クルーグマン「間違ってたときにすべきこと」

Paul Krugman, “What to Do When You’re Wrong,” Krugman & Co., November 29, 2013.


間違ってたときにすべきこと

by ポール・クルーグマン

評論家の Barry Ritholtz がこの前,オンラインの文章で思い出させてくれたように,通貨毀損とインフレを警告する例の公開書簡がでてから3年目を迎えた.この書簡は,連銀の量的緩和政策が悲惨な帰結をもたらすだろうと警告していた.あからさまに間違ったわけだ.

それに,この書簡をいま読み直してみると,執筆陣はいったいどういう経済モデルを念頭においていたのか,不思議になってしかたない.著者たちはこんな風に書いてる:「計画されている資産購入は,通貨毀損とインフレのリスクを冒している.また,この政策によって,雇用推進という連銀の目的が達成されるとも思えない」

じゃあ,拡張せずしてインフレ促進的になるってこと? いったいどういう風に機能すると思われてるんだろう?

Ritholtz氏は,その議論のなかでこうした連中に耳を貸すべきでない理由としてこの間違いぶりを取り上げている.たしかに,注意信号にはちがいない.でも,ぼくはこんな風に考えてる.人々が間違ってるかに目を向けるだけじゃなく,自分の予測どおりに事態が展開しなかったときにその人がどう反応したか見ておくべきなんだ.

進行中の事態について文章を書いていながら一度たりとも間違ったことがないとしたら,ようするに十分に突っ込んだことを書いてないってことだ.世の中いろんな物事が起こる.ときに,自分が起こると思ってなかったことだって起こるものだ.

じゃあ,そういうとき,どうするの? そんなこと言いませんでしたよって言い張る? 批判してくる相手に食ってかかって,被害者ぶる? それとも,どこがどうして間違ったのか探り出して,それにしたがって自分の考え方を修正する?

これまでの年月,ぼくは何度も間違った.たいていは小さいことでのまちがいだったけど,ときには大きなまちがいもやらかした.1998年以前に,ぼくは流動性の罠なんて真面目に心配するようなことじゃないと思ってた.日本の例を見て,自分は間違ってたと悟った.それからやがて,流動性の罠はたしかに大問題だと結論づけるにいたった.2003年に,アメリカは潜在的にアジア危機方式の信頼の喪失に見舞われるおそれがあると考えていた.実際にはそうならなかったとき,ぼくは自分のモデルを考え直して,外国通貨での債務が決定的に重要だと理解して,見解を改めた.

ユーロの場合はちょっとちがう:緊縮と内的切り下げの戦略についてぼくはすごく悲観的だった.この戦略はひどいコストを伴うとぼくは考えていた――そして,その考えは完全に正しかった.また,このコストは政治的に維持できなくなり,ユーロそのものの危機につながるだろうとも推測していた.少なくともここまでのところ,ぼくはまちがってる.ぼくの経済モデルうまく機能してるけれど,暗黙裏の政治的なモデルはよろしくなかった.――まあ,そんな感じ.

2010年の公開書簡に名を連ねていた面々のうち,間違いを認めてどうして間違ったのか説明した人が誰かいるだろうか? そう,誰か1人でもいる? ぼくの知るかぎりゼロだよ.

ここにいたって,これは知的議論にとどまらなくなる.人格の問題になるんだ.

© The New York Times News Service

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