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サイモン・レン=ルイス「労働党の財政政策ルールはネオリベラルか?」(2019年6月11日)


[Simon Wren-Lewis, “Is Labour’s fiscal policy rule neoliberal?” Mainly Macro, June 11, 2019]

労働党の財政信認ルール (Fiscal Credibility Rule; FCR) に対して「ネオリベラルだ」という批判が出ている.批判しているのは左派の一部,とくに現代金融理論 (MMT) という運動の支持者たちだ.MMT という名称を聞いてもなんのことかいまひとつわかりにくいけれど,主流とはちがう左翼のマクロ経済学の学派だ.MMT の主導者のひとりであるビル・ミッチェルはブログで財政信認ルールに対してはげしい批判を展開している.ジョナサン・ポーツと私の共同研究が財政信認ルールを支える知的な基盤を提供する助けをしたいきさつがあるので,ここで「財政信認ルールはネオリベラル」批判を馬鹿げていると思う理由を説明したい.

MMT が最大の影響をおよぼしているのはアメリカでのことだが,その一方で,労働党左派のあいだでも論議が活発になってきている(e.g. 賛成論反対論).ここでは,門外漢向けに,MMT のどういう側面が労働党の財政ルールを目の敵にするのにつながったのかを解説しよう.MMT の主要な考えはこういうものだ――「財政政策(税や政府支出を変える政策)は,中央銀行が金利を設定するのよりもマクロ経済を安定させるのに適している.」

ほぼ例外なく,先進国では独立した中央銀行が金利をもちいて経済の産出とインフレを制御している.イギリスの場合,イングランド銀行に課される責務(インフレ目標はどれくらいで,それをどれくらいすばやく達成するのか)を決定するのは財務大臣だ.もし財務大臣がインフレ目標を高くしたりそもそもインフレ目標そのものをなくしてしまったりしたければ,そうできる.だが,財務大臣が課した責務をいちばん達成しそうな金利がどれくらいなのかを実際に選ぶ毎月毎月の仕事は金融政策委員会 (Monetary Policy Committee; MPC) に委ねられている.この金融政策委員会は,イングランド銀行内部の人間と財務大臣が指名する外部の人間で構成されている.

「どうして金利の設定が金融政策委員会に委ねられているの?」 この金利の選択を正しく行うのは,きわめて専門的な仕事で,さまざまな予測やマクロ経済モデルの詳細な議論が必要になる.金融政策委員会がうまく機能しているときには,その強力な専門知識が俎上に載せられて意志決定の助けに使われる.

こうした専門家たちが秘密裏に財務大臣に自分たちの助言を与えて,その助言を採用するか却下するかを財務大臣にまかせるやり方もありえる.ただ,これには危険がともなう.財務大臣が党政治の事情・動機をもちこんで彼らがやることに影響を及ぼし,経済をそこなう恐れがあるのだ.イングランド銀行が独立する数年前に,大蔵省内部のとある人物がかつて私にこう語ったことがある――財務大臣も金利を上げねばならないことは認識していたけれど,党大会の前に利上げするのはとても無理だったんですよ.

今日のやり方の根本的な問題は,グローバル金融危機の最中に起きた.金利が下限にまで下がってしまったのだ.そうした国々の中央銀行は,さらに金利を下げるのは効果的でなくリスクがあると考えた.こういう場合,金利以外のなにかで経済を刺激する必要がある.イングランド銀行はさまざまな方策を試した(たとえば量的緩和).だが,そうした方策はどれもうまくいったりいかなかったりだった.それまで試みたことがないものだったからだ.

2009年に労働党政権のもとで,金融政策ではもはや安定してなしえない刺激をもたらすべく,財政政策が用いられた.だが,2010年には連立政権が選挙で選ばれて,財政刺激から緊縮策に転換した.緊縮を採用した結果はイギリスでも他の国々でも破滅的だった.大半のマクロ経済学者たちは2010年の時点で緊縮に反対していたし,その後,緊縮の影響がはっきりしてくるとともに,反対する学者は増えていった.

いまや,金利が下限に達したときには経済を大きく刺激するのに財政政策が必要になるということは,大学の経済学者たちのあいだでは通説になっている.労働党の財政信認ルールは,世界で初めてこれを定式化したものだ.金利が下限に達した遠きには,通常のルールは停止されて景気後退を終わらせるのに十分なだけの財政刺激がなされる.このように,労働党のルールは緊縮が再び起こるのを防ぐよう設計されている.

MMT は,そこからもっと踏み込みたがっている.MMT は,金融政策が無力になったときにかぎらずいつでも経済の安定に財政政策を使うのをのぞんでいる.問題は,現行制度と同じくらいそのやり方がうまく機能するのかどうかだ.大半のマクロ経済学者たちは,可能なときには金利を用いる方を優先する.なぜなら,金利はすばやく動かせるからだ.また,金利は専門家たちに意志決定を委ねやすくしてくれる.繰り返すと,専門家たちに委ねることで,マクロ経済の安定化に党政治が横やりを入れるのを避けられる.だが,現行制度には明らかな欠点がある.それは,金利が下限に達したときには機能しなくなるということだ.そこで,ひどい景気後退が起きたときには財政政策に切り替えなくてはいけない.労働党の財政ルールは,この切り替えを政策に内蔵させている.

ここまで読み続けてくれた読者ならきっとこう判断していることだろう――「財政政策をいつでも使うのか金利が下限に達したときにかぎるのかをめぐる MMT と主流マクロの論争は,かなり専門的でマクロ経済学者どうしにまかせておくのがいちばんいい.」 その結論は正しいと私は思う.だが,どうして多くの MMT 論者たちは労働党のルールをネオリベラル呼ばわりするんだろう? これを理解するには,MMT がマクロ経済学のたんなる一学派とはとても言えない点を理解しないといけない.

MMT は左派の政治運動でもある.他ならぬミッチェルが,左派からの EU 離脱論を支持している.だから,コービン率いる影の政府が MMT を採用せずに主流経済学から派生した財政ルールを採用していることに彼らは憤慨しているのだ〔※ここのつながりがわからない〕.この政治闘争ではたいていどんなことでも妥当とされる.労働党の財政ルールを擁護する私のような連中をネオリベラル呼ばわりするのも彼らにしてみれば妥当な範囲だ.(これがいかに馬鹿げているか知るには,こちらを参照.)

だが,こうした攻撃は,まっとうな問題を提起する.そもそも財政ルールが必要な理由はなんだろう? 経済状況によっては財務大臣に赤字支出を選択させればいいのでは? その答えをもたらすのは,赤字バイアスというものだ.赤字バイアスはグローバル金融危機 (GFC) 以前の経済政策の中心問題だった.この危機の30年前,OECD諸国では,正当化できそうな理由もなく政府債務の対 GDP 比が倍増していた.

赤字バイアスが起こるのは,政治家たちが減税したり借り入れによって支出を増やすのを好むからだ.なにしろ,そうした方が明白な経済的痛みを先延ばしできる.だが,赤字バイアスは債務の対 GDP 比を大幅に増やしてしまう.GFC 以前はまさにそうなっていた.すると,上昇した金利の支払いにいっそうの債務が必要となり,そのせいでいっそうの増税か支出削減があとで必要になってしまう.赤字バイアスは減税や支出拡大の欠点を回避しない.たんに先延ばしにするだけだ.赤字バイアスは消えてなくなってなどいない.ドナルド・トランプは富裕層減税をやったけれど,減税を借り入れでまかなうことでその政治的な批判を回避した.

〔「赤字はとにかくよくない」と主張する〕金融関係の多くの警世家たちが言うのとちがって,実際には赤字バイアスがあってもこの世の終わりになりはしない.赤字バイアスはたんに将来の政府にとってやりくりをもっと難しくするだけだ.だから,政府が財政ルールにしたがうのはよい行いでもあるし,財政責任を示すあかしでもある.こうしたよい行いのどこをとっても,ネオリベラルというべきところはない.

たしかに,(赤字は問題だが黒字は重要でないという)非対称をもちこんだり,とにかく支出は削減すべきだけれどいきすぎた赤字を減らすために増税するべきではないと言ったりすれば,財政ルールをネオリベラルにできる.労働党の財政信認ルールはそのどちらもやっていない.このルールが標的としているのは経常赤字で,公共投資が国民のさまざまな必要に答えられるようにし,低い借り入れコストを享受できるようにしている.ルールが定める目標は5年単位で達成すればよく,この期間は繰り延べられていく.その結果,穏やかな景気後退時に財務大臣が穏当な刺激策を実施しても財政ルールには抵触しない.深刻な景気後退が起きたときには,財政刺激は責務とされ,財政緊縮は不可能となる.

MMT 論者たちは,「財政信認ルールの下でよりも MMT での方が,政府支出は高くなりうる」と好んで言う.金融政策委員会が職務を果たしているとき,これは単純に虚偽だ.それどころか,これまでの大半の実証研究が示唆しているとおりに金利の上昇で需要が減少するのであれば,所与の税に対して,MMT 政策の下でよりも財政信認ルールの下での方が政府支出は多くなる.〔※よくわからない; MMT の方が一般的に高い金利につながるという前提がある?〕

金利設定の意志決定を中央銀行に委ねるのがネオリベラルだとMMT論者たちは論じるかもしれない.その非難は,たとえばユーロ圏に比べてイギリスではそれほど当てはまらない.イギリスでは,イングランド銀行の責務を財務大臣が完全に管理下に置いている.意志決定を専門家たちに委任するのは,とうていネオリベラルとはいいがたい.医薬品のコスト効率がよいかどうかを判断するイギリスの組織である英国国立医療技術評価機構 (NICE) はネオリベラルな組織なのだろうか? 専門家が自分たちの職務を果たさなかったときになにが起こるのかという妥当な論点はある.だが,〔マクロ経済政策の場合〕イギリスの金融政策に関する論点ではあっても,労働党の財政ルールには関わりがない.

一方,労働党財政ルールに対するMMT 論者たちによる限度をこえた批判は,MMT について深刻な疑義を生じさせる.MMT は,多くの民主党議員に広まっていた赤字予算のいきすぎた懸念に対抗する一助としてアメリカでは重要な役割を果たしている.また,気候変動への対応をまかなうようなお金はないという戯言と戦ううえでも大きな役割を果たしている.ただ,どちらの論点も,伝統的なマクロ経済学から一歩も出ずに言えることだ.この点は,グリーン・ニューディールに関する記事で述べたとおり.ただ,MMT は主流のマクロ経済学を打倒する革命運動になりたがってもいる.

過去 100年間に,マクロ経済学では2つの革命が起きた.だが,そのどちらも革新的で新しい大きなアイディアを提起している.だが,MMT が提示するアイディアは,主流経済学の枠内でかんたんに表現できるものばかりだ.たとえば,金融政策ではなく財政政策を使うアイディアは,かれこれ40年以上も前に私が学部生だった頃に大論争になっていた.だからといって,MMT のアイディアが間違いだという話にはならない.ただ,彼らのアイディアが別に革命的ではないのは確かだし,主流に取って代わるものではないことも間違いない.MMT 論者たちが対立する相手をネオリベラル呼ばわりしてもその点は変わらない.


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