●Tyler Cowen, “Hayek’s liberaltarian essay “”Free” Enterprise and Competitive Order””(Marginal Revolution, October 24, 2013)。ちなみに、タイトルにある「リベラルタリアン」は「リベラル」と「リバタリアン」の合成語。
近々MRUniversity1 でハイエクを取り上げる予定もあって、この度彼の論文““Free” Enterprise and Competitive Order”(「『自由』企業と競争秩序」)を再読していたのだが、個人的にその過程で何度も驚かされることになった。ハイエクのこの論文は1947年にモンペルラン協会(Mont Pelerin Society)が開催した会議の場で発表されたものであり、後にIndividualism and Economic Order(この本のpdfはこちら;邦訳『個人主義と経済秩序』)に収録されることになったものである。
この論文でのハイエクの主張を以下に箇条書きで要約することにしよう。
- 古典的自由主義者(classical liberals)は政府の行動に制約を課そうと試みることだけに満足していてはいけない(それだけでは十分ではない)。活発な競争を促進する上で政府に何ができ、またそのために政府は何をすべきかについてその概要を明らかにする努力もせねばならない。
- 金融政策を通じて失業の抑制を図るべきである。ただし、金融政策はルールに則って運営されるべきである。
- 特に都市部の土地に関して言えることだが、(公共目的のための)土地の収用(エミネント・ドメイン)は政府が果たすべき重要な機能である。エミネント・ドメインについてはもっと入念に検討する必要がある。
- 独占(monopoly)に伴う最も大きな弊害の多くは、伝統的な形態(財を供給する企業が一つだけ)を通じてではなく、特許法や知的所有権の保護を通じてもたらされる。この点に関するハイエクの主張はタバロック(Alex Tabarrok)やローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig)の主張と共鳴するところがある。
- 「契約の自由」(“freedom of contract”)を抽象的な次元で擁護するだけでは十分ではない。その具体的なあり様こそが真に重要である。
- 株主の有限責任(limited liability)が常に望ましいと言えるのか疑問である。
- 過去に相続税が乱用されたケースがあるのは確かだが、「相続税は社会的な流動性を促したり、財産の集中を和らげるための手段として利用し得るというのは確かである。そのような形で相続税が利用されるとすれば、相続税は自由を促進する重要なツールの一つと見なされるべきなのかもしれない。」
この論文ではなく別の箇所においてのことだが、ハイエクは福祉国家のアイデアや環境汚染税についても支持していたことを付け加えておこう。
- 訳注;マージナル・レボリューション大学。動画等を利用したオンラインでの経済学講座。 [↩]
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