●Tyler Cowen, “Why do people own things?”(Marginal Revolution, February 28, 2007)
本ブログの熱心な読者の一人から次のような質問を頂戴した。
引越しのために荷造りをしている最中にずっと頭の中を駆け巡っていた疑問があります。本だとかビデオだとかを買って手元に持っておこうとするのはなぜなんでしょうか? 手元に置いて自分で管理するよりも図書館だとかレンタルビデオ店、はたまたNetflix(ネットフリックス)のような映像配信サービスに本やビデオの管理を「外注する」ほうがずっと賢明なんじゃないでしょうか?
私には「あれもこれも蒐集したい」という内なる欲求があって家の中を「喜びの塊」(というのはナターシャ〔コーエンの奥さん〕の表現ではなく私なりの表現)で埋め尽くしたいという欲望が強いのだが、私以外のみんなもそうだというわけではないだろう。本やDVDを所有するのはアイデンティティや自己表現のため。そういうケースも多いことだろう。(音楽配信サービスの)Rhapsody(ラプソディー)よりもiTunes(アイチューンズ)のほうが――Rhapsodyの方がお得なところがあるにもかかわらず――人気なのもそのあたりが関係している。「何か」――とりわけデジタル化し得ないような「何か」――を所有しておけば友人だとかにその「何か」を貸すこともできるしプレゼントすることもできるし見せびらかすこともできる〔そのようにして自己表現の手段として利用することができる〕。「何か」の所有にまつわる謎は「どうして新曲ばかりが買われるのだろう?」という謎ともつながりがあることだろう。
数ある「何か」の中でも音楽やCDを所有するというのが一番筋が通った振る舞いだろう。ただし、「あの曲を聴きたい」という欲求は(その他のどの欲求にもまして)唐突に内から湧いてくるものであり、お目当ての音楽だとかCDだとかを「聴きたい」と思ったまさにその瞬間に借りる(レンタルする)というのはその他のどれにもまして難しいとすればだ。何であれ借りる(レンタルする)コストは低下している最中ではあるが、家のサイズが大きくなるにつれて自分でモノを所蔵するコストも低下している。レンタルした品を家まで届けてくれる宅配便のスピードも速くはなっているがその速度にも限界がある。その一方で、「今すぐに楽しみたい」という欲求はますます高まっている。そんなわけで、「何か」を所有するというのは今後も粘り強く続くことだろう。
ジャック・アタリは、絶対読まない本やレコード(当時はCDはなかった)を貯め込むのは、それを読めたはず、読むはずの時間を主観的に貯め込んでいるのだ、と「ノイズ」で語っています。少しポイントを突いているかな、という気はします。
コメントありがとうございます。「積読本は明日も生きるぞ(積読本を全部消化するまでは死なないぞ)という強い意志の表れだ」とうそぶいて積読本を溜め込むことを正当化したりしているのですが、アタリも後ろ盾になってくれているようで勇気が出ました(違。ところで、最近(といっても2ヶ月ほど前になりますが)こんな記事を見かけましたね。 ●Christian Jarrett, “The psychology behind why we value physical objects over digital”(https://digest.bps.org.uk/2017/10/24/the-psychology-behind-why-we-value-physical-objects-over-digital/)