経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

Archives for 7月 2016

アレックス・タバロック 「経済学者の間で脈々と受け継がれる『既成道徳の転倒』という伝統芸」(2014年6月12日)

●Alex Tabarrok, “The Moral Inversion of Economic Thinking”(Marginal Revolution, June 12, 2014)


「経済学は人を堕落させる学問だ」との悪評をよく耳にするがそれはなぜなのだろうか? ティモシー・テイラー(Timothy Taylor)が「経済学とモラル」と題された小気味よい小論(pdf)の中でそう問いかけている。

敵意や執着、利己心(わがまま、自分勝手)、残虐性といった問題を取り扱う学問は数多い。例えば、政治学や歴史学、心理学、社会学、文学などがそうだ。こういう学問では肉欲や怠惰、貪欲、妬み、うぬぼれ、憤り、暴食(放蕩)といったことも問題にされる。しかしながら、今しがた列挙した学問を学ぶ学生はソシオパス(反社会的な性向の人間)になる訓練を受けているようなものだと危ぶむ声があるようには思えない。どうして経済学だけが「人を堕落させる(ダメにする)学問」だと思われているのだろうか?

この問いかけに対してアーノルド・クリング(Arnold Kling)は次のように答えている

どうして経済学だけが「人を堕落させる学問」という汚名を着せられているのだろうか? その理由は経済学が「意図ヒューリスティック」とでも呼べるものに真っ向から挑みかかるからではないかというのが私の考えだ。行為の「意図」が私心のないもので善意に満ちたものであれば(その行為が自らの利益のためではなく他者(ないしは社会全体)の利益の促進を「意図」したものであれば)、その行為は立派。行為の「意図」が自らの利益を追求することにあれば、その行為は立派とは言えない。そう考えるのが「意図ヒューリスティック」だ。

もっと直截な表現で言い換えるとこうなるだろう。経済学の評判が悪いのは悪徳を研究対象に取り上げているためだけではない。悪徳が時として好ましい結果をもたらす可能性があることを暴露しているためでもあるのだ、と。経済学が「既成道徳の転倒」という役目を引き受けるようになったそもそものはじまりはマンデヴィルの『The Fable of the Bees』(『蜂の寓話』)にまで遡る。私的な悪徳が社会全体に恩恵(公共善)をもたらす可能性を描き出しているスキャンダラスで不道徳極まりないこの一冊(pdf)がはじまりだ。それに続くのが・・・、そう、アダム・スミスだ。『国富論』の中に出てくる「見えざる手」の比喩やかの有名な一節――「われわれが食事にありつけるのは肉屋や酒屋やパン屋が博愛心を発揮するからではない。彼らが自分自身の利益を追求するからだ」――も「私悪すなわち公共善」というマンデヴィル由来のテーマを繰り返したものなのだ。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「経済学のポピュラー書の背後に潜む神学的な立場」(2008年2月19日)

●Tyler Cowen, “What I really think of the new popular economics books”(Marginal Revolution, February 19, 2008)


経済学のポピュラー書(一般読者向けに書かれた経済学の読み物)の隆盛をテーマにした記事をスイスのアート雑誌であるDuに寄稿したばかりだ。私の本業は言うまでもなく経済学なわけだが、経済学のポピュラー書の背後には一体どのような哲学的神学的な立場が潜んでいるのかという問題についても個人的に関心が向いてしまう。今回の記事ではそのあたりのことを話題にしたわけだが、掲載された記事はドイツ語で書かれておりさらにはネットで読むこともできない。そういうわけなので原稿の一部だけでも以下に引用しておくことにしよう。

まずは『ヤバい経済学』(レヴィット&ダブナー著)について。

『ヤバい経済学』の背後にひっそりと潜んでいる神学的な立場は「原罪」の観念を強調するそれである。『ヤバい経済学』には嘘つきが出てくる話が満載だ。この本のモットーは「人間は嘘をつくが、データは嘘をつかない」というようにでもまとめられるだろう。・・・(略)・・・

レヴィットとダブナーのコンビの狙いはナイーブな楽観主義に手痛い一撃を食らわすことにある。読者に向けて「あなたがたは改心する必要があるのです」と訴えかけ、この世の中からナイーブさを追放せよと提案しているのだ。我々人類は原罪を背負い込んでいることを認めねばならず(本の表紙カバーを飾っている「かじられたリンゴ」の画像1を思い出すがよい)、ユートピア的な夢想におさらばせねばならず、科学によって立証された冷厳な事実を受け入れなければならない。つまりは「人間の堕落」という逃れられない現実を受け入れよと説いているわけだが、話はそこにとどまらない。『ヤバい経済学』は日常生活の中で出くわす可能性のある「人間の堕落」を示す証拠や「嘘」に対して読者に前もって心の準備をさせてくれているのだ。日常生活の中で人間の堕落を示す証拠や嘘に出くわしても『ヤバい経済学』がそのことをあらかじめ警告してくれている。そのおかげもあって(前もって心の準備ができているおかげもあって)日々の暮らしの中で(人間の堕落を示す証拠や嘘を目の当たりにして)がっかりさせられるような経験に思いがけなく遭遇するのではないかと心配する必要は最早なくなるのだ。

著者の一人であるダブナー――文章の執筆を担当したのは彼だ――は自らの神学上の立場を省みた本を物していると知らされても何ら驚くには当たらないだろう。ダブナーはユダヤ人の血を引いているが、彼の両親はカトリックに改宗し、ダブナー自身も幼い頃からカトリック教徒として育てられた。しかしながら、ダブナーは年齢を重ねるにつれて自らに埋め込まれているユダヤ人としての痕跡を再発見し、ユダヤ教に改宗するに到る。その歩みを辿った魅力たっぷりの作品が『Choosing My Religion: A Memoir of a Family Beyond Belief』である。ダブナーの心を捉えて離さない主要な関心事は神学の問題であり、彼にとってはその問題こそが数多くのアメリカ人の琴線に触れた経済学のポピュラー書(『ヤバい経済学』)を執筆する上での背景となっているのだ。

[Read more…]

  1. 訳注;「かじられたリンゴ」=アダムとイブの楽園追放の物語を連想させるもの、ということが言いたいのだろうが、原エントリーのコメント欄でも指摘されているようにコーエンのこの指摘には不正確なところがある。『ヤバい経済学』の表紙を気を付けて確認してもらうとわかると思うが、リンゴはかじられているわけではなくスライスされており、さらにはリンゴをスライスした中味はリンゴではなくオレンジになっている。物事を深く突き詰めていくと表面的な見た目(リンゴ)からは想像もできないような意外な真相(オレンジ)に突き当たるというようなことをおそらく表現したいのであろう。どうしてリンゴとオレンジの組み合わせなのかというと、おそらくは「リンゴとオレンジを比較する」(compare apples and oranges)という英語の慣用句からきているのだろう。比べようのないもの同士を比べるという意味だが、「表面的な見た目」と「真相」のあまりにかけ離れた様を表現するのに「見た目はリンゴで中味はオレンジ」というイメージはもってこいだと思ったのだろう。 []

ティモ・ボーパート, ペア・クルーセル 『人はどれくらい働いているのか: 過去・現在・未来』 (2016年5月21日)

Timo Boppart, Per Krusell, “How much we work: The past, the present, and the future” (VOX, 21 May 2016)


オートメイションの隆盛、そしてこちらはより一般的になるが、IT技術が主導する労働市場の構造変化。政策画定者や研究者が 『消えゆく職』 と深刻な雇用の先行きに頭を抱えてきたのも、これら現象の為だった。本稿は、幾つかの国のデータの精査を通して労働供給の長期的展望獲得をめざすものである。生産性向上が続くならその限度で、労働時間はじじつ縮減してゆくと見込まれる。しかしこれは必ずしも忌むべき事ではないだろうし、また職が消えて無くなる訳でも必ずしもない。

未来の人々はどれくらい働いているだろうか? オートメイションの隆盛、そしてこちらはより一般的になるが、IT技術が主導する労働市場の構造変化 – 政策画定者や研究者が『消えゆく職』と深刻な雇用の先行きに頭を抱えてきたのも、これら現象の為だった [原註1]。我々が本稿で主張するのは、生産性向上が続くならその限度で、労働時間はじじつ減少してゆきそうだということである。しかしこれは職が消えて無くなると言う主張ではない。

先ずは過去のデータ幾つか見てゆこう。図1は労働市場における1人あたり労働時間の動きを幾つかの国について歴史的に辿ったものである。

図1. 25ヶ国における1人あたり平均年間市場労働時間

原注: y軸は対数スケール。したがって、直線は経過時間中一定の変化率を示している。出典: Maddison (2001)

確かに年あたり0.5%と穏健な率ではあるが、労働時間が一貫して減少し続けていることが極めて明らかに見て取れる。この動きを説明するものは何か? こういった傾向は19世紀初頭より続く職の漸次的消滅を表しているのだろうか? 否である。その理由はむしろテクノロジー変化が労働生産性を向上させてきたところに見出されねばならない、というのが我々の主張だ。そして人々はこの機運に乗じた – つまりテクノロジー変化の1つの結果として、人々は以前ほど根を詰めては働かないこと、これを選択したのである。構造変化は或る種の職を消滅させるが、また或る種の職を出現させる。労働時間というのは需要だけでなく供給の帰結でもある。したがって労働時間というのは何にも増して我ら経済人 (そして経済女人!) の選好を反映してゆくものだと考えられる。そしてまさにこの理由から、我々が幸運に恵まれ将来も生産性向上が続いてゆくのを目にできるのならば、市場における労働のさらなる縮減というのはそれが予期されるというばかりでなく、喜ばしい事なのである!

この論点に対する我々のアプローチは、殆どのマクロ経済学者と恐らく軌を一にしている。但し、1つの根本的な点で異なっているのだ – 過去30年ほど間に形成されてきた一種のコンセンサス、つまり、労働時間は長い目でみれば定常的 [stationary] であり、したがって生産性に反応しないものだと現在考えられているが、この点に関して我々は見解を異にしているのである。同コンセンサスは戦後の合衆国データにその根をもつ。図2は総労働時間を労働年齢人口で除したもので、この点の例証となっている。

図2. 合衆国の労働年齢人口あたり年間労働時間

原注: Rogerson (2006) と類似した方法および情報源を使用

これらデータは、半世紀以上の長さに亘って、合衆国の労働時間は目で見て取れるアップ・ダウンを経てきたが、全体的なトレンドは全く存在しなかったことを示している。とはいえ、マクロ経済学者も歴史を知らない訳ではない – 例えばCooleyとPrescott (1995) で労働時間の安定性 [stable hours] を主張している箇所では、過去とのコントラストが確かに指摘されている。学部レベルの教科書の殆どには過去の歴史に触れている所が有るし、労働時間が縮減してきていることに言及しつつ孫の世代ともなれば人間の生産性の向上は甚だしいと思われるので一週間にほんの15時間程度しか労働しなくなっているのではないかとの見解を述べたケインズの有名な言葉が引かれることもままある。もちろん定量的に言えばケインズは相当的を外したのだが、定質的には正しかった (この問題に関しては…)。しかし何故かは知らないが、我々はもはや定常時代に突入したのであるとの見方が支配的になっており、あちこちで馬車馬の如く働くマクロ経済学モデルは皆そろって労働時間の長期的一貫性 [long-run constancy of hours] を再現するよう設計されている次第なのだ。となると、これが正しいアプローチ、ということなのか。

ところで我々は最近の研究でその反対を主張している – 我々の考えでは、戦後合衆国のデータは歴史的視点からだけでなく、国際的視点からしても例外的なものなのだ (BoppartとKrusell 2016)。したがって同データを代表的 [representative] だと受け取ってはならないし、これを理論の導きにしてもいけない。だからもっと言えば、労働供給理論の構築の礎とするのも全くよろしくないのである。労働供給理論というのは将来の予測や政策アドバイスを引き出す際の拠り所なのだから。図3aはフランスおよびドイツのデータを例示しており、図3bは一部OECD経済諸国に目を向けたもの。両図とも戦後期をカバーしている。

図3a. フランスおよびドイツの労働時間

図3b. 一部OECD国の労働時間

これらのデータは先ほどまでとはかなり違った事態を描き出している。フランスとドイツの場合、平均すると1年あたり約1%という高い率で労働時間が減少している。範囲を広げたセクション横断データをみると、労働時間は経過時間中に平均して1年あたり約0.45%の率で減少しており、図1の長期的展望と整合的である。0.5%という率では毎年目で見て取れる様な変化が現れてくる訳ではないだろうが、もっと長い期間になればこの減少はハッキリと目に付く様になってくる。

さて、どうすればこのデータの説明がつくだろうか。戦後期を通し、労働生産性はほぼ4倍になっている – 消費と産出量も同上。生産性向上が鍵となる要因なのは確かなようだ、というのは我々はさまざまな国で労働時間と生産性の間に有意な負の相関が存在することも発見しており、したがって時間縦断データと同じパターンがセクション横断データにも見られることを明らかにしているからである。しかしどうして人々は賃金が上昇しているときに労働量を増やそうとしないのだろうか? その答えは既に上で示唆した。スタンダードなミクロ経済学理論は、「賃金上昇時には代替効果が生じ、余暇に費やす時間との比較において、労働に費やす時間を以前より魅力的にする」 と教える。ところが他方に所得効果というのも存在する。所得効果のもとでは、労働時間を変えないかぎり我々は以前より豊かになるわけだが、こうして増した豊かさが今度は 『さらなる余暇の消費』 を – すなわちより少ない労働を – 後押しする1つのファクターとなるのだ。スタンダードなマクロ経済学アプローチは結局のところ、「家計の選好は、所得効果と代替効果がちょうど相殺されるようなものに必ずなる」 と結論してきた – 他に労働時間の安定性をどうして説明できようか、生産性に産出量に消費と、これら全てが一定かつ有意な率で成長を続けているのだから、といった具合だ [原註2]。これと対照をなす我々の主張は単純で、参考にするデータの範囲を広げるなら、実際には必ず所得効果が支配的になる、というものだ。具体的には、所与の社会の豊かさに関わらず安定した形で、代替効果を僅かに上回る程度の所得効果が在れば、全てのデータがキレイに説明できてしまうことを示した。

さてこの事についての我々の解釈はというと、先ず第一に、今後の動向に関して過去のデータからの逸脱を予測すべき理由は全く無い – 生産性が歴史的パターンをなぞった成長を続けるなら、人が働く時間もどんどん短くなってゆくはずだ、というのが在る。これはつまり、50年後には大まかに言って一週間あたり33時間の労働といった具合になるだろうということ (現状は一週間40時間の労働だとして)。もちろん生産性が停滞的になれば労働時間の縮減を期待すべき理由はない。しかし果たして将来訪れるものが長期的停滞なのか、それともその反対なのかというのは、我々が本稿で推察しようという論題ではない。

第二に、合衆国に特有であり、かつ、1950年以来例外的な定常状態にある同国における労働時間を少なくとも定質的観点から上手く説明してくれそうなファクターが幾つか存在すると我々は考えている。一つ目は、労働時間は1980年頃まではそれ以前と同じように縮減を続けていた点。これは図4に示されている通り。

図4. 合衆国における一週間の労働時間 (1990-2005)

出典: RameyとFrancis (2009)

レーガン政権時には相当の租税/所得移転カットが実施された – そしてこれは後になっても撤廃されていない – のだったが、労働時間のリバウンドがみられた時期というのも大まかに言って1980年以降に対応している。二つ目は、戦後期の後半に女性労働者の労働市場参加率が上昇を続けていた点。もっとも現在はこの現象にも減速がみられる。三つ目は、賃金格差が1970年代後半以降劇的に拡大している点で、実際のところ大半の労働者の賃金が停滞しており、労働時間を縮減すべき動因など全くもたらされていない。最後は、同戦後期後半にはベビーブームが主要な 『労働適齢期』 にある労働者を供給し続けていたが、このことに由来する人口学的変化が既に現れている点である。以上を総合的に考慮すると、これらファクターは合衆国における労働時間の安定性を例外であると説明するものである公算が高い、そう我々は考えている。付け加えれば、以上のメカニズムの殆どについては、このさき労働時間に上向きの影響を持ち続けることはなさそうだ。

本歴史データに対する我々の解釈から他に推察されることは何か? そう、低労働時間、そして低雇用は、じつに高所得と手を携えて進むのであり、したがって不調ではなくその反対の好調の兆候なのだということである。それ故、さまざまな歪みが望ましい限度を超えた労働時間縮減を誘発する場合も考えられるとはいえ、労働時間縮減に向かう根本的な力の流れ自体は喜ぶべきものであって、国家横断的であれ時間縦断的であれ、福利厚生の評価を行おうと思うなら考慮に入れる必要が有るのだ。

本時間縦断的・国家横断的データに対する我々の解釈はさらに、所与の国の内部に世帯間で労働時間の格差が在ると予期すべきことを暗示している。特に、自余の事象を一定とすれば、財産や時間あたりの賃金が少ないほど望ましい労働量は増加するものと考えられる。したがって、何れの国においても、所得が低い層ほど多くの労力を労働に充てることになるというのは市場結果として自然なのであり、そういったパターンからのシステマティックな逸脱は様々な非効率を含意するものとなろう。つまり、労働時間の制限を目指す政策や労働市場における一般的な合意は、この不均一性を考慮せねばならないということだ。

とはいえ、「労働生産性の成長はこれまで/いま/恐らくこれからも、全ての労働者について同一だった/である/だろう」 というのが我々の見解だと受け止められては困る。将来テクノロジーがもたらすものが何であれ、それがありとあらゆる 『スキル』 – 人間が習得するものにせよ、機械に組み込まれたものにせよ – に等しく影響を及ぼすということはまずないだろう。一部労働者は相対的な賃金上昇を経験するだろうが、他方で賃金減少をみる者も出て来よう。しかし、広範かつ安定的な生産性上昇がこの先も、経済成長の歴史を長い目でみたときの生産性上昇と似た形を取り続けてくれるのならその限りで、労働時間は安定した率で短縮を続けるはずであり、それは喜ばしい事になるだろうと、我々はここに自信をもって予言する者である!

参考文献

Boppart, T and P Krusell (2016) “Labor supply in the past, present, and future: A balanced-growth perspective”, CEPR Discussion Paper No 11235.

Cooley, T F and E C Prescott (1995) “Economic growth and business cycles”, Frontiers of business cycle research, 39: 64.

The Economist (2014) “The onrushing wave”, 18th January.

King, R G, C I Plosser and S T Rebelo (1988) “Production, growth and business cycles: I. The basic neoclassical model”, Journal of Monetary Economics, 21(2-3): 195–232.

Maddison, A (2001) “The world economy: A millennial perspective”, Volume 1, OECD, Development Centre Studies.

Ramey, V  A and N Francis (2009) “A century of work and leisure”, American Economic Journal: Macroeconomics, 1(2): 189–224.

Rogerson, R (2006) “Understanding differences in hours worked”, Review of Economic Dynamics, 9(3): 365-409.

Endnotes 原註

[1] 包括的調査としては、2014年1月18日のEconomistを参照。

[2] Kingら (1988) でこの現象のモデル化手法が提示されている。

 

ヴォルフガング・ケラー, ハーレー・ユーター 『Brexit以後のグローバル化と二極化』 (2016年7月5日)

Wolfgang Keller, Hâle Utar, “Globalisation and polarisation in the wake of Brexit” (VOX, 05 July 2016)


 

EUメンバーシップをめぐる最近の政情変化の一部はグローバル化へのますます強まる敵意が引き起こしたものである。本稿ではデンマークの実証データを利用しつつ、グローバル化は先進国における職の二極化を、より具体的には中間所得層の職の喪失を引き起こしているのか、この点の分析を試みる。激化する輸入競合は所得格差を広めてしまう可能性を孕んでいるが、また同時に高賃金雇用の全増加のうち相当部分を担うものでもある。政策画定者の任務は、こういった増加を市民の大多数が実感させることだ。

トニー・ブレア前首相は投票翌日に自らBrexitを評じて、離脱キャンペーン成功の鍵はそれが極左勢力 (銀行家に向けられた非難) と極右勢力 (移民に向けられた攻撃) の収束点となったことにあり、突き詰めればこういった事態はグローバル化への共有された敵意が原動力になっているのかもしれないとの見解を述べた。しかし6月24日のNew York Timesに掲載された同記事の読者らが即座に指摘したように、グローバル化そのものには、高所得国におけるグローバル化に相伴うかにみえる、中間層の崩落と広がる経済格差に対する反動ほどの影響力は無いのかもしれない。ともあれ、グローバル化が二極化を引き起こすというのは事実なのだろうか?

職の二極化 – 中間層の職の空洞化に低/高賃金職の増加が付随する現象 – は近年多くの高所得国で現実のものとなっている(Goosら2014)。同じこれらの国々には対外貿易の相当な増加も見られているが、これはとりわけ2000年代を通し中国からの輸入競合が激化するという形で現れた。輸入競合の為に生じた職と収入の損失は福祉国家に難問を突き付けるものだが、その損失と対になる増分が無いのならば勝者も敗者も無く、だから二極化も無いのであり、それゆえ社会の機能それ自体を根本的に揺るがす危難というのも存在しないのである。現在のところ、二極化の原因はコンピュータ化された機械やロボットが中間的賃金で働く労働者に取って代わっている為だと見られている (AutorとDorn 2013, Goosら2014, Michaelsら2014)。

我々の新たな論文では、企業とマッチングしている全労働者を扱う行政データを利用し、輸入競合が労働者に対し職種ハイエラルキーを上昇するか、それとも下降するかの何れかに進むよう促しており、その為にデンマークにおける職の二極化の相当部分を説明するものとなっていることを明らかにしている (KellerとUtar 2016)。デンマークの例が興味深いのは、同国における職の二極化およびグローバル化パターンがその他の高賃金国の典型をとなっているにとどまらず (図1はデンマークと合衆国における職の二極化を比較したもの)、次にレファランダムを通してEU離脱 (“Dexit”) を選ぶのはここだろうと言われている国のリストで同国が上位を占めているからでもある。

図1 デンマークにおける職の二極化の展望図

我々の分析の目立った特徴は、二極化の調査にあたってほぼ百万人に昇るデンマーク労働者を対象に、彼らが初めて就いた職から始め、その後に何らかの職種・企業・部門への移行があればそこまで追跡してゆくという手法を取った点にある。図2は1999年の時点で繊維部門・製造部門・サービス部門で雇用されていた労働者それぞれについて [訳注1]、2000-2009年期間にみられた雇用シェアの変化を描き出したもの。同図は1999年に何れかの製造業で雇用されていた労働者に関してはその雇用推移に強い二極化傾向が見られることを明らかにしているが、これはサービス部門労働者雇用推移と対照的になっており、サービス部門労働者の方には 『昇級』 ないし 『技能更新』 の傾向が見られる。低賃金国との輸入競合の激化は、サービス部門でよりも貿易可能性をもつ製造部門において一際猛威を振るっていることに鑑みれば、これは貿易の重要性を裏付けるとりあえず妥当な実証データだと言えるだろう。

図2 1999年時点で労働者がいた部門毎にみた2000年から2009年までの雇用シェア変化

中国の台頭は、デンマークなどの富裕国における製造業生産者の全てが大きな競合ショックとして実感しているが、これは繊維産業や衣服産業といった労働集約的な部門について特に当てはまる、というのはこれら部門では従来から低賃金国がもっていた比較優位に加えて、2001年の中国WTO加入を介しての輸入割当て (所謂『多角的繊維協定クオータ』) 削除という形をとった貿易自由化がさらに圧し掛かってきたからだ。図3はデンマークの繊維部門における機械操作者・組立作業者の動向を示している。なお、これら職種は典型的に中間的賃金を受け取る同産業において、重要な役割を担っているものである。

図3 貿易の影響に曝されたか/曝されなかったかでみた繊維機械操作者の推移

先ず初めに図上部に在る2つの線分だが、これは2001年以降に割当ての削除を受けたのと同じ8桁コード生産物を製造している企業で働く繊維機械操作者 (点線)、そしてこれに対し、同割当て削除に由来する輸入競合激化に曝されずに済んだ企業における繊維機械操作者 (実線) についての継続雇用確率 [cumulative employment probabilities] を示したものである。両線分は下に傾いており、1999年における機械操作者の全体集合に含まれる多くの者が続く10年の間に別の職種に移動したことを示唆している。しかしながら、割当て削除の影響に曝された企業で働く機械操作者の方ではその23%が2009年時にも依然として同一業種に留まっているのに対し、割当て削除の影響に曝された企業の機械操作者についてはたった15%という数字なっている点には注意されたい。この8%の差は基本的に、機械操作者という中間賃金雇用に対し輸入競合が及ぼしたネガティブな影響を表すものだといえる。

次に図の下方に位置する2つの線分だが、これは機械操作者が旅行案内者人・家事代理人・児童養護人・理容師・守衛といった個人サービス業また保護サービス業へと移行する累積確率を示している。図3は激化する輸入競合の影響に曝された機械操作者が他との釣り合いを崩す形で今あげたような職種へと移行していることを示しているが、そのような業種が典型的に低賃金である為に、輸入競合が賃金分布の下端における雇用増加の説明となる可能性が示唆されるのである。さらに輸入競合の激化には、他との釣り合いを崩す形で一部労働者を専門職や管理職といった高賃金職種へと押し上げる効果もみられる。

我々はこういった研究結果を操作変数法による分析を用いて経済全体についても確認し、輸入競合がデンマークにおける中間賃金職損失のほぼ5分の1、並んで低賃金雇用増加の相当部分を説明するものであることを明らかにした。重要な点だが、輸入競合の激化は本期間中のデンマークにおける高賃金雇用の10分の1の背後にあった原因であり、したがって中国との競争に由来するデンマーク雇用の二極化というのには明確な実証データが存在することになる。

我々はまた、技術変化とオフショアリングの双方が職の二極化に関する重要ファクターであることも明らかにしている。輸入競合とは対照的に、これらファクターは単独では説明因の役割を果たさない。オフショアリングが中間賃金労働者に職種ハイエラルキーを下降させる誘因となる一方、技術変化に由来する需要減少が有る職種の中間賃金労働者はこの職種ハイエラルキーを上昇してゆく傾向が有る。

デンマークは大方の国と比べると平等な所得分布をもち、これが同国の特徴となっているとはいえ、所得格差は近年拡大の一途を辿っている。回帰分析の結果に基づき、我々は中国に由来する輸入競合の激化は1999年から2009年のあいだのデンマークにおける収入格差拡大の16%を説明するものだと推定している。その大半は職種の変化に由来し、労働者に支払われる時給の変化に由来するものではない。貿易が誘因となった職の二極化傾向は諸部門間の移行の形をとって出現しているのだ。中間的賃金を支払う製造業職が失われているまさにその時、サービス部門労働者の方は雇用機会の高まりを見ている。低賃金雇用の増加は専らサービス部門にみられるが、他方で高賃金職の増加はサービス部門と製造部門に分かれている。したがって製造業の内部には職の二極化の傾向はみられない、何故なら製造業における低賃金職の雇用機会が無くなってきているからだ。

中間賃金雇用の衰退に繋がる輸入競合を傍らすれば、所得分布の中間に位置する労働者をターゲットにした教育政策の検討というのがごく自然に思い浮かぶ。職業教育というのは、正規教育と企業での企業実習を組合わせたものだが、長きに亘りヨーロッパにおける教育システムの一端を担ってきたばかりでなく、現在は合衆国などの国でも職の二極化への1つの対応として検討されている。職業教育は果たして中間賃金雇用損失の可能性を減らし、低賃金職に対する高賃金職獲得の見込みを相対的に高めてくれるだろうか?

3分の1を超えるデンマーク労働者が職業的学位を保持しているが、我々は3000を超える多種多様な職業的学位を見渡すと、労働者の業績に関して巨大な不均一性がみられることを実証している。溶接や工具制作といった製造業特化職業教育は中間賃金職を喪失する可能性を減らしてくれるが、高賃金職獲得の見込みを低賃金職のそれより高めるような効果は全く無いのだ。

対照的に、調剤師や財務管理者といったサービス業にフォーカスした職業教育は輸入競合に由来する低賃金職への移行リスクを削減する働きが有る。最後に、情報技術分野の職業教育は労働者の高賃金雇用への移行可能性を大きく向上させる。まとめると、高賃金所得プロファイルを目指す前向きの戦略は、技術関連の、コンピュータ志向サービス部門業種の職業教育にフォーカスを合わせたものとなる。

結論を述べると、グローバル化の影響に関する我々の発見は多義的なものとなった。確かに、グローバル化が輸入競合の激化という形で高所得国にける二極化と格差拡大の一因となっている旨を示す実証データは存在する。しかし同様に、グローバル化は物価の引き下げることで全てのひとの購買力増加に繋がるだけでなく、高賃金雇用増加の相当部分を – その10分の1を – 説明するものでもあるのだ。この先現実のものとなるかもしれない離脱 (DexitやNexitまたFrexitなどなど) との関連で述べれば、政策画定者の任務はこの増加を投票権者の大多数にまで実感させることにあると言える。

 

参考文献

Autor, D, and D Dorn (2013), “The Growth of Low-Skill Service Jobs and the Polarization of the US Labor Market”, American Economic Review, 103 (5), 1553-1597

Autor, D, D Dorn, and G Hanson (2013), “The China Syndrome: Local Labor Market Effects of Import Competition in the United States”, American Economic Review, 103 (6), 2121-2168

Autor, D, L F Katz, and M S Kearney (2006), “The Polarization of the U.S. Labor Market”, American Economic Review: Papers and Proceedings, 96 (2), 189-193

Ebenstein, A, A Harrison, M McMillan and S Phillips (2014), “Estimating the Impact of Trade and Offshoring on American Workers using the Current Population Surveys”, The Review of Economics and Statistics, 96 (3), 581-595

Goos, M, and A Manning (2007), “Lousy and Lovely Jobs: The Rising Polarization of Work in Britain”, The Review of Economics and Statistics, 89 (1), 118-133

Goos, M, A Manning, and A Salomons (2014), “Explaining Job Polarization: Routine-Biased Technological Change and Offshoring”, American Economic Review, 104 (8), 2509-2526

Keller, W, and H Utar (2016), “International Trade and Job Polarization: Evidence at the Worker-level”, CEPR Discussion Paper No. 11311

Michaels, G, A Natraj and J Van Reenen (2014), “Has ICT Polarized Skill Demand? Evidence From Eleven Countries Over Twenty-Five Years”, The Review of Economics and Statistics, 96 (1), 60-77

Pierce, J R, and P K Schott (2015), “The Surprisingly Swift Decline of U.S. Manufacturing Employment”, American Economic Review, forthcoming

Utar, H (2015), “Workers beneath the Floodgates: Impact of Low-Wage Import Competition and Workers’ Adjustment”, Bielefeld Working Papers in Economics and Management, No.12

Utar, H (2014), “When the Floodgates Open: “Northern” Firms’ Response to Removal of Trade Quotas on Chinese Goods”, American Economic Journal: Applied Economics, 6(4): 226-250


訳注1. 元論文では、繊維部門労働者が製造部門労働者の下部集合であると明示されている (“…and third, the subset of manufacturing workers who in 1999 were textile workers.”)。

 

ラルス・クリステンセン 「相撲の力士や海賊をテーマにした経済学の本が世間から人気を集めた理由」(2012年7月30日)

●Lars Christensen, “Remember when economists were writing books about sumo wrestlers and pirates?”(The Market Monetarist, July 30, 2012)


以下に列挙する本は私の家にある本棚から適当にピックアップしたものだが、それぞれの作品のタイトルを眺めてみてどういう感想を持たれるだろうか?

上に掲げた一連の作品がどういうタイプの本かついてはよくご存知だろう。通常は経済学の対象とは見なされていないトピックに経済学の道具立てを使って切り込んだ作品であり、いずれも経済学者が著者となっている(ジャーナリストと共著というものもある)。「経済学帝国主義者」を自任する身3としてはこういうタイプの本は大好物(大好き)だ。こういうトピックについて経済学者に言えることはたくさんあるし、その他の経済学者たちもこういった本を読んでその考えを学ぶべきだと思う。プロのフットボールクラブは経済学者をアドバイザーとして雇うべきだし、ワインのことについて何か気の利いた話を聞きたければ(ワイン評論家として名高い)ロバート・パーカー(Robert Parker)に伺いを立てるよりも(全米ワイン経済学会(AAWE)の会長である)オーリー・アッシェンフェルター(Orley Ashenfelter)に意見を求めたほうがいい(pdf)とも強く思う。

2006年から2007年にかけての頃に空港にある書店を訪ねたら上に掲げたようなタイプの本――ひとまず「日常生活の経済学」(“economics of life”)本と呼んでおくことにしよう――が経済書コーナーの棚を占拠していたことだろう。その一方で、時が流れて今現在はというと、空港の書店に置かれている経済学関係の本にはほぼ例外なくタイトルに「危機」という言葉が含まれている。ルービニやクルーグマン、スティグリッツの本を思い浮かべてみればいいだろう。「危機」をテーマにした最近流行の経済学本を総称するとすれば「大不況」本(Great Recession books)ということになるだろう。

「日常生活の経済学」本が人気を集める時があれば、「大不況」本が人気を集める時がある。その違いを生んでいるのは金融政策の良し悪しにあるというのが私の考えだ。金融政策の舵取りがそれなりにうまくいっており、そのおかげもあって名目的な安定(nominal stability)がかなりの程度保たれる4ことになれば、世間では誰もマクロ経済学のことなんか気にしないことだろう。名目的な安定が保たれている状況ではマクロ経済学の出番は無いとも言えるのだ。というのも、名目的な安定が保たれている状況では物価や名目GDP(ひいては実質GDP)の変動はいずれも「ホワイトノイズ」に過ぎないからだ。現実のマクロ経済上の出来事がすべてホワイトノイズに還元できるとなると(そういう意味でマクロ経済学の出番が無くなると)、経済学者たちは何か別の話題を探し出してくる必要に迫られることになる。こうして幼い子供や海賊、相撲の力士、フットボールといったトピックをテーマにした本が経済学者の手によって書かれ出すようになるわけだ。「日常生活の経済学」本はどれもこれも素晴らしい作品ばかりには違いないが、娯楽本という側面を強く持っていることも否定できない。娯楽性が強いとは言え、そのことを差し引いても少し前までの一連の「日常生活の経済学」本の認知度の高さ(人気のほど)には驚かされる。『ヤバい経済学』の人気を思い出してみるといい。『ヤバい経済学』が出版されたのは2005年だ。仮に『ヤバい経済学』が今現在の時点で出版されていたとしたら果たしてあれだけの成功を収める(あそこまで爆発的な売れ行きを記録する)ことはできただろうか。

「日常生活の経済学」本なんて馬鹿げていて子供じみている。そう考える人もいるかもしれない。しかしながら、「日常生活の経済学」本は名目的な安定が続いた時代(大平穏期 Great Moderation)の産物と言えるのだ。仮に名目的な安定が途切れることなく今日までずっと続いていたとしたらヌリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)のことなんて世間では誰も知らなかったことだろう。ルービニはニューヨーク大学に籍を置く無名の学者というに過ぎなかったことだろう。ルービニやその他のマクロ経済学者のことをくさすつもりは毛頭ないが、ルービニやマクロ経済学者の発言に世間が興味を持っている多くの理由は「危機」が起こったからこそなのだ。「危機」が勃発していなければスコット・サムナーがブログを始めるなんてこともきっと無かっただろうし、私のブログでもマクロ経済の話題ではなく「日常生活の経済学」が主要なテーマとなっていたことだろう(そういう方針でいきたい思いは今でもあるのだが・・・)。

これまでに何度も語ってきたことだが、名目的な安定が保たれているようであれば、現実の世界を「セイの法則」が当てはまるワルラス流の一般均衡モデルになぞらえて理解することも基本的には可能となるだろう。このあたりの話は少し前にダニエル・リン(Daniel Lin)へのアドバイスとして「(大学の講義で教えるなら)公共選択論よりもミクロ経済学を教えるべきだ」と語った理由や私なりの経済学入門の教え方とも関係してくることだ。

サムナーもつい最近のブログエントリーで似たような指摘を行っている。名目的な安定が保たれているようであれば、ケイシー・マリガン(Casey Mulligan)やジョン・コクラン(John Cochrane)の主張も全部が全部正しい。そういう次第になるだろうというのだ。マリガンやコクランといったRBC(実物的景気循環)モデルの信奉者たちは「貨幣」の重要性を受け入れない傾向にある(そのことを示す嘆かわしい実例としてはこちらのエントリーを参照されたい)。RBCモデルは基本的にはワルラス流の一般均衡モデルの仲間であり、中央銀行が仕事をそれなりにきちんとこなしている場合に限ってRBCモデルが説くところも完璧に理に適うことになるのだ。とは言え、名目的な安定が保たれるようになれば、ワイン海賊フットボールといったトピックについて研究する格好の機会が生まれることになる。そうだというのにRBCモデルと戯れて時間の無駄使いをする気になんてなれるだろうか?

(追記)厳密に言うと、「日常生活の経済学」本の例として冒頭で掲げた作品の中には大平穏期の最中ではなく大不況入りしたばかりの頃に出版されたものも含まれている。とは言え、今回のエントリーで私が言わんとしていることは伝わるだろう。

(追々記)アメリカの読者に向けての注意。文中の「フットボール」ではボールを手で持ってはいけない。ボールは足で蹴って運ばなければいけない5

  1. 訳注;タイトルをそのまま訳すと、「イングランド代表チームが負けるワケ: サッカーをめぐる不思議な出来事を解明する」となる。 []
  2. 訳注;タイトルをそのまま訳すと、「今よりも多くの子宝を授かるべき利己的な理由」となる。 []
  3. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●ラルス・クリステンセン 「ベッカー死すとも経済学帝国主義は死せず」(2014年5月9日) []
  4. 訳注;名目的な安定が保たれる=名目GDPが安定した成長を続ける、とおおまかに理解しておいていいだろう。 []
  5. 訳注;「フットボール」というのはアメフトのことではなくサッカーのことだよ、という意味。 []

マーク・ソーマ 「経済学界隈の推薦図書(変わり種多め)」(2005年3月30日)

●Mark Thoma, “Interesting Books on Economics”(Economist’s View, March 30, 2005)


つい昨日のエントリーで大学の同僚であるビル・ハーバウ(Bill Harbaugh)の研究成果を紹介したばかりだが、そのついでに彼が自分のホームページで(経済学部の学部生に向けて)お薦めしている経済学関係の「面白い本」のリスト1を以下に転載させてもらうことにしよう。

とっかかりとして格好の一冊

  • アダム・スミスの『国富論』: おそらくこの本の名前はこれまでに耳にしたことがあることだろう。オンライン版はこちら

経済学的な考え方(経済学者流の考え方)を知るのに格好のキャッチーなタイトルの本

  • The Undercover Economist』(邦訳『まっとうな経済学』) by ティム・ハーフォード(Tim Harford): 出版社の宣伝文句によると、「『The Way Things Work』(邦訳『新版 道具と機械の本―てこからコンピューターまで』)の経済学版」ということだ。悲しいかな、私自身はまだそんな芸当ができるようなレベルにまで達していない。
  • Freakonomics』(邦訳『ヤバい経済学』) by スティーヴン・レヴィット&スティーヴン・ダブナー(Steve Levitt and Stephen Dubner): 目新しい問題に経済学的な考え方で挑んだ本。
  • Naked Economics』(邦訳『経済学をまる裸にする』) by チャールズ・ウィーラン(Charles Wheelan): 経済学者は経済問題についてどういった独自の考え方をするのだろうか? この本はそのことを知るための格好の入門書だ。大変読みやすい文章で書かれており、楽しみながら目から鱗がポロポロと落ちながら経済学者流の考え方に触れることができる。経済学的な考え方を応用して政府の行動を説明している章なんかはすごくいい。

個別の特殊な問題に経済学的な考え方を応用した本

  • Global Crises, Global Solutions』 by ビョルン・ロンボルグ(Bjorn Lomborg): この本ではコスト・ベネフィット分析(費用便益分析)の力を借りて地球規模の様々な課題のうちで一体どの課題から真っ先に取り組むべきか(解決すべき課題の優先順位)が検討されている。真っ先に取り組むべき課題は(破壊されたり汚染された)自然環境の修復だろうか? それとも医療サービスの質の向上だろうか?
  • The Skeptical Environmentalist』(邦訳『環境危機をあおってはいけない』) by ビョルン・ロンボルグ: 「地球環境の質は着実に改善している。大半の指標はそのことを指し示している」。そう主張する本書が2001年に出版されるやメディアから高い注目を集めることになった。「そんな話は嘘だ。信じたくない」。そう考える御仁にも本書はお薦めだ。青筋を立てながら読み進めていけば少なくとも持論を鍛える助けにはなるだろう。
  • In Praise of Commercial Culture』 by タイラー・コーエン(Tyler Cowen): フランス政府は多額の補助金を使って国内の芸術活動を支援しているが、アメリカ政府は国内の芸術家に自分の力だけで生き抜くように求めている。しかしながら、世界のアートシーンの中心地はニューヨークであり、パリはアートシーンの中心から遠く外れた僻地へと追いやられている。どうしてそうなっているのだろうか? その答えが知りたければこの本を読むことだ。
  • Choosing the Right Pond』 by ロバート・フランク(Robert Frank): 手元にどれだけの数のモノを所有しているかではなく、手元に所有しているモノの数が他人と比べて多いかどうか。ヒトは周囲(他者)との比較を通じて我が身の幸・不幸を判断しがちな存在なのかもしれない。本書は人間本性(human nature)をめぐる疑問の数々(とりわけ、ステータス争いをめぐる疑問の数々)に経済学の観点からアプローチした優れた一冊だ。本書では経済理論を現実の世界に適用した際に持ち上がってくる「パズル」の数々の解決が試みられている。
  • The Red Queen』(邦訳『赤の女王』) by マット・リドレー(Matt Ridley): 性の進化の歴史を辿りつつ、性の進化が人間の本性に及ぼした影響が詳しく探られている。一夫一婦制や性的・人種的な偏見、思春期、フェミニズム、美といったあれやこれやの物事に備わる重要性とその目的(ゴール)が生物学や心理学の研究成果を踏まえた上で、自然界や人間社会から数多くの実例を引きつつ解き明かされている。経済学を学ぶ学部生だけではなく一般の人々にも言えることだが、本書を進化心理学の優れた入門書のつもりで読むという読み方もできるだろう。
  • The Moral Animal』(邦訳『モラル・アニマル』) by ロバート・ライト(Robert Wright): 人類の進化が日常生活――結婚や育児といった日常を彩る様々な現象――に及ぼしている影響を扱った本。著者のロバート・ライトはジャーナリスト(Economist誌の元編集者)だが、関連分野の最新の研究動向とこれまでに得られた研究成果を調べ上げ、その調査結果を見事に一冊の本にまとめあげることに成功している。
  • Passions within reason: the strategic role of the emotions』(邦訳『オデッセウスの鎖-適応プログラムとしての感情 』) by ロバート・フランク: 怒りに震えたり恋に落ちること(「怒り」や「愛」といった「感情」に突き動かされること)は状況次第で合理的な帰結をもたらす2場合がある。一体全体どうしたわけでそうなるのだろうか? 「感情」にも合理的な側面があるのだとしたら、経済学の道具立てを使って「感情」の分析に挑んでみるという試みがあっても当然だ。そうじゃないだろうか?
  • アダム・スミスの『道徳感情論』: アダム・スミスの本をもう一冊。『国富論』とは大違いの内容だ。オンライン版はこちら
  • Stone Age Economics』(邦訳『石器時代の経済学』) by マーシャル・サーリンズ(Marshall Sahlins): かなり昔に読んだきりになっているが、経済学の道具立てを使って未開社会に生きる人々の行動の分析を試みた(その試みがうまくいっているかどうかはさておいて)「その心意気や良し」な一冊という記憶がある。本書の出版後にこの線に沿った研究が他にも現れているかもしれないが、そのような最近の試みを知っているようならご一報いただけたら幸いだ。
  • The Rise and Decline of Nations』(邦訳『国家興亡論』) by マンカー・オルソン(Mancur Olson): 利益集団が政治的な意思決定に及ぼす影響が経済理論の道具立てを使って解明されており、その議論を踏まえた上でローマ帝国からアメリカ合衆国(この本が書かれたのはジミー・カーターが大統領の座にあった頃だ)にまで及ぶ歴史上の数々の文明の衰退の原因が好奇心をそそられる筆致で探られている。
  • Peddling Prosperity』(邦訳『経済政策を売り歩く人々』) by ポール・クルーグマン(Paul Krugman): 経済理論と現実世界の問題との間の相互作用を例証する実例の数々が盛り込まれた一冊。
  • Manias, Panics and Crashes : A History of Financial Crises』(邦訳『熱狂、恐慌、崩壊-金融危機の歴史』) by チャールズ・キンドルバーガー(Charles P. Kindleberger): 金融危機に関する内容テンコ盛りで胸躍る歴史読み物。18世紀初頭の南海泡沫事件にはじまって1930年代の世界大恐慌、そして1970年代初頭のミニ危機までがカバーされている。
  • Against the Tide: An Intellectual History of Free Trade』(邦訳『自由貿易理論史-潮流に抗して』) by ダグラス・アーウィン(Douglas Irwin): 自由貿易の是非を巡る論争の歴史を辿った本。アリストテレスからアダム・スミスを経てクルーグマンまで。
  • The Pecking Order』 by ダルトン・コンリー(Dalton Conley): あなたは家族の中でどのように位置付けられているだろうか? 厄介者(black sheep)扱い? それとも可愛い我が子(The favorite child)として遇されているだろうか? 本書はあなた自身を含む兄弟姉妹(家庭内の序列関係)がテーマの本だ。

ゲーム理論および実験経済学に関する進んだトピックを扱った本

  • Game Theory Evolving』 by ハーバート・ギンタス(Herbert Gintis): 「ゲーム理論とは何か?」が知れるゲーム理論の優れた入門書。進化論的な捻りも加えられていてその分だけさらに興味深く読むことができる。最初は簡単なゲームの話から。読み進めていく上では経済学についていくらか予備知識が必要だが、ゲーム理論についての予備知識は必要ない。
  • Thinking Strategically』(邦訳『戦略的思考とは何か-エール大学式「ゲーム理論」の発想法』) by アビナッシュ・ディキシット&バリー・ネイルバフ(Dixit and Nalebuff): 「ゲーム理論とは何か?」が知れるだけではなく、ビジネスや日常生活をうまく生き抜いていくための術についてゲーム理論からどんな手掛かりが得られるかも学べる。
  • The Handbook of Experimental Economics』 by ジョン・カーゲル&アルヴィン・ロス(John H. Kagel and Alvin E. Roth)編集: 実験経済学の入門書としてスタンダードな一冊。読み進めていく上では経済学について少々の予備知識が必要。
  • Experimental Economics』 by ダグラス・デービス&チャールズ・ホルト(Douglas D. Davis and Charles A. Holt): 同じく実験経済学の本だが、上の本に比べると市場における行動により多くの関心が払われている。関係する経済理論についても逐一説明が加えられている。
  • Economic Choice Theory : An Experimental Analysis of Animal Behavior』 by ジョン・カーゲル&レイモンド・バタリオ&レオナルド・グリーン(John H. Kagel, Raymond C. Battalio and Leonard Green): 動物の行動を記述する上で経済学のアイデアがいかに役立つかを検証した魅力的な一冊。
  1. 訳注;推薦図書のリストはソーマがこのブログエントリーで取り上げて以降にいくらか修正が加えられているようだ。以下では修正後のバージョンを訳してある。 []
  2. 訳注;合理的な帰結をもたらす=その人の利益に適う(自己利益を促進する)、という意味 []

タイラー・コーエン 「暇な時間に経済学を学びたい。そんなあなたへのお薦め」(2007年6月12日)

●Tyler Cowen, “How to study economics in your spare time”(Marginal Revolution, June 12, 2007)


本ブログの読者であるtommyから次のようなコメントを頂戴した。

私は大学で化学を専攻しているのですが、空いた時間に(独学で)経済学を学びたいと考えています。夏休みが間近に迫っていますが、夏休みに入れば経済学を学ぶために割ける時間も今よりずっと増えると思います。ミクロ経済学やマクロ経済学の初歩(基礎)からはじめて上級レベルまで進めたらというのが願いです(今年の夏だけ(ひと夏)でそこまでいけるわきゃないということくらいはよくよくわかっています)。経済学の講義はこれまで一度もとったことはありませんが、一応は科学を学んでいる身ですので数式がテンコ盛りでも何とかなると思います。

経済学のテキストなり専門ジャーナルに掲載されている論文なり経済学者の手になる(「この本は読んでおいた方がいい」というような)影響力のある本なりで何かお薦めはあるだろうか? お薦めがあるとしてどういう順序で読むべきかについても何かアドバイスできるだろうか?

経済学を学ぶとっかかりとして一番いいやり方は我々のブログを欠かさずチェックすることだろう。経済学の背景となる考え方を知りたければ(+どんなに分厚くても構わないというようであれば)それにプラスしてマンキューの経済学のテキスト(邦訳『マンキュー入門経済学(第2版)』/『マンキュー経済学 I ミクロ編(第3版)』/『マンキュー経済学 II マクロ編(第3版)1)に挑戦してみるといいだろう。マンキューが自分のブログで(経済学の分野の)推薦図書をいくつか紹介している〔拙訳はこちら〕のでそれも参考にするといい(個人的にはハイルブローナーの本は好きではないが)。アーノルド・クリング(Arnold Kling)がネット上で公開しているテキストもお薦めだし、拙著になるが『In Praise of Commercial Culture』もお薦めだ。タバロックブライアン・カプラン(Bryan Caplan)ロビン・ハンソン(Robin Hanson)たちといつでも語り合えるように彼らのすぐ近くの研究室を根城とするというのが本当のところは一番のお薦めだったりする。数学がバリバリ使われていても構わないようであれば、ハル・ヴァリアン(Hal Varian)の(大学院レベルの)ミクロ経済学のテキスト(邦訳『ミクロ経済分析2)やエリック・ラスムセン(Eric Rasmusen)の『Games and Information』(邦訳『ゲームと情報の経済分析』)、ミルトン・フリードマンの年代物の価格理論のテキスト(邦訳『価格理論』)に挑戦してみるといい。あとは自分でミクロ経済学のクイズを作ってそれを解いてみればいい。それをポックリいくまでずっと続けることだ。

何よりも大事なことだが、読書の計画を練ったところでその計画通りにはなかなかいかないだろうし、そうすべき(計画に縛られるべき)でもないだろう。気が散るようなら脇道に逸れて気の向くままに計画から脱線するに任せておくのが一番いい学び方だ。

他に何かお薦めはあるだろうか?

  1. 訳注;原書は第7版まで出ているが、邦訳は第6版の訳である。 []
  2. 訳注;原書は第3版まで出ているが、邦訳は第2版の訳である。 []

タイラー・コーエン「日本の人口減少」

[Tyler Cowen, “The depopulation of Japan,” Marginal Revolution, July 11, 2016]

日本がいま直面している変化を人口学者たちはずっと前から予測していたものの,この国はいまになってようやくこの画期的な転換を正面からとらえるようになったらしい.

ますます増加していく空き家・空きビルの安全問題に,警官や消防士たちは本腰を入れて取り組みだしている.運輸当局は,道路やバス路線を検討して維持するに値するかどうかを論じ,正当化できないものは削減している.高齢化して続けるのが難しくなった中小企業の事業主や農家は,家業の後継者を見つけるのに苦心している.毎年,日本では学校が500校ずつ閉校されている.

「どんな分野においても――土地計画,都市計画,経済計画のどれにおきましても――行政のあらゆる部門ができることをしようとつとめています」と,国立社会保障・人口問題研究所の研究者・林玲子は語る.

[Read more…]

タイラー・コーエン「自動運転車の挙動の理由は理解できる?」

[Tyler Cowen, “Will we understand why driverless cars do what they do?” Marginal Revolution, July 9, 2016]

ニューラルネットワークは,物事をあれこれの範疇にわける方法を自力で提供するように設計できる.だが,その分類にかかわる数学的計算は複雑なので,ネットワークそのものをとりあげてどうやってその決定にいたったのかを理解しようとしても,一筋縄でいかない.そのため,意図せざる行動が予測しにくくなる.それに,もし過誤が生じても,そうなったワケを説明するのは困難かもしれない.たとえば,写真にうつってる物体をシステムが誤認識しても,その画像のどんな特徴のせいでエラーが起こったのかを知るのは(不可能ではないにしても)難しいかもしれない.

[Read more…]

マーク・ソーマ 「『インターネットと生産性スランプ』」 (2016年4月3日)

Mark Thoma, “‘The Internet and the Productivity Slump’” (Economist’s View, Sunday, April 03, 2016)


Gavyn Daviesの記事から:

インターネットと生産性スランプ: 平均的アメリカ人の年間可処分所得は42,300ドルとなっているが、彼らにまる1年のあいだ携帯電話とインターネットへのアクセスを諦めてもらうとしたら一体幾ら必要になってくるだろうか? …この問いは実はもっと親しみの有る論題と関わっている。生産性の成長が主要経済国全体に渡ってこれほどまでに減速しているのは何故なのだろうかという問いがそれだ…

Chad Syversonの計算によると、同生産性ギャップ全体を説明しようと思えば、一般市民にとって未だ計測されていないデジタル経済の価値が一年あたり8400ドル分も在るとしなければならないという。この額は一人あたりの年間実質可処分所得の5分の1にあたるのだが、つづいて彼は取り合えずは妥当であると思われる諸理由から、デジタル経済へのアクセスに自分の可処分所得の5分の1もの価値を認めている人は殆どいないだろう旨を示唆している。

確かにそうかもしれないが、では適切な額は幾らになるのだろうか?…いざ選択の場面を向かえたとき、最早時代遅れとなった十年前のテクノロジーに舞い戻ってその見返りに年あたりにして多くてまあ数千ドルを貰うことにしますかと問われても、人々にその覚悟ができているのか、私には甚だ疑問である…

この推測が妥当であるなら (そしてこれは推測の域を出るものでは無いのであるが)、要するに計測誤差仮説は何事か言うべきものをもっているという事なのだろう。とはいえ実証データの示唆するところでは、これが生産性瓦解の主因という訳ではないようである。