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ピーター・シンガー「私たちが肉を食べるのを止めない限り、動物たちへの虐待は終わらない」(2015年2月11日)

・Peter Singer, “The abuse of animals won’t stop until we stop eating meat“, Guardian, 11 February, 2015.

 

1975年に『動物の解放』を出版した時には、40年後には屠殺場が存在しなくなっており、したがってイングランドの北部にある食肉処理場で行われたような残虐行為についての記事が新聞に載ることもなくなっていること私は望んでいた。人間による動物の虐待に反対する議論はあまりにも明白で反論の余地もないものであるように私には思えたし、反奴隷制運動がアフリカの奴隷貿易を終わらせたのと同じように動物虐待も歴史の遺物としてしまうような強力な運動が確かに起こることだろう、と思っていたのだ。

少なくとも、それが楽観的な時に(あるいはナイーブな時に)私が考えていたことだ。より悲観的な時には(あるいは現実的な時には)、肉を食べることなどの人々に深く根付いている習慣を変えること、また哲学的な見解を種差別主義(speciesism)のように根元的なレベルから変えることなどの課題がどれ程巨大なものであるかということは私も理解していた。奴隷貿易が廃止されたから200年経っても我々の世界にはまだ人種差別が存在しているのであり、奴隷制ですらも、全ての国で違法になっているとはいえまだ存在している。人種差別や人間を対象にした奴隷制を終わらせるよりも簡単にまたは迅速に種差別や動物を対象にした奴隷制を終わらせることはできる、ということが期待できる筈がないではないか?

上記の現実的な予測の背景には、動物たちに対する虐待は現在でも甚大な規模で行われているという事実が存在しているのであり、それに直面して嘆くことはできるだろう。しかし、絶望をしてはならない。ヨーロッパとアメリカを含む世界中の多くの国では、動物に対する人々の態度の変化は素晴らしく進んできた。それらの国では強力な動物愛護運動が登場したし、そのことは数十億もの動物たちの境遇に変化をもたらしてきたのである。

1971年のオックスフォード大学にて、自分たちが食べている卵や仔牛がどのように生み出されているかということを通行人に示すための展示を私は他の複数の学生と共に行っていた。畜産業界が持っている政治的力や経済的力に対して自分たちが勝つことができると本気で思っているのか、と人々は私たちに訊ねたものだ。しかし、動物愛護運動は畜産業界に対して挑戦してきたのであり、その挑戦は成功して、農場の動物たちがより広い空間で飼われてより良い生活状況で育てられることを命じる法改正ヨーロッパ全国で実現してきた。同様の法改正はカリフォルニア州でも行われている。無論、これらの変革が行われた後であっても、工場畜産の下で育てられる動物たちがまともな生活を過ごせるようになることを実現することからは現在はまだまだ程遠い。しかし、法改正が実効されたことは、それ以前に標準的であった習慣に対する大幅な改良をもたらしたのだ。

法改正以上に喜ばしいかもしれないのが、動物を食べることを完全に止めてしまった人々や倫理的な理由に基づいて肉の消費量を減らした人々の数が増えたことである。1970年代には、ベジタリアンであることは変人[crank]であることだった…当時のロンドンで最高の ベジタリアンレストランであった Cranks の店名は、当時の価値観を自虐的に反映したものである。もしあなたが”ビーガン”という言葉を口に出したら相手はポカンとしただろうし、あなたはその言葉の意味を説明しなければならなかっただろう。

法改正やベジタリアンの増加にも関わらず、人間の手によって苦痛を負わされている動物の数は現在が過去最大である、ということはおそらく事実である。現在の世界では豊かな生活を過ごしている人の数が過去最大であるということがその理由であり、特に中国でそうであるように、豊かになった人々の要求を満たすということは工場畜産が大規模に拡大されるということを意味しているのだ。しかし、この事実を動物愛護運動が何も成果を成し遂げてこなかったことの証拠として見ることは、現在の世界における奴隷の数は1800年よりも増えているのだから反奴隷制運動は何の成果も成し遂げてこなかった、と主張するようなものである。現在の世界人口は1800年の7倍になっていることをふまえると、数字だけで物事の全体を語ることはできないのだ。

進歩は確実なものではない。自分たちが無益に立ち往生しているように思える時は常に存在するだろうし、運動が後退しているように思える時すらも存在しているだろう。たとえば、毛皮を着用する人の数が昔のように増えていることを伝える記事は定期的に掲載される。しかし、40年前には毛皮は誰からも問題にされずに受け入れられていたものだったが、40年前と同じような扱いをまた毛皮が受けることは最早ないだろう、と私は思う。(犬や猫、あるいは馬に対する虐待についてだけでなく)食料にされるために屠殺される動物たちに対して行われている虐待について新聞が大々的に取り上げるようになったという事実それ自体が、進歩を表しているのである。

さて、動物愛護団体の Animal Aid が公開したハラール用食肉処理場の内部告発ビデオからは一つのシンプルな教訓を得ることができる。動物を人間が利用する道具にしてしまって、彼らをどう扱うかということを現場の労働者たちに全て委ねてしまったとすれば、ビデオの中で告発されているような虐待が発生するのを止めることは永遠に不可能である、という教訓だ。労働者を一人か二人クビにしたとしても、スケープゴートを作ることにしかならない(ところで、スケープゴートという単語が動物に対する私たちの伝統的な態度をいかに伝えてくれるか、考えてみてもいいだろう)。問題は一人か二人の労働者にあるのではないし、ハラール式の屠殺という習慣にあるのでもない。システムが問題なのであり、そして人々が肉を買うのを止めない限りはこのシステムを変えることはできないのだ。


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