アレックス・タバロック 「マッドマン ~ニクソン大統領のクレイジーな戦略~」(2008年3月10日)

●Alex Tabarrok, “Mad Men”(Marginal Revolution, March 10, 2008)


不合理でクレイジーな振る舞いをする(あるいは、「あいつは、不合理でクレイジーな奴だ」と相手に思わせる)ことで得する可能性があることを示したのは、トーマス・シェリング(Thomas Schelling)である。チキンゲームをやり合っている最中に、敵(相手)がこちらのことを「あいつは、不合理でクレイジーな奴だ」と思うと、あちらの方から先に折れる(譲歩する)可能性があるわけだ。

シェリングのこの洞察が、あのニクソン大統領の耳にも届いていたことはよく知られているが、Wired(ワイアード)に掲載されたこちらのゾッとするような記事によると、ニクソン大統領は、シェリングの洞察をとても正気とは思えないやり方で実践に移したらしい。

ベトナム戦争に終止符を打つために、パリで和平会議が始められたものの、物別れに終わってしまう。すると、業を煮やしたニクソン大統領は、次のような手段に訴えた。

・・・(略)・・・ソ連に対して、「大規模な核攻撃を仕掛けるぞ」と脅しをかけるだけではなく、「こいつは、脅しを本当に実行してしまうようなクレイジーな奴なんじゃないか」とソ連の指導部の面々に思わせようともした。「事態がエスカレートして手に負えなくなる前に、何とかせねば」と慌てふためいたソ連側が、「パリでの和平会議で譲歩しろ。さもないと、軍事援助を打ち切るぞ」と北ベトナムに圧力をかける。そんな展開になることを、ニクソンは願ったのである。

ニクソンの脅しは、単なる言葉の上での脅しにはとどまらなかった。核兵器を搭載した爆撃機を、ソ連の領空に送り込んだのである。その結果として、ソ連側の防衛システムが発動されたのだった。

1969年10月27日の朝、計18機のB-52――8基のターボエンジンを搭載し、翼長は185フィートにも及ぶ爆撃機の一群――が、アメリカの西海岸を飛び立った。目的地は、ソ連の東側国境。ターゲットに向けて、時速500マイル超で疾走するB-52。パイロットたちは、18時間無休息で操縦を続けた。全機に核兵器が搭載されており、その威力は、広島や長崎を破壊し尽くした核兵器の何百倍にも及ぶ。

激怒するソ連。そのような中、(国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めていた)キッシンジャーは、ニクソンの指示に従って、ソ連側の大使に次のように伝えたのであった。「申し訳ありませんが、我々の大統領は、制御不能で誰の手にも負えない状態にあるのです」。

ニクソンにしても、キッシンジャーにしても、シェリングの別の洞察までは自分のものにできていなかったようだ。「私は、制御不能の状態にある」という言葉に信憑性を持たせたいのであれば、事態をとことんエスカレートさせて、自分の力ではもうどうしようもなくなるところまでもっていく必要が時としてあるのだ。その結果として、やがては核戦争に至ってしまう可能性がいく通りもあり得るというのは、心底ギョッとさせられるところだ。ともあれ、ニクソンは、何百万人もの命を危険にさらしつつ、「ソ連側は、合理的に振る舞うだろう」との可能性に賭けていたわけなのだ。

マッドマン(狂人)が世界の安全を脅かしているっていう話を耳にする機会があれば、是非とも思い出してもらいたいものだ。この世に史上最大の脅威をもたらしたマッドマンの一味は、我々の味方の中に潜んでいたということを。

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