オリビエ・ブランシャール&ローレンス・サマーズ「経済学の進化か革命か」

Olivier Blanchard, Lawrence H. Summers “Evolution or revolution: An afterword” VOXEU, 13 May 2019

大恐慌と1970年代の大インフレによって生まれたマクロ経済学思想の変化は,過去10年の出来事を受けて起きたものよりもずっと劇的なものだ。本稿では,低い中立金利,安定化の主要手段としての財政政策の再浮上,インフレ目標到達の困難,低金利環境による金融への影響の組み合わせが,私たちのマクロ経済学理解や最良の結果をどのように達成するかについての政策判断に大きな変化をもたらすことで,この〔過去の経済学思想の変化の大きさと現在のそれとの間の〕格差が今後数年で縮まるだろうことを論じる。


MIT出版局は先週,1年半前に私たちがピーターソン研究所の会議で発表した論文や行った議論をまとめた本を刊行した。この本には「進化か革命か 大不況後のマクロ経済危機を再考する」という断言的でないタイトルがついている (Blanchard 2019, Rachel and Summers 2019)。状況ははっきりとはしていないものの,過去1年半の間の出来事を受け,私たちは長期停滞が先進国にとって大きな脅威であるとみなしている。いくぶん異なった見解からではあるものの (Blanchard 2019, Rachel and Summers 2019),私たちはマクロ経済政策,特に財政政策を大きく再考すべきであるとの信念を強めている。

私たちは概略的な論文において次のように書いた。

最低でも(略)政策は,事前においても事後においてもより積極的になるとともに,金融,財政,金融規制政策のバランスを再調整する必要がある。低い中立金利は金融政策の対象範囲を狭める一方で,財政政策の対象範囲を広げる。このバランスの再調整を進化としよう。しかし,仮に中立金利がさらに低くなったり,金融規制が危機を防ぐには不十分であると明らかになった場合には,より大きな財政赤字,金融政策目標の修正,もしくは金融制度に対するより厳しい規制といったさらに劇的な措置が必要となる可能性がある。これを革命としよう。いずれ明らかになるだろう。

私たちはこれを書いた以降の経済環境のいくつかの変化に衝撃を受けた。

まず,市場もしくは金融関係者によって決定される実質中立金利は上昇しておらず,危機が遠のいていてもなお下落している可能性が高い。低金利は金融危機による事後的な効果を反映しているので段々と消えゆくという考えは,誤りであることがきっぱりと証明された。アメリカにおいては,10年物の実質金利は過去数か月顕著に下落し,大規模な減税措置が可決されたにもかかわらず1年半前とほぼ同じとなっている。経済の弱まりの可能性に関する懸念やインフレ圧力の欠如に対し,Fed議長は短期金利2.5%である中,現在の引き締め局面が終わる可能性について触れた。次なる中央銀行の行動について,市場は金利引上げではなく引下げである可能性が圧倒的に高いとみている。ヨーロッパでは,経済の弱まりのために金利がプラスの領域に戻る日付は数年間先延ばしにされてきており,議論は量的緩和を再始動するかに移ってきている。ドイツと日本の双方において,インフレ連動債はマイナスの実質金利が次世代の経済的日常の特徴であることを示唆している。

次に,財政政策は日本において引き続き拡張的で,アメリカでは強く拡張的になり,ヨーロッパではやや拡張的であるのに,過熱感は一切もたらしていない。財政刺激にもかかわらず,インフレはFedの目標にかろうじて達した程度で,市場の予想はこの先30年を見ても2%以下だ。ユーロ圏と日本ではインフレは目標を下回ったままで,近いうちに目標に到達するという見込みはほとんどない。これは,少なくなくともユーロ圏と日本においては,積極的なマクロ経済政策にもかかわらず産出は未だに潜在性を下回っていることを強く示すものだと私たちは考えている。

私たちにとり,これらの事実は将来において財政政策が過去よりもずっと大きな役割を果たすことになるという不可避的な結論をもたらすものだ。事実,アメリカにおいてさえ金融政策には標準的な大きさの景気後退に適切に対処するための十分な余地がない。アメリカの典型的な景気後退においては,政策金利の500ベーシスポイント [1]訳注;5% 下落を伴っていたことを思い起こしてほしい。これは現在の政策金利の2倍に相当する。しかし,問題は一過性のものでなく,かつより根本的のものであるかもしれない。総需要は慢性的に低いままとなる可能性があり,これは低い中立金利が持続するということを意味する。〔金利の〕ゼロ下限は長きに渡って楔となる可能性があり,これは持続的な財政政策支援の継続的必要性と,金融政策と財政政策の間の役割のより劇的な再分配を意味する。ここで明らかにしておきべきことがある。公的債務の増加はそれ自体が厚生上のコストであるが,しかし筆者のうちの1人が示したとおり,低い金利はそうした公的債務増加による厚生上のコストが限定的である可能性を示すものだ。しかし,現在の環境では,財政赤字の増加が産出ギャップを減らすもしくはなくすのに役立つ限りにおいては,そうした厚生上のコストを利益が上回りうる。

日本における長きにわたるゼロ下限の事例は大きな教訓だ。1999年以降,政策金利はゼロもしくはゼロ下限に非常に近いところにあり続けている。日銀のバランスシートのサイズは5倍以上にも膨らんでいる。財政面では,日本は平均的にはGDPの6%の赤字でやってきており,純債務はGDPの90%程度上昇した。それでも,ゼロ金利,積極的な量的緩和,非常に拡張的な財政政策は産出を潜在性の水準に保つことができていない。長い間,日本について経済学者は政策の誤りと財政赤字への過剰な依存についてあげつらった。しかし,日本のマクロ経済的対応策は,正味で見れば正しいものであったことは今や明らかだ。

これらの論点はその国がゼロ下限にある時だけに俎上に上がるもので,アメリカは現在危険からは遠く,そんな過激な政策の必要性からも遠いと主張する人もいるかもしれない。それは間違いに終わることだろう。ひとつ目として,金利がプラスではあるがゼロに近いという場合でさえ,需要の鈍化が経済をゼロ下限に引き戻しかねないという懸念が家計と企業の心配事となり,さらなる需要の低下とゼロ下限へと突入する可能性の高まりを招くことになる。ふたつ目として,なんとかして,例えば現金を禁止して預金にマイナス金利を課すことによって,ゼロ下限を回避できた場合でさえ,非常に低い金利はしばしば過剰なリスク引受をともなうものと見られ,これには過剰なレバレッジからバブルの頻度の増加までありうる。みっつ目として,総需要に対する金利の効果は金利が下がるほどに弱くなると考える十分な理由がある。実のところ,ある「逆転金利」を下回ると金利の効果は逆向きになるという主張はなされてきており,実際に金利引き下げが借り入れを減らすのだ。よっつ目として,長期的に見た場合,低金利は債務を抱えたゾンビ企業を過剰に長く存続させてしまい,再配置とおそらくは成長も鈍化させてしまう。私たちはこれらの各要因の証拠が圧倒的なものであるとは考えていないが,これら全体を考慮すれば中立金利を十分に高く保ち,それにより需要を下支えするために適切に拡張的な財政政策を運営する意志をもつことを支持する理由となる。

これはひるがえってどのように財政政策と金融政策を協調させるかという問題を提起する。両者が反対の方向に働きうるということはアメリカにおいて明らかになった。Fedが長期債を買ってその金利を引き下げようとした際,財務省はそれを機に政府債務の満期を伸ばしたのだ。しかしながら,協調はこの文脈においてデリケートな問題を湧きあがらせる。金融政策の主要な発展のひとつは,中央銀行にインフレ目標を与え,中央銀行がそれを自らによって達成するよう放任するという形で,中央銀行に独立性を与えたことだ。財政政策と金融政策の双方が完全雇用を達成するために共同しなければならないならば,この独立性は維持されるのだろうか。平らなフィリップス曲線は時間非整合的な政策へと走らせ,どうやら短期おいては限定的なインフレを過熱させる危険を冒すという強い誘惑を持つ。そうした危険は回避できるのだろうか。

さて,ここで日本での展開を受けたさらに一風変わった問題に移ってみたい。日本では政府純債務は今や150%に達した。これまでのところそれによって金利は一切上昇していないが,投資家が心配してより大きなスプレッドを求めることになれば,債務の増大は債務破綻を避けるために必要な財政再建の規模も大きくさせる。これはどのようにリスクを減らすかという問題を提起する。ひとつの方法は債務の満期を長くすることで,金利の上昇が徐々にしか利払いに影響を与えないようにし,政府に財政再建のためより多くの時間を与えることだ。もうひとつは暗黙の取引不可能な債務への依存を高めることだ(急停止の影響を明らかに受けないだろう賦課方式の社会保障により大きな役割を与えるなど)。しかし,もうひとつには民間部門により多くの債務を引き受けるよう頼むという方法がある。一般的にいえば,その徴税力のおかげで政府は債務を引き受けるのに最適な地位にあるが,日本の公的債務水準においてもそれが正しいかは疑問に思う向きもあるはずだ。家計の貯蓄を減らし,企業により多く投資させるようなインセンティブを与える方策,おそらくは歪みのある方策さえ一考の余地がある。そうした歪みは,非常に高水準の公的債務というリスクよりはコストが低くなりうる。

進化か革命か。その決定はラベル貼る人が経済環境をどれだけ客観的に読み取るかによるのかもしれない。私たちは,最近発行された本 (Blanchard and Summers 2019) において,大恐慌と1970年代の大インフレがマクロ経済学思想に劇的な変化をもたらし,それは過去10年間の出来事に対して起きたものよりもはるかに劇的だったと記した。私たちは,低い中立金利,安定化の主要手段としての財政政策の再浮上,インフレ目標到達の困難,低金利環境による金融への影響の組み合わせが,私たちのマクロ経済学理解や最良の結果をどのように達成するかについての政策判断に大きな変化をもたらすことで,この〔過去の経済学思想の変化の大きさと現在のそれとの間の〕格差が今後数年で縮まる可能性が高まってきていると考えている。

参考文献
●Blanchard, O (2019), “Public Debt and Low Interest Rates”, American Economic Review 109(4): 1197-1229.
●Blanchard, O and L Summers (eds) (2019), Evolution or Revolution? Rethinking Macroeconomic Policy after the Great Recession, MIT Press.
●Rachel, L and L Summers (2019), “On Falling Neutral Real Rates, Fiscal Policy, and the Risk of Secular Stagnation”, Brookings Papers on Economic Activity (forthcoming).

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