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タイラー・コーエン「『見て見ぬフリ:日常生活の隠れた動機』――この知見で地位が上がる人と下がる人は?」

[Tyler Cowen, “*Elephant in the Brain* — what is really going on in this book?” Marginal Revolution, January 11, 2018]

ちょっと前に,ケヴィン・シムラーと共著で『見て見ぬフリ』(未翻訳)を書いたロビンといっしょにランチを食べていたとき,こんな質問をした.「あの本が出たことで,地位が上がってほしい人とか下がって欲しい人って誰かいる?」 地位が上がって欲しい人については,同書のエピグラムが答えになると言って,引用してくれた:

よく世間の隅っこでぶつくさ言っている凡人たちに.彼らはずっと昔からこんなことを言い続けてきた:「お前さんは自分で思ってるよりよほど正しいんだよ」 ――ロビン

なるほど,凡人か.でも,ぼくなら皮肉屋たちも強調したい.もしかすると,人生を笑顔でやりぬくのは心優しい皮肉屋たちかもしれない.

では,地位が下がるべきなのは誰だろう? ランチの席でロビンが挙げた候補は,またしても的を射ている:政策アナリストたちだ.行動科学のいろんな考察を取り込んでいることも多いとはいえ,たとえば医療・教育・政治科学などを研究するときに政策アナリストたちはそうした分野の生産者も消費者もともに偽善的な動機をしょっちゅう無視してる.そのせいで,社会的便益のように見えるものが,その実,そう偽装しただけのたんなる個人的便益だったりすることもよくあるし,個人的便益ですらなかったりすることだってある.よさそうに感じられるものがいつでも自分や社会のためになるとはかぎらない.ロビンはこんな風に言っている:

ぼくらの新著『見て見ぬフリ』は,いろんな分野どうしの見解対立で一方の側に与しているとみてくれていい.一方の側にいるのは心理学者(などの分野)で,彼らに言わせれば,人々が実態以上に自分の動機が高邁なように見せかけようとするのはあたりまえで,とくに公共の論議ではありがちだ.こちら側の人たちにとっては,ぼくらの基本的な主張や多くの具体的な事例はしごくもっともで,既存の議論の焼き直して独創性がないかもしれないおそれすら覚えてしまう.

これに対して,もう一方の側にいる人たちの大半は具体的な政策分析の専門家たちだ.彼らがふだん研究しているのは,「どうやったら学校がもっと人々がうまく科目を学習する助けができるだろうか」「病院が人々をもっと健康にする役に立つにはどうすればいいんだろうか」「助けの必要な人たちを慈善活動がもっとうまく支援するにはどうしたらいいんだろうか」といった事柄だ.こういう風に問うことで,学校や病院や慈善活動に携わる人たちが達成しようと試みていると自称しているお決まりの文句を政策アナリストたちは暗黙裏に受け入れてしまっている.それに,「実際には〔そういう自称のお題目とちがう〕他の目的について人々は気にかけているんだよ」「だからこそ,大半の人たちは政策の専門家たちが提案する改革案にほとんど関心を示さないんだよ」というぼくらの主張に,政策の専門家たちは大いに異論を唱える.(物理的なデバイスとかソフトウェアには世間の人たちは多大な関心をよせるけれど,社会的な改革案に寄せる関心はそれよりはるかに少ない.)

偽善を無視することで,政策アナリストたちはみずからも偽善的になっている.それで,ロビンとしては彼らの地位が下がることを願っているわけだ――おそらくは,二重に.すみませんねぇ,みなさん.

私見では,こういう地位の上がり下がりについて問うのは,ノンフィクション本について考えるとき有用な方法になってくれるし,フィクションでも役立つこともたまにある.「X の連中は Y の分野から得られた周知の事実を無視している」という売り文句で本を売り込むのはむずかしいことがあるけれど,それはつまり,そういう著作を研究することで異分野間の落差から知的利得を得る余地があるってことでもあるのかもしれない.


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