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市場アルゴリズムと政府の範囲:ハイエクについての考察

原文

Samuel Bowles、サンタフェ研究所

Alan KIrman、社会科学高等研究院(フランス)

Rajiv Seth、コロンビア大学

2017年12月8日

概要:ハイエクは価格はメッセージであるとする情報からみた市場観のパイオニアであり、彼による経済の動学的ビジョンは今日の情報の経済学を下支えする均衡分析の方法とは異なる選択肢を与えてくれるものである。しかしながら、このコラムではこれらの功績はハイエクが推奨した制約された政府の政策を支持するものではこと、それだけでなくそれを疑う理由すら与えるものでもある事を論ずる。

 

フリードリヒ・A・ハイエク (1899-1992)は、時代をはるかに先取りして、市場経済を情報処理のシステムとみなしていた。これは自生的秩序、つまり競争の分権的プロセスから生み出される価格のメッセージによって調整された限定的でローカルな知識をもつ膨大な数の個人による独立した行動を通して現れてくる結合、によって特徴づけられるものだ。

ハイエクはまた自由市場政策を広範囲に推奨し、そしてさらに、分散した知識をもっとも上手く利用できるが故に市場システムはその他の競合する選択肢よりも優れていると考えていた。こうした政治的見解には、中央計画だけでなく、金融と財政による需要調整の政策、団体交渉、賃金の下限設定、そして大規模な公共支出への反対も含んでいた。とりわけケインズやケインジアン政策への彼の敵意は深く、本能的なものであった。

ハイエクは自身のアプローチと一般均衡理論との間の明確な違いを強調した。一般均衡理論自体も厚生経済学の基本定理に基いた自由市場支持に使われてきたものであったが、彼はその違いを、「競争支持の根拠はそれが完全ならば起こる状態に頼るものではない」と説明した (ハイエク 1948: 104)。そうではなくて、競争的市場への彼の根拠は、競争は「もし存在しなければ知られていなかった、少なくとも利用はされていなかった知識を発見する手段である」というアイデアに基づいたものだった (ハイエク 1968)。

ハイエクの経済観と均衡理論への批判はいまだに意味があるというだけでなく、より重要になってきていると我々は考えている。情報は経済活動にとってさらに中心的なものとなってきており、情報集約プロセスの複雑さがよりはっきりとしてきているからだ。計算能力の向上とオンライン取引やコミュニケーションの成長はビックデータの収集と迅速な処理を可能かつ利益のあるものとした。多くの市場がいまでは、人間によるものと共にアルゴリズムによる価格設定と発注を利用するようになってきており、情報が価格によって集められ伝達されるプロセスについての興味深く新しい疑問が現れてきている。

しかしながら、最近の論文 (Bowles et al. 2017)において示したように、我々はハイエクによる自由市場政策の推奨が彼の経済観から論理的に導き出されるものだという彼の信念に疑問を呈したいと思う。価格(そしてその他の経済変数)の情報メッセージとしての有益さ、これがハイエクの経済学の中心にあるものなのだが、これこそが不安定化を引き起こしうる方向でシグナルから情報を抜き出すインセンティブを生み出す。よって、我々はハイエクの経済分析には大きな永続する価値を見いだせるものの、その分析と彼の政治哲学との繋がりについては疑問を呈するわけである。

競争、均衡、そして非均衡についてのハイエク

非常に早くから、ハイエク(1937)は均衡を互いに邪魔することなく実行しうる個々人の計画の集合として定義していた。これは各人の信念が、計画が実行されていく中で互いに矛盾を引き起こさないという条件のもとで、各人の信念がローカルな知識に基づいており、そして異なっている事を許容する。

この均衡概念は徹底的に現代的、動学的、そして非制約的であり、そしてまた、価格が均一で周知のものであるという一般均衡モデルとは非常に異なっている。その発展はそれ自体が重要な達成であり、ハイエクは後年、これが「思い返すと私が経済学の理論へ成したもっともオリジナルな貢献だったように思える 」(1994: 68)と主張している。

しかし彼は均衡の性質それ自体に特に興味を持っていたわけではなかったし、市場経済の強みは非均衡において市場経済が行う新しい情報の学習と拡散にあるとみなしていた。彼は、「競争の現代理論は殆ど全部、状態について取り組んでいて...その中では異なる個人のデータがそれぞれ完全に調整されている事が仮定されているが、説明が必要な問題はデータがそうなるように調整されるプロセスの性質だ」と述べていた。とりわけ、「競争とはその本質において、均衡分析の基礎にある仮定によってその根本的な特徴がなきものにされてしまう動学的プロセスである」 (Hayek 1948)。

ハイエクの批判は、ワルラス的フレームワークを特徴づける受動的な価格受容行動の仮定に向けられていた。このフレームワークの内側には収まりきらない広告、価格切り下げ、差別化、評判の構築、関係的契約といった多くの現象、そしてそれに関連した交渉やサーチといった現象はこの数十年、積極的な研究の対象となってきた。それらの進展はワルラスモデルにおける受動的な価格受容のエージェントたちを越えて、機会主義的だったり起業家的だったりする行動をはっきりと認めるものだった。

それらの貢献の灯りからみると、ワルラス的一般均衡についてのハイエクの批判は時代遅れになっただろうか?経済思想史の歴史の中に取り残されていくものに?

とは思われない。経済分析は大部分、均衡状態の特徴にもとづいて行われ続けている。そういった状態がどのようなプロセスによって実現するか(あるいはしないか)に注意が払われないまま。戦略的競争とサーチの現在のモデルは均衡モデルであり、互いに整合的な計画によって特徴付けられる。それらの計画は行動を歴史やランダム変数に依存したものとしてより複雑なものにはなっただろうが、しかし全ての個人の間では彼らが活動する経済の構造について共通の理解がある。放置されているのは、そうした共通理解が生み出されるプロセスである。

価格がメッセージであり、起業家的発見が不安定化させるものである時

ハイエクは均衡理論を重視しなかったものの、彼は起業家的な発見のプロセスが平均的には安定化に向かうものであると暗黙裡に仮定していた。つまり、非均衡において発生する利益機会はシステムの中の統一と秩序を維持するようなやり方で利用されるのだと(Kirzner 1997)。しかし、一般均衡理論を悩ませてきたのと同じ安定性の問題は起業家的発見のコンテクストにおいても現れてくる。個人には利益を生む活動が社会には不安定化を引き起こすものでありえるのだ。

実のところ、価格のシグナルとしての解釈それ自体が不安定化のフィードバックを引き起こしえる。とりわけ、金融と財の市場のつながりを通して。資産価格の変化は大規模な短期的キャピタルゲインやロスにつながり得るので、そういった価値の変化に関わりのある情報は積極的に求められる。資産価格の上昇が、需要なり供給なりの状況の変化についての知識がある人達の反応の結果として起こったと推測できる程度に応じて、その他の人々は価格のさらなる上昇を期待してその資産を購入し持ちつづける事で利益を得ようとするだろう。しかしこういった活動自体が価格への影響を持ち、それが今度は他者による更なる溜め込みを合理的なものにして、不安定化のプロセスを増幅してゆく。

そういった効果は他者の行動から引き出された情報への合理的反応として群集行動が起こる情報カスケードのモデル(Banerjee 1992, Bikhchandani et al. 1992)によって捉える事ができる。金融市場においては、価格から情報を取り出そうとする試みは、理論モデルにおいてファンダメンタルズからの長きに渡る乖離につながり得るし(Hong and Stein 1999, Abreu and Brunnermeier 2003)、その実証面でのあらわれが価格の過剰なボラティリティである(LeRoy and Porter 1981, Shiller 1981)。レバレッジが大きい場合、比較的小さな情報ショックから資金が干上がって資産の叩き売りが必須となる事による資産価値の大きな再評価につながり得る(Brunnermeier and Pedersen 2009, Adrian and Shin 2010, Geanakoplos 2010)。情報の収集と処理には費用がかかるため支払い優先順位が充分に高い資産は通常の状態では安全だとみなされるが、これらも危機的状況ではリスキーで「情報センシティブ」であるとみなされるようになり始め、取引規模が壊滅的に急落するか、あるいは市場の完全な閉鎖を引き起こしえるわけだ(Gorton 2012)。

こういった事象は金融市場だけに限定されるわけではない。将来の所得への請求権の価格は必然的に現在の生産と消費の決定に影響を与える。そして資産の価格付けが正しくない時、財やサービスの価格は資源の相対的希少性を整合的にそして確実にフォローするわけではない。しかも、もっとも情報センシティブな市場はもっとも派手な失敗にさらされている。

非均衡動学と複雑な適応システム

ハイエク自身は彼のビジョンの数学的定式化を行わなかったが、経済を複雑な適応システムとするモデルは存在している。その中では集計的結果は限定的かつローカルな知識をもったエージェント達の社会的相互作用によって決定される。このいわゆるエージェント・ベースドの文献では解析的手法ではなく計算能力が徹底的に利用されており、均衡経路の特徴ではなく非均衡下での調整に焦点が当てられている。Epstein (2007) はこのアプローチを生成的 generative と呼び、またTesfatsion (2006)は構成的 constructive と呼んでいる。このアプローチのハイエクの思想とのつながりは以前から指摘されてきた (Vriend 2002, Rosser 2012, Axtell 2016)。

この文献での鍵となる要素は行動と信念について課せられた調整の欠如だ。個々の計画が相互に整合性があるとか、主観的に捉えられた変動法則(laws of motion)が、それらによって決定される客観的な実際の変動法則と同じになるという仮定もない。もちろん、これは内生的な結果として、個人の適応的な行動によってモデルと整合的な期待だとか市場精算が起こる事を否定するものではない。

こういったモデルにおけるエージェントは個人や、家計、企業といった主体性のある認知能力を有した単位であったり、あるいは取引なり自然資源のストックを処理したりする制度のような生命のないものであったりする (Tesfatsion 2006)。エージェントは物理法則なり行動ルールなりに基いてインプットに機械的に反応したり、あるいは洗練されていて将来の予測に基いていたりする。オーソドックスなモデルで使われるのと同じダイナミックプログラミングを利用した異時点間での最適化を行っていたりもするが、しかし、相互に整合的な期待ではなくて個別の信念に基づいている。

鍵となる違いは、「一旦初期条件が定められた後は、イベントはただエージェント達のやり取りだけによって進行していく… システムの均衡状況に注目するのではなく、時間の中でなんからの均衡が生み出されてくるかどうかを確認することに主眼がある」ことだ (Tesfatsion 2006)。そういったモデルは過剰だったりクラスター化したボラティリティ、短期のモメンタム、そして長期における平均への回帰といった金融市場でのパターンを再現する事に成功してきている(LeBaron 2006, Hommes 2006)。

Leijonhufvud (2006)はエージェント・ベースドでのプロセス分析は「マクロ経済学の中心的問題、すなわち資本主義経済の自己調整能力について取り組む事をついに可能にしてくれるだろう」が、しかし、この手法はまだその「技術的幼年期」に留まっていると述べている。 その評価からの10年の間、マクロ経済動学(Delli Gatti et al. 2008, Sinitskaya and Tesfatsion 2015)、金融脆弱性(Mandel et al. 2015)、そして住宅バブル(Geanakoplos et al. 2012)といった意欲的なエージェント・ベースドのモデルを作ろうとする試みが行われてきており、そしてそのアプローチが幾つかの中央銀行において注目を集めるようになってきた。経済学の中核にある根本的な疑問が組織的に探求できるレベルにまで発展するのはただの時間の問題だろう。

ハイエクの政治哲学

ハイエクは彼の経済ビジョンが規制されざる市場の働きへの彼の支持の根拠を与えると信じていた。「現在の我々の富と生産のすべてがこのメカニズムによってのみ産み出されるということ、私が思うに、それが私の経済学だけでなく私の政治における主義の大半の基礎である」(Hayek 1994: 69)。しかし、隷属への道(1944)を慎重に読むと、彼が最小限の政府を主張したのはヒエラルキーや集産主義的政治システムが個人の自由への脅威であるとみなしていたからであって、彼の経済学それ自体が規制のない市場の優位性を示していたからではない事がわかる。

その当時の彼が考えていた例、スターリン下のソビエト連邦やヒトラー下のドイツは彼の主張への説得力のある証拠であった。しかし、70年後、 我々は大規模な政府介入のある経済において自由で民主的な価値が維持されたという記録を持っており、そしてその証拠は彼のもっとも恐ろしい予測を支持していない。

皮肉にも、政府を制約しようとするハイエクのプログラムの近年の成功は、外国人嫌悪やその他の反リベラル感情、そして現在、民主的な統治に挑戦している運動に好都合な環境を作り出すのに貢献してきたのかもしれない。しかし幸運ながら、ハイエクの経済学そして彼の政治哲学は一つのパッケージとして扱わなければならないわけではない。市場経済の働きについての彼の洞察を評価するのに、そのシステム自体を理想的なものとみなす事はないのだ。

参照文献

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