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タイラー・コーエン「自動運転車で考えうる直観に反するシナリオ3つ」

(Tyler Cowen, “Three counterintuitive scenarios for driverless vehicles,” Marginal Revolution, October 28, 2015)

image from Google Self-Driving Car Project

自動運転の話といえば,相場はこんなところだ――交通事故死は減少し,都市は大幅に郊外へ拡大し,渋滞に四苦八苦せず朝の通勤時間にこの Marginal Revolution を読んで過ごすようになるだろう,云々.もしかするとそうかもしれない.だが,ただの逆張りだとしても,考慮に値する他の可能性はなにかないだろうか?

  1. 運転手不要の自動車は,実のところ,ドイツの路面電車と比べて大してすぐれているわけじゃない.家のドアから職場のドアまで一直線のサービスと路面電車との差は,多くの人が思っている以上に小さい.それに,もちろん,路面電車はエネルギー消費がもっと少ないし,道路混雑のコストも小さい.
  2. 道路網を正確にマップする必要があるために,自動運転車が選べる経路は知名度も利用度も高いところにしぼられる.ちょうど,バス路線と同じだ.それが悪いってことはない.でも,つきつめていけば,自動運転で節約されるコストはバス運転手のコストにとどまるだろう.あるいは,それにすら及ばないかもしれない――自動車レーンの一部は,市営の自動運転車専用に変わってしまうかもしれない.すると,交通問題はいっそう悪化してしまう.すると,結局,自動運転は自家用車を排除する方策に終わってしまって,より広範な公共交通網の拡充にはあまりならないってオチになってしまう.
  3. 自動運転車は,アメリカ人の生活における自動車利用のあり方全体を「仕切り直す」機会を政府にもたらす.「それって大したことなの?」(想像してみるといい――今日,新しい憲法を書き直さなくちゃいけないとしたらどれだけ大ごとか).ちょっと考えてみよう.自動運転車に「自由放任」が組み合わされば,道路を行き交う自動車はあふれかえり,抱え込んだ混雑の重みで都市は崩壊してしまいかねない.すると,利用量を制限するシステムが導入され,結局のところ,自動車利用はいっそう管理・規制されるようになるだろう.しかも,そのシステムの基本となるのはライセンスだろう.いや,運転免許のことじゃないよ.

最大限に一般的な話をすれば,自動運転に関してみんなが立てるあれこれの予想は,次の2点に大きく左右されるはずだ:

a) 混雑に対して課金する合理的な方法があるか?
b) この新たな機会を利用すべく都市が再区分を進める速度がどれだけ迅速か?

この (a)-(b) のどちらについても,とりたてて楽観的に考えるべきかというと,ぼくには自信がない.

こんな風に言い換えてみようか:公共選択に関わる理由がどうであれ,大半の都心部で混雑具合に課金する方法がないために,すでに道路の管理運営はうまくいっていない.すると,自動運転でもダメダメなバージョンが実現してしまうかもしれない.

このポストに関連する会話で,アレックス・タバロックとジョー・バウスにお世話になった.


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