アダム・トゥーズ「中国はどこへ向かうのか? その1:権威主義の行き詰まり?」(2023年8月12日)

中国はどこへ向かうのだろう?

欧米でのインフレ劇(あるいは物価ショックと言うべきか)がほぼ一段落した今、世界経済の最重要問題は、中国の将来問題だ。

中国を取り巻く雰囲気は、この18ヶ月で劇的に変化した。ほんの少し前までだと、中国への印象は、畏敬の念というべきものだったが、今ではネガティブな見通しが支配的だ。こうしたネガティブな見通しは、データ、中国政府による公式報道、中国の内部通報者からもたらされる断片的情報、経済と政治の進捗についてのある程度までの妥当な仮説からなっている。これは、ブリコラージュ(間に合わせによる判断)かもしれない。しかし、現状ではこれが限界で、これ以外に見通しを形成する方法はない。もっとも、こうした状況下では、まず自身が偏見を抱いているのかをチェックしてみるのが良いだろう。

ポッドキャストの最新回では、カームと一緒に、中国の現状を理解することに挑戦している。

ポッドキャスト中国の経済危機

これは、一連のミニ連載記事の第一回目だ。中国について欧米では一般的な考察が行われているが、代表的な解釈をレビューしてみようと思う。以下の6つの解釈が、すぐに脳裏に浮かんだが、今回はその第一弾だ。

(1)第一回:体制の行き詰まり
(2)第二回:バランスシート不況
(3)第三回:ケインズ的構造主義
(4)第四回:二重循環、包囲経済
(5)第五回:後知恵としてのゼロコロナ政策
(6)第六回:中国は一体化されているのか? 複数地域の連合体か? 地域経済と債務危機

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中国からのニュースは芳しくないない。近年、経済成長は劇的に鈍化している。成長は、ゼロコロナ政策の影響でストップしてしまうことすらあった。ゼロコロナ政策は唐突に撤回されたが、その後の経済回復は、勢いを失っているように見える。住宅市場は危機的状況にある。中国は世界中を苦しめたインフレからは逃れたが、デフレの瀬戸際にあるように見える。

景気循環は、どんな最適なタイミングでも見通すのは難しい。インフレ指標の一つであるCPIは、今月デフレに転じたが、コアインフレ率は底を打ち、わずかに上昇したようだ

ここ数ヶ月、輸出は減少傾向にある。しかし、この減少は、2022年の世界的歴史規模での輸出記録からのものだ。当時の記録的な輸出と、その結果生じた貿易黒字を中国経済の健全さの兆候と解釈するのは、常に間違いだった。むしろこれは、中国の内需低迷の逆転現象だった。

中国経済についてネガティブな発言を多く聞くが、中国内外のエコノミストのほとんどが、年率5%で成長すると予測していることを念頭に置いておくべきだ。ファンダメンタルズはどうであれ、日本のような停滞からはほど遠い。

出典:ファイナンシャル・タイムズ紙

しかし、マスコミの掌返しの風潮を超えて、今、中国では非常に劇的な事態が生じている。我々は、経済市場での非常に劇的な軌道のギアシフトを目撃している。問題は、これをどう解釈するかだ。


欧米で中国を解釈している人のほとんどが、中国は基本的に政治に問題を抱えていることをあまりに当たり前としている。具体的には、習近平政権は予測不可能であり、これはイデオロギーに突き動かされているからであり、そうした行為自体が、中国政府の救いがない権威主義的な性質を反映している、というものだ。習近平政権は、景気刺激策で経済を再生しようとして務めているが、強い信念を欠いている、とされる。

こうした解釈は欧米では一般的だ。この数週間でも、アメリカのリベラルを代表する2つのメディア、ニューヨーク・タイムズ紙フォーリン・アフェアーズ誌で、袁莉(リー・ユエン)記者と、アダム・ポーゼンが、この典型例を示している。両者の論考は、スタイルも、情報源も、主張内容も違っているが、それでも、主旨は共通している。中国経済の問題は政治にある。そして、その問題の中核には習近平がいるが、彼だけに原因があるのではなく、システム全体に原因がある、といったものだ。

袁莉は、中国の実業家層との豊富な人脈に基づいて、「企業経営者」と政権との間に憤慨に満ちた対立(前者による党の最近の政策への憤懣やる方ない反発)と、それによって行き詰まりが生じているとの構図を提示している。

中国本土と香港の株価(中国の最大手民間企業の多くが上場している)は、木曜日〔2023年8月10日〕に下落したが、金曜日には回復した。一部の公式メディアでこの〔23年3月の共産党政権による民間経済を後押しする〕ガイダンスは称賛されている。しかし、私は、他の企業経営者らにインタビューしたが、英語だと「カモへの餌付けだ」と訳せるような言葉で、彼らは党の提灯記事を悪し様に批判した。中国の経済問題の根源に政治があるのはもはや露わになっている。信頼を回復するには、経営者層と私的所有権を真の意味で保護する制度改革が必要だ。習近平は、中国を解放させた政策を解体してしまった。この最高指導者の政治的アジェンダに中国共産党が固執するなら、紙上の約束は単なる言葉に留まり続けるだろう

袁莉のオフレコ取材に「企業経営者」は体制への不満をぶちまけている。

あるテック企業の経営者は、株式市場の反応は本音を示したものだ、と述べた。党の必死さと、党のガイダンスがいかに無意味かを投資家らは感じとったのだと、この経営者は語る。信頼性の問題で核心にあるのは、政府への信頼性にあるとも語った。中国政府はこの数年で、ほとんど全ての信頼を失ってしまったと言う。本気でこの状況を改善したいなら、少なくとも自らの過ちを認めて謝罪することはできるはずだ、と。彼は、文化大革命後に共産党が発表した、1949年から1976年までの毛沢東指導下での過ちを認める文章の一節を例にあげた。他の実業家は、迫害された幹部や知識人の更生など、当時の共産党が、今と同じような措置を取っていたと指摘した。実業家らは、最近の政府の弾圧で逮捕され、18年の懲役刑に服している、歯に衣着せない発言を行っていた実業家である任志強孫大禹は少なくとも釈放されるべきだと話す。他には、別の実業者は私に、政府は自分の会社に課した罰金を返金できるはずだ、と打ち明けてくれた。罰金は、党の方針に従わなかった罰と、過度に拡張した地方政府の歳入として機能している。自分は強盗に会った気分だと、彼は話す。もっとも、私が話を聞いた企業経営者らは皆、政府が〔最近の間違えた政策への撤回・謝罪〕措置を取るとは思っていない。彼らは、当局の処罰を恐れ、匿名を条件に打ち明けてくれた。

こうした企業経営者たちの悲嘆を、どこまで真剣に受け止めるべきかが難しい。彼らの意見は、一般的な意見を代表しているのだろうか? それとも、最も憤慨している人が欧米のジャーナリストと話す可能性が最も高いという選択バイアスが働いているのだろうか? また、不満を抱いた企業経営者らの不快感の表明は、ビジネスの現場での実態の反映なのだろうか? いずれにせよ、袁莉は、こうしたオフレコ発言を元に、中国政府と声高の一部経営者層との間で、信頼関係が崩壊しているかもしれないことを示唆している。2023年の夏、中国政府は企業経営者層の歓心を買おうとしているが、誰もが近年のジェットコースターを思い起こしている。

2021年、「誰もが感じることができる、深淵な変革が進行中!」との見出しの論評が最重要な公式メディアのウェブサイトに多く再投稿された。この投稿された論説では、民間部門の締め付けと、「共同富裕」と呼ばれる政策案が称賛され、「資本集中から、人民集中へのアプローチ転換である」と述べられた。

2023年春、中国政府は方針を転換し、民間ビジネス重視に回帰した。

習近平は、今年の3月になって、「私たちは、常に、民間企業や実業家を、自国の一部としてきました」と2018年と同じことを繰り返した。中華人民共和国国家発展改革委員会主任の何立峰は、財界リーダー達と相次いで会談し、支援を約束した。ほどなくして、31項目からなるガイドラインが発表された。中国の財界人のほとんどは、政府の支持と、政府の言うことに進んで従うと表明した。もっとも、国営メディアに掲載された一部財界人のコメントは、本音からの信頼表明というより、党への忠誠の誓いのようなものとして読まれている。香港とアメリカで弁護士業をしているベン・チウは、SNS上で、この財界人たちのコメントを以下のように要約した。「皇帝は素晴らしいお召し物をしてらっしゃる」。(…)現状、共産党がどのように応援歌を歌っても、民間部門に自信を与えるのは困難だろう。

袁莉は、中国の経済界で、事実上の「資本ストライキ」が蔓延していることを示唆している。そして、こうした事態は、中国の現代経済では民間部門が全体に大きな比重を占めているため、重要事となっている。

中国において民間部門は、税収の50%以上、経済産出量の60%、都市部の雇用の80%以上で貢献している。これは2018年、他ならぬの習近平による言葉だ

袁莉が、自身の主張を裏付けるデータを欲しているなら、中国経済の公的部門と民間部門の収支を追跡しているワシントンDCのピーターソン国際研究所の研究成果を利用できるかもしれない。

以上のデータが示しているのは、中国ではコロナ危機の初期に、国家による投資が優先投入されたにも関わらず、それ以降になっても民間部門での実質的な回復は見られない事実だ。少なくともここまではそうであり、袁莉に情報を提供した人らの悲観論は現実となっている。

ピーターソン国際研究所の所長は、アダム・ポーゼンだ。彼は、この数ヶ月、バイデン政権の産業政策を批判する世論の急先鋒として一躍有名となった。彼がフォーリン・アフェアーズ誌に発表した中国についての論文は、彼のこうした政治的立場から読まないといけない。アメリカ政府の積極的な〔中国への封じ込め的な〕貿易・産業政策は、中国の現状への根本的な誤診に基づいており、バイデン政権は、中国共産党の権威主義体制を打倒し弱体化させる機会を逸しているのだと、ポーゼンは懸念している。

ポーゼンは、習近平の中国は転換点を迎えていると指摘する。この中国の転換点を、袁莉は国家の歴史から見出しているが、ポーゼンは権威主義体制についての一般論理から見出している。ポーゼンによるなら、あらゆる権威主義体制は「原罪」と呼ばれる、深刻な事態に苦しむことになる。権威主義体制では、主権者の行動に対して信頼できる法的制約がないため、高い機能を持つ経済を維持できなくなるからだ。中国共産党は、1980年の改革以来、この恣意的な支配の誘惑に比較的長く持ちこたえてきたという点で、異例だった。しかし、習近平政権の3期目において、政権はついにこの普遍的な誘惑に屈しつつある。そして重要点が、中国社会全体もこの事実に気づきつつことにあるのだ、と。

ポーゼンは、有名なマルティン・ニーメラーの詩『最初に共産主主義者が弾圧されたとき』を引き合いに出しながら、大多数の中国人と、共産党政権との間とにあった契約が解消されたと述べている。大半の中国は「政治に関心を持たなければ、何も問題はない」といったモットーに集約できる見解で日々の生活を送っている、とポーゼンは主張する。政治から距離を置いて、自己利益だけを追求すれば、何者にも邪魔はされないのだ、と。習近平が、人口の7%に達する党上層部の腐敗した官僚に権力を行使した時、他の中国人は問題視しなかった。次に、習近平がテック系のオリガルヒを取り締まった時には、他の中国人は肩をすくめた、しかし、2022年のゼロコロナ政策という極端な政策は、権威主義体制の横暴で恣意的な論理を社会全体に拡散させたのだ、と。

確かに、2022年のコロナ政策のフィアスコ(大失敗)は、中国共産党政権の権威に深刻な打撃を与えた。しかし、マイケル・ペティスのような中国に批判的なアナリストは、その影響を長期的なものになるとしているのに対して、ポーゼンが今このタイミングで影響が表れているとしているしていることは着目に値するだろう。結局のところ、欧米諸国が、コロナの第2波、第3波を大幅に拡大させてなければ、中国政府は危機への勝利を誇っていた可能性もあったのだ。中国政府の政策は徹底したものだったが、ワクチン接種に関してだけは積極的でなかった。そして、政策は感染力が強い変異種に対しては効果がなかった。

いずれにせよ、ポーゼンは、コロナ・ショックの歴史的重要性を強調するだけなく、もうすぐマクロ経済の数値として新しい中国の不安定さを見ることができるだろう、と主張している。「中国の現状において、ウイルスそのものが、国の長い経済的コロナ・ショックの主要因となったのではない。主犯は、当局による極端な介入への一般市民の免疫反応であり、それにともなって経済も不活性化の反応を示した」。ポーゼンは、この新しい不安定性の直接的な反応として、家計部門の預金の劇的な急増を挙げている。

ポーゼンは、袁莉の指摘する投資ストだけでなく、中国社会全体に体制への恐怖から引き起こされた防衛的な退行があるとしている。

鄧小平が1970年代後半に中国経済の「改革開放」を開始して以来、中国共産党指導部は、ほとんどの権威主義体制が陥る宿痾――民間部門に干渉する衝動から非常に長期間にわたって逃れることに成功してきた。しかし、習近平政権下、特にコロナ・パンデミックが始まってからは、権威主義的な手法に回帰してしまった。(…)今や、毛沢東時代を除けば影を潜めていた覆い尽くすような恐怖、すなわち、財産や生活を一時であれ恒久的であれ、警告も申し立てもなく、失うことの恐怖が具現化している。(…)〔習近平政権の〕コロナ・パンデミックへの対応によって、人民が得られる生計や資産アクセスに最終的な決定権を握っているのは中国共産党であり、しかもその決定が、党指導部の優先事項の変更に応じて、恣意的とも思える方法で下されていることが明らかになった。

〔権威主義体制が陥る〕よくある話

中国の政治経済は何十年にもわたって誘惑に打ち勝ってきたが、習近平の下でついに独裁政権のおなじみのパターンに屈した。こうした独裁政権は、当初は「政治に関心を持たなければ、何の問題もない」とする方針を採用する傾向にある。しかし、2期目、3期目になれば、大抵の場合で支配者はビジネスについての懸念事項を無視し、短期的な目標を達成するための介入主義的な政策をとるようになっていく。(…)ベネズエラのウーゴ・チャベスや、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン、ハンガリーのヴィクトール・オルヴァン、ロシアのウラジーミル・プーチンなど、様々な時代で、お馴染みのルートを辿ってきている。

袁莉は、ポーゼンのような〔他国の独裁政権との〕比較歴史的な考察を避けているが、最近の記事で、似たような指摘を行っている。この記事で彼女は、中国社会は「不確実さの感覚」によって苦しんでいると強調している社会学者、孫立平を紹介している。孫立平は、清華大学で社会学を教えていて、最近退職した中国で有名な知識人だ
〔訳注:孫立平は、習近平の博士論文を指導したことでも有名〕

〔中国で〕「なぜ多くの人が、貯蓄し、消費を減らしているのか? なぜ野心的な起業家による長期的な計画や投資が行われないのか?」について、清華大学の社会学者、孫立平は、先月の記事で以下のように指摘している。「人々は不安を感じているからだ」。孫立平は、中国が低迷から抜け出すには、政府による安心できるビジネス環境を整備することの必要性を訴えている。(…)「民間企業が必要としているのは、経済的支援ではなく、法の支配による正常な社会環境だ」と言う。

孫立平は「法の再確認」を求めているが、ポーゼンの指摘によるなら、政権は正反対に向かっており、裁量的政策の強化によって緊急事態に対応しようとしている。

3月、中国の国会である全国人民代表大会は、立法手続きを改正し、緊急立法の成立で、ハードルを上げるのではなく、より引き下げ、成立の簡略化を計った。法案は、全人代常務委員会に所属する少数〔170人〕の党幹部の承認だけで成立が可能となった。

ポーゼンはこのように、中国では「信頼の崩壊」がスパイラル的に進行していると見ている。「信頼の欠如」は、政策への信頼を損なう。企業や家計は、文字通りの景気刺激策が行われても、〔政府の〕懲罰的な介入で台無しにされないだろうことを信じられなくなってしまっている。こうした信頼の欠如は、市場の政策への反応を鈍らせ、ボラティリティを高める。ボラティリティが高まれば、介入の必要性が高まる。ポーゼンは以下のように述べている。

ひとたび、独裁政権が、一般家庭や企業からの信頼を失ってしまえば、それを取り戻すのは難しい。良好な経済パフォーマンスへの復帰だけでは不十分だ。将来の妨害や収奪の危険性を晴らすことはできないからだ。独裁者のアキレス腱は、その自制心の欠如にある。自制心の抑制に真剣にコミットすることは、権力の乱用の危険性を認めることである。こうしたコミットメントの問題から、民主的な国家では、憲法が制定され、議会が予算を監視しているのだ。

〔ポーゼンによるなら〕中国は数十年にかけて権威主義体制への宿痾を回避してきたが、習近平はこの均衡を破壊し、停滞と農奴制への道に回帰しつつあることになる。これは極めてハイエク的なヴィジョンだ。

現代の中国を、ベネズエラになぞらえるのは突飛な見解と思うかもしれない。実際、ポーゼン自身、自身の指摘を文字通りそのまま適応できるとするつもりはないだろう。彼が、この耳障りな比較で試みているのは、欧米の観察者の盲点を糾すことにある。ポーゼンは、中国に関する欧米の見通しを根本的に否定的な方向に修正しようとしている。

ひとたび、独裁政権が、一般家庭や企業からの信頼を失ってしまえば、それを取り戻すのは難しい。良好な経済パフォーマンスへの復帰だけでは不十分だ。将来の妨害や収奪の危険性を晴らすことはできないからだ。独裁者のアキレス腱は、その自制心の欠如にある。自制心の抑制に真剣にコミットすることは、権力の乱用の危険性を認めることである。こうしたコミットメントの問題から、民主的な国家では、憲法が制定され、議会が予算を監視しているのだ。

ポーゼンが最も気に病んでいるのが、〔欧米の〕中国についてのアナリスト、特にワシントンの政策決定者たちだ。彼は、アメリカの中国への保護貿易主義と対立姿勢に危機感を抱いている。ポーゼンによるなら、これは危険な対応である。なぜなら、こうした対応は、戦争の危険性を増大させ、自傷行為であり、非効率・非生産性なものであり、習近平体制の強化に繋がるからだ。

欧米の政府関係者は、〔中国経済の〕予測を下方修正すべきだが、祝いすぎてもいけない。また、経済へのコロナ後遺症が、習近平の権力保持力を弱体化すると予測してはならない。(…)歪んだ現実認識によって、地方の党幹部や役人は、苦しんでいる民衆からの支持を、少なくともしばらくの間は取り付けられることが多くなっている。不安定な経済環境、地方の党幹部や役人に従えば、良い収入になるからだ(…)これは麻薬のようなもので、結果的に国家の庇護や雇用要求に応じるうちに、安全な選択肢は減少していくだろう。

こうした状況下で、ポーゼンが希望を見出しているのが、一部の中国人が政権への依存による安心感を放棄して、自己保険を選ぶ、つまり、習近平と中国政府による足枷から離反しようとしてる事実だ。

中国共産党が政策によって、国民の長期的な経済機会と安定性を低下させ続ければ、党への不満は高まるだろう。資力を持っている人の中には、すでに自己保険をかけている人もいる。不安に直面している彼らは、貯蓄を海外に移し、ビジネスにおける生産や投資をオフショア化し、中国より不確実性の低い市場に移住している。時間の経過とともに、中国の幅広い社会階層で、こうした脱出が魅力的に見えてくるだろう。

こうした中国の現状はアメリカにとって好機であるにもかかわらず、対立的な政策によって好機を逸しているとポーゼンは指摘している。

アメリカ政府は、中国にサンクション(制裁)で対応するよりも、サクション(吸引)の観点を持つべきだ。(…)合衆国は、緑の牧草地〔良いビジネス環境〕を求めて自国を去ろうとしている、中国の企業、投資家、学生、労働者と歩調を合わせて、これを(中国からの)貯蓄として歓迎すべきである。(…)中国の人材や資本への障壁をほとんど撤廃しても、アメリカの繁栄や国家安全保障は損なわれないだろう。一方、この撤廃によって、中国政府は、安定、自立、党の厳しい統制下での経済成長の維持が困難となるだろう。アメリカの現在の対中経済戦略は、対立的、制限的、懲罰的だが、これに変わる新しいアプローチを採用すれば、米中間での危険なエスカレーションのリスクは低下し、アメリカの同盟国と発展途上国の間での分裂も低下するだろう。このアプローチを採択するにあたって、アメリカではすでに中国の人々、貯蓄、技術、ブランドが歓迎されている事実を思い起こす必要がある(そして、それをあからさまに排斥するための封じ込め処置に反対しなけれならない)。(…)もしアメリカ政府が、(おそらく次の政権も対立の継続や、経済的孤立主義の拡大を選んで)独自路線を突き進むのなら、アメリカは他国に中国への封じ込めや障壁を採用するように圧力をかけるのではなく、少なくとも中国の市民やビジネスへの「出口車線(オフ・ランプ)」の提供を認めるべきだ。

ポーゼンが提案したいのは、個々の中国人に自らの意思で退席できる選択肢を提供することだ。冷戦から抜け出そうとする中国人のために、欧米諸国は、「出口車線」を開いておくべきだ、とする提案がそれを象徴している。「出口車線(オフ・ランプ)」は、プーチンとの和平条件の可能性について議論する際に、アメリカ政府内でよく話題に上がる言葉だ。


ポーゼンと袁莉による、中国のビジネス環境と中国経済の現状への幻滅という限定的なテーマで書かれているはずの2つの論説は共に、世界史の読解へとスパイラル的に拡張されている。

ポーゼンがフォーリン・アフェアーズ誌で発表した論考のサブタイルは、「よくある話」と題されている。これは文字通り、我々が中国で見ているのは、「よくある話」であるとする大胆な宣言である。この何気ない発言には、首をかしげたくなる。社会科学的には常識のように見えるかもしれないが、これは驚くべき発言だ。サミュエル・ジョンソンの言に寄るなら、アナリストが中国について退屈そうに肩をすくめながら「よくある話」と言ってしまえば、そうした人は、知的生命を終えたのではないか、とツッコミたくなる。

もし、ベネズエラやトルコの複雑な歴史が、中国の明確な先例となっているのなら、確かにそれは分かりきった知識の確認程度で済む話ではなく、驚異的で直感に反する重大な発見であると言える。〔ところが、実際には〕この手の比較例示は、再三にわたって、中国という国家プロジェクトのスケールの巨大さへの無知を晒している。我々がカジュアルに一般化している中国という国家は、人口において北米、南米、ヨーロッパの総計に等しく、革命期のDNAを直接継承し、危機の際にはソビエト連邦をお手本とすることで不可避の運命を主体的に回避することに成功してきた唯一の体制であり、歴史的にユニークでダイナミックな政党によって80年近くにかけて独創的で変革的に支配されてきた国家なのだ。

数日前のファイナンシャル・タイムズ紙でロバート・ハーディングは以下のように述べている。

中国経済は、安易な比較を跳ね除けてきた。過去40年間の成長が前例のないものであったように、現在の困難も(危機とまではいかないでも、問題を抱えているのは明らかだが、それは1990年の日本でも、1997年の韓国でも、2008年のアメリカとも違い、言うまでもなくベネズエラやトルコやロシアとも違い)比較できない。

中国社会の一部が、様々な理由から「自信の危機」に陥っているのは事実かもしれないが、早急に結論を出すべきではない。アダム・ポーゼンと袁莉は、「自信」や「信頼」を一般的な用語として使用しているが、彼・彼女らのストーリーでは、実際に3つの異なるグループがもとになっている。まず、中国の家計部門だ。これは主にポーゼンが取り上げている。中国の家計部門は、富裕層――ほぼ最上位都市に集住する上位階層25%からなっている。彼らは、中国におけるほとんどの個人支出と貯蓄の担い手である。次のグループが、企業経営層トップだ。彼らは当局に従っているが、これは事業主体としては巨額の投資資金を有しているため、政権から容易に監視されている対象だからだ。最後のグループが、袁莉にコメントを寄せた、匿名の「企業経営者」らだ。この匿名の「企業経営者」の見解は一致していると見なせるほど大規模ではないが、ニューヨーク・タイムズ紙の特派員の関心を引く対象であり、掲載する価値がある重要なものとなっている。

こうした基礎的な社会学的区分の向こう側には、資格党員、地方閥関係者、銀行やその他資金源との組織的な関係者といった問題が横たわっている。最終的に我々が知りたいのは、こうしたグループにおいて、どのような人物がどれだけ消費と投資の金額を費やしているのか、そしてどのような動機に基づいているのか、ということだ。彼らは、何を購入しているのか? どのようなプロジェクトに関わっているのか? それらはマクロのデータにどの程度まで反映されているのか? 事業主体の自信感が揺らいでいるとしても、大規模な民間企業と、袁莉によってルポされた不満を溜めている無数にある小企業との間には明確に溝があるが、このバランスはどうなっているのか?

中国の現在の停滞の根本的な原因を見極めるために、我々が知らなければならないのは、何よりも民間企業の投資がどれだけ落ち込んでいるかだ。これは、複数部門にまたがった問題であることからポーゼンは把握を最初から放棄している。中国では、不動産が家計部門における富の主要な貯蔵手段となっているため、習近平や中国共産党、そしてその支配の気まぐれさをどのように解釈するかより、不動産部門の実態こそが不確実性の主な要因になっているかもしれないのだ。袁莉による記事は、一番最近の景気刺激策と株式市場についてのものであり、不動産危機についての解説は踏み込みが浅く期待に沿うものとなっていない。フォーリン・アフェアーズ誌のポーゼンの記事では、中国の不動産市場での出来事についてほとんど触れられていないことに驚かされる。

一見して、これ〔袁莉とポーゼンの不動産市場の無視〕には二重に驚かされる。不動産の落ち込みは、政権の気まぐれさを示す最も重要な証拠に見えるからだ。中国の不動産ディベロッパーの多くが、2020年8月に発表されるいわゆる「三道紅線(3つのレッドライン)」政策を、政権による傲慢さのピークと見ているからだ。しかし、そうした〔ディベロッパー側の〕解釈を、額面通りに受け取る前に、〔アメリカで〕サブプライム住宅ローンの貸し手や不動産担保証券(MBS)のディーラー、AGIの株主が、2007~2008年にかけて金融危機の懸念について何と言っていたのかについて、少し思い起こしてほしい。生じつつある経済危機を追跡するには、誰の意見を額面通りに受け止め、誰の意見を無視すればいいのだろうか? 意見の重要度合いは、経済における権力の大きさによって左右されている。しかし、権力を持っていないからといって、そうした人の意見を無視しても良いのだろうか?

ポーゼンが住宅危機(現在の中国経済の不確実性において圧倒的に重要な原因)を論じてないことは不可解だ。これは思うに、自身の論と矛盾しているからだ。彼は自身の包括的なテーゼ――権威主義的な政権こそが、現代中国の中産階級にとって主要なリスク源であり、習近平政権の権威主義化こそが中国の持続的な経済成長を阻害している――を提示するあたって住宅危機の問題が矛盾していることに気づいている。マイケル・ペティスが説明しているように、技術的な水準では、ポーゼンが根拠としている貯蓄率の数値は、不安を抱えた家計の貯蓄率の上昇と、リスク資産からの逃避という両面の反映となっており、住宅リスクと密接に関連している。つまり、貯蓄率の数値は、一般的な不確実性だけでなく、具体的な指標にもなっているのだ。これ〔貯蓄率の上昇〕は、政権の抑圧的な傾向や、イデオロギー的な意図が、民間企業や個人にとってリスク源になっていることを否定するものではない。政権はリスク源になっているかもしれないが、利点や保護も提供している。そして、そうした利点や保護は、単なる気休めではない。ポーゼンによる筋書きでは、〔中国は、政権の家計や企業に対する〕抑圧的な関係性が加速する下降スパイラルに陥っているとされるが、そのように感覚的に一般化することはできない。部門別のパフォーマンスは単なる細部ではない。全てが重要だ。決定的な要素は、中国政府の政策が正しいかどうかであり、それは官民の単純な境界を超えた政策と、政治経済の具体的な問題の反映となっている。これらのより複雑な利害のバランスは、コロナ・パンデミックへの対処、不動産危機、債務危機、アメリカとの経済戦争において決定的なものとなった。これらについては、この連載シリーズでテーマとする予定だ。

[Adam Tooze,“Chartbook 232: Whither China? Part I – Authoritarian impasse?” Chartbook, 12 August, 2023]
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