マーク・ソーマ 「貧民への共感」(2014年9月17日)

●Mark Thoma, “‘Empathy for the Poor’”(Economist’s View, September 17, 2014)


ティモシー・テイラー(Timothy Taylor)のブログより。

Empathy for the Poor: A Meditation” by Timothy Taylor:米国勢調査局(US Census Bureau)が公表した国内の貧困の実態に関する調査結果によると、2013年度の貧困率(総人口に占める貧困者の割合)は14.5%とのこと。2012年度の貧困率は15.0%だったから、若干ながら低下した格好になる。低所得層に同情を寄せることは容易(たやす)い。しかしながら、貧困線に満たない所得しか得られていない人々――米国内の7人に1人――に対して「真の共感」を抱くのは、そう簡単な話じゃない。私自身も例外ではない。ついつい説教臭い思考回路に陥ってしまって、皮相(ひそう)な論を展開してしまいがちなのだ。「食費を節約しさえすれば、彼ら(貧困者)も安定した生活が送れるようになって、暮らしぶりも上向くだろうに」/「貯金するようにしさえすれば、彼らも安定した生活が送れるようになって、暮らしぶりも上向くだろうに」/「労働時間をもう少し伸ばしさえすれば、彼らも安定した生活が送れるようになって、暮らしぶりも上向くだろうに」/「高金利のローンを借りないようにしさえすれば、彼らも安定した生活が送れるようになって、暮らしぶりも上向くだろうに」・・・といったように。

貧困者の暮らしについて意見を求められるたびに思い出すのが、1937年に刊行されたジョージ・オーウェルの『The Road to Wigan Pier』(邦訳『ウィガン波止場への道』)――過小評価されている一作――だ。この作品では、1930年代の大恐慌の最中にイングランド北部の工業地帯(ランカシャーおよびヨークシャー)で働いていた貧困層やワーキングプアの暮らしぶりが克明に綴(つづ)られている。オーウェルは、左派寄りの立場から社会主義に同調しつつ、貧困者へ深い共感を寄せる一方で、貧困者に対する彼なりの見方を率直に吐露(とろ)してもいる。例えば、貧困者の食の選択――首を傾(かし)げたくなるような選択――について嘆く一方で、お金――乏しいお金――の使い道について上から目線で「ああしなさい、こうしなさい」と説くことにも釈然(しゃくぜん)としないものを感じている。該当箇所を以下に引用しておこう。

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