Alex Tabarrok “A Girl Named Florida” Marginal Revolution, July 9, 2008
レナード・ムロディナウの”The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules our Lives”(邦訳「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」田中三彦 訳)を読んだ。この本はモンティ・ホール問題,ベイズ理論,可用性バイアス,コントロール幻想等々を取り上げている。これらについて馴染みがない人にとっては,この本はこの上なく面白いものだろう。
他方,私としてはこの本から新たなことをたくさん学んだとは言えない。とは言え,それでもこの本には楽しませてもらった。うまく書かれてるし,興味深いネタに溢れているのだ(偉大な数学家であるポール・エルデシュは,ドアを変更すべきということを信じるのを拒んだ [1]訳注;モンティ・ホール問題を参照。 というのは知ってたかい?)。確率論や統計入門を教えている人にとっては,授業を活気づける良い例題をたくさん発見できることだろう。
私が目を引かれた問題は次のようなものだ。ある家庭に2人の子供がいると仮定する。両方とも女の子である可能性はどれだけか。そう,これはとても簡単。女の子である確率は2分の1,それぞれの確率は独立だから2人とも女の子である確率は2分の1×2分の1=4分の1だ。
それでは少なくとも1人の子供が女の子である場合,2人とも女の子である確率はどれだけか。1人が女の子なら,もう1人が女の子である可能性は2分の1なのだから答えは2分の1だ,と思わず言いたくなるところだ。でもこれは間違い。なぜなら2人の子供のうちどちらが女の子であるかは知らされていない。それによって違いが生まれる。正解への道筋は,一切の追加情報がない場合2人の子供の性別はそれぞれ確率の等しい4パターン,(男,男)(男,女)(女,男)(女,女)があるというのに気づくことだ。少なくとも1人が女の子であると知っている場合,(男,男)が除外されて確率の等しい3パターン(女,男)(男,女)(女,女)が残り,そのうち両方とも女の子であるパターンは1つだから答えは3分の1だ。
さあここで難題を出そう。ある家庭で2人の子供のうち1人がフロリダという名前の女の子である場合,2人とも女の子である確率はどれだけか。
一見すると,名前を知ることが違いを生むことはありえないように見える。間違いなくさっきと同じように答えは3分の1だ,と思うかい?なんにせよ全ての子供には名前があることだし。しかし名前を知ることは違いを生むのだ。ヒントはフロリダというのが珍しい名前であるということ。
References
↑1 | 訳注;モンティ・ホール問題を参照。 |
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