[いままで記事の冒頭に閲覧注意の警告をおいたことなんてなかったけれど,いまの状況では,子供を授かる予定がある人たちがここに出てくる情報を読むと不安を覚えたり気を悪くしたりするかもしれない.いまのパンデミックが1918年当時ほど悪くなるとは思わない.また,天気がぼくらにとって良い方にはたらくことを願っているし,タイラーが論じたようにアメリカが本格的に対応をはじめることも願っている.ぜひ,「1918年-1919年のパンデミックで有効だったのは?」(原文)も読んでほしい.あちらにはもっと前向きなメッセージがある.]
1918年インフルエンザパンデミックがアメリカでもっとも猛威を振るったのは,1918年10月のことだ.その後4ヶ月間でインフルエンザによって死亡した人々の数は,20世紀に戦闘で死亡したアメリカ人の数を超えている.パンデミックは急速に展開する.このため,生まれるタイミングがほんの数ヶ月ちがっただけで,赤ちゃんが子宮内で経験する環境は大きく異なっていた.とりわけ,1919年生まれの赤ちゃんたちは,1918年生まれや1920年生まれの赤ちゃんたちよりもずっと大きな度合いで,子宮内でインフルエンザにさらされることとなった.1918年インフルエンザによって急激に相違が生じたことで,ダグラス・アーモンドは長期的な影響を検証する機会を得た.その成果が「1918年インフルエンザ・パンデミックは終わった過去か?」だ.
アーモンドは,〔赤ちゃんがインフルエンザに〕接触してから何十年ものちに大きな影響が見られるのを発見している.
1960年・1970年・1980年の国勢調査の記録を見ると,〔1918年パンデミック当時の〕胎児の健康状態は,ほぼあらゆる社会経済的な結果に影響している.パンデミック当時に子宮にいた場合,男女ともに学業成績が不連続的な大幅低下を示している.感染しいた母親の子供は,高校を卒業する確率が最大で 15% 低くなっている.男性の賃金は,感染によって 5~9% 少なくなっている.社会経済的な地位は(…)大幅に低下していて,貧しくなる確率は,他の世代に比べて 15% も上昇している.公共の福祉受給額も同じく上昇している.
一例として,下記のグラフを見てもらいたい.これは,1980年時点の男性の身体障害率を示している.1980年当時に60歳前後だった男性を生まれた四半期別にまとめてある.1919年の1月~9月に生まれた世代は,「パンデミック当時に子宮内にいた.この人々は,61歳で身体障害をもつ確率が 20パーセント高くなると推定される(…).」
さらに,下記の図3 は,1960年の平均就学期間〔学校に通った年数〕を示している.ここでも,1918年生まれの人々では明らかに年数が下がっている.ここで留意してほしいのが,当時妊娠していた女性がみんなインフルエンザに感染したわけではない点だ.つまり,〔当時の赤ちゃんが〕インフルエンザに接触した実際の影響はこれよりもっと大きく,就学期間がおよそ5ヶ月短くなっている.その大半は,卒業率の低下というかたちで現れている.
身体障害率が高くなり教育水準が下がるということは,政府が支払うお金がもっと増えるということだ.これを示しているのが下記の図だ.
アーモンドは,こうした支出に福祉給付のラベルを付けているけれど,これは少しばかり誤解を招くラベルかもしれない――これらは1970年だと社会保障障害給付 (Social Security Disability payments) だった.アーモンドは次のように記している:
女性と非白人への平均支払額をプロットしたのが図8だ.平均福祉給付は,女性も非白人も1919年生まれで12パーセント大きくなっている.母親がインフルエンザに感染した子供では,およそ3分の1高くなっている.四半期にわけて生まれたタイミングに注目すると,こうした支払い額の増加は,1919年の4月から6月に生まれた人々への支払いが大きくなっていることで生じているのが明らかになる.
とくに障害の度合いが高い男女は1970年以前になくなっていたかもしれない.つまり,ここで言われているのは障害の影響の最低ラインだ.
アーモンドは他に考えうるさまざまな要因を検証して除外しているため,子宮内での接触が重要に思える.たとえば,1918年の子供たちは,1920年の子供たちとさして変わりがないように見える.つまり,インフルエンザで体の弱い子供たちが1918年にバタバタと亡くなってしまったわけではない.
アーモンドは,たんに歴史のいちエピソードとして1918年パンデミックに関心を抱いたわけではなく,乳幼児の健康と乳幼児の保険プログラムは費用対便益の比率が高いと主張するためでもあった.後者は,いまなお意義のある教訓だ.
多謝: Wojtek Kopczuk.