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タイラー・コーエン「新たなマクロ戦争についてノア・スミスが言ってること」(2021年3月24日)

[Tyler Cowen, “Noah Smith on the new macro wars,” Marginal Revolution, March 24, 2021]

この新しいマクロ経済学戦争でなにより面白いのは,学術研究にほぼまったく出番がないところだ.2011年は,ゼロ下限だのDSGEモデル対誘導型モデルだのといった話をめぐって論争が交わされていた.いまはどうかと言うと,たしかに学者は論争に参加してるけれど,実際の論文が議論に持ち出されるところはめったに見かけない.論文が引っ張り出されてきても,それはほぼきまって実証論文で,理論論文じゃない.

なんでだろう? 学者たちみずからが論争に関わってないなら,それでかまわないと言ってよさそうだ.「論争してる人たちは研究文献を知らないんだね」ですむ.でも,学者が参加していて,彼らは研究文献のことを間違いなく知ってて,それでいて論文を話に持ち出さないわけだよ.それに,Twitter の経済論争が軽薄だからとか,参照文献が足りてないからというわけでもない――たとえば最低賃金の論争では,しょっちゅう論文が引用されてる.

どうしてこうなったか,いろんな仮説が思い浮かぶとことだろう.でも,みんなが学術的なマクロ理論の有用性を信じるのをやめてしまったことに理由があるのはかなりはっきりしているように,ぼくには思える.マクロ経済学の教授たちはいまもいるし,マクロ経済学の研究をやって,理論論文を書いて,けっこうな給料をもらってる――というか,中村恵美,ジョン・スタインソン,ユーリ・ゴロドニチェンコ,アイヴァン・ワーニングみたいな面々が教授職についていて,マクロ理論の分野は最高の才能がひしめいている.それに,こうした面々はいい人たちで,自分たちの仕事を真剣にやってるし,政治的な物語を押し立てたりもしていない.

ただ,問題は,マクロ理論がものすごく,ものすごく難しいってことだ


この Substack 投稿は最初から最後までとてもいい.ただ,ぼくはこの件全体についてちがった解釈をとっている.現代マクロ経済学がすごく予測にすぐれているとは考えていないけれど,主張できることにあれこれの制約はかけているし,ついでに言えば予測できることにも制約をかけてる.しばらく前に共和党がこの道をたどったのは見たし,いまや民主党もその後を追っている――これはよろしくない.いま何が起きてるかと言うと,民主党が世間で人気になって勝利することを(全員ではなく一部の)民主党系の経済学者たちが望んでいて,そこで彼らはその願望に合わせてマクロ経済学の考え方を調整しなおそうとしてるんだと思う.最近の記事で,David Henderson がこの点をうまく述べてる:

クルーグマンですら認めていることに留意しよう.第一に,州政府など地方自治体への援助がクルーグマンの基準に照らしてすら多すぎるということ.第二に,今回のパッケージの巨大な部分を占めている〔パンデミックで〕大して苦しんでいない人たちへの給付金は,「標準的な経済学の観点ではなによりも正当化されにくい部分」だということ.さて,こうした政府の支出に,クルーグマンはどんな正当化をしてるんだろう? これらが「これまでのところもっとも世間に支持されている」ということ,そして,それゆえに「全面的に無視してすませ」られないということが,彼の挙げる正当化だ.

この論争の実際の分析では,サマーズが勝者なのははっきりしている.そして,そのことが大して意味をもっていない.Karl Smith によるこの見事な論評も参照しよう:

バイデン主義は政治的にまさに時宜を得ている.アメリカ人を自らが押し立ててどこかに向かわせているのではなく,人々がすでにいる地点に自分から出向いている.カーター時代の規制緩和がそのまま継承して現れたのがレーガニズムだったのと同じように,MAGAism〔「アメリカを再び偉大にしよう主義」〕をそのまま継承して現れたのがバイデン主義だ.

事態は進行中…


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