1. ジェイコブズはペンシルバニア州スクラントンに生まれたが,1932年に NTC に引っ越している.早くも1935年にはニューヨークのさまざまな印象を綴った記事を『ヴォーグ』誌に連載している.それ以前には,ガールスカウトの雑誌『アメリカン・ガール』に詩を書いている.
2. ジェイコブズはアメリカ憲法の知的基礎に関する本を1941年にコロンビア大学出版から刊行している.著者名は結婚前のジェイン・バツナー (Jane Butzner) で,書名は『憲法の籾殻』(Constitutional Chaff) だ.手稿が受理されたのとほぼ同時期に,拡張研究クラスをとりすぎたためにコロンビアから追い出されている.また,バーナードへの進学は許されなかった.
3. 1940年に,ジェイコブズはマンホールの蓋の浮き彫り模様に関する自分の研究にもとづいて論文を1つ書いている.
4. その後,ジェイコブズは第二次世界大戦中に戦争情報局と国務省でライターとして働いている.真珠湾攻撃までは孤立主義者だった,
5. ジェイコブズにもっとも大きな影響を与えたものの1つが,中世都市に関するアンリ・ピレンヌの研究だった.
6. 1940年代に,ジェイコブズは金属工業の業界紙で働いた.その頃はオフィスでパイプを吹かしていた.しだいに,社内で問題児なのではないかと疑われはじめた.
7. 1944年に建築家と結婚し,ジェイコブズ姓となった.夫婦で自転車やソシオメトリーを楽しんだ.2人の男児を1948年と1950年に授かっている.
8. 国務省では〔のちにアメリカ共産党のスパイだと暴露される〕アルジャー・ヒスが上司だった.1940年代後半に,ジェイコブズはコミュニストとのつながりを疑われて捜査を受けている.疑われた理由の1つに,ヒスを仲介者にしてシベリア旅行のビザを申請したことがあげられる.この疑いに対して,ジェイコブズは自分が共産主義を憎んでおり急進的な分権化を支持していると述べた.
まだまだたくさんある.ここに書いたのは,ピーター・L・ローレンスによるすぐれた新著『ジェイン・ジェイコブズになるまで』(Becoming Jane Jacobs) から引いた,ほんの味見程度の話だ.同書は1972年までのジェイコブズの助走期間を描いた伝記で,まちがいなく,今年最良の本に数えられる.この本こそ,この40年ものあいだずっと読みたいと思っていたジェイコブズの伝記だ.