タイラー・コーエン 「産業政策はアジアにおける経済成長の原動力だったのか?」(2007年8月26日)

戦後の日本における産業政策は、一国経済の未来を切り拓いた原動力というよりも、世界市場に立ち向かう力がなくて天然資源を拠り所としていた部門(斜陽産業)を主たるターゲットとしていたと言えそうである。

・・・(略)・・・戦後の日本における産業政策が、部門別の生産量や貿易量に影響を及ぼしたことを示す証拠なら大量にある。しかしながら、産業政策の手段のうちで数値で計測可能な(定量的に捉えることのできる)政府介入に照らして判断する限りだと、戦後の日本における産業政策は、選択的な産業育成(selective promotion)に肩入れする論者が説くところとは違って、一国経済の未来を切り拓いた原動力というよりも、世界市場に立ち向かう力がなくて天然資源を拠り所としていた部門(斜陽産業)を主たるターゲットとしていたと言えそうである。その実、一般均衡の枠組みで産業政策の諸々の手段の効果を差し引きして測ると、産業政策を通じて他の部門から製造業へと資源(生産要素)が移転されたのではなく、むしろその逆となっている――製造業から他の部門へと資源が移転された――のである。

大変興味深い一冊である『Industrial Policy in an Era of Globalization: Lessons from Asia』からの引用だ。著者は、マーカス・ノーランド(Marcus Noland)&ハワード・パック(Howard Pack)の二人。第二次世界大戦後にアジアの国々が経済面で躍進した原動力を産業政策に求める説への優れた反論の書だ。ダニ・ロドリックとの論争で何かの役に立てばとのことで、本ブログの熱心な読者の一人がわざわざ届けてくれた一冊だ。感謝する次第。


〔原文:“Did industrial policy drive Asian economic growth?”(Marginal Revolution, August 26, 2007)〕

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