ノア・スミス「ウィーブ文化――日本のポップ文化に首ったけの非日本人たち」(2021年4月11日)

日本のポップ文化を愛好してる非日本人たちについて,キミらが知りたいとすら思ってもいなかったことをまとめて語ろう
[Noah Smith, “Weebs!Noahpinion, April 11, 2021; reposted April 7, 2023]

【2023年4月7日の追記】この2週間を日本で過ごしていた間,現地のスタートアップ創業者やベンチャーキャピタリストやコンサルタントやあれこれの友人に,「ウィーブ」って単語を聞いたことがあるかって尋ねたけれど,誰ひとりとして知らなくて,びっくりした.なぜって,日本の文化製品によって,世界規模のサブカルチャーが生まれてるのに,他ならぬ日本にいる人たちは,そんなサブカルチャーが存在してることにほぼ気づいてすらいないんだもの.このサブカルチャーは,世間の隅っこの存在でもない――アニメにもなった『SPY×FAMILY』の原作最新刊は,今週,北米でベストセラー1位になっているし,ウクライナの前線に身を置いてる兵士たちはストレス発散のためにピカチュー・ダンスを踊ったりしてる.日本は,ほぼ偶然によって,文化方面の超大国になった.

ともあれ,さっきの創業者やベンチャーキャピタリストなどなどには,2年前に「ウィーブ」について書いたこの記事に目を向けてもらうことになった.いまも続けてる「サブカルチャー」連作のなかで,この記事はいまでもいちばん楽しい.というか,これまで書いたあらゆる記事のなかでも,指折りにお気に入りだったりする.

日本のポップ文化を愛好してる非日本人たちについて,キミらが知りたいとすら思ってもいなかったことをまとめて語ろう

※この記事に載せている写真はすべて,2019年7月にサンフランシスコの「ジャパンタウン・アニメ & コスプレ・フェスティバル」でノア・スミスが撮影したもの.


“ちりもつもればやまとなでしこ?

「し」抜きで いや 死ぬ気で!”

— 千石撫子

「ウィーブ」(“weeb“) は “weeaboo” を短縮した単語で,そっちはもともと,とあるウェブコミックに出てきた意味のない言葉だった.いつかわからないけれど,4chan の人たちがこれを「日本人ワナビー」を意味する言葉として使いはじめた――つまり,日本文化を偶像化してる非日本人たちのことを,この単語は意味してる.

日本文化の偶像化は,べつに新しいものじゃない.ぼくの好きな詩人のリチャード・ブローティガンは,日本を訪れた経験でいろんな詩を書いていて,それで一冊の詩集をつくってる.そこには,こんな詩が入ってる〔下に添えた訳は,意味だけをとったもの〕:

June 30th again

above the Pacific

across the international date line

heading home to America

with part of my heart in Japan

6月30日またしても

太平洋上にいて

日付変更線をまたいで

アメリカにもどる途上でも

心はまだいくらか 日本にある

この気持ちは,ぼくにもすごくよくわかる.

ただ,日本大好きな人のことなら誰でもウィーブって呼ぶ人たちもいるものの,たいてい,この言葉にはもっと狭く限定された含みがついて回る.一般に,この単語が意味してるのは,日本のポップ文化が大好きな人だ――漫画とかゲームとか音楽とかコスチュームとか,そういうのを愛好してる人を指す.とくに,漫画だ.それに,アニメのファンじゃないウィーブなんて,なかなか想像できない.

(昔ならこの文脈では “otaku” と言ってたのが,いまはウィーブと言うように変わってる.日本語で「オタク」と言ったら「ギーク」のことだ――実のところ,これはびっくりするぐらいの直訳で,元はマイナスの含みがあったのが,00年代中盤までにプラスの意味合いをもつように変わっていった.長らく,アメリカ人はアニメファンを “otaku” と呼んでいたけれど,日本でいう「オタク」と意味がちがうことから,しだいに呼び方を切り替えざるをえなくなってウィーブと言うようになった.)

ただ,実はウィーブにはもっとややこしい含みがあって,たんなる日本好きやアニメファン層をはるかにこえた広がりをもっている.これは,いっこのサブカルチャーまるごとを指してる――きわめて複雑でこまやかで独自なサブカルチャーだ.それにすてきなサブカルチャーだと,ぼくは思ってる.

このサブカルチャーとみっちり付き合ったおかげで,「ぼくはウィーブじゃないな」ってわかってるし,今後も本物のウィーブになりはしないともわかってる――パンクロックの演奏を何度か聞きに行ったところで,べつにそいつがパンクになるとはかぎらないのと同じことだ.ぼくがなんでウィーブじゃないかと言えば,べつにそんなにたくさんアニメを見ないからでもないし,文化の主流で提供されてるものを好むからでもない.ぼくとウィーブたちとでは,日本との関係がすごくちがってるからだ.ぼくがウィーブ文化にほんとに加わることはないだろうけど,それでもこの文化を理解したいとは思ってるし,このすてきなところをもっと幅広い人たちにも味見してもらいたいと思ってる.

ウィーブ文化には,多様な要素が合流してる

ここは,すごく重要なポイントだ.ウィーブ文化を理解しようと思ったら,いかにありとあらゆるいろんな背景をもったアメリカ人たちが集まってる合流点になってるかってことの理解はかかせない――それに,いろんな国々の人たちの合流点でもある.

ウィーブ文化については,よくこんな誤解がある――「たいていのウィーブって白人でしょ」(あるいは,「言葉の定義からしてウィーブは白人にきまってるでしょ」).いや,統計は見つけられないけれど,個人的な経験からすると,ウィーブはアジア系に偏ってるし,黒人・ヒスパニック系の存在感も大きい.かるくネット検索してみると,白人じゃない人たちがおおぜい「自分はウィーブだ」と自認してる.そのことに熱意をもってる場合も多い:

だからって,白人・黒人・アジア系のそれぞれでウィーブ文化の経験のありようが系統的にちがわないっていうわけじゃない.系統的なちがいは,たしかにある.黒人系のウィーブの見方がどんな感じか知りたければ,2015年に Vice がやった黒人アニメファンたちのインタビュー集をおすすめする.あと,ステファニー・ピチャードが書いたこのブログ記事もおすすめ.「ウィーブ文化は総じて極端なまでに寛容で敷居が低い空間だ」っていう印象をぼくはもっていたけれど,このインタビューはまさにその裏付けになってくれてる.ただ,サブカルチャーのご多分に漏れず,一握りのネット荒らしはどこにも沸いて出てくる.

日本人以外のアジア系の人たちもウィーブと言っていいのかどうかっていう問いを提起しようという試み多少はあった(「キミってアジア系でしょ,だったらアジアのものを好きになるのなんて,おかしなことでも変わったことでもないじゃん」などなど).でも,そうした論議も,とにかく本人がウィーブだって言ってるんだからそれでいいじゃんという圧にすっかり押し流された.多くのアジア系の人たちが「自分はウィーブだ」って自認してて,だったらその人たちはウィーブなんだ.ここでも,アジア系のウィーブたちの経験は,白人や黒人のウィーブたちといくらか系統的にちがっているようだけれど,それはどんなサブカルチャーでも同様だろう.

日本ポップ文化のファン層で,ありとあらゆる人種のアメリカ人たちがいりまじるのは,直観的には「そうだろうな」とわかる.黒人と白人の伝統的な二項対立でできあがったアメリカの人種関係の外に,日本は存在してる.そればかりか,ある程度までは,黒人・白人にかぎらずありとあらゆるアメリカの人種関係の外にもある.日本は,ヨーロッパ植民地支配によって文明を築き上げられた先進国ではない.だから,その文化的な産物に――とくに現代の各種ファンタジーに――オマージュをささげたところで,西洋諸国の人種がらみの歴史や政治事情になにがしかの意味合いをもつことも,ほぼない.(アジア諸国の場合にはそれより少しばかりややこしい.20世紀前半に日本みずからがたどった植民地の歴史があるせいだ.)

言い換えると,ある程度までは,ウィーブ文化は中立的な集いの場になってくれているってことだ.この合流地では,ぼくらアメリカ人の毎日の暮らしに骨がらみになってる痛々しい社会的な対立を逃れて,ただの人間としてすてきなファンタジーを楽しめる.

あと,「ウィーブの連中って右翼なんでしょ」っていうステレオタイプについても一言言っておくべきだろうね:これは,完全に無知でまちがってる.このステレオタイプが存在してるのは,2010年代中盤に Gamergate がアニメのアバターを使いまくったおかげだ.その後,オルト右翼はアニメアバターを捨てて,フロッグや古いギリシャ肖像やトランプの写真を使うようになった.というか,一部には少数ながらアニメ・ナチもいる.ちょうど,その昔のパンク界隈にナチ・パンクの一派がいたのと同じことだ.とはいえ,アニメ・ナチの人たちもだいたいオンラインだけでやってるので,実生活でお目にかかることはないし,アニメ・コンベンションやコスプレ集会に出かけても彼らに出くわしたりはしない(あるいは,いざ出くわしても,きっと「アニメ・ナチだ」とはわからないんじゃないかと思う.というのも,きっとそういう場面では彼らは黙り込んでるだろうから.) 一人一人を見ていけば,ウィーブたちの大半は,リベラル系や左翼で,あとはごくひとにぎりのリバタリアンや保守もまじってる.ようするに,アメリカ人の若者がまとめて放り込まれてる.

例によって,これもミームで解説するのがいちばんだろう:

あと,ウィーブらしい特徴は,いくらか国際的な現象でもある.日本のポップ文化は,全世界にいきわたってるし,いろんな国々で似たような反応を引き起こしてる.このサブカルチャーがものすごい人気を博してる国を挙げると,インドネシア(”wibu” と綴る),台湾,その他のいろんなアジア諸国がある.アニメのファン層は,イタリアフランスラテンアメリカですごく大きくなってる.ここでも,いろんな国々でのウィーブ文化はそっくり同じなわけじゃない.ちょうど,パンク文化がいろんな国々で同じじゃなかったのと同様だ.ただ,それとわかる程度にはよく似てる.

ただひとつ,ウィーブ文化が何でないかといえば,日本人の文化ではない.ウィーブ文化は日本の製品から派生したわけで,とうぜん,いろいろと細かいところで日本に影響されている.それに,大半のウィーブたちはなんらかのかたちで日本に関心をもっている.なかには,日本語を学ぶ人たちもいる.あるいは,日本旅行に(巡礼に?」)出かける人たちもいる.ただ,ぼくの経験だと,日本に移り住むのは比較的にわずかな人たちだ.

「え,なんで?」―― その理由は,ウィーブ文化の魅力に関するぼくの一般的な理論とからんでいる.ウィーブ文化は,恋愛(ロマンス)に関わりがあるんだ.

ウィーブ文化のかなめはロマンスだ

というか,長らく,この記事を書きたい書きたいと思いながらいままで書かずにきたのに,いまこうして腰をすえてようやく書いてるきっかけは,先日目にしたとあるミームだった:

[画像のキャプション: 「思い出しなよ,十代で恋愛をやりそびれたし,十代をやり直せもしないってこと.]

このミームを見て,持論を思い出した――「ウィーブ文化のかなめは,みんなが経験しそびれた恋愛(ロマンス)を取り戻すところにある」というのが,それだ.

さて,この説は,ぼくが思いついたものにすぎない.民族誌的な理論であって,べつにデータにもとづいてはいない.「ほらね,これを見れば,ウィーブたちがウィーブたちであるワケが証明されるんだよ」なんてグラフは見せられない.というか,ウィーブたち当人に聞きとり調査をしてみたって,きっと,この考えに行き着く人はほんの一握りしかいないはずだ.だから,この理論はちょっと眉につばをつけて聞いてほしい.ひょっとすると,ペットボトル一本分くらいつけてもらった方がいいかもしれない.

ともあれ.ウィーブ文化にふれたら,これがいかに恋愛に満ちているか,すぐさま気づくはずだ.セックスそのものずばりじゃないよ.そこにはちがいがある.ウィーブの人たちが描くイラストを見てもらうと――即売会で売ってるものだろうと,Instagram に載せてるラクガキだろうと――そこには若い恋人どうしがやさしく抱きしめあってる場面だとか,月を見上げている少女だとか,なにやら考え込んでる若い男だとか,そういうのでいっぱいだ.これは,ナマの,誇張されたポルノのような hentai の性的な嗜好とは,なんの関わりもない.これは,若い子の恋愛の夢なんだ.

ぼくの理解では,恋愛(ロマンス)の要は自己イメージと自分の人生の物語にある.セックスはその一部ではあるけれど,でも,ここで大事なのは実際に快楽を得ることよりも,性的に魅力があると感じることだ.愛も,恋愛の一部ではある.でも,ここでは情動面での人との関係そのものはそんなに大事じゃなくって,それよりも,なにがどうなって誰かを愛するに至るかっていう物語の方が大事なんだ――それに,自分が愛されるに値する人間であることもね.

そういう経験こそ,十代の頃に経験できなかったと多くのアメリカ人が感じてる経験だ.そう感じる理由の一端としては,実際の十代の恋愛は理想化されたものとはたいてい似ても似つかないものだからってところもある――十代の恋愛なんて,ぎこちなくて,こそこそしてて,後ろ暗い気持ちがついて回って,情動面で未熟で,しかも,社会的によく思われるかどうかって心配に加えてセックス経験を求める欲求におおよそ突き動かされてるものだ.でも,ここにはアメリカ固有の事情もある――アメリカは,世界でいちばん暴力的な先進国で,中学校や高校にまで暴力が蔓延してる.アメリカの若者たちは,性のありようやロマンスの境界を取り締まるために暴力を使ってる.いじめっ子は,キミのケツを蹴り回しつつ,こんなことを言う――「おまえなんかに彼氏/彼女なんてできねーからな.」 こういう暴力は,総じて周縁に置かれてる人たちに対して,とくによく用いられる――ゲイの子や,トランスの子,人種的少数派,障害児,自閉症スペクトラムの子,世間的に魅力がない子,たんに内気だったり身体が弱かったりオタクっぽかったりするだけの子,あるいは,これという名前もついてないけどあからさまに変な感じの子なんかが,そういう暴力に対象になる.

ウィーブの人たちと仲間づきあいしてみれば,ほどなくして,こういう子たちのいかに多くがウィーブになってるか気づくはずだ.

もちろん,高校を卒業して一人立ちすると,アメリカはずっといいところになる.でも,アメリカ人の多くには,ずっとこんな気持ちが残る――「自分は,なにかすごく大事なモノを経験しそびれてしまった――ロマンチックで〔異性に好まれる〕素敵な若者になる機会を逃してしまった」

多くのアメリカ人にとって,日本は十代のロマンスを経験しそびれずにすむ場所みたいに感じられてる.おそらく,その感覚には,ほんのちょっぴりの現実味がある.日本は,世界でいちばん暴力の少ない豊かな国だ.それに,日本にもイジメや村八分や社会的排除もそれなりにあるけれど,総じて,これらは誰かの顔をブン殴るかたちをとらない.また,「日本は性事情に関してそれほど堅くない」というステレオタイプは,大半が間違いではあるものの,一から十まで間違いというわけでもない.こうしたことがあって,奥手であっても恋愛生活を送るのは少しだけかんたんだ.

ただ,こうした日本像の大半は幻想だ――アニメを視聴してアメリカ人が消費しているのは,日本人クリエイターたちの願望成就ファンタジーだ.現実の日本は,うすのろやオタクや周縁の人たちですらいつでも自分が素敵で恋愛対象たりうる人間だと感じられる場所ではないかもしれない.でも,アニメはそういう場所だ.日本出身の人なら,「自分はファンタジーを見てるんだ」ってわかってる.でも,日本以外の出身だと,アニメのロマンスの世界がほんとに行ける場所のように感じられるのかもしれない.

で,ここが大事なところだ――わりとほんとに行ける場所ではある.でも,それは日本じゃない.行けるのは,ウィーブ文化そのものの方だ.

ちょっと説教くさい話をするけど,若い頃の恋愛で大事な事実は,「そんなものやりそびれても大したことない」ってことなんだよ.だって,たしかに高校時代ってのはいちばん恋愛を求める時期ではあるけど,ほぼ間違いなく,ほんとに恋愛をするのにいちばんいい時期じゃあないんだから.大人として,一人立ちして,自分のことは自分でやって,自分がなりたい人間になること.そっちの方が,ずっと恋愛の実現につながりやすい.

さて,ウィーブ文化は,大人たちがそういう恋愛生活をおくる機会を得る場所のひとつではある.これには理由がいろいろある.ウィーブの人たちは――少なくとも,実生活で他のウィーブ仲間たちと顔を合わせるタイプの人たちは――いっぱい付き合う相手ができやすい(ってのが,みんながほんとに聞きたかったことでしょ?).でも,それはウィーブ文化のほんの一端でしかない.

他にも,ウィーブ文化は極端におだやかな文化,非暴力的な文化だって事情もある.パンクのショーに出かければ,よくケンカに出くわすはずだ.でも,アニメ大会でケンカなんて聞いたこともない.熱をおびた議論なら出くわすけど,それだって物腰おだやかなものだ.それに,ウィーブ文化はたいてい相手の話をすごく歓迎するし,「そんなのダメだ」とか切って捨てたりすることはあまりない.さっき言ったとおりだ.

それに加えて,各種のファンの集いは,人格を育てる機会にもなってる――つまり,自分が好きなモノを見つけることで,「自分はこういう人間だ」って見定めていく機会にもなってるんだ.ロマンスには,自分らしさの強い感覚という入力が欠かせない.自分が何者かわかれば,誰かが自分と恋に落ちてくれると信じるのがずっと容易になる.コスプレなんかも,自分らしさを表現する機会をウィーブたちにもたらしている(同時に,コスプレは,セクシーな衣装を身に纏う口実にもなってる).

でも,ウィーブ文化がロマンティックである大きな理由は,単純に,アニメをはじめとする日本のポップ文化にふれて誰もがロマンスについて考えるようになるってところにある.とにかくこれが動機になるんだ.

たぶん,だからこそ,日本の人たちも,ウィーブたちに出くわすとちょっと困惑してしまいがちなんだろう.自分の国のポップ文化をプラットフォームに使って,いろんな国の人たちが現実世界でロマンティックな青春時代の模造品をつくりだして,そこで楽しくやれると想像してるなんて,すごく変な感じがする.それに,おそらく,ウィーブたちが実際に日本に行く場合がそんなに多くない理由も,ここにある(それに,いざ日本に行ってみるといまいちに思う人が多い理由も).たいていのウィーブたちにとって,日本はほんとに行きたい場所とはちがう.

ウィーブたちが――少なくとも自分の部屋から出られないほど内気なわけじゃないウィーブたちが――ロマンティックな夢を生きられる場所は,日本ではない.その場所は,他でもなくウィーブ文化なんだ.ウィーブ文化が根を張ってるアメリカその他の国々は,日本をそっくりマネはしなかった.そうじゃなく,まるっきり独創的な文化を自分たちでつくりだしたんだ.

ウィーブたちとアメリカ

集団としてのウィーブは,アメリカの他の文化から少しばかり敬遠されたり抵抗されたりしている.ゆっくりと,ウィーブはマイナスの含みを帯び始めている.でも,いまはまだ罵倒語としてはおだやかなもので,ヘンタイ〔二次元ポルノ〕や普通とはちがう性嗜好や右翼政治,さらにはタブーになってるあれこれを連想させるものになっている(どれも完全に不当な連想なんだけど).漫画やコスプレそのものも,いまだに,子供っぽいひまつぶしや逃避行動の一種だと思ってる人たちが一部にいる.もちろん,こうした扱いには,内気なはみ出し者を探し出してイジメてやろうとするアメリカ人全般の傾向が隠れたかたちであらわれてる部分がたくさんある.人種や性嗜好や魅力の低さを理由に他人を迫害するのが以前ほど世間で許されにくくなってきてる時代なのに,いまだに,「漫画を好んでいるからといって他人をイジメるのは別におかしくもないことだ」って思われてるわけだよ.

でも,こうしたぬるいかたちでの排除も,だんだんと弱まってきている.世代が変わってきて,ますます多くの割合のアメリカ人たちが日本のポップ文化の産物を楽しみながら育つようになってきてる.ちょうど,かつてスターウォーズ世代がいい年になった頃に「ギーク」がプラスの意味になったのと同じように,きっとウィーブも,まずは反語的にプラスの意味の言葉になって,それから,「自分もそうなりたい」と多くの人が思うようなものを意味する言葉に変わっていくだろう(「俺ってめっちゃウィーブなんすよwww」).そうなれば,このサブカルチャーは薄まっていくだろう――週末だけウィーブ系の趣味を楽しむ人たちが大量にアニメ大会に参加したりするようになっていくだろう.というか,これはすでに起こりつつある.インターネットのおかげで,どのサブカルチャーも,人の出入りがかんたんになってる.そのうち,テレビ業界人や映画製作者たちや小説家たちの手によって,アメリカ人がみずからを語る物語でウィーブ文化を描写しだして,これがいい方に転がってくれたらいいなって思う.

でも,本物のハードコアなウィーブサブカルチャーも存続するはずだ.死滅してしまうにはあまりにすてきで創造力がありすぎる.それに,ハードコアウィーブサブカルチャーには,そこに参加してる人たちにとって,あまりに重要な社会的目的に役立ってもいる.

Total
1
Shares

コメントを残す

Related Posts