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アレックス・タバロック「1918年-1919年のパンデミックで有効だったのは?」(2020年3月7日)

[Alex Tabarrok, “What Worked in 1918-1919?” Marginal Revolution, March 7, 2020]

1918年のインフルエンザパンデミックは,人類を苛んだ史上最大の感染拡大だった.死者数は世界でおよそ 4,000万人にのぼった.これには,合衆国での死者 55万人も含まれる.現代のパンデミックに対して,公衆衛生対応策と並行して公衆衛生の便益を最大化しつつパンデミックが社会にもたらす混乱の影響を最小限にとどめようとの対応を計画するにあたって,1918年~1919年のパンデミックから得られる教訓は適用できるだろうか?


これが,Markel et al. の 2007年論文が立てた問いだ.同論文では,1918年~1919年にインフルエンザを鎮めるべく合衆国の43都市(当時の合衆国人口の約 20% におよぶ)でなされた対応とさまざまな結果に関する歴史データを収集して分析している.

医薬品以外の介入がなされた(「オン」)かなされなかった(「オフ」)かを,日刊紙の記事や歴史記録から得られたデータをもとに判定した.具体的に言うと,法的に施行されて都市の住民の大部分に影響を及ぼした医薬品以外の介入には次のようなものがあげられる.[1] 症状の出た人々の隔離と,感染者と接触した疑いのある人々の検疫に数えるものは義務的な命令のみで,現代で論じられる自発的な隔離・検疫はこれと区別される.[2] 学校の休校は,都市の当局が公立校(小学校~高校)を休校にしたときにのみ「介入がなされた」と判定された.私立校や教区学校は,全校ではないものの大半が公立校の休校を踏襲した.[3] 集会の禁止とは,サロン・公共の娯楽施設・スポーツの催しのことを意味した.屋内の集会は禁止されるか屋外に変更された.当該期間に,屋外の集会は必ずしも禁止されなかった(e.g. リバティ債〔合衆国で発行された戦争債〕のパレード).食料品店や雑貨店での買い物を禁止したという記録はなかった.

著者たちの定義では,「公衆衛生対策時間」(“public health response time”) とは,超過死亡数がベースラインの2倍となった日から,主要な3つの公衆衛生対策のうち少なくとも1つが実施された日までの期間を指す.ごく早期から対策をとった都市では,この公衆衛生対策時間はマイナスとなる.基本的な結果を,下記の図に示してある.公衆衛生対策時間が長くなればなるほど,超過死亡数の合計は大きくなっている(矢印は最小二乗推定値を示す).

さらに,他の要因を揃えて比較するのは困難ではあるものの,休校措置・隔離検疫・集会禁止を組み合わせて用いた都市ほど,概してうまくやっている.一部の都市は,公衆衛生対策を緩めた.そうした都市は,超過死亡率の双峰分布と相関しているように見える.すなわち,死亡率は上昇した.集会禁止を解除し休校を一時的に解いた都市の一例であるデンバーでは,いったん低下した超過死亡率が上昇している.

著者たちの結論:

(…)1918年~1919年の期間に合衆国の諸都市で医薬品以外の介入でなされた経験から,病原菌理論以後の現代で収集されたデータセットとして最大級のものがえられている.

(…)こうした都市コミュニティには,有効なワクチンも抗ウイルス薬もなかった.それでも,パンデミックが都市全体に広まる前に古典的な公衆衛生介入を一揃いまとめて立案・実行した都市では,それに関連する疫病の経験が緩和されている.我々の研究からは,医薬品以外の介入は,将来の深刻なインフルエンザ・パンデミック(カテゴリ4および5)においてその帰結を緩和するのに決定的に重要な役割を果たしうることがわかる.効果的なワクチン開発・予防・治療と併せて実施されるべき対応の計画に,こうした介入も含めるべきである.また,合衆国における疫病の歴史は,倫理的・人道的な原則に沿ってこうした衛生対策がなされたとき,人々は対策をよりよく受け入れるという警告も発している.

追記: 言い換えると,中国は合衆国モデルを踏襲しているわけだ.いまの合衆国に同じことができるだろうか?


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