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アレックス・タバロック「本日の政治的に正しくない論文: ユナイテッド・フルーツ社は善玉だった!」(2019年11月12日)

[Alex Tabarrok “Politically Incorrect Paper of the Day: The United Fruit Company was Good!” Marginal Revolution, November 12, 2019

ユナイテッド・フルーツ社〔現チキータ〕といえばラテンアメリカの悪鬼,新植民地主義のきわみだ.たしかに,ユナイテッド・フルーツ社の歴史には悪しき行いもあるし,各種の陰謀論のネタには事欠かない.でも,ユナイテッド・フルーツ社はラテンアメリカにバナナを(輸出作物として)もたらしたし,観光旅行ももたらした.多くの場合には,ラテンアメリカのあちこちによい統治ももたらした.こうしたことの多くを左右したのは,ユナイテッド・フルーツ社の操業地域内の制度的な制約だ.Esteban Mendez-Chacon と Diana Van Patten(雇用市場研究)は,コスタリカにおけるユナイテッド・フルーツ社に着目している.

ユナイテッド・フルーツ社は,遠く離れた場所に労働者をもちこむ必要があった.そこで,同社は労働者の福利厚生に大きく投資した.

(…)ユナイテッド・フルーツ社は衛生インフラに投資し,保健プログラムを立ち上げ,従業員に医療診断を提供した.インフラ投資には,水道管・飲用水システム・下水システム・街灯・砕石舗装された道路・堤防も含まれていた (Sanou and Quesada, 1998).さらに,1942年までに同社はコスタリカ国内で3つの病院を運営をはじめていた.

(…)大農場が遠隔地にあり,また,輸送コストを削減する目的もあって,ユナイテッド・フルーツ社は従業員の大多数に同社敷地内にある無料の住宅も提供した.これは,マラリアや黄熱病のような病気の懸念が動機の一部になっていた.集団が大農場の外から絶え間なく通勤していると,こうした病気は簡単に拡大してしまう.1958年まで,労働者の大多数はバラック式の建物で生活していた.(…)こうした住居は,多くの近隣コミュニティの生活水準よりも高かった (Wiley, 2008).

ユナイテッド・フルーツ社は,たんに健康な労働者に関心を持っていただけではなく,安定した家庭をもった労働者を引き寄せる必要もあった:

(…)同社が労働者の集落に提供したサービスはさまざまだった.そのなかには,従業員の子供たちの初等教育もあった.学校のカリキュラムには,職業訓練も含まれていた.また,1940年代以前は大半が英語で教えられていた.初等教育に力を入れたのは際立っていた.バナナ地域で児童労働は普通のことでなくなった (Viales, 1998).1955年までに,同社はコスタリカにある同社の土地に62校の小学校を建設した (May & Lasso, 1958).図6a に示すように,1947年から1963年まで,ユナイテッド・フルーツ社が運営する学校で児童一人当たりに投じた支出額は初等教育への公共支出を上回っていた.平均で見ると,この期間に同社の年間支出は政府による支出よりも23パーセント高かった.

(…)ユナイテッド・フルーツ社は中等教育を直接に提供こそしなかったが,いくらかのインセンティブは提供した.親が子供にアメリカの中等教育を2年受けさせるお金が出せる場合には,ユナイテッド・フルーツ社が残り2年分を支払い,アメリカと行き来して学校に通う無料の交通手段も提供した.

ユナイテッド・フルーツ社による投資を促した主要な要因は次の点にあった.たしかにユナイテッド・フルーツ社は操業地域内でこそ唯一の雇用主ではあったけれど,他の地域から労働力を獲得するために競争せざるをえなかったんだ.1925年に,同社の報告書はこう記している:

会社の各種医療にとどまらず,いっそうの福利厚生に投資することを我々は推奨する.従業員人口を安定させるための試みがなされるべきである(…).たんに魅力的で快適な従業員集落を建設・維持するのにとどまるべきではない.さらに,既婚男性の家族に手当てする各種の手段も提供しなくてはならない.それには,庭園設備・学校・なんらかの娯楽を集落に備えさせるといった方法がある.つまり,今後も従業員たちの献身をえたいとのぞむのであれば,彼らに関心を寄せねばならない.

これこそ,不当にも中傷されてきたアメリカの企業城下町がサービスとインフラを提供するのを促した力学だ.また,これこそ,ジャムシェトジー・ヌッセルヴァーンジー・タタがつくったインドのジャムシェードプルの企業城下町にRajagopalan とぼくが見出したものでもある.

コスタリカのユナイテッド・フルーツ社は1984年に終わりを迎えたが,著者たちによれば,同社は長期的なプラスの影響を残したそうだ.歴史記録を利用して,ユナイテッド・フルーツ社の地域とそれ以外の地域とを区切る,おそらくランダムに決定されただろう境界線を見出した著者たちは,その境界線の内外の生活水準を比較した.すると,今日,境界線の内側の世帯は,外側の世帯にくらべて,よりよい住宅・衛生条件・教育・消費を享受していることがわかった.全体として:

本研究では,同社が生活水準に永続的なプラスの影響をもたらしたことを見出した.ユナイテッド・フルーツ社の操業地域は,近隣の反実仮想的な地域〔ユナイテッド・フルーツ社の操業地域でなかった以外の条件がよく似ている地域〕に比べて,1973年に貧しくなる確率が26パーセント低く,その差は30年間にわたって63パーセントしか埋まらなかった.

論文には付論がなんと A から J まで付けられている.そのうちのひとつでは,著者たちは衛星データを用いて,境界内の地域の方がそのすぐ外側の地域よりも夜間の明かりが多いことを示している.このデータの収集はとりわけ目を見張る.

ユナイテッド・フルーツ社が営業していた時期の生活水準と投資をよりよく理解するために,本研究では,賃金・従業員数・生産に関するデータや教育・住宅・保健への投資に関するデータを記した同社のレポートを電子化・収集した.こうしたレポートは,コーネル大学・カンザス大学・中央アメリカ歴史研究所が保有するコレクションから得られた.また,ユナイテッド・フルーツ社の医療部門が出した年間レポートも利用した.このレポートには,衛生・保健プログラムや,同社が運営した病院で1912年から1931年までに患者一人当たりに支出していた額が記載されていた.また,コスタリカ統計年鑑からのデータも収集した.この統計年鑑は,1907年から1917年まで,コスタリカの病院が行った保健支出と患者の人数が詳しく記載されている.そうした病院には,同社が運営していたものも含まれる.輸出データも,こうした年鑑や輸出広報から収集された.1900年から1984年までのあいだに行われた19件の農業国勢調査からは,土地利用に関する情報が得られた.また,本研究では1964年から1984年までのコスタリカ国勢調査から得られたデータを用いて,人口全体のパターンを分析した.たとえば,ユナイテッド・フルーツ社全盛期とそれ以前の移民動向や,同社の労働力の規模と職務分類などの分析である.

全体として,とてつもない論文だ.


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