ジョナサン・ハイト「真実と社会正義:なぜ大学はどちらか一つの目標を選択しなければならないか」(2016年10月21日)

Jonathan Haidt, Why Universities Must Choose One Telos: Truth or Social Justice, Heterodox Academy,  Oct 21 2016.

 

しばしば、アリストテレスは物事をその”テロス(telos)”に基づいて判断していた。テロスとは、目的や結末や目標のことを意味している。医者のテロスとは健康または治療である。では、大学のテロスとは何であるのだろうか?

最も明白な答えは”真実”だ…かなり多くの大学が、”真実”という単語を自校のエンブレムに掲げている。しかし、アメリカのトップ大学の多くは社会正義を自分たちの第一のテロスかそれに等しい第二のテロスとして掲げるようになっているし、そのような大学の数は増え続けている。だが、二つのテロスを同時に持つことのできる制度や専門職は存在するのだろうか?もしその二つのテロスが衝突するとすれば、何が起こるのだろうか?

道徳を研究する社会心理学者として私は30年間大学に所属してきたが、その30年間でこの二つのテロスがますます頻繁に衝突するようになっていく様子を目にしてきた。真実と社会正義との衝突は、1990年代にはまだ対処可能なものであったようだ。だが、90年代以降には衝突の激しさが増していった。それは大学の教授たちの政治的多様性が失われていったのと同じ時期であり、また、民主党支持者たちと共和党支持者たちのお互いに対する敵対心が増していったのと同じ時期でもある。2015年の秋に80校の大学で学生たちが抗議運動を行い、より大規模で明白な社会正義へのコミットメントを行うことを自分たちの大学に要求した時に真実と社会正義との間の衝突は頂点に達した、と私は考えている。多くの場合、学生たちの大学に対する要求には、社会正義的な視点や内容の必修授業や研修を行うことが含まれていたのだ。

いまでは多くの大学の学長たちが学生の要求に同意してそれを実施せざるを得なくなっている。真実と社会正義との衝突はもはや対処が不可能なものになるであろう、と私は考えている。大学はどちらか片方のテロスを選択しなければならなくなるだろう。また、これから入学しようと考えている学生や就職しようと思っている教職員が正確な情報に基づいた選択を行えるようにするために、大学は自校が選択したテロスを明白に示さなければならなくなるだろう。真実と社会正義の両方を掲げようとする大学は、二つのテロスの間で増し続ける矛盾と衝突に直面することになる。

 

〔注意:私は、個々の学生たちが真実と社会正義の両方を追求することができない、とは言っていない。以下に掲載した講演の中では、真実を大切にすることこそが社会正義を効果的に促進するための活動を実践する唯一の方法なのだ、と私は学生たちに奨励している。だが、大学のような制度は、不可侵の最高目標を一つしか持つべきでないのだ。また、多くの学生たちが自分たちの人種やジェンダーや性的アイデンティティのために軽蔑や侮辱や体系的な妨害を受けていることも、私は否定していない。彼らが侮辱や妨害を受けているのは事実であるし、何らかの形の基準を設定したり多様性についてのオリエンテーションを新入生たちに受けさせることは、私も支持している。しかし、別の記事で私が論じているように、大半の抗議活動家たちが行っている要求の多くは反動を引き起こす可能性が高いものであり、学生たちが疎外感を抱く経験を減らすのではなくむしろ増やしてしまうものであるのだ。〕

昨年に多くの大学に広まっていった出来事を目にした私は、一体どのような事態が起こっているのかということについて道徳心理学と社会心理学の観点から明らかにする作業を始めていった。(……略……)66分間と長い動画であるが、これでも出来る限り短くした後である。この問題にはあまりにも多くの要素があって、私はそれらの要素を順番に示していく必要があったのだ。

 

講演の内容

 

イントロダクション:

講演は、二つの引用から始まっている。

 

“哲学者は、世界をただいろいろに解釈しただけである。しかし、大事なことは、それを変革することである。” ー カール・マルクス、1845年

 

“自分の側が言いたいことしか知らない人は、ほとんど無知に等しい。彼の主張は優れたものかもしれないし、誰も彼の主張に反論できないかもしれない。だが、同じく彼も反対側の主張に反論できないとすれば、反対側の主張がどんなものであるかということを知らないとすれば、どちらの側の主張を支持すべきであるかを判断する根拠を彼は持っていないということになるのだ。…” ー ジョン・スチュアート・ミル、1859年

 

マルクスは、私が”社会正義大学( Social Justice U )”と呼ぶ大学にとっての守護聖人だ。社会正義大学は権力構造や特権を転覆させて世界を変革することを目的としている。社会正義大学にとって、政治的な多様性は行動の障害である。ミルは”真実大学( Truth U )”の守護聖人である。真実大学は、誤りのある個人たちがお互いのバイアスや不完全な推論を指摘して挑戦し合うプロセスに真実を見出している。このプロセスは全ての人を賢くする。そこにいる人々の知的傾向が均一になったり、そこが政治的な正当さを主張する場所になったりした時に、真実大学は亡んでしまう。

 

1.テロス

 

専門職や分野はそれぞれのテロスを持っている。ある分野のメンバーがテロスを達成することを助けるために別の分野のメンバーが自分たちの技術を用いる時には、分野間の建設的な相互作用が発生する。例えば、私が Amazon や Google や Apple を好んでいるのは、私が研究者としてのテロス(真実の発見)を達成することをそれらのビジネスが手伝ってくれるからだ。しかしある分野が自分たちのテロスを別の分野にも差し込んでくる時には、破壊的な相互作用が発生してしまう。例えば、ビジネスのテロスが医療に差し込まれると、医者がビジネスマンになってしまい患者のことを利益を得る機会として見なすようになってしまう。社会正義のテロスは人種の平等を達成することやその他であるが、社会正義はそのテロスを他の専門職に差し込んでくる場合がある、と私は論じている。そして、社会正義のテロスが他の専門職に差し込まれる時、その専門職は自身のテロスを裏切っているのである。

 

2.動機付けられた推論

 

人間が行う推論に関して、一貫した現象が発見されている。…私たちがXを”信じたい”と思う時、私たちは「私はそれを信じることができるか(Can-I-Believe-It?)」と自分自身に尋ねる。だが、私たちがそれを”信じたくない”と思う時には、私たちは「私はそれを信じなければならないか?(Must-I-Believe-It?)と自分自身に尋ねるのだ。この現象は研究者にも当てはまり、そのことは以下の結果を生じさせる。

 

・ある政治的目標を支持するために行われる研究は、その目標を支持することにほとんど常に”成功”する。

・自分にはバイアスがあった、と研究者が認めることは稀である。

・何かに動機付けられた学問は、しばしば、自分たちにとって心地の良い虚偽を伝播してしまう。そして、それが虚偽であると暴露された後にも、その虚偽は取り除かれずに伝播され続ける。

・研究の過程で何らかの間違いがあったとしても、”制度的反証(institutionalized disconfirmation)”が信頼できる場合には、研究に起こるダメージを抑えることができる。…私たちと同じ動機を持っていない他の研究者たちが、私たちの主張に反証しようと試みることで私たちの研究に貢献してくれる、という営みが行われることが確実であるかどうかだ。

しかし、私たちにはもはや制度的反証を信頼することはできなくなっている。人文学と社会科学から保守派とリバタリアンがほとんど消え去っているためだ(経済学は例外であり、3人の左派につき1人の右派という比率に留まっている)。これこそが Heterodox Academy が存在する理由でもある。 Heterodox Academyは、(少なくとも、マルクス的ではなくミル的な意味での)学問の質を最も上げることができる種類の多様性を呼びかけているのだ。

 

3.神聖さ

 

人類は部族間の争いに適応して進化してきた。その進化の過程で、私たちは巧妙な能力を獲得した。神聖化された物体や原則を囲んで集まることでチームを形成する能力である。大学では、伝統的に学者たちは真実を囲んで集まっていた(少なくとも20世紀までは…当時も完璧ではなかったが)。だが、21世紀には、学者たちは少数の被害者集団を囲むようになり続けている。学者たちは被害者たちを守って助けたいと望むし、彼らに対する人々の偏見を払拭したいと思う。学者たちは自身の学問によって世界を変えたいと望む。それは称賛に値する目標であるが、被害者たちに対するこの新しい種類の世俗的な”崇拝”は、多くの大学で”被害者性の文化“をもたらすという社会学的特徴と交差しているのだ

被害者性の文化は、平等主義的で政治的に均一な大学で特に蔓延している。被害者性の文化は、まさにそれが救おうとしている学生たちに”道徳的依存性”を植え付けてしまう…学生たちは、争いが起こった時に自分たち自身で争いに対処する方法を学ぶのではなく、第三者(管理者や行政者)に訴えることで問題を解決することを学んでしまうのだ。

 

4.反脆弱性

 

ニーチェは「私を殺さないものは、私をいっそう強くする」と書いたが、彼は正しかった。ナシーム・タレブの著書 “Antifragile(反脆弱)”はその理由を説明している。。子供は、親やその他の大人の監督下ではない場所で遊ぶことを何千時間も経験する必要があるし、他の子供と争って大人の助けなしに争いを解決することを数千回は行わなければならない。独立して生きていく大人になるためには、それだけの経験が必要なのだ。しかし、アメリカにおける子育てには1980年代から変化が起こっており、特に1990年代からは中産階級や裕福な家庭の親たちがヘリコプターペアレントになってしまったために、子供たちは独立した大人になるための経験ができなくなってしまった。

代わりに、子供たちは「安全性の文化(safety culture)」の網の目に捕らわれてしまった。そして、若い頃からそれに捕らわれていた元子供たちは、大学生になっても安全性の文化をキャンパスに持ち込もうとしている。本や単語や講演者が”危険”であると見なされるようになったし、一種の”暴力”であると言われることすらある。脆弱な若者たちを危険と暴力から守るために、トリガー警告やセーフ・スペースが必要とされるようになったのだ。だが、そのような文化は政治的多様性と両立しない。多くの保守的な考えや保守的な講演者が危険であるとのラベルを貼られて大学やカリキュラムから禁止されてしまったからだ。支配的になっている政治的風潮に疑問を呈する学生は、教室の他の学生たちから敵対的な反応をされて疲弊させられる。これこそが、大学が一つのテロスを選択しなければならない核心的な理由の一つだ。ミルは真実の探求にとって意見の多様性は欠くことのできない本質的な要素であると主張したが、安全性の文化を支持する制度は意見の多様性を持つことができないのである。

 

5.涜神罪

 

真実大学には涜神罪は存在しない。誤った考えは論駁されるのであって、誤った考えに罰が与えられる訳ではないのだ。だが、社会正義大学には涜神罪を規定する法律が存在するかもしれない…研究に用いてはならない考え、理論、事実、そして著者たちが存在するのである。このことは、政治的な誘発性のあるトピックについて良質な社会科学研究を行うことを困難にする。相互に作用する様々な原因の結果として存在する大規模で複雑な問題を扱う学問であるために、ただでさえ社会科学は難しい。そのうえに、社会正義大学では研究を行うのに有効な道具の多くが禁止されてしまっているのだ。

 

6.相関関係

 

相関関係は因果関係を意味しない、ということは全ての社会科学者が知っている。だが、人口統計学上のカテゴリ(人種やジェンダーなど)と現実の世界における結果(テクノロジー企業における被雇用率、理系学部における教職員の割合など)に相関関係がある場合はどうなるだろうか?社会正義大学では、そこに因果関係を推測するように教育される。体系的なレイシズムやセクシズムが原因だと教えられるのだ。この教育が明らかに誤った結論へと人々を導いている具体例を、私は講演の中で示している。対照的に、真実大学では「異なった結果は、異なった扱いを意味しない」と教育する(異なった結果が出たことは、対象となる人々が異なった扱いを受けていないかということを注意深く確かめることを行う誘因ではある。たしかに、異なった扱いが不均衡な結果の原因である場合もあるからだ)。

 

7.正義

 

活動家たちが口にしている正義には、主に二つの種類があるようだ。異なった扱いを発見して撲滅することと(それは常に正しい行為であるし、真実と衝突することもない)、異なった結果を結果を発見して撲滅することである…異なった入力要素や第三の変数などには目もくれず。後者こそが全ての問題を引き起こしているのであり、真実と社会正義との衝突を引き起こしているのだ。結果の不均衡を根絶しようとする試みがいかにして人々に真実と正義の両方を軽んじさせることになるか、私は講演の中で具体例を示している。

 

8.分裂

 

上記1~7で行った議論をふまえれば、どんな大学にも真実と社会正義の二つのテロスを両立させることができないのは明白だ、と私は考えている。全ての大学は、どちらか一つを選択しなければならない。ブラウン大学は社会正義大学のリーダー的な座を占めており、シカゴ大学は真実大学のリーダー的な座を占めている、ということを講演の中で示している(このことは、Heterodox Acacemy のお勧め大学ランキングでも証明されている)。

私は、講演の最後で「自分たちの大学が真実と社会正義のどちらの方に行くことを、自分たちは望んでいるのだろうか?」と自分自身に問いかけることをアメリカの全ての大学の学生たちに勧めている。(……略……)最低でも、大学規模でマルクス対ミルの議論が行われるとすれば、それは建設的な対話となるであろう。

 

【訳者による補足】

・ハイトの講演動画のリンクはこちら

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