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サイモン・レン=ルイス「新たなマクロ経済政策割り当て」(2019年8月28日)

[Simon Wren-Lewis, “A New Macropolicy Assignment,” Mainly Macro, August 28, 2019]

次に景気後退が生じたときにこれを抑えられるかどうかについて中央銀行家たちが正しくも悲観的になるなか,中央銀行はインフレを目標値に維持しつつその責務を政治家に渡すときがきているのかもしれない.

先日,ジャクソン・ホールで開かれた中央銀行家たちの会議では,新たに景気後退が生じたときにこれに効果的に対処するツールがないことが全体的に受け入れられたようだ.その理由は,ここ翻訳〕でいくらか論じておいた.いちばんおなじみの理由は名目金利の下限だが,Anna Stansbury と Larry Summers はさらにこう論じている――下限にたどりつく前であっても,非常に低くなっているときに名目金利は効果的な安定化ツールではないかもしれない.[1]

これは,ここ最近に限定された問題ではない.自然実質金利(インフレが安定する実質利率)は低下していて,しかも,それが再び上昇する兆しはほとんどないという点で,大半の人の見解は一致している.それはつまり,名目金利は数十年にわたって低いままにとどまる見込みが大きいということだ.ということは,金融政策が無力なのは今度の景気後退だけにかぎられず,見通しがきく将来に起こる景気後退では必ず無力になるわけだ.

以前の文章で論じたように,これに対する反応には,こういうものがありうる――「景気後退時に効果を発揮する新しいツールの開発を中央銀行家たちは目指すべきだ.」 これには,借り手と預金者で金利を変えたり,ヘリコプターマネーをやったりするといったツールも含まれる.だが,どんな理由であれ,中央銀行家たちは新ツール開発を急いではいない.その代わりに,いまのところ彼らはこう考えている――「景気後退を抑え込む重責の一部を財政政策が引き受ける必要がある.」

残念ながら,さまざまな理由から,政権についている多くの政治家たちはこのメッセージを受け止めていない.ユーロ圏では,「金融政策はいつでも需要を制御できる」と想定する素朴な財政ルールに政治家たちがいまなお固執している.アメリカでは,そしておそらくイギリスでも,政治家たちはこう考えている:「財政刺激は富裕層に税制優遇を与えることになり,だから需要刺激策としてはもっとも効果がとぼしい手段なのだ.」

もっと一般的に言えば,数十年にわたって中央銀行はインフレ制御と景気下降回避に責任をもつ時期が続いたので,政治家たちもメディアも(そしてある程度までは経済学者たちも),ジャクソン・ホールの会議だけでは〔中央銀行の役割について〕この期待を転換するには足らず,さらなるきっかけが必要なのだろう.もしかすると,次に景気後退が起きたときがそのきっかけになるかもしれない.だが,第二次世界大戦後で最大の景気後退が生じてもきっかけにならなかったという事実もある.中央銀行家たちは量的緩和のような効果的でない手段で次の景気後退に対応しようと試みるだろうし,そうやってなにかやっているように見えることで「中央銀行が景気後退に対処している」と多くの人たちが思ってしまうだろう.問題の一部はそこにある.

前回の景気後退で見たように,ここで危険なのは,政治家たちが景気後退に対応し損なうことにつきない.見当違いな対応をしてしまうかもしれないという危険もある.政治家たちや,メディアに登場する評論家たちの大半は,こんな風に思っている――「中央銀行は需要の制御に責任を持つ(したがって景気後退への対応も中央銀行の責任だ).だが,政治家は財政赤字の制御に責任をもつ.」 こんな風に考えていると,金融政策が効果的でないときに経済が下降すると逆効果な対策をとることになってしまう.

マクロ経済学者たちは,金融政策と財政政策による単純な分業を政策割り当てと呼ぶ.私が言う「伝統的な政策割り当て」では,金利が需要を制御し(したがってインフレを制御し),政治家が財政赤字を制御する.なぜこれを「伝統的」と呼ぶかと言えば,経済学者・メディア・政治家の頭脳にしみついているからだ.景気後退への対応という点では,この伝統的な政策割り当ては機能していない.

中央銀行が新ツール開発に及び腰なまま保守的でいつづける場合に必要なこと,それは,経済の下降に対処する責任を政治家たちに返すことだ.そうするには,独立した中央銀行の手から金融政策をはなして,これを政治家たちに与えるというやり方もある.すると,政治家たちはインフレの制御と景気後退の回避の両方に責任をもつようになり,どんな種類の金融政策による刺激よりも財政刺激の方がこれを効果的にこなす手段だと認識するだろう.

中央銀行の独立性 (central bank independence; CBI) を支持する論証やこれを否定する論証をここで繰り返すつもりはない.ただ,単純に言うなら,中央銀行の独立性がなぜ多くの支持を集めているかというと,インフレ抑制に関して政治家たちは信頼しがたいという疑いがその理由になっている.独立した中央銀行家たちが選ぶ金利は,インフレがいきすぎる期間を調整するのに効果的なツールでないと信じるべき理由が私には見当たらない.その点は,現代貨幣理論 (MMT) の支持者たちとちがう.

かわりに私が提案するのは,修正版の政策割り当てだ.中央銀行家がインフレ制御に責任をもつ点は変えないが,他方で,政治家たちは景気後退への対応に責任をもつように変える.すると,総需要という同じ変数を,まるでちがった主体が制御することになるわけだが,それぞれが担当する景気循環の局面は異なる.自動車になぞらえてみ考えると言い.独立した中央銀行家はブレーキを,政治家たちはアクセルを担当するのだ.

自動車は,ブレーキとアクセルを同時に踏み込みにくく設計されている.私たちも,政策割り当てにこれと似たものが必要だ:つまり,政治家たちと中央銀行の行動を調整し,両者が同時に需要を管理しようとしないようにするなんらかの方法が必要なのだ.すぐさま思いつく調整手段は,NAIRU〔インフレを加速しないインフレ率〕(あるいは NAIRU に似たもの)に関する考えを共有し,予想を共有することだ(なぜなら,経済が将来どんな状態になるかという予想しだいで行動は変わってくるからだ).

この非対称な割り当ての長所は,景気後退への対応に責任を政治家たちにもたせる点だ.すると,景気後退のさなかに財政赤字を制御すべきだという誤った考えを回避することになる.言い換えると,この政策割り当ては緊縮を除外するのだ.緊縮を予防する割り当ては,どんなものであれ一考する値打ちがあるはずだ.

原註 [1]: 論文に目をとおすまで,このアイディアについて論評を加えしないでおきたい.ただ,IS 曲線が線形であるはずだという理論的な理由はない.必要とされるのは,実証的な証拠だ.だが,残念なことに,〔マクロ経済学の〕ミクロ的基礎が覇権をにぎっていることで,実証的な証拠は希薄になっている.


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