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タイラー・コーエン「奴隷制と《啓蒙》に関するスティーブン・ピンカーの考え」(2019年1月26日)

[Tyler Cowen, “Steven Pinker on slavery and the Enlightenment,” Marginal Revolution, January 26, 2019]

ピンカーがいろんな批判に Quillette で反論している.そのなかから,彼の反論をひとつ引こう:

征服の戦利品として,奴隷はいつでもなによりのぞましい対象だった.〔ユダヤ教の〕過越の祭にいったことのある人や,映画『スパルタカス』を見たことのある人なら知ってのとおり,奴隷は 18世紀の欧米で発明されたわけではない.奴隷廃止がどんな順序で起きたかを踏まえると,奴隷が存在したのは《啓蒙》のせいだと責めるのはとりわけばかばかしい.(…)

歴史家 Katie Kelaidis が『啓蒙の冷笑的批判者たち』(The Enlightenment’s Cynical Critics) で述べているように,「何千年にもわたって,道徳を説いたさまざまな偉人たちが奴隷制と折り合いをつけようと,その非人道性を軽減しようと試みてきた.だが,誰一人として――ジーザスも,仏陀も,ムハンマドも,ソクラテスも――《啓蒙》以前にあらゆる奴隷を完全に解放しようとは考えなかった.(…)《啓蒙》は奴隷制の発明者であったどころか,いかなる人も奴隷にされてはならないという考えの発明者だったのだ.」

ぼくには,これは気分の同調を求める古典的な事例に思える:「《啓蒙》に対してはぜひとも肯定的な気分にならないといけないぞ!」と同調を求めているように思える.肯定的な気分になるべきではあるのかもしれない.でも,こんな具合に別の考え方をしてみてはダメなんだろうか?

「近代初期のヨーロッパは,のちのちの《啓蒙》の具体化も含めて,世界にすばらしい便益をもたらした.そうした便益のなかには,人間にできることの強化という便益もあった.そして,そうやってできることが強化されると,その力を利用して悪を行う場合もあった.それまで前例のなかった規模で奴隷をつかまえて輸送し保有するのも,そうした悪事だった.多くの土着集団の絶滅も,そうした悪事のリストに加えてよいだろう.したがって,人間にできることが強めるのには注意した方がいい.そうした力はすぐれた善ももたらすものの,大いなる悪ももたらしうるからだ.

ピンカーより正確ではあるものの,こうした考え方だと進歩に対してもっと入り組んだ気分をおぼえることになる.

また,イギリスも含めて,もっとも急進的な奴隷制廃止論者たちにキリスト教徒達があれほど大勢いた点にも留意しよう.こうした人々も《啓蒙》の一部だったと考えるのはいい.でも,そうだとしても《啓蒙》が「いかなる人も奴隷にされてはならないという考えの発明者」だったという記述は,ぼくにはいきすぎているように思える.16世紀のスペインのサラマンカ学派は――さらに神学者も加えてよさそうだ――《啓蒙》よりずっと以前に奴隷制に強く反対していた.そうしたサラマンカ学派を「《啓蒙》の祖型」と呼ぶのはたぶんまちがいじゃないだろうけれど,この点について《啓蒙》の優位性を擁護するのにそういう手を使うのには同語反復めいた要素がある(それ以外は〔16世紀のサラマンカ学派を「《啓蒙》の祖型」とする点以外は〕,《啓蒙》は18世紀にはじまったとピンカーは考えている).

さらに,さっきのピンカーの一節「奴隷廃止がどんな順序で起きたかを踏まえると,奴隷が存在したのは《啓蒙》のせいだと責めるのはとりわけばかばかしい」という箇所にも疑義を挟んでおいた方がいいだろう.第一に,「奴隷が存在したのは《啓蒙》のせいだと責める」ことなくこの問題全体について適正に肯定・否定がいりまじった意見をもつことは可能だ.(ぼくならなによりも奴隷の捕獲人・奴隷貿易商・奴隷所有者のせいだと責める.) 第二に,「とりわけばかばかしい」という言葉は,いかにも論証不足の主張らしい言葉で,こういう修辞には用心した方がいい.第三に,アメリカでも屈指の《啓蒙》の代表的人々は,当人が奴隷所有者だったり,そうでなくても奴隷制を擁護したり容認したりしていた人たちだった.だからといって,単純に「だから《啓蒙》がわるい」式の論じ方をするつもりはないけれど,これは言及して議論する値打ちのある事実だよね? 最後に,アメリカにおける《啓蒙》は1765年にはよちよち歩きを卒業して自立していて,しかも,奴隷制はそのあとゆうに1世紀あまりを生き延びたってこと? さらにブラジルではもっと長生きしたんだよね.当然,このへんも少しばかり論じる値打ちがあるんじゃない?

ぼくはピンカーのことも彼の著作も立派だと思っているし,じぶんは〔ピンカーが推奨するような〕楽観主義者だと思ってる.とくに,歴史を引きの絵でみたときにはいっそう楽観主義的だ.ただ,ときに進歩と呼ばれるものは,同時に暗黒面ももちあわせているもので,これまで物事がどう展開してきたか――自分の頭のなかでもお互いのあいだでも――もっとよく把握するならそういう暗黒面とも格闘した方がいいはずだ.


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