タイラー・コーエン 「景気後退が誘発する社会変化」(2009年2月1日)

●Tyler Cowen, “The social changes brought by recessions”(Marginal Revolution, February 1, 2009)


「景気後退が誘発する社会変化」をテーマにした論説をニューヨーク・タイムズ紙に寄稿したばかりだ。景気後退は悪い面ばかりというのは言うまでもないし、目下の景気後退にしてもそれは変わらない。しかしながら、正当に評価されていない事実がある。景気後退下では、フィジカル面(肉体面)の健康が悪化する・・・のではなく、改善する傾向にあるらしいのだ(医療機関を利用する回数が減ったり、健康保険の加入率が低下したりしたとしても)。

〔景気後退や不況は、メンタル面(精神面)の健康に好ましくない影響を及ぼすのは言うまでもないが、その一方で、それほど広く知られていない事実がある。アメリカをはじめとした裕福な国では、景気後退の最中にフィジカル面(肉体面)の健康がおおむね改善する傾向にあるのだ。〕給料が減るとストレスを感じるのは確かだが、(仕事の量が減ったり、職を失ったりして)仕事のストレスから解放されるおかげで得られる恩恵もいくつかあるかもしれない。さらには、景気が悪いせいで(通勤のためだったり、仕事中に)車を運転する機会が減れば、交通事故に遭遇するリスクが低下するかもしれないし、(無駄な出費を抑える必要に迫られて)アルコールやタバコの消費量が減るかもしれない。仕事の量が減ったり職を失ったりすると、運動や睡眠にあてることができる時間が増えるし、自炊する時間が生まれるおかげでファストフード店に行く代わりに自分で料理する人が増える傾向にある。ノースカロライナ大学グリーンズボロー校に籍を置く経済学者のクリストファー・ラム(Christopher J. Ruhm)が2003年に執筆した論文――“Healthy Living in Hard Times”――によると、失業率が高まるのに伴って死亡率が低下する傾向にあるという [1] … Continue reading。アメリカでは、失業率が1ポイント(1パーセントポイント)上昇すると、死亡率は平均して0.5ポイント(0.5パーセントポイント)低下する傾向にあるというのだ。 [2]訳注;この後も関連する話題が少しだけ続くので、以下に訳しておこう。「また、2006年に出版されたデヴィッド・ポッツ(David Potts)の『The Myth of … Continue reading

目下の景気後退下では、富裕層の支出(消費)がいつにも増して急速な勢いで落ち込んでいる。

景気が後退すると、最も大きな痛手を被るのは貧困層というのはいつだって変わらない。しかしながら、目下の景気後退下で最も大きな痛手を被っているのは、ある意味で富裕層かもしれない。富裕層の支出(消費)がいつになく急速な勢いで落ち込んでいて、そのせいで彼らが「文化」に及ぼす影響力が大いに削がれているのだ。

そのことを明らかにしているのが、ノースウェスタン大学に籍を置くジョナサン・パーカー(Jonathan A. Parker)&アネット・ビッシング=ヨルゲンセン(Annette Vissing-Jørgensen)の二人の共著論文――“Who Bears Aggregate Fluctuations and How? Estimates and Implications for Consumption Inequality”(pdf)――である。富裕層が金銭面で大きな痛手を被ることになったのは、不動産や株式を大量に保有していたからというのもあるが、パーカーらの論文ではそれよりも重要な事実が明らかにされている。金融部門で働く面々に顕著だが、富裕層の勤労所得の落ち込みがいつになく大きいというのだ。

富裕層が金銭面でいつになく大きな痛手を被っているのと引き換えに、富裕層の欲望に応じることで栄えてきた娯楽やポップカルチャーが勢いを失うかもしれない。例えば、高級レストランが持て囃(はや)されなくなって、公共図書館が活況を呈するようになるかもしれない。過去の景気後退下でも似たような変化が見られたが、今回の景気後退下ではポップカルチャーの世界でいつにも増して顕著な変化が起きるかもしれないのだ。

References

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1 訳注;こちらの論説によると、アメリカで失業率と死亡率の間に負の相関関係が成り立っている――失業率が高まるのに伴って死亡率が低下する――理由は、(運動する習慣が身についたり、食事の内容が見直されたりして)ライフスタイルが見直されたり、(仕事の量が減ったり、失職したりして)仕事のストレスから解放されたりするおかげというよりは、景気の良し悪しに応じて自動車事故の発生件数が変動する――景気が悪くなると自動車事故が減り、景気が良くなると自動車事故が増える――せいであるところが大きいようだ。なお、次のようにも指摘されている。「しかしながら、失業率と死亡率の間に負の相関関係が成り立つのは、景気後退や景気回復が一時的な現象にとどまる場合だけに限られるというのを強調しておくのは大事だろう。景気後退が長引いたり、景気の落ち込みが激しいようだと、失業率と死亡率の間には負の相関関係は成り立たないようなのだ。・・・(略)・・・目下の景気後退は、いつになく深刻であり、・・・(略)・・・2007年に入ってから失業率が上昇を続けている一方で、死亡率も大幅に高まってきているのである」。目下の大不況(グレート・リセッション)下では、フィジカル面(肉体面)の健康状態も悪化傾向にあって死亡率も高まっているというわけだが、その件についてはこちらの記事でも話題になっている。その理由として考え得る候補がいくつか挙げられているが、特にアメリカでは、建設業などで働く肉体労働者に失業が集中しているのも理由の一つではないかと指摘されている。肉体労働の職を失った人たちは、働いていた時と比べると、運動に費やす時間を若干ではあるが増やしているし、喫煙量も若干ではあるが減らしているし、ファストフードに通うのも控えるようになっているが、体を動かす機会が大幅に減ってしまっているという。仕事現場で体を動かす機会が無くなってしまったからである。結果的に、肉体労働の職を失った人たちの体重は、若干ながら増加傾向にあるという。
2 訳注;この後も関連する話題が少しだけ続くので、以下に訳しておこう。「また、2006年に出版されたデヴィッド・ポッツ(David Potts)の『The Myth of the Great Depression』――1930年代のオーストラリアの社会情勢が歴史的に跡付けられている一冊――によると、オーストラリアでは1930年に自殺率が急上昇した一方で、健康状態は全般的に改善して、死亡率は低下したという。そして、自殺率も1930年以降に低下に転じたという。この本に収録されているインタビューでは、大恐慌を体験した多くの人々が当時の思い出を好意的に物語っているが、だからといって、大恐慌は至福の時だったという結論に安易に飛びつくべきではないだろう。そのような思い出の多くは、錯覚である可能性が高いからだ。ハーバード大学の心理学者であるダニエル・ギルバート(Daniel Gilbert)がベストセラーになった『Stumbling on Happiness』(邦訳 『明日の幸せを科学する』)で明らかにしているように、人というのは(極貧生活や戦争といった)大きな苦難を味わった過去についてバラ色の記憶を形作る――過去を美化する――ことがままあるのだ。」
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