数週間まえにも書いた論点だけど,この主張をうらづける実証的な証拠がでてきた.ラジブ・カーンが下記のグラフを示している.これを見ると,知能テストで高いスコアをとっている人たちの方が,不人気な言葉遣いをはるかに許容しやすいのがわかる.
【▲ ムスリムの説教師がコミュニティでアメリカ憎悪を説教するのを許容する割合を語彙テストのスコア別にみたグラフ】
PC主義はエリート大学キャンパスに集中していると広く考えられているけれど,それはこれと相反している.おそらく,リベラルアーツの大学教授は,語彙テストで相当い高いスコアをとるはずだ.
これはムスリムに関する質問だけに当てはまるのかどうか疑問に思う向きもあるかもしれない.ムスリムに限られるわけではない.少なくとも,非ヒスパニック系白人のあいだではそうだ.別のポストで,他人が「黒人は劣っている」と主張するのを許容してもよいという意向は(白人の)お利口な人たちの方が強いのをカーンは示している:
【▲ 人種差別主義者やムスリムの発言を許容する:左は「人種差別主義者の発言を許容する」という回答の割合,右は「ムスリムによるアメリカ憎悪の発言を許容する」という回答の割合】
また,PC主義といえば極左が連想される一方で,論争をよぶ見解にもっとも寛容なのは極左だ:
【▲人種差別主義者と急進的ムスリムのイデオロギーによる発言を許容する割合】
ダメな思想という意味でPC主義がおろかな考えなのかどうかについて,人々の意見は異なるかもしれない.だが,PC主義をいだいているのが愚かな人々に偏っているという意味で PC主義が愚か者の考えだという点は否定しがたい.また,度合いは下がるものの,PC主義は保守的な考えでもある.
きっと,本ブログの読者の多くにとって,これはいままで思っていた考えに反していることだろう.これが大間違いだと説明してくれるコメントを歓迎する.
PS. ある考えの持ち主がおろかな人たちに偏っているからと言って,必ずしも,その考えが正しくないということにはならない.おろかな人たちに偏っている見解にぼくじしんの見解が合致している分野も,まちがいないくあるはずだ.とはいえ,PC主義はそういう分野ではない.
PPS. ある考えが「実際に正しい」というときにぼくが言わんとしているのは,その考えが正しいと考えていて,やがてその考えが正しいことを社会が受け入れるようになると予測しているということだ.長くこのブログを読んでくれている人たちなら,客観的な事実というものがあるとぼくが思っているわけではないのをご存じだろう.
コラムの内容からすると、タイトルは「政治的正しさはおろか者の考えだ」のほうが良いような気がします。そのほうが、おろか者の考えだからといって間違いという訳ではない、という記述との整合性もとれるように思います。
タイトルと本文を少し書き直しました.ご指摘ありがとうございます.
教養のある層ほど言論の自由を尊重する、というのはそれほど違和感のない結果です。
ただ最初のレイシストとアメリカ批判の比較グラフに見られる許容カーブの差は、その発言内容や対象よりも、それが直接的に他者を攻撃するものか否かが強く結果に現れているだけだとも思えます。これを前提に結論付けるのはあまりに稚拙だと考えます。