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クロディアナ・イストレフィ「金融政策決定者を選ぶ:Fedから学ぶ3つの教訓」

Klodiana Istrefi “Choisir les décideurs de la politique monétaire : trois leçons de la Fed” Bloc-notes Eco, Banque de France, 16 mai 2018

今日においては,金融政策は一般的に委員会によって決定されている。米国の連邦公開市場委員会(FOMC)の歴史は,経済に関するFed議長の信条及び金融政策に関する委員会の選好の重力中心が意思決定において重要であることを示している。


図1:連邦公開市場委員会におけるタカ派とハト派(1960-2015) 出典:Istrefi (2018)

注:タカ派とハト派の差は,委員会の各会合におけるタカ派の割合からハト派の割合を引いたもの(議長は除く)。図の背景色は議長の立ち位置を示し,赤はタカ派,青はハト派となっている。

今日では金融政策は委員会によって決定されている

「三人寄れば文殊の知恵」とよく言われる。集団は,知見の共有,意見の多様性により,または集団が過激派や一個人による独裁権力に対する砦となることにより,各個人よりも優れた意思決定を行うものとされている。この命題に従い,今日において金融政策の決定は一般的に委員会における討議と投票によってもたらされており,その例として連邦公開市場委員会(FOMC),欧州中央銀行理事会,イングランド銀行金融政策委員会(MPC)が挙げられる。

委員会による政策策定は集団意思決定の内に人々の異なる見解をまとめるものであるため,市場は政策の将来経路を占うために委員会の各委員の人物像に大きな注意を払う。このプロセスは複雑で,複数の問題や不確実性を抱えるものだ。金融政策決定者の選定,委員会の内部における意見の力学,金融政策に対する影響という点について,米国の金融政策決定集団であるFedとFOMCの歴史は非常に示唆に富むものだ。FOMCは12名の投票権者,すなわち7名の理事,常任で投票権を持つニューヨーク連銀総裁及び1年毎の輪番で選ばれる11名の地区連銀議長のうちの4名から成っている。

1.政策決定者には「タカ派」と「ハト派」が存在する

Fed議長の選定の歴史から得られる教訓に基づき,Romer et Romer (2004)は,Fed議長としての意見についてはその議長がFedに加わる前の経済的信念を示すナラティブな文書(書籍,証言,演説)がとりわけ示唆に富むことを示した。著者らは一例として,ウィリアム・マチェスニー・マーティンJr.,ポール・ヴォルカー,アラン・グリーンスパンが議長就任前に表明した経済に関する意見が,彼らが議長としての任期の中で支持した意見,実施した適確な措置の優れた予測をもたらすものであると主張している。G.ウィリアム・ミラーの見解もまた,彼の任期中に見られた政策とその結果(著者らによれば大部分が惨憺たるものだった)をよく示すものであったが,上院での承認の際にはほとんど注目されることはなかった。

Romer et Romer (2004)の提唱するアプローチは,当然ながら金融アナリストや金融政策ウォッチャーが将来の政策を見通そうとして日々行っていることだ。経済的信念や採択する戦略への偏重を簡単に示すため,Fedを注視するアナリストたちは「タカ派」と「ハト派」という言葉を用いており,タカ派はインフレとの戦いを優先事項とする中央銀行家で,ハト派は生産と雇用を優先する中央銀行家とされている。

Istrefi (2018)は,FOMC内でタカ派及びハト派と評価される人物を集めて数量化した。これらの評価は,1960年から2015年にかけてのすべてのFOMC委員に関して米国内の新聞および金融レポートから得られた情報を用いて構築した。タカ派-ハト派方式を構築するにあたり,各委員の金融政策に関する選好を示す文章を見つけるため,130人の委員に関して30以上の新聞から約20,000件の記事ないしレポートを読み込んだ(テキストマイニングによるアルゴリズムではなく,人間による読解)。これら文章を,FOMCの各委員についてタカ派ないしハト派的な評価を抽出するために数量化した。これらの評価はFOMC各委員の全任期に渡って年ごとに追跡した。

Fedには金融政策の二つの責務がある。すなわち,雇用の最大化と価格の安定だ。当時の評価,たとえばメディアで表明されたそれは,あるFed議長はインフレとの戦いを優先するタカ派(アーサー・バーンズ,ポール・ヴォルカー,アラン・グリーンスパン,ベン・バーナンキ),別の議長は更に成長と雇用を推し進める(G. ウィリアム・ミラー,ジャネット・イエレン)と予期されていたことを示している。例えば,レーガン大統領がポール・ヴォルカーに代えてアラン・グリーンスパンを任命した際,ニューヨークタイムズ紙(1987)は次のように書いた。「…ヴォルカー同様,(彼は)インフレファイターを自認し,国内のマネーサプライの過剰な成長がインフレの主要な要因であると考える」 Istrefi (2018)によれば,FOMCにおける全任期を通じ,マーティン,バーンズ,ヴォルカーはタカ派であるとみなされたのに対し,ミラー,バーナンキ,イエレンはハト派とみなされた(図1の背景色が赤のところと青のところを参照)。

2.政策決定者は時とともに態度を変えることもある

アラン・グリーンスパンの立場に対する評価は彼の任期中に変わった。彼は当初はタカ派であるとされたが,1997年からはハト派とみなされるようになり,2004年には再度タカ派となった。評価が転じたのは彼だけではない。1960年から2015年の間のFOMC委員の4分の1近くがそうだったのだ。Bordo et Istrefi (2017)は,1970年代の大インフレ期,1990年代初頭にインフレ目標が議論になった時期,1990年末にアラン・グリーンスパンが1990年代中頃ののインフレと生産性加速について意見を表明した後に分類に大きな変化があったことを示している。例えば2002年,ウォールストリート・ジャーナルは次のように書いている。「コーン氏の見解は,経済がインフレに火を付けずにどれだけ早く成長するか見たいとして近年ハト派とされるようになったグリーンスパン氏のそれに近いとFed元職員は述べた。」

3.委員会の重力中心は重要,委員会の運営と同様に

FOMC内におけるタカ派とハト派の差は,非常に多くの場合,選好の重力中心はFed議長の選好と一致していない(図1)。この不一致は,主にマーティン,ミラー,ヴォルカー,バーナンキの任期においてみられる。1960年以降の金融政策の歴史に関するナラティブな文書やインフレの進展は,こうした不一致が ある時期においては 金融政策にとって決定的に重要であったことを示している。

最も重要なことは1960年代に起きた。Meltzer (2005)は,大インフレは実質的に当時のFed議長の人格とFOMCの経済的信念に起因するとしている。Meltzerによれば,ウィリアム・マーティンは最終的に大インフレを招いた金融政策を実施するのに一番程遠い人物であったようだ。ウィリアム・マーティンはFed議長を最も長く務め(1951-1970),インフレと戦うタカ派とみなされ,その任期中Fedは低く安定したインフレという非常に良い結果を示した。しかし,ウィリアム・マーティンは金融政策はコンセンサスによってもたらされるべきであると考えていた。また,図1のタカ派とハト派の差が示すように,1963年から1965年にかけてFOMCは大きく分裂していた。戦略に関する意見の不一致は数多く,最大で5人の委員が同じ会合で緊縮的な政策と緩和的な政策を主張した。インフレの上昇とFOMCの分断に対し,ウィリアム・マーティンは討議,出来事,そしておそらくは仲間意識がコンセンサスを形成すると考え,多くの場合事態を見守った。Meltzerは,こうした状況がインフレに対処するための迅速な意思決定を遅らせたのだとしている。


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