スコット・サムナー 「私に影響を及ぼした『テクスト』」(2010年3月20日)

●Scott Sumner, “Some influential “texts””(TheMoneyIllusion, March 20, 2010)


「『この本には強い影響を受けた』。みんなもそんな本のリストを披露してくれないか?」というタイラー・コーエンの呼びかけ〔拙訳はこちら〕に対する他のブロガーの面々の回答をチェックしているうちに、心配になってきたことがある。人様にお見せしても恥ずかしくないリストを拵(こしら)えられるだろうかといささか不安になってきたのだ。『A Theory of Justice』(邦訳『正義論』)に、『The Structure of Scientific Revolutions』(邦訳『科学革命の構造』)。『Guns, Germs and Steel』(邦訳『銃・病原菌・鉄』)。『The Bell Curve』。『The Road to Serfdom』(邦訳『隷属への道』)などなど。他の面々が言及している本の一例だが、勿論どれも知っている。が、果たして読んだかと問われると・・・。『隷属への道』は30年前に読んだことがある。しかし、肝心の内容はまったく覚えていないときている。

映画の『メトロポリタン』を観たという人ももしかしたらいるかもしれないが、その中にこんなシーンがある。舞台はニューヨーク。カクテルパーティーの席上で、若い男女が対面でジェーン・オースティンを批評し合っている。女が激怒しながら男に尋ねる。「ところで、ジェーン・オースティンのどの作品を読んだことがあるの?」。男の答えはというと・・・、「僕は、小説は読まない人間でね。批評(文芸批評)は読むけどね」。 私もこいつと似たり寄ったりだ。学問の世界で名のある古典の(実に数多くの)あれにしてもこれにしても、一切読んでやしないのに、どこがどう間違っているかを30分かけて誰かと議論し合えてしまうのだ。そんなやり方はフェアじゃないというのはよくわかっている。どんな本であれ、枝葉を取り払ってその内容をギュッと要約してしまえば、その本の持つ説得力の大半は失われてしまって、簡単に批判してしまえるものなのだから。そうそう。ちなみにだが、(ジェーン・オースティンの)『Pride and Prejudice』(邦訳『高慢と偏見』)は読んだことがある。

本題に入る前に、もう一点だけ指摘しておきたいことがある。名著を読んだおかげで私の世界観が一から形作られることになったかというと、必ずしもそうとは限らない。名著を読んだおかげで、その本を読む前から既に独力で培っていたアイデアにさらに磨きがかかる。そういう場合がままあるのだ。フランシス・フクヤマの『The End of History』(邦訳『歴史の終わり』)がそのいい例だ。『歴史の終わり』を読む前の段階で既に、「自由な市場経済と民主主義を柱とする社会体制こそが、今後の世界の趨勢となる」という結論(仮説)に自分なりにたどり着いていたが、『歴史の終わり』は歴史的・心理学的・哲学的な見地から、その結論(仮説)への強力な支持を続々と与えてくれる格好となったのだ。結局のところ、今の自分が抱いている思想傾向に落ち着くのは避けようのない必然の成り行きだったんじゃないか。時として、そう思われるものだ。

名著のリストを掲げる代わりに、私の世界観を形作った可能性のある「テクスト」と著者を少しばかり列挙させてもらうとしよう。そして、その「テクスト」なり著者なりが、「教条的なリバタリアン」から「プラグマティックなリバタリアン」へと変貌を遂げるに至った私の35年間にわたる軌跡をどのように形作ったかについても、さらりと触れることにしよう。ポストモダンに与する連中であれば、この世のどれもこれもがほぼ例外なく「テクスト」となり得ると語るに違いない。というわけで、映画に加えて、昔の新聞、雑誌なんかも「テクスト」に含ませてもらうとしよう。以下の話を知的伝記と捉えてもらっても構わない。

哲学: 哲学の方面で私に重大な影響を及ぼした人物は誰かと言うと、マクロスキー(Deirdre McCloskey)と、ローティ(Richard Rorty)ということになるのではないかと思う。誤解でないことを祈るが、哲学にはプラトンからカントへと流れる正統の系譜がある一方で、哲学という営みそれ自体に懐疑的な別の系譜があるように思う。ソフィストからヒュームを経て、ウィトゲンシュタイン、ローティへと至る系譜がそれだ。とりあえず今のところは、哲学自体にはそれほど興味はない(文学として読むというなら話は別だ)。もうしばらくして大学教授の職を辞することになれば、ヒュームやショーペンハウアー、ニーチェなんか(といった私の興味をそそるような哲学者)の作品を読む時間もできるんじゃないかと密かに期待しているところだ。ちなみに、ニーチェの作品はこれまでに一作だけ読んでみたことがあるが(『道徳の系譜』だ)、 その読書体験から判断すると、ニーチェは文学という物差しで計って他のどの哲学者よりも興味深い哲学者であるように思える(ニーチェの政治思想には微塵も興味ない)。マクロスキーとローティの影響でプラグマティズムに肩入れするようになり、「客観的な真実」の発見を目指す壮大な理論体系からは距離を置くようになったことは、過去に別のエントリーで何度か述べたことがある。年を重ねるにつれて、あらゆる命題(知的な言説)――自分自身の意見も含めて――にますます懐疑的になってきているものだ。それと同時に、数々の検証を潜り抜けてきている確からしい命題はとりあえず真なる命題と見なして先へ進もうではないかというのが、我流のプラグマティズムから導かれる結論でもある。

ミクロ経済学 私のミクロ観は、シカゴ大学で経済学を学ぶ学徒が必修科目で読むことになる文献のあれこれによって形作られている。スティグラーの手になる教科書に、ベッカーの手になる教科書フリードマンの手になる教科書などなど。それに加うるに、一連の小テスト。シカゴ大学での教育を通じて、競争市場モデルが現実を説明する上でいかに有用なモデルであるかを――たとえ、現実の市場が完全競争的な市場ではない(ほぼすべての市場がそうだ)としても――思い知らされたものだ。人は、常識が説く以上にずっと敏感にインセンティブに反応すること。社会問題の解決を意図して繰り出された公共政策は、常識が説く以上にずっと大なる可能性で予期せぬマイナスの副作用を伴いがちであること。現実の世界は、直観を大いに裏切るかたちで振る舞うこと。いずれも、シカゴ大学での教育を通じて教わったことだ。

シカゴ大学での教育が私という人間に及ぼした影響については、別の角度からも明らかにすることができる。「お、どうやら彼は基本的なところで私と似た価値観の持ち主のようだ」。マシュー・イグレシアス(Matthew Yglesias)のブログを読むたびに、そう感じるものだ。イグレシアスが自分自身を功利主義者と見なしているのかどうかはわからないが、概ね帰結主義的な理屈に頼って持論の正当化を行っている姿をよく目にする。それに加えて、どうやらイグレシアスは、私よりも冴えた頭脳の持ち主のようだ。しかし、だ。公共政策の問題を巡ってイグレシアスと意見が合わないなんてことはしょっちゅうだ。それはどうしてなのだろうか? シカゴ大学での教育が大きな原因になっているのではないか。そのように思われるのだ。経済システムの働きについては、イグレシアスよりも私のほうがいくらかよく理解しているんじゃないかと思う。間違っているのは私のほうだという可能性も勿論ある。そのことは否定しない。何しろ、経済学の分野では、何かを証明するというのはそう簡単な話ではないのだから。しかしながら、私の直感に耳を澄ませると、政府による介入策は効果(有効性)の面で進歩派の大抵の面々が信じ込んでいるよりもずっと大きな難を抱えているというささやきが聞こえてくるのだ。

ところで、イグレシアスは、最近のブログエントリーで、ウォルマートのペイデイ・ローン(給与を担保とする消費者金融)事業への進出を擁護している。そして、別のエントリーでは、中国のやり口を詰(なじ)るよりも前に、Fedに対してさらなる金融緩和を求めるべきだと訴えている。素晴らしいの一言だ。イグレシアスは、有効な策(手段)は何なのかを探し出すことに、クルーグマンなんかよりもずっと強い関心を寄せているように私には見える。クルーグマンなんかは、自らの偏見――自由市場への敵愾心――に合致する事例について語ることだけにしか興味がないような印象を受ける。絶えず警戒しておくべき誘惑に屈してしまっているのだ。私も私で偏見に囚われているし、ついつい自由市場の肩を持ってしまいがちだ。そのことはよく承知している。しかしながら、紆余曲折を経て悟ったことなのだが、この世はスコット・サムナーなる人間の偏見に沿うようにはできていないのだ。現実は現実。動かしようがないのだ。何らかの政策なり手段なり(所得の再分配策であれ、強制貯蓄であれ、中央銀行による金融政策であれ、炭素税であれ、何であれ)が功利主義的な観点から評価してこの世をよりよくするのに貢献したとすれば、(その政策がたとえ自分好みではなかったとしても)その事実をそのまま受け入れるしかないのだ。

とは言え、これだけはどうしても言わせてもらいたいということがある。シカゴ流の教育の洗礼を受けたことがない人々は、あまりに多くを見過ごしてしまっていることに気付いていないのだ。ベッカーに、ルーカスに、スティグラーに、マクロスキー。私がシカゴ大学(の大学院)で直接教えを受けた教師の一例だが、超切れ者の集まりだ。にもかかわらず、彼らは進歩派の面々に過小評価されているように思えるのだ。クルーグマンだとかデロングだとかのブログに足を運べば、自由市場を讃える経済学者は間違っているだけでなく、どうしようもない間抜けだと仄めかすエントリーの束にきっと出くわすことだろう。確かに、私に関してはその通りかもしれない。ブライアン・カプラン(Bryan Caplan)のような私よりも若い世代のブロガーが書いているものを読んでいると、シカゴ大学を後にしてから30年の間に、私の脳みその働きも大分鈍ってしまって、(ミクロ経済学の)分析スキルが相当錆び付いてしまったらしいことをひしひしと実感させられるものだ。カプランがキレキレなのは、ジョージ・メイソン大学みたいな環境に身を置いていると研鑽を積まざるを得ないからというのもあるんだろう。それはともかく、「お前がシカゴ大学で受けた教育は一種の洗脳だ」と咎める人がいるとすれば心して聞いてもらいたいが、私がシカゴ大学で学んでいた当時に誰か学生の一人が教師の質問に対して「自由市場に任せることこそが一番の解決策です」なんて答えようものなら、その学生には八つ裂きの刑に処せられる運命が待ち受けていたことだろう。シカゴ大学の内部は実に多様性に富んでいて、政治的な見解も教師ごとに様々だったのだ。シカゴ大学の教師陣に共和党と民主党のどちらの候補に投票したかを聞いて回ったとしたら、(私が学部生時代を過ごした)ウィスコンシン大学の教師陣に同様の聞き取り調査をした場合よりも、ずっと接戦に近い集計結果が出たことだろう。

マクロ経済学: マクロ経済学の方面で私が最も強く影響を受けた人物は、フィッシャー(Irving Fisher)と、フリードマン(Milton Friedman)だ。フィッシャーの著作はたくさん読んだ。『The Purchasing Power of Money』に、『The Money Illusion』、『Stable Money: A History of the Movement』などなど。戦間期の経済学者で言うと、カッセル(Gustav Cassel)に、ホートレー(Ralph Hawtrey)、ケインズ(ただし、『一般理論』のケインズではなく、『貨幣改革論』のケインズ)、ウォーレン(George Warren)ピアソン(Frank Pearson)といった面々からは、かなり影響を受けている。戦後に話を限ると、私のマクロ観に一番強い影響を及ぼしたのは、フリードマンだ。アンナ=シュワルツとの共著である『Monetary History』(『合衆国貨幣史』)から受けた影響はとりわけ大きい。 私が『合衆国貨幣史』を読んだのはウィスコンシン大学の学部生時代のことだが、『合衆国貨幣史』を読んだ途端に、ちょうど学部で教わったばかりの(水力学的)ケインズモデルは無価値な代物だと悟ったものだ(この点については、現代のニューケインジアンの面々でさえも「その通り」と認めるんじゃなかろうか)。全般的な感想としては、マネタリズムを擁護するフリードマンよりも、ケインジアンを批判するフリードマンの方が個人的に好きだったりする。戦後の経済学者で他に影響を受けた人物を列挙すると、マンデル(Robert Mundell)ホール(Robert Hall)ルーカス(Robert E. Lucas, Jr.)マッカラム(Bennett McCallum)ということになるだろう(中でも、マッカラム)。合理的期待というアイデアが重要なのはなぜか。合理的期待というアイデアが誤解されているのはなぜか。そのあたりのことは、ルーカスとマッカラムから学び取ったものだ。サプライサイド(供給側)の重要性については、ラッファー(Arthur Laffer)ワニスキー(Jude Wanniski)(といったサプライ・サイダー)から少々学んだ。サプライサイド経済学陣営の論には一ミリも同意できないが、(ワニスキーが書いた)『The Way the World Works』は楽しく読んだものだ。

政治マイケル・バロン(Michael Barone)が書いたアメリカ現代史がテーマの本を読んだことがある(正確には、「読んだ」ではなく「聞いた」。車を運転しながら朗読版(オーディオブック)を聞いたのだ)。その本とは『Our Country』。この本を読んだおかげで、政治というものに対する私の姿勢が変わったことを思い出す。ひいき(私好み)の候補者が大統領になると、アメリカの有権者一同は正しい選択をしたと思いたがる。バロンの本を読むまでの私はそんな調子だったが、『Our Country』を紐解いてからは、誰が大統領に選ばれようとも大抵はそうなるだけの立派な理由がある――その人物を大統領に選んだのは間違いだったことが後になって判明することが仮にあったとしても――と考え直させられた。『Our Country』を読んでからというもの、私の中で民主主義に対する評価はいくらか高まったものだ。ところで、興味深いことがある。バロンが最近書いた文章を読んでいると、彼がコテコテの共和党支持者のように見えてしまうのだ。『Our Country』を読んでいる最中には、そんな印象は受けなかった。本のメッセージを読み違えてしまったのだろうか? 読み違えているのは、私ではなくバロン本人? あるいは、今日までの間にバロンの見解が変わったのだろうか? どうやら、アメリカという国ではこの12年の間に政治面での分裂がかなりの勢いで加速してしまっている(党派間の対立が激化してしまっている)ようだ。

歴史: 1928年から1938年までのニューヨーク・タイムズ紙の記事を隅々まで読み尽くしたことがある。その時の経験から学んだことは、歴史(歴史上の出来事)というのは、現在進行形で目撃する場合と、後になって回顧される場合とでは、かなり違って見えるということだ。さらには、昔の人々は今の我々よりも知的に劣っていたかというと、そのようには見えなかったものだ。我々の方が後世に生きている分だけ歴史から学べる余地もそれだけ大きい。そのおかげもあって、今般の危機の過程では当時(1928年~1938年当時)に比べると金融政策の舵取りも幾分かうまくやれていることは確かだ。しかしながら、昔の人々が犯したのと同じ間違いを相も変わらず何度も繰り返してしまっていることも否定できない。昔に比べると、間違いの程度も軽くなってはきてるけれどね。ところで、当時のアメリカでは、今よりもずっと、社会階層間の格差が大きかったようだ。このことには正直驚かされたものだ。アフリカ系アメリカ人同士の間での格差が今よりも大きかったらしいことは前から知っていたが、どうやら白人同士の間でも格差は今よりもずっと大きかったようなのだ。それに加えて、上流階級の面々は困窮する農民や労働者の苦しみなどどこ吹く風で、ニューヨーク市では富の偏在がかなり激しかったらしい。ニューヨーク・タイムズ紙の記事を読み漁ったおかげで知れたことは他にもある。株式市場、債券市場、商品先物市場といったマーケットには経済の行く末を高い精度で予測する力が備わっているという事実がそれであり、私の中でマーケットに対する敬意はいや増すばかりとなったものだ。当時の(株式市場、債券市場、商品先物市場といった)マーケットは、極めて重大な意味を持つかに見えた出来事の数々に敏感に反応した。それらの出来事は、後になって実体経済に対して極めて重大な影響を及ぼすに至ったのだが [1] 訳注;つまりは、マーケットの読みは当たっていた、という意味。、残念ながら歴史家には今でも完全に黙殺されてしまっている。その格好の例というのが、1937年上半期の「金パニック」であり、1937年下半期の「ドルパニック」だ。

新自由主義革命エコノミスト誌を購読してかれこれ35年になるが、私の目を「新自由主義革命」に向けさせる導き手となったのがエコノミスト誌だ。「新自由主義革命」は国際的な現象であり、かつ、超党派的な(党派の枠を超えた)現象。エコノミスト誌を読んでいたこともあって、1980年代の終わり頃の段階で既に、そう悟っていたものだ。そのおかげで、クルーグマンが流布している陰謀論――レーガン革命の真相は、黒人解放運動に対する反発を巧みに利用して、南部の白人を味方につけようと企んだ右派の共和党陣営による策略というに尽きる [2] 訳注;このあたりのクルーグマンの説の詳細については、例えば『格差はつくられた』(早川書房、2008年)を参照されるといいだろう。――にも騙されずに済んだ。百歩譲ってクルーグマンの言う通りだとしても、その言い分が通用するのはアメリカ一国だけに限られる。クルーグマンの言い分では、新自由主義的な政策が204カ国のうち200カ国で採用されるに至った理由を説明できないのだ。クルーグマンついでに、もう一丁。経済の自由化に向けた改革に着手した国々でその後の経済のパフォーマンスが上向いたかというと、多くのケースではそうなっていないとはクルーグマンの弁だ。これまで(過去)と比べてどうなったかではなく、(同時期の)他の国々(地域)と比べてどうかに着目せねばならないというのが、私がエコノミスト誌から学んだことだ。1973年を境に世界中のほぼあらゆる地域で経済成長のペースが鈍ることになったが、重要なポイントはその鈍り方には差があるということだ。経済の自由化に後ろ向きだった国ほど、経済成長率の落ち込みは大きかった(その一方で、経済の自由度が高い国ほど、経済成長率の落ち込みは軽微で済んだ)のだ。(経済の自由化に邁進した)チリの経済成長率が1973年以降に加速したか、それとも減速したかというのは、大事な問題じゃない。1973年以降にラテンアメリカの国々の中で経済が一番好調だったのはチリという点こそが肝心なのだ。

戦術論: 映画の『The Gate of Heavenly Peace』(『天安門』)から学んだこと、それは、「革命」よりも「改革」の方が実りある成果を伴いがち、ということだ。

「文化」と「経済」: 「文化」なるものに対する理解を深める導き手となってくれたのは、ナイポール兄弟(V. S. ナイポールシヴァ・ナイポール)が著した紀行文と小説だ。「文化」は(国ないしは地域間の)経済格差を説明する上で非常に重要な要因の一つだということを教え諭してくれたのは、トーマス・ソウェル(Thomas Sowell)の著作の数々だ。とは言え、少しばかり心に引っかかることがある。「文化」に着目して国ごとの経済発展の差を説明しようとする理論には、不満を感じてしまうところがあるのだ。アジアが経済面で西洋のずっと後塵を拝していた時代には、アジアと西洋の文化の違いにその原因を求め、アジアの国々が経済面で躍進し始めると、アジア人のIQの高さにその原因を求める。アイルランドがイングランドよりも貧しかった時代には、保守的なカトリックの影響が強いためにアイルランドは経済面で立ち遅れているのだともっともらしく語られる。すると、突如としてアイルランドが驚異的な経済成長を遂げたりする。ラテンアメリカが経済面で立ち遅れているのはなぜかと問われると、宗主国たるスペインにその原因が求められる(「そもそも、宗主国のスペインが経済後進国だから云々かんぬん」)。そんな中、スペインの経済規模がイタリアを凌駕する勢いで拡大し出す。すると、今度はアルゼンチンにはイタリア人(の子孫)が多いから(経済が停滞している)とくる。・・・とまあこんな具合に、「文化」に着目して国ごとの経済発展の差を説明しようとする理論には、どことなくとってつけたようなところ(それに加えて、神経を逆なでするようなところ)があるように思われるのだ。とは言え、やはり「文化」は経済に対して無視できない影響を及ぼしているという考えは変わらない。その影響の具体的なあり方となると、はっきりしたことは言えないけれどね。

共産主義: 私が経済学のイロハを学んだのは、共産主義が世界のあちこちに座を占めていた時代だ。私はそのくらい古い世代に属している一人だ。「反共=右翼(右派)」と見なされていた時代(左派の人間が誰かしらを反共主義者と名指しした場合には、そこには侮蔑的な意味が込められていたものだ)。進歩派の多くが毛沢東を偉人と崇めていた時代でもある。現代の(左派という意味での)リベラルにとって共産主義というのは、現代の保守派にとっての人種主義(レイシズム)のようなものなのかもしれない。保守派の面々は「我々は、レイシズムとは無縁だ」と主張するだろうし、リベラルの面々は「我々は、共産主義には反対だ」と主張するだろうが、どちらの陣営も叩けば埃がわんさと出てくる点では似たり寄ったりなのだ。それはともかく、共産主義絡みで私が一番影響を受けた本は、『Harvest of Sorrow』(邦訳『悲しみの収穫』)だ。1932年から1933年にかけてウクライナを襲った大飢饉(ホロドモール) の全貌を描いた本だ。著者はロバート・コンクエスト(Robert Conquest)だが、 本書で一番記憶に残っているのは、ワシリー・グロスマン(Vassily Grossman)の作品の中から引用されている言葉の数々だ(グロスマンの作品は是非とも読んでおくべきだと思う)。『悲しみの収穫』を読んで学んだこと、それは、餓え死というのは考え得る中でおそらく最悪の死に方ということだ。そして、それに伴って、中国で進められた大躍進政策はおそらく史上最悪の出来事と判断するに至ることにもなった(史上最悪の「犯罪」とまでは言えないかもしれない。ホロコーストが殺意のある大量殺人とすれば、大躍進政策は殺意なき大量殺人(過失致死)ということになるだろう)。『悲しみの収穫』は、アメリカの先住民(インディアン)に対する仕打ちや奴隷貿易のようなその他の同様の惨劇についても、自分なりに向き合う契機ともなった。その時の内省を通じて頭に浮かんだ考えを以下にいくつか書き出しておくとしよう。

1. 史上最悪の出来事(大躍進政策)を引き起こすに至った原因の一部は、人間に備わる動機の中でも最良のものの一つに求められる。分かち合い(共有)という動機がそれだ。分かち合いという動機は人間が家庭生活を送ることを可能にしている一方で、史上最悪の出来事を招く原因の一部ともなり得るわけだ。極端な平等主義も、極端な利己主義も、どちらも最悪のシナリオを招く危険性を秘めている。平等主義的な政策を採用するつもりであれば、その効果を高める(あるいは、弊害を抑える)にはどうしたらいいかとじっくりと時間を割いて熟考を重ねる必要がある。

2. 「大躍進政策=共産主義の過ち」だとすると、奴隷貿易だとかアメリカ先住民の大量殺害だとかはどういうことになるだろうか? 「古典的自由主義」という私好みのイデオロギーの危険性を物語る事例。そうはならないだろうか? 奴隷制の廃止を真っ先に訴えて、奴隷制反対の政治運動を担ったのは、何を隠そう古典的自由主義者の面々だったというのはその通りだ。しかしながら、そのことは全体像の一部でしかない。サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)も言い放っているではないか。「誰よりも声高に『この手に自由を!』と叫び立てているのがニグロの主人とは何事か?」、と。気掛かりなことはまだある。1400年から1800年までの間にヨーロッパがどこよりも豊かで強力になったのは、古典的自由主義者が説いたアイデアのおかげだとは思うが、豊かで強力になったことが結果的にヨーロッパをその他の地域の征服(植民地化)に駆り立てることになってしまったのではないか? それも、征服された土地で暮らす民に甚大なる被害を及ぼしながら(天然痘ウイルスの拡散のように、「被害」の中には必ずしも意図的ではないものも含まれているだろうが)。ヨーロッパの国々も徐々に紳士的な振る舞いを身に付けるようになってはいったが、それをはるかに凌駕する勢いで力強さを増していった(軍事力が高まっていった)のだ。このことは今現在に対してどんな教訓を投げ掛けているだろうか? 古典的自由主義に由来する自由市場のようなアイデアを讃えたい気持ちはあるのだが、例えばバイオテクノロジーの分野の専門家たちは自分たちが一体何をやっているのか果たしてわかっているんだろうかと不思議に思うことがたまにある。「知恵」は、「知識」や「技術」の進歩に追いつけているだろうか? バイオテクノロジーの発展に伴って、未知のウイルスが生み出される恐れはないだろうか? はてさて、どうだろう。何かしら言えることがあるとすれば、金融危機に対する「専門家」の対応の様子を目にした後では、いささか頼りなく感じてしまうということだ。

私が成年に達したのは、(アメリカが高インフレに悩まされていた)1970年代の最中だ。そのため、自然と(やたらとインフレを警戒して、金融引き締めの必要性を説いて回る)「タカ派」的なものの考え方をする癖が身に付いてしまっていた。後になって1930年代を専門的に研究するようになってから学んだことは、大恐慌を引き起こしたのは私のような「タカ派」の連中だった [3] … Continue readingということだ。一国の政策を運営する機会を委ねられた面々は、用心に用心を重ねる必要があるのだ。今まさにそのような状況に置かれているのが、進歩派の面々だ。オバマ大統領の支援者たちは、大統領が万事を思い通りに運べずにいる様子を見てイライラを募らせているようだ。しかしながら、それは不幸中の幸いなのかもしれない。オバマ大統領の本音を探ると、スウェーデン型の福祉国家モデルをアメリカにも移植したいというのがどうやら望みのようだが、そんなことをしたら経済に大打撃が及ぶというのが私の見立てだ。アメリカは、スウェーデンとは似ても似つかぬ別物の国なのだ。

楽観主義: 「楽観主義? ついさっきまでの話と食い違うじゃないか」。そう思われるかもしれないが、私は世間の行き過ぎに異を唱えたいのだ。皆の様子を眺めていると、未来について心配しすぎであるように思われるのだ。未来予測に関する本と言えば、(ポール・エーリックの)『The Population Bomb』(邦訳『人口爆発』)があるが、私もこの本からはかなり強く影響を受けた。ただし、影響を受けたとはいっても、時代を隔てて正反対の影響を被っている。この本をはじめて読んだのは10代の時だが、その時には申し分ないほど説得力があるように感じられた。しかしながら、しばらく経って再読した時にはどうも胡散臭く感じられて、代わりにジュリアン・サイモン(Julian Simon)のような快活な楽観主義者の肩を持つに至ったものだ。その名残で、地球温暖化についてもアル・ゴア(Al Gore)なんかに比べるとそれほど懸念していない(温室効果ガスのせいで温暖化が進んでいるという点には同意するけれどね)。それよりは、まだ十分に備えができているとは言えない緊急事態――例えば、感染症の大流行――に恐怖を感じる。炭素税は賢明な策だし、ドンドン導入すればいいと思う。しかし、地球温暖化が心配で夜も眠れないというほどではない。地球温暖化とは別の何かが21世紀最大の課題になるのではないかというのが私なりの見立てだ。

未来予測と言えば、ハーマン・カーン(Herman Kahn)の『The Year 2000』(邦訳『紀元2000年』)も読んだ。とは言っても、読んだのはだいぶ昔なので(内容もほとんど忘れてしまっているために)その出来については云々できないが、本の中で説かれていた「複利の力」(経済成長率の微妙な差も積もり積もると段違いの差につながること)には強いインパクトを受けたものだ。中国は将来的にきっと経済大国になるに違いないと1980年代のどこかの時点で自分なりに予測を立てていたが、それもこれも「複利の力」が頭にあったからだ。以下の三つの要因に照らして、中国も「複利の力」の恩恵を受けるに違いないとの結論に達していたのだ。

1. 中国は共産主義から手を引きつつあること。

2. 中国と文化的に似通っている市場経済諸国が1960年代から1980年代にかけて高度成長を遂げていたこと。

3. 中国は10億人を超える人口を擁していること。

結構いいところを突いた予測だったんじゃないかと今でも自負している。

文学: 政治小説の分野で言うと、ジョセフ・コンラッド(Joseph Conrad)の『Under Western Eyes』(邦訳『西欧人の眼に』)と『Heart of Darkness』(邦訳『闇の奥』)がお気に入りの作品だ。コンラッドのユートピア思想に対する懐疑的な態度は、実に堅実でまっとうであるように思える。どちらの本も、『The Secret Agent』(邦訳『密偵』)と並んで、先見の明に富んだ作品であるように感じられる。自分から政治小説の話題を出しておいて何だが、社会問題だとか政治だとかがテーマの小説は実はあまり好みじゃなくて、敬遠しがちだったりする。それもこれも、私が反社会的なタイプの人間だからなんだろう。どちらかと言うと、一匹狼だったり、自然だったり、哲学的な観念だったりがテーマの小説を好んで読む傾向にある。

私のブログでの文体は、ボルヘス(Jorge Luis Borges)だとかチェスタトン(G.K. Chesterton)だとかのエッセイの影響を受けているように思う。両名ともに、好んで「逆説」を弄するタイプの作家だ。「誰も彼もがXだと信じ込んでいるが、その真逆こそが正しいのかもしれない」。ボルヘスにしても、チェスタトンにしても、そんな感じの出だしでもって話に入るものだ(ただし、チェスタトンの政治的な見解には与しないことは言うまでもない)。右派の知識人であれば大体チェックするであろうエッセイスト――メンケン(H. L. Mencken)に、トム・ウルフ(Tom Wolfe)カミール・パーリア(Camille Paglia)P・J・オローク(P. J. O’Rourke)などなど――の作品を読み漁ったのは、随分昔のことだ。(P・J・オロークの)『Republican Party Reptile』(邦訳『ろくでもない生活』)を読んだのがはるか昔のことのように感じられる。共和党員であることが「クール」だった時代があったように思うが、勘違いだろうか? 今やそうじゃなくなってしまったのは、共和党が様変わりしてしまったせいなのだろうか? それとも、共和党は昔のままだが、私が変わっちゃったんだろうか?

文学を読むことで、これまでとは違った角度から世界を眺められるようになる。文学にはそのような力が備わっているように思われる。日本を素材としたドナルド・リチー(Donald Richie)の一連の作品のおかげで、アメリカ流の生活様式だけが唯一の選択肢というわけではなく、高度に発展した先進国でもアメリカとは別様のライフスタイルを確立することができるのだということに気付かされたものだ。ヨーロッパ発のポストモダン小説のおかげで、ローティのような哲学者の思想をそれほど抵抗なくすんなりと受け入れられたようにも思える。文学というのは、ジャンルを問わずに、他者(とりわけ、自分とは似ても似つかない他者)の痛みに対する感受性を高めてくれるのではないか。その結果として、読者を「リベラルな心」の持ち主に近づけてくれるのではないか。そのようにも思われるものだ(「リベラルな心」の持ち主というのは、左派寄りの人間という意味ではなく、帰結主義的な発想の持ち主というくらいの意味で使っている)。

ここ最近の話で言うと、私に一番強い影響を及ぼしているのは、他のブロガーの面々だ。

References

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1 訳注;つまりは、マーケットの読みは当たっていた、という意味。
2 訳注;このあたりのクルーグマンの説の詳細については、例えば『格差はつくられた』(早川書房、2008年)を参照されるといいだろう。
3 訳注;「タカ派」が当時の経済運営の中枢を牛耳っており、政策を運営するにあたって「タカ派」が己らの信念を貫いた結果として大恐慌が引き起こされた、という意味。
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