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ジョセフ・ヒース『とある保守政治家の自国第一主義』(2016年11月11日)

Kellie Leitch on Anti-Canadian Values
Posted by Joseph Heath on November 11, 2016 | Canada, multiculturalism, politic

ケリー・レイッチは、私の選挙区選出の国会議員でカナダ保守党の党首候補でもある。彼女は、先日、カナダへの移民希望者に対して、『反カナダ的価値観』の持ち主であるかどうかの『選別』を行うことを提唱した。この提唱への反応を観察することは、今を持ってしても興味深い。多くの人達がこの提唱に激しい怒りを表明している。しかし、怒りを表明した人のほとんどは、彼女の提唱が間違えているとハッキリ言明するのに苦慮もしている。

もちろん、レイッチ提唱の選別は、現実の運用面に関しては、完全な反論が可能だ。選別を実際に行うには、移民の価値観を、直接問いただす事になり、これは非現実的だ。よって、『反カナダ的価値観』を保持していると疑いのある特定の国から来た特定の集団や人達(ニカブ1 を着用しているような女性)への選別処置が、唯一の方法になるだろう。ここで、もしなんらかの言質を取らせるような質問――例えば「あなたは男女は平等であるべきだと信じていますか?」――を行ったとしよう。すると結局のところ移民達は互いに相談することで、即座の『正しい答え』を返すようになるだろう。なので、本当の唯一の方法、外見上の特徴に基いて疑わしい『反カナダ的価値観』を抱えていると思われる個人を締め出す処置に至るだろう。

現実の運用面での反論はひとまず置いてけば、レイッチ提唱の選別に対して、筋が通った反論を、あまり見ることができていない。移民が『反カナダ的価値観』を持っているかもしれないと、わずかでも示唆することは、単に移民に汚名を着せる事であり、差別的でもあると、多くの人は考えているようだ。以上のように考えてしまうことは、罪深いまでにナイーブな考えだ。世界中の多様な国々の、同性愛、性的平等、人種差別、親の権威、子供への体罰、動物の扱い方、その他これらに類する多くの件での公的態度を参照してみれば、世界中の多数の人々の『価値観』が、カナダの多数派の『価値観』と著しく異なっていることは明白だ。おまけに、ほとんどの移民は、経済的機会を求めてカナダに来ており、出身国の社会的価値観から逃れてきたわけではない。なので、移民らの持っている価値観は、出身国の一般的な価値観を反映したものになるだろう。結果として、やってきた移民の多様な価値観は、カナダ人が一般的に同調している価値観から、深く外れたものになっている。一つの事例を挙げるなら、パキスタンからカナダへのムスリム系移民の52%が、同性愛は社会的に許容すべきでないと考えている。一方で総カナダ人では14%しか同じように考えていない。この数字は特に驚くべきものではない、なぜなら同性愛はパキスタンでは、違法であると共に、深い禁忌だからだ。

他の事例についても考えてみよう。多様な移民コミュニティでは、子供への体罰のような事例でも、深刻な不安事を孕ませている。カナダ国外では、多くの人々が子供をぶっているし、それが普通だと考えられている。子育て時には、子供をぶつのは必須の習慣であるとさえ考えられてもいる。カナダに来た移民達は、カナダにおいて子供をぶつことは違法であり、もし子供をぶった事が見つかれば、子供は取り上げられる可能性があると2 、コミュニティの仲間から教えられる事になる。こういった事態はまるでカナダ政府が、『タイムアウト3 』の適切な使用方法や、「テレビ・タブレットは○○時間まで」といったモニターから子供を遠ざけるルール等々の、体罰に代わるしつけ技術を移民達に講習することを怠っているようでもある。さらには、現行法には、非常などっちつかずな要素が残されている。カナダにおいて子供をぶつ事が悪いという考え方は、相当に最近のイノベーションであるからだ。(私が小学生の頃は、まだ教師達は、受け持ちの生徒達を殴る事が許容されていた。ただそれは、当時においても、公的な学校規則ではなかった。既に父の世代の習慣だった)。多くの移民が、こっそりと自身の子供達をぶち続けている。以上が意味するのは、移民達は、子供をぶっている事が見つかることは恐れてはいるのだ。(余談だが、多くの生まれつきのカナダ人も、同じようにこっそりとぶっている)。移民達の多くは、このような[子供をぶつ事が悪い]習慣に強く反発しており、自身の子供にこの習慣を適用しようとはまったくしていない。その一方で、移民達は、誰かがこの件で、児童福祉を呼ぶ事を恐れてもいる。以上指摘の状況を検討してみれば、この状況はちょっとした窮地にある。多くの移民達は、自身の信仰や慣習はカナダ社会において広く共有されていないことを知っている。ただ移民達は、[カナダ社会に]順応するためにはどのくらい、[カナダ社会において求められる慣習を]受け入れなければならないかに、ハッキリとした基準を持ってもいないのだ。そしてまた、移民達は、少数派であるとの汚名を着せられる事や、カナダの文化に対して無配慮あると表明してしまう事を恐れてもいる。我々カナダ社会の価値観・規範・期待における相互理解は、非常に恐ろしい状況に至っている[訳注:移民に行っている政策が結果的に強圧的なものと黙認の曖昧な同居になってしまっている事を指摘していると思われる]。なんにせよ、カナダに来た移民達に、強い反カナダ的価値観の持ち主が、いるかいないかについて、議論するのことは無意味だ。(余談だが、去年、セリーヌ・ディオンが、ビーバー・マガジンの『最悪のカナダ人』コンテストで優勝した4 時には、私としては「マジかよ!?」と思ったし、「Khadarファミリー5 はどうなってる? 少なくとも両親はどうなの?」とツッコんだ事を思い出した。なんというか、セリーヌ・ディオンらは『悪人』じゃないかもしれないけど、彼女らが『悪いカナダ人』であるとされてるのは、皆が認めているのである)。

以上までの議論をふまえれば「レイッチの提唱を拒否する」とは、どういう事なのだろうか? 一つ目の反論は、生来のカナダ人の多くが『反カナダ的価値観』を保持しており、我々はこれを黙認していることだ。移民にだけ、価値観のリトマス試験的なテストを押し付ける事は、平等に反する事になる。例えば、「同性愛者を認めるか」でリトマステストを行うとしよう、するとカナダの保守的なキリスト教徒の非常に多くの構成員を、『反カナダ的価値観』を持つと分類する事になる。この事は、レイッチが熱心やろうとしている『選別』に抗するのを難しくさせるだろう。さらに別の事例だと、カナダでは、前世紀から数十年間もモルモン教徒の一夫多妻制を黙認してきた。(モルモン教徒が一般市民に迷惑をかけなかったり、[結婚対象の]少女があまりに若くない限りは、今に至ってもモルモン教徒の一夫多妻制を黙認している)。移民達の多くは、一夫多妻制が合法で、一般的に習慣化している国(例えばパキスタン)から来ている。だから、レイッチが一夫多妻制を野蛮な慣習と提唱し、カナダの多数派が賛成したしたとしたしよう。するとカナダにおいて、既に少数の人達が行っている一夫多妻制が、完全に許容されている、という厳然たる事実が残ることになるだろう。つまりパキスタンからの移民が、カナダでは一夫多妻制が違法であると理解し、カナダの法に従うという配慮を行う限りにおいては、[以前からカナダに住む]我々は、移民達の価値観について不平を言う事ができなくなるのだ。移民達が、カナダの法を変えるような政治活動を行うような出来事に至っても、我々は当然不平を言うことができない。既にカナダには、活発な一夫多妻制合法運動が存在しているのだ。もちろんこの運動は、政府によって大目に見られている。(私がこの運動を知ってるのはなぜかと言うと、運動の活動家達が、10年以上前に、メーリングリストを送りつけてきたからだ。私は未だに彼らのニュースレターを受け取り続けてもいる)。つまるところ、政府は法を執行しても、市民へ価値観までは課すことはできないのだ。

以上の件とは全く別の事例も挙げる事ができる。私はかつて、友人の1人(ウクライナからの移民者)が、自宅の池で、飼い猫を乱雑に溺死させているのを目撃した。彼は、無造作に、猫達をズタ袋に放り込んで、大きな岩に叩きつけた後に、水中に投げ入れていた。どうやら、ウクライナでは、余剰の猫の処理を、このように行っているようだった。このウクライナ出身の友人は、かつてソ連赤軍に所属しており――たしか”Hard Man”と呼ばれていた――ので、日常的にこの行為行っているのかについて、尋ねるのは躊躇してしまった。ただ強く指摘しておきたいのが、カナダにおいて一般的に、子猫を溺死させるような事を行えば、少なからずの面倒事に陥る。一方で、今においても、多くのカナダ人農夫が、全く同じ方法で余剰の猫を間引いている。通常は、カナダ人農夫の猫の間引きは、移民の件と関連しないだろう。しかし、[移民の価値観を問題視した場合には]問題が生じることになる。近年のカナダ社会では動物倫理についての議論が深刻になり、腫れぼったい問題意識に至っているが、世界のほとんどの人達はこの問題意識を共有していない。なので、移民達は、[例えばこの動物倫理については]反カナダ的価値観を保持したまま、この地にやって来る事になる。(例えば、「[野生の]アライグマを殺してはいけません」といったルールは、トロントへの移民のほとんどには、狂ったルールに見えるだろう)。移民達は、生来のカナダ人が持つ、平均的な意見や考えという観点で比較すれば、非常に強い反カナダ的な考えや意見を保持している。しかしながら、移民達は、『生来の全てのカナダ人が持つ考えや意見』から、完全に外れてしまっているわけではないのだ。リベラルな社会を念頭に置いた時、平均的な意見や考えこそが、正しい意見や考えである、と推定してしまうような思想は、ありえない思想だ。そう、だからこそ、特定の意見や考えに関して、国家が価値判断を示す時には、全領域を見渡した上で、中立性を極端なまでに維持することを試みるのである。

この争論における主要問題は、カナダの移民制度が、カナダ政府が自国市民を扱う際には行えないような方法でもって、[移民達]を既に選別してしまっている事にある。事例を挙げるに、カナダ政府は、一般市民が大学で選択した学習分野に基いて、市民達を区分化して扱うことは、許されていない。しかし移民制度は、そういった区分化(特定の特徴に基いて移民達に様々なポイントを付与すること)を行っている。カナダ政府は、様々な方法でもって、自国民を平等に扱わねばならないという原則に従っている。しかし、非自国民を扱う際にには、そういった原則に強いられていないのだ。今や、一般の人達は、考えているかもしれない、包括的ポイント制度6 は、不平等で違法だと。しかし、ポイント制度が不平等で違法だと認めてしまうと、レイッチは自身の提唱する『選別』は、ポイント制度の不平等さや違法性を、[カナダ国民に利するように]拡張しているだけだ、主張する事になるだろう。我々[カナダ政府]は、言語能力に応じて移民達にポイントを与えている、こういった処置は、移民達をカナダ社会に融和をさせることに、役立っているだろう。なら言語能力以外の、人格的な特徴にも、ポイントを与えるようにすればどうだろうか? 結果的に移民達が、より容易に融和する事を可能にしないだろうか?(この提案は、『人格的適応性』という評価カテゴリーを、復活させる処置になるだろう。2002年まではポイント制度に含まれていた要素だ)。

よって、レイッチの提唱の、移民への『反カナダ的価値観』を選別する必要性への、適切な反応は、(我が信念においても)断固拒否である。なぜなら、家庭的背景がどんなであれ、1世代か2世代を経た時の、移民達と融和する我々の能力は、十分に頑健だからだ。つまりは、[移民も含めた]我々が、英語(やフランス語)で話して意思疎通できる事は、同じく我々が『カナダ的価値観』を、十全に使いこなせている事も意味しているのだ。この件で、我々は、第一世代の移民達[が英語やフランス語を使えない事]について、過剰に心配しなくて良いだろう。なぜなら、移民の子孫達が、訛のないカナダ英語(やフランス語)を話すと予想しているからだ。結局、我々は、移民達が、正統なカナダの保守的価値観を保持することになるであろうとも、予測しているのだ。パキスタン移民は、[リベラルで世俗的なムスリム思想の提唱者である]Irahsad Manjiような、滑稽なまでにカナダ的な価値観の、若い女性を持つに至った。彼女の主たる不満は、イスラームはヒッピーの集団のように運営されていない事や、[イスラームの僧侶である]イマームは信じるべき教義をしつこく言ってくる事のようだ。彼女のようなレズビアンにとって、イスラームやイマームは、まったくクールじゃないのだろう。トロントでは四六時中このような事例を見つけることができる。私が受け持った最後に教室でヒジャブ7 を着ていた生徒は、自称リバタリアンで、保守党の活動員であり、それをガサツに公言していた。彼女の父親が持っていた価値観は何であれ、娘に自身の価値観を継承する事には、著しく失敗していたと思われる。荒っぽく議論をまとめると、我々が、カナダ社会に、移民達を良好に融和する事を維持できている限りにおいては、移民に対する『選別』は必要ないのだ。

さて、もうひとつ小話を。昨年になるが、北アフリカからイタリアに船路で向かっていた、多くのナイジェリア人密航者達がいた。過積載のボートで航行中に、険悪な状況となり、口論が発生した。そして、ボート内のムスリムの渡航者達が、キリスト教徒の渡航者達全員を荷重とし、ボート外に投げ捨てる事態に至った(12人が殺害された)。この事件は今では、最悪な出来事の積み重なった物だとされている。しかし、最も明白な事実の一つは、これら密航移民達が、イタリアへ向かっていた事だ。イタリア社会の融和の試みは、移民に対してはまったく用意されていないという、社会通念がある。そして、この社会通念は、移民達がキリスト教徒に殺意を持っているなら、イタリアは移民が住むのには最適な場所ではない事を、示してしまっているかもしれない。以上の話の教訓、それは特定の国への移住希望者は、希望する国での、日常生活を支配している価値観や規範を、既に準備した上で「乗船している」事を、まったく意味しないという事実だ。移民達はよく、新しい国での生活の有り様などについて、極端なまでに非現実的な期待を抱いている。そして、移民達はよく、非常な視野が狭い経済的動機に、突き動かされている。[カナダ社会に]非常にふさわしくない[思想傾向などの]態度を持っている人が、カナダへの移住を申請するということは、十分にあり得るのだ。以上の原則下において、我々が移民のような人達を、『選別』せねばならない、考えてしまうことは、それほど狂った考えではない。

ここまでの議論は、以下の2つに論点に、集約できる。まず1つ目は、運用面で『選別』行う方法が、存在しない事だ。対象となる人々を、階層化するようなハッキリとした、区別を行うのを除けば。[訳注:このエントリの当初で指摘されているが、外見上の特徴等で『選別』を行うしか手段は存在せず、実際に行うには非常に困難であることを指摘している]。2つ目は、『選別』は必要ないという事だ。なぜなら、カナダに住むようになった人間は、保守的なカナダ的価値観に、急速に染まっていく。もし仮に、第1世代が染まらなくとも、第2、第3世代は確実に染まるだろう。

レイッチの提唱が、私をいくぶん不愉快にさせた理由は、我々(多文化主義に基づいた学問従事者や理論家達)が、この2つ目の論点を断言するには、この[世代を経た移民達の]融和の過程がどのように機能しているとか、[社会]になぜ『選別』は必要でなく、我々の融和する能力への確信には余裕を持って良いのか、といった事を説明するのには、完全に失敗しているからだ。以上が、個人的に最近考えている事案なので、来週か再来週には、この事案で、いくつかのさらなる投稿を行う予定だ。

※訳注:訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

タイトルを直訳すると『ケリー・レイッチによる反カナダ的価値観』となるが、内容の一般性を考えて意訳している。

“integration”および”integrate”は「融和」「融和する」と日本語を当てている。「同化」や「統合」と訳している事例も多い。

  1. 訳注:イスラム教において、女性が着用することを義務付けられているスカーフの一種。ニカブは目だけを除いて隠すような形態の、最も戒律に厳格なスカーフの一つ []
  2. 訳注:カナダでは一般的に保護者からの児童虐待の疑われた子供に対して、自治体は保護者からの隔離と子供の保護措置を行っている []
  3. 訳注:欧米で行われているルール等を守らなかった子供に対して、壁際などに特定時間じっと立たせて反省させるしつけ方法 []
  4. 訳注:セリーヌ・ディオンがアメリカ人と結婚し、アメリカに移住した事に、少なからずのカナダ人は反発している []
  5. 訳注:エジプト系カナダ人一家。ビン・ラディンやアルカイダのプロパガンダ活動を行った事でカナダでは有名 []
  6. 訳注:カナダにおける移民希望者へのポイント評価制度のこと []
  7. 訳注:イスラム教において、女性が着用することを義務付けられているスカーフの一種。ヒジャブは頭髪だけを覆う最もカジュアルなスカーフ []

Comments

  1. have done a terrible job at ~
    ~することに全く失敗している、全くうまくいっていない
    だと思います。

    • WARE_bluefield says:

      ご指摘ありがとうございます。訂正を反映させました。以後、誤訳等あれば指摘していただけると幸いです。

  2. diehardwilcofun says:

    いつも楽しく拝見しております。

    For instance, if tolerance of homosexuality is to be the litmus test, then a very large number of conservative Christians are going to get classified as having unCanadian values – that cannot be a fight that Leitch is particularly keen to pick.

    この部分に該当する訳が分かり難く感じました。
    あまり自信はないのですが、ここは、

    例えば、同性愛に対する寛容さをリトマス試験に使うと、ものすごい数の保守的キリスト教徒が反カナダ的価値観の持ち主だと判定されることになる、ーこれではリーチがさかんにやりたがっているような【反カナダ的価値観への】戦いにはなってない。

    という感じではないでしょうか。

    • WARE_bluefield says:

      ご指摘ありがとうございます。ここ自分でも自信がなかっただけに、疑問が晴れました。
      もしまたミス等見つけていただければ、ご指摘していただけると幸いです。

    • WARE_bluefield says:

      この後、ヒースの翻訳を続けて再認識しましたが、単に「選別」に反対してるのではなくて、仮に反差別を目的・標榜していいようと、「選別を行うこと自身」が結果的に区分化から差別を強化に繋がる可能性があるって要旨も強いわけですよね。この段階では一知半解で訳してる自分を見て、ちと恥じいいります…。

      • diehardwilcofun says:

        あくまで個人的な感想ですが、このコラムで結局ヒースが言いたいのは、
        あれこれ選別方法を苦心したところで上手く行かないよ、
        長い目で見ればどっちみち移民は社会に馴染んでいくんだから、
        という「案ずるより産むが易し」のオプティミズムの精神だと思います。

        訳について指摘させて頂いた部分も、
        「ミイラ取りがミイラに・・・」的な感じで、
        割とユーモラスに書いてるような気がしました。

        今後もご活躍をお祈りしております。

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