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マーティン・ラヴァリオン「世界の貧困とアダムスミスのリネンシャツ」

MARTIN RAVALLION “What Does Adam Smith’s Linen Shirt Have to do with Global Poverty?” (blogs.worldbank.org, April 18, 2011)


アダム・スミスはその著書「国富論」の中で、18世紀のヨーロッパにおけるリネンシャツの社会包摂1 的役割を指摘した。

リネンシャツは、厳密に言えば生きていくために必要ではない。ギリシャ人やローマ人は、私が思うに、リネンを持ってはいなかったが非常に快適に生活していた。しかし現代においてはヨーロッパの大部分において、ちゃんとした日雇労働者であればリネンシャツなしに公衆の面前に現れるのを恥ずかしく思うはずであって、それを持っていないということは、極端に劣悪な行動をしない限りは誰も容易には陥らないような恥じ入る程の貧困を示していると思われるだろう。

この文章はしばしば、貧困とは絶対値ではなくて相対的な水準であり、栄養摂取や物理的な意味での生存といった基本的な必要性に加えてある種の社会的目的の支出が不可欠だという考えを正当化するのに使われる。

この考えを現実に実行する方法は、問題となる国のとある日付における平均所得の一定割合である「相対的貧困線」を設定することだ2 。西ヨーロッパのほとんどにおいては、これが貧困を測定する方法となっている。それとは対照的に、発展途上国では貧困の測定にあたっては大概相も変わらず絶対線、すなわち一定の実質値を設定するものがずっと使われてきている。世界銀行の国際的な「1日1ドル」の貧困線もまた、世界的な絶対線となることを目的としているもので、これは国際比較プログラムによる購買力平価を用いている。

しかし途上国における社会科学研究は、ある種の形態の消費が持つ社会的役割を確認している。ちょうどアダム・スミスが18世紀ヨーロッパにおけるリネンシャツについて記したように。人類学者や経済学者は、祭りや祝い事、共同体の祭典が単なる娯楽というだけではないことを指摘している。そうした行事は、貧困に耐え、さらにはそこから抜け出すためには欠かすことのできないネットワークを維持するという重要な社会的役割を持っているのだ。家計予算の調査は、祝い事や祭りにおいて非常に貧しい人々が一見高額な支出を行うことをしばしば明らかにしてきている。衣服が重要な社会的役割を担うことがあるということも知られている。今日の途上国の多くでは、非常に貧しく明らかに栄養不足にある人でさえも携帯電話を持っていることが見受けられる。そして多くの研究はまた、貧しい国の人々は相対的な貧困について気にしていることを示してきており、それらは典型的には幸福や生活にの満足度に関する自己回答形式の調査によって明らかにされている。

しかしそのような研究結果は、貧困線は平均値の一定割合に設定しなければならないということを意味するわけではない。そうした考えは、(暗に)社会的包摂に必要となる費用は貧しい人たちにとってはとても低いということをはらんでおり、事実全体的な所得がゼロにまで落ち込んでしまえばそうした費用もゼロになってしまう。貧困線を平均所得の一定割合のところに引くというのはそういうことだ。もし私たちが貧しい人たちにも社会的包摂が必要だということを認識しつつも、そうした相対的貧困のアイデアを貧しい国々に対して適用するのであれば、それはアダム・スミスが言うところのリネンシャツは最貧困層にとっては実質的にゼロとなる場合があると言うのと同じだろう。しかしそれはどう考えてもおかしい。社会に受け入れてもらえるようなリネンシャツの費用はゼロにはならないし、おそらくはその人が貧しかろうとその費用は変わらないはずだ。こういうのがこの類の貧困指標のやっかいなところだ。

貧しい国と豊かな国の両方にわたって「相対的貧困」を測ることのできる適切なアプローチを見つけるために、ト二―・アトキンソンとフランソワ・ブルギニョンは鍵となる2つの力を設定した。すなわち物理的な生存と社会的包摂だ。前者は生存や通常の活動のための身体的必要性を満たすための衣食を適切に備えるという力だ。これに加えて、人間は特定の社会的包摂にとって必要となるものを持っていなければならない。両方の力にはそれぞれ対応する貧困線、つまり絶対線と相対線がある。アトキンソンとブルギニョンは、絶対的貧困と相対的貧困の双方に該当していない場合に限り、その人は「貧困でない」とされるべきだと提案している。

しかし両者は、相対線は平均値の一定割合だと仮定する西ヨーロッパモデルにしたがっている。アダム・スミスのリネンシャツの(厳密にプラスな)費用を確保するためには、そうした仮定を外す必要がある。そうすることで出てくるのが「弱い相対貧困線」だ。これはもうすぐここで公開される、私とシャオフア・チェンとの共著論文で提案しているものだ。下の図は私たちがこのアイデアをどのように実践するかを示すものだが、国内の貧困線のデータセットについてここでは新しい3 国際的な絶対貧困線である一日1.25ドルを導き出すために私たちが使ったのと同じものを使用している。(ここにある通り)

chart-poverty-ppp

弱い相対線は消費の平均値が1日2ドルとなるところまでは1日1.25ドルであり、それ以降は3分の1の傾斜で上昇していく。弱い貧困線の切片は1日0.60ドルで、これはアダム・スミスが言うところのリネンシャツの費用だ。私たちの提案する相対貧困線はある地点を越えたとこで上昇する性質を持ち、平均所得が上昇するにつれて比例的に上がっていく。しかし平均値の一定比率となることはない。なので全ての所得が同じ割合で成長するのなら、あらゆる貧困指標が下落することになる。これは、貧しい人の所得が他の人と同じ割合だけ上昇しても何の変化も示さない強い相対指標4 とは対照的だ。

115カ国に対する700の調査を用いてこの弱い貧困線の一覧を作成するにあたり、チェンと私は発展途上国にはこれまで思われていたよりも多くの相対的貧困があることを示している。そして相対的貧困の改善は、絶対的貧困に対するそれよりも遅いのだ。2005年時点で途上国人口の47%が相対的貧困にあり、そのうちの半分は1日1.25ドルという線で計った場合の絶対的貧困にある。相対的貧困の割合は1990年の53%、1981年の63%からは減少してきてはいる。しかしこれは貧しい人の絶対数の上昇を防ぐために十分な減少とは言えない。それとは対照的に、同様の絶対貧困指標では総貧困者数の減少を示している。

数か月以内に私たちは(弱い)相対指標を含めた2008年の世界貧困指標の改訂を始める。社会的包摂に必要なものの重要さに関するアダム・スミスの洞察を組み込んだこうしたアプローチについて、皆さんがどう思っているかをお伺いできれば幸いだ。

(本エントリは世界銀行のウェブサイト使用条件に従って掲載しています。The World Bank: The World Bank authorizes the use of this material subject to the terms and conditions on its website, http://www.worldbank.org/terms.)

  1. 訳注;social inclusionの訳で、貧困を始めとした様々な要因によって社会から孤立、排除される人を支えるというような意味。 []
  2. 訳注;通常相対的貧困線は「中央値」の一定割合(たいてい50%)とされるので注意すること。ただ平均値か中央値かということで本エントリの内容に違いが出ることはないので、ここでは原文通り平均値と訳している。 []
  3. 訳注;1日1ドルという基準が1日1.25ドルに改められたのは2008年、この記事の日付が2011年であるため「比較的」新しいということになる。余談だが、著者はその改訂を行った中心的人物である。この改定に関するThe Economist記事の翻訳(山形浩生氏)が似たような論点をカバーしているので、興味のある方は参照のこと。 []
  4. 訳注;従来の相対的貧困線 []

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