タイラー・コーエン 「ファシズムについて学ぶ」(2017年2月10日)

●Tyler Cowen, “What I’ve been reading about fascism”(Marginal Revolution, February 10, 2017)


ファシズムがテーマの書籍を読み漁っているところなのだが、感想を述べがてら、何冊か紹介するとしよう。

1. ルーシー・ヒューズ=ハレット(Lucy Hughes-Hallett)(著)『The Pike: Gabriele d’Annunzio Poet, Seducer and Preacher of War』(邦訳『ダンヌンツィオ――誘惑のファシスト』):ヨーロッパを代表するファシスト(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)の生涯を、生き生きと、エンターテインメント性溢れる筆致で辿った一冊(アメリカ版はたぶん出てないと思う)。読みやすい一冊だが、その分量や取り扱われている話題を考えると、こんなに読みやすくていいのだろうかと驚いたものだ。「浮かれ騒ぎ」(“rollicking”)に、「サイコパス」。本書を読みながらそんな言葉が頭に浮かんだものだが、ともあれ、ダンヌンツィオは当時のヨーロッパの作家の中でも最も影響力のあった一人であることは間違いない。

2. スタンリー・G・ペイン(Stanley G. Payne)(著)『A History of Fascism 1914-1945』:ファシズムに関する古典の一つ。読みやすいし、あれもこれもが包括的に取り上げられている。「ファシズムについて学ぶなら、何をおいてもまずこの本から読むべし」と言える、いくつかある中の一冊だ。数々のファシズム関連本の山を渉猟して私が学んだことの一つは、ファシストの指導者たちの一部は、中級レベルの役職の官僚連を自らの味方につけるのにかなり苦労したということだ。そういう事情もあって、ファシスト体制下では、政治機構のかなり上のレベルに権力が集中されることが多かった。例えば、ムッソリーニは、1933年の段階では1年のうちで計72回の閣議を開いているが、1936年になると閣議は1年のうちでたったの4回しか開かれていない。ところで、少なくとも1938年以前までは、イタリアのファシスト党(国家ファシスト党)の党員のかなりの割合はユダヤ人によって占められていたらしい。

3. ロバート・O・パクストン(Robert O. Paxton)(著)『Theが Anatomy of Fascism』(邦訳『ファシズムの解剖学』):ファシズムについて学ぶ上で、先のペイン本とあわせて外せない一冊。細かい事実への目配りという点ではペイン本の方が上だが、分析力ではこちらの方が優れている。ファシストたちが政治の世界でいかにして勢力を拡大していったか、その時々でいかにして味方(国政の場で連携すべき相手)と敵とを峻別していったか。ファシズムの歴史の中で党と国家とがたびたび衝突する経緯も含めて、本書ではそのあたりの分析が特にクリア(明晰)だ。

4. R・J・B・ボスワース(R.J.B. Bosworth)(著)『Mussolini’s Italy: Life Under the Dictatorship』:最後まで目を通したわけではないが、ナチスとは別のファシスト体制(イタリアにおけるファシスト体制)について、これまでで一番詳しく記述されている歴史書という印象を受ける。イタリアのファシスト勢がいかにして公休日(国民の祝日)の改革に乗り出したか。そして、そんなことをしたのはなぜか。そのあたりのことが知りたければ、この本を読むといい。

5. アレクサンダー・デ・グランド(Alexander de Grand)(著)『Italian Fascism: Its Origin and Development』:焦点が狭く絞られた要領を得た一冊。A+レベル(ハイレベル)の文献解題付きだ。イタリア各地の当時の情勢や人口問題に注意が払われているだけではなく、アート(芸術)の世界にも目が向けられている。コンパクトな本だが、驚くほど幅広くて多角的な観点からものを見る読書体験を味わわせてくれる。本書で強調されていることだが、当時のイタリアでは、ファシズムが政治の世界を超えて、様々な制度や生活様式の中に深く浸透していたようだ。

6. ベネデット・クローチェ(Benedetto Croce)の著作の山にも分け入っているところだ。例えば、ナポリの歴史を扱った本だとか、『History, its Theory and Practice』(邦訳『歴史の理論と歴史』)だとかだ。クローチェはイタリアのファシスト体制に一貫して抵抗し続けた一人だが――ただし、ムッソリーニが政権を握ってから最初の2年間は例外。ムッソリーニを一時的に(2年間だけ)支持する姿勢を見せたのは、戦術的な理由からだったとクローチェ本人は後に語っている――、奇妙なほど退屈で具体性に欠けるというのが私なりのクローチェの印象だ。それはともあれ、 クローチェの著作を読むことで、(反ファシスト陣営もその一例である)反○○陣営には、何かよからぬことが起きつつある理由を世間に向けて説得的に訴えかけるだけの能力(弁舌の才)が備わっているとは限らないことが知れるだろう。クローチェの政治との関わりについては、ファビオ・フェルナンド・リジ(Fabio Fernando Rizi)の非常に優れた歴史書である『Benedetto Croce and Italian Fascism』がお薦めだ。

7. ジョルジョ・バッサーニ(Giorgio Bassani)(著)『The Garden of the Finzi-Continis』(邦訳『フィンツィ・コンティーニ家の庭』):この美しい小説――映画(『悲しみの青春』)にもなっている――では、イタリアにおける反ユダヤ主義の実態についてばかりではなく、若者たちが政治の混乱にどのように向き合ったかについても――それに加えて、予想を上回る出来事が次々と巻き起こり、呆然とするしかない若者たちの姿も――巧みに描き出されている。

(イタリアを中心として起こった前衛芸術運動である)未来派(フューチャリズム)がテーマの新刊の情報も、メールでいくつか届いているところだ。

ところで、(トランプが大統領に就任して間もない)現在のアメリカは、ファシズムに向かってまっしぐらなのだろうか? その心配はないというのが私の判断だ。ファシズムは、現代の複雑極まる官僚機構とも、フェミニズムが勢いを強め高齢化が進む現代のアメリカ社会とも、反りが合わないように思える。さらには、アメリカでは、民主主義が社会の奥深いところまで根付いており、権力の集中を防ぐチェック&バランスの仕組みも(欠陥を抱えているとは言え)この数百年にわたって何とか持ちこたえてきている。この点は、ファシズムが吹き荒れた時期のイタリアやドイツとは対照的だ。

とは言え、何の心配もしていないというわけでもない。アメリカの国民が、政治絡みでよからぬことに次々と支持を与える可能性は十分にあるからだ。ムッソリーニは、エチオピアに侵攻したが、当時のイタリア国民はその決断を持て囃した。その正確な理由となると、・・・何でだったんだろうね? ファシストなんかいなくても、アメリカ国民が(再び)極めて馬鹿げたことに身を捧げてしまう可能性もゼロではないのだ。

ファシズムとの関係性は薄いが、無関係とも言い切れない新刊をついでに二冊ほど紹介して締め括るとしよう。

まずはじめは、アンジェイ・フラナスゼク(Andrzej Franaszek)の手になる『Milosz: A Biography』。チェスワフ・ミウォシュ(ノーベル文学賞も受賞しているポーランドの詩人)の伝記だ。大部(たいぶ)で、綿密な書きぶりだが、読みやすい。ミウォシュは、政治をテーマに数々のエッセイを物しているが、本書ではそちらの方面よりも(ミウォシュが創作した)詩の方により多くの注意が払われている。

残りの一冊は、ロバート・E・ラーナー(Robert E. Lerner)の手になる『Ernst Kantorowicz: A Life』(エルンスト・カントロヴィチの伝記)。ちょうど今読んでいる最中だ。

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