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タイラー・コーエン 「絵画の『完璧』な複製が可能になったとしたら」(2004年5月31日)

●Tyler Cowen, “What if paintings were fully reproducible?”(Marginal Revolution, May 31, 2004)


ファビオ・ロハス(Fabio Rojas)がこちらのエントリー〔拙訳はこちら〕で名画の出来のよい「コピー」は安くで――オリジナル(原画)よりも格段に安い値段で――手に入ると指摘しているが、チャールズ・マレー(Charles Murray)も同様の主張を展開している

どんなサイズの絵画であれ原寸大の「完璧」なコピーを作り出すことを可能にするテクノロジーは既に存在している。色の明度や一本一本の線を「完璧」に再現するというだけにとどまらない。まったく同じキャンバスだったり石膏ボードだったりに素早い筆使いで生み出された三次元の凹凸や質感を「完璧」に再現することもできるし、ニスを塗って出る光沢だって――お望みならばひび割れ(亀裂)だって――「完璧」に再現できるのだ。「完璧」という言葉にはさらに別の意味も込められている。世界の中でも選りすぐりの目利きで最上の訓練を積んでいるアーティストでもどちらがオリジナルでどちらがコピーかを五分五分の確率でしか見抜けないという意味でも「完璧」なのだ。

テクノロジーの現状が誇張されている面はあるものの、「絵画が録音された曲のようになったとしたら(絵画の複製が曲を録音するのと変わらないくらい容易になったらとしたら)どうなるだろうか?」という問いそれ自体は依然として重要だ。

マレーは続けて次のように語っている。

完璧なコピーが作られるようになればオリジナル(原画)の売値は(一級品を除いては)暴落することだろう。一級品に関してはどうかというと、複製を認めるかどうかはその絵の持ち主に決定権があるわけだが、完璧なコピーをいくつか売り捌けばオリジナルの実勢価格と同じくらいの金額になる場合だってあるかもしれない。

絵それ自体に備わる魅力だけに照らして売買が行われるとしたら一体どの作品のコピーが一番売れ行きがいいだろうかと想像するのは楽しいものだ。傑作(great art)の「コピー市場」はクラシック音楽の「コピー市場」と同じくらいの比較的小さな規模にとどまるだろうか? それとも傑作のコピーは大衆を市場に呼び込むだけの力を備えているだろうか? 自宅に招くお客を驚嘆させる術として絵の値段に頼ることが出来なくなったとしたら、一体どの作品が室内の装飾品として選ばれることになるだろうか? 傑作のコピーが大衆品となり、誰もが傑作(のコピー)のコレクターになったとしたら、一体どの作品が一人でじっくりと鑑賞するために個人用の秘密のギャラリーに持ち込まれることになるだろうか? ティツィアーノやカラヴァッジョの作品のコピーの売り上げはモネやルノアール(といった印象派)の作品のコピーの売り上げにどのくらい肉薄できるだろうか? 「初期ピカソ」(『パイプを持つ少年』に代表される造作なく楽しめるピカソの作品群)と「後期ピカソ」とでは(コピーの売り上げで)どちらに軍配が上がるだろうか?

廉価の完璧なコピーの出現に伴って視覚芸術が日常の一部となったらどうなるか? その先に待つ展開を想像することほど興奮させられるものはない。大半の人に言えることだが、傑作というのは(美術館に足を運んで)1年のうちに数回ほど目にするに過ぎない対象というのが現状だ。その数回にしても次から次へと作品を見て回らねばならない。印象派の作品に辿り着くまでに足が持つかどうか、じっくりと味わえるだけの体力が残っているかどうかと心配しなければならない有様なのだ。

私なりの予測: 私の予測はロハスやマレーとは違っている。大抵の人は「傑作」(“great art”)が身近にあると――まさに「傑作」であるがゆえに――圧迫を感じて落ち着けないのではなかろうか? 身近に置くなら傑作(のコピー)よりも二級品(のコピー)。自宅の壁に掛けるなら平凡な風景画。大抵の人はそうなのではなかろうか? 仮にそうだとすると、傑作の「コピー市場」は思ったよりもこじんまりとした規模にとどまることだろう。さらに問うべき別の疑問もある。美術館は所蔵する作品の複製を認めるだろうかという疑問がそれだ。仮に美術館が所蔵する作品の複製(の販売等)を通じてそれなりの収入を得ることができるようになったとしたら、これまでのように寄付金や公的な補助金を収入源として頼りにできるものだろうか? (傑作のコピーが売り出されるのに伴って)高級芸術(high art)が商業化されることになれば「美術館は誰のものか?(美術館を支配するのは誰か?)」という問いへの答えも改めて根本から定義し直さねばならないことだろう。高級芸術の商業化に伴って美術館の経営も改善されることになるかというとその答えも決して自明ではないのだ。


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