負の供給ショックをもたらすことになった。NIRAをはじめとした賃上げの試みがなされなかった場合と比べると、賃金が高まることになったのである。その結果、アメリカでは不況が長引くことになったわけだが、安倍首相による賃上げの試みが実行に移されでもしたら、黒田日銀が進める金融緩和のポジティブな効果が打ち消されてしまうのではないかと心配でならない。インフレが上昇する一方で、経済成長の停滞が続くことになってしまうのではないかと気が気ではないのだ。
この点は、シンプルなAD-ASモデルを使って説明することができる。
黒田日銀が進めている金融緩和は、明らかに総需要を増加させているが、総需要の増加は、AD曲線の右方シフトとして表現されることになる。金融緩和の結果として、経済の均衡は、点Aから点Bへと移動し、それに伴って、インフレ率にしても、実質GDP成長率にしても、どちらも上昇することになる。今まさに日本で生じている現象だ。
一方で、安倍首相による賃上げの試みは、負の供給ショックと見なすことができる。その試みが実行に移された場合、AS曲線は左方にシフトし、経済の均衡は、点Bから点Cへと移動することになる。黒田日銀による金融緩和と、安倍首相による賃上げの試みが同時に実施されると、インフレ率は間違いなく上昇する。しかしながら、実質GDP成長率と雇用については、どのような影響が表れるかははっきりしない。
安倍首相が賃金の人為的な引き上げに本気にならないことを、ただただ祈るばかりだ――ただし、総需要の伸びが高まる結果として、賃金が自然に上昇する場合は別だ。そのようなかたちで賃金が上昇することは、望ましいことだと言える――。その代わりに、安倍首相には、アベノミクスの「第3の矢」――構造改革――にもっと真剣に取り組んでもらいたいところだ。
言い換えると、安倍首相は、AS曲線を、左方にではなく、右方にシフトさせるよう試みるべきなのだ。そうすれば、アベノミクスは、ニューディールが犯した過ちを繰り返さずに済むことだろう。
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