タイラー・コーエン 「宿題の量と学力との間にはどんな関係がある?」(2005年6月21日)/ マーク・ソーマ 「宿題なんてまっぴら御免だ」(2010年9月23日)

●Tyler Cowen, “I always hated homework”(Marginal Revolution, June 21, 2005)


レテンドル教授(Gerald K. LeTendre)とベーカー教授(David P. Baker)が率いる研究チームの分析では、40カ国を超える国々の小学4年生、中学2年生、高校3年生を対象にして1994年に実施された教育に関する国際比較調査の結果 [1] 訳注;第3回国際数学・理科教育調査(TIMSS)の調査結果に加えて、5年後の1999年に調査対象国を50カ国に拡大して実施された追跡調査の結果 [2] 訳注;第4回国際数学・理科教育調査(TIMSS)の調査結果もあわせて検証されている。

その検証結果はというと、(学校から出される)宿題の平均的な量と学業成績との間には何の相関も見出されなかった [3] 訳注;宿題の量が多いほど、学業成績が高いという関係(正の相関関係)は見出されなかったという。例えば、日本、チェコ、デンマークといった生徒の成績が高い国(TIMSSの成績上位国)の多くでは、宿題はそれほど出されていない一方で、タイ、ギリシャ、イランといった生徒の成績がかなり低い国(TIMSSの成績下位国)では、宿題の量はかなり多いというのだ。

アメリカと日本を比較すると、アメリカの学校では1994年~95年度に数学の宿題が週当たり2時間を超える分量だけ出されているが、日本の学校では同じ期間に数学の宿題が週当たり1時間程度の分量だけしか出されていない。アメリカの学校では1980年代に宿題の量が増加の一途を辿った一方で、日本では1980年代に学校から出される宿題の量が減っていったのである。

レテンドル教授らが率いる研究チームの分析結果によると、1980年代に日米両国で進められた(宿題の量にまつわる)以上のような教育改革は、どちらの国においても、生徒の全般的な学業成績に対してこれといって何の影響も及ぼしていないようだ。

リチャード・モリン(Richard Morin)がワシントン・ポスト紙で連載しているコラムからの引用だ。上の引用文中で紹介されている研究については、こちらの記事でも詳しく取り上げられているが、学校が生徒に課す宿題は、貧困層の家庭(の親)にとりわけ重い負担になっている可能性が指摘されている [4]訳注;この研究を紹介している日本語の記事としては、例えば次の記事を参照されたい。 ●湯木進悟, “情報格差が学校の宿題に!? … Continue reading

宿題を多く出したからといって、生徒の学力が向上するとは限らない(あるいは、宿題の量と学力との間にはこれといって明確な関係は見出せない)のではないかとかねてから薄々感じてはいたのだが、とは言っても、ごく限られた一部のデータを用いて得られた結果をダシにして、あまりに性急に結論を導かないように気を付けるべきだろう。教育現場では、グレード・インフレーション(grade inflation)も問題になっているが――通知表の評価が甘くなれば、その評価が持つ(一人ひとりの能力の程度を仄めかす)シグナルとしての価値が低下することになるので、その埋め合わせとして生徒たちが課外活動に力を入れるようになるかもしれない。そうなると、課外活動への過大投資が引き起こされる可能性がある――、個人的には宿題の件の方が気になるところだ。

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●Mark Thoma, ““Against Homework””(Economist’s View, September 23, 2010)


サイエンティフィック・アメリカン誌の1860年10月号より引用。

Against Homework” by Scientific American

子供たちは、学校で6時間に及ぶ勉強漬けの時間を過ごす。学校が終わって家に戻ると、彼らを待っているのは宿題の山。宿題を済ますために、さらに4時間が勉強に費やされるのだ。しかしながら、そんなんじゃ子供たちの知性は育まれやしない。自然の摂理を人間の手で好き勝手に変えることなどできないのだ。痛ましいまでの努力を尽くした末に、子供たちは(まるでオウムのように)いくつもの単語を復唱できるようになるかもしれない。しかしながら、宿題の山を片付けた後の子供たちの脳は、すっかり消耗しきっている。そんな状態では、学問を真の意味で理解して我がものにする(学問の蘊奥を極める)ことなんてできやしない。今の教育システムは、子供たちの肉体ばかりではなく、いやそれ以上に、彼らの知性を衰弱させる効果しか持っていない。本の山を抱えて足をふらつかせながら家に戻り、時計の針が夜の8時を打ったにもかかわらず、眉間にしわを寄せながら本の山と格闘している幼き少女の姿を目にするたびに、不思議に思わずにはいられないことがある。我が子が獣にむさぼり食われようとしている時と同じように、世の大人たちは、彫刻刀なり、火かき棒なり、ゴルフクラブなり、敷石なり、近くにある武器になりそうな道具なりを急いで引っ掴(つか)んで、コモン・スクール(公立学校)の経営者たちの駆逐に向かうべきなのに、どうして立ち上がらないでいるのだろうか?

References

References
1 訳注;第3回国際数学・理科教育調査(TIMSS)の調査結果
2 訳注;第4回国際数学・理科教育調査(TIMSS)の調査結果
3 訳注;宿題の量が多いほど、学業成績が高いという関係(正の相関関係)は見出されなかった
4 訳注;この研究を紹介している日本語の記事としては、例えば次の記事を参照されたい。 ●湯木進悟, “情報格差が学校の宿題に!? 多く宿題を出しても学力は上がらないとの分析発表”(マイナビニュース、2005年6月3日) 次の記事(英文)もあわせて参照されたい。 ●Karl Taro Greenfeld, “My Daughter’s Homework Is Killing Me”(The Atlantic, October 2013)
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