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ダイアン・コイル 「経済学者よ、謙虚たれ」(2013年5月24日)/「体系の人」(2015年3月29日)

●Diane Coyle, “The humility of economists”(The Enlightened Economist, May 24, 2013)


間近に迫った講義の準備を進めている最中にふと手に取ったのはジェームズ・スコットの『Seeing Like A State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed』。1998年に出版された出色の一冊だ。

20世紀には数々の理想主義的な大規模実験が試みられた。旧ソ連における農業集団化やタンザニアにおけるウジャマー村構想(共同農場化)などがその例だが、本書ではかような実験が辿った破滅的な結末について詳しく取り上げられている。本書の結論部では数々の失敗(に終わった大規模実験の)例に共通するテーマが抉り出されている。いずれのケースでも未来(行く末)を取り巻く根本的な不確実性を看過するという過ちが犯されているというのだ。

「〔数々の理想主義的な大規模実験の推進者らが指針として頼りにした〕社会や歴史に関する(科学的な)分析は人間事象に備わる偶発性から目を逸らせる効果を持っている。歴史上の出来事も現象もそうなるしかなかった。そうなるように運命づけられていてそうなるのも必然だったのだ。社会や歴史に関する(科学的な)分析にはそのように思わせる効果が備わっている。ちょっとしたことで別の可能性が現実のものとなっていたかもしれないにも拘わらず」とはスコットの言だ。本書では(社会の改革を志す)世の政策当局者に向けて以下の4つの経験則が紹介されている。

  1. ゆっくりと小刻みに進め(漸進的な改革を心掛けよ)。一歩進むたびに立ち止まってこれまでの成果を点検すること。
  2. やり直せる余地を残しておけ;「不可逆的な(やり直しがきかない)介入は不可逆的な帰結を伴う」 (“Irreversible interventions have irreversible consequences”)
  3. 予想外の出来事(想定外)に備えておけ
  4. 現場の創意工夫を頼りにせよ;「ハイ・モダニズム1に突き動かされた大規模実験のすべてに通じる特徴の中でもおそらく最も顕著な特徴というのは、ごく普通の庶民が備えるスキルや知恵、経験に大して信頼が寄せられていないことである」。〔改革の工程が綿密に決められているために〕偶然が入り込む(改革・実験の成り行きが偶発的な要因によって左右される)余地が小さいほど、(ごく普通の庶民が備える)現場の経験や知恵が力を発揮する余地も限られてしまう。

本書では社会科学者に向けて直接何らかのメッセージが投げ掛けられているわけではないが、私なりに本書から引き出したメッセージならある。「因果関係の割り出し(推定)には慎重を期すべし」というのがそれだ。あるいはこうも言えるだろう。「知識というものに対する謙虚な(過剰なくらい謙虚な)姿勢を決して忘れるべからず」。本書ではハイ・モダニズムに目をくらまされたために破滅的な結果に終わった数々の社会工学(大規模実験)の例が取り上げられているわけだが、経済学もその例外ではない。ハイ・モダニズムによる目隠しの毒牙にかかっている経済分析は数多いのだ。

『Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed (Yale Agrarian Studies)』

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●Diane Coyle, “The man of the system”(The Enlightened Economist, March 29, 2015)


メグナド・デサイ(Meghnad Desai)の『Hubris: Why economists failed to predict the crisis and how to avoid the next one』(「ヒュブリス:経済学者は何故危機の到来を予見し損なったのか? 次なる危機を防ぐにはどうすればいいか?」)を読み始めたばかりなのだが、アダム・スミスの『道徳感情論』の中から見事な文章(白状すると、私自身は前回読んでからすっかり失念してしまっていたのだけれど)が引用されているのが目に付いた2

「この偉大な社会に暮らす種々雑多な人々はチェス盤の上のさまざまな駒のようなものであり、駒を手で動かすのと同じくらい簡単に(好き勝手に)動かすことができる。「体系の人」(The man of system)はどうやらそのように考えているようだ。チェス盤の上の駒は手によって加えられる力の他には何らの(運動)原理にも従わない一方で、人間社会という巨大なチェス盤の上の駒の一つ一つ(一人ひとり)は立法府が押し付けようとするのとは異なるそれ自らの(行動)原理を持ち合わせているのだが、彼(体系の人)はこの事実を考慮しようとしないのだ。」

かの傑作たる『Seeing Like A State』(著者はジェームズ・スコット)の論と共鳴する指摘だね。


『The Theory of Moral Sentiments (Penguin Classics)』

 


『Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed (The Institution for Social and Policy St)』

 


『Hubris: Why Economists Failed to Predict the Crisis and How to Avoid the Next One』

  1. 訳注;「ハイ・モダニズム」という表現に込められた大まかな意味については本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●ダイアン・コイル 「ジェームズ・スコット(著)『Seeing Like A State』を再読して」(2019年5月1日) []
  2. 訳注;以下は拙訳。 []

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