ノア・スミス「キミの住んでるところで価格が変わるのはインフレじゃないよ」(2021年3月23日)

[Noah Smith, “Your local price changes aren’t inflation,” Noahpinion, March 23, 2021]


Pile of Cashby 401(K) 2013, CC BY-SA 2.0

ベイエリアに住んでる人たちのなかに,インフレになってなくてもインフレだと思う人たちがいるのはなんでだろう?


マクロ経済学には,ルーカスの「島」モデルという古い理論がある.このモデルでは,事業者ひとりひとりが別々の島に暮らしている.そして,各人が知っているのは,みんなが自分の財にどれくらい払う意欲があるか,ただそれだけだ.突如として,みんなが自分の財に大枚を払いはじめると,「自分が売ってるモノを消費者が求める欲求の増えたのがその理由の一端だ」と事業者たちは想定する.そのため,事業者たちは生産と従業員の雇用を増やす.でも,〔みんなが大枚を払いはじめたのが〕マネーサプライの増加によるものだとしたら――ようするに中央銀行がとにかくドルを発行してみんなが支出できるドルが増えたのだとしたら――自分の財にみんなが認める価値が昨日より高まったわけでもないのに,事業者たちは勘違いして生産を増やしてしまう.こんな具合に,ルーカスの島モデルはいかにして金融政策が実体経済を促進しうるかを扱う理論となっている.

ルーカスの島モデルは,経済のモデルとしてそれほどすぐれているわけじゃない.理論的には,けっこう怪しい.「どうして事業者たちはちょっとインフレ率を確かめることもしないで,いきなり自分の財の人気が高まったなんて勘違いにまんまと陥ってしまってるんだよ?」 インターネット以前の時代にだって,インフレ率を調べるのはかんたんだった――『ウォールストリートジャーナル』を読むなり,ニュースを見るなりすればよかった.実証的にも,島モデルはそんなにうまくいってなかった――このモデルどおりなら,四半期ごとに GDP は激しく揺れ動くだろうという結論にたどりつく.現実には,そんな風にはなっていない.「お,いまのは悪くないショットでしたなルーカス先生.しかしまだまだですぞ.」 

それでも,テック業界の友達が「もしかして政府の統計が示してるのよりも実際のインフレ率ってすごく高くなってるんじゃね?」なんて疑問を口にするのを見かけるたびに,ぼくはルーカスの「島」モデルのことを考えてる.テック業界の人たちは一般に「金本位制こそ至高」/「緊縮すべし」タイプとはちがう.だから,彼らがチャップウッド指標みたいなでっち上げインフレ率を信じてしまうようなことは,そうそうない(なんであれがでっち上げなのかって理由はブルームバーグで書いた).じゃあ,どうしてあんなに大勢のテック業界の人たちが,「政府の数字の見せかけよりもインフレが問題になってるんじゃないか」と疑ってるように見えるんだろう?

ぼくの理論:彼らは,ルーカスの島に住んでるからだ! ようするに,高収入の人たちが大勢ベイエリアに引っ越していって,あの地域の土地その他の価格が押し上げられているんだ.すると,彼らの目には生活コストが急速に上昇してるように見えてしまう.でも,実際には,急速な値上がりはベイエリアにかなり限定されている.たとえば,サンフランシスコのメトロポリタンエリアの消費者物価は,全米のペースを超えている.2014年頃からはとくに顕著だ.

それに,家賃はいっそうペースが速い.

全米とこういう地域の物価が大きくわかれている理由は,ベイエリアに住みたいとのぞむ人たちが増えたことにある.そのため,ベイエリアに暮らす人たちは,他の地域の人たちよりも急速に物価が上がっていくさまを目の当たりにすることになりやすい.そのせいで,無意識に,政府のインフレ統計は間違っているんじゃないかと思ってしまうんだろう――ちょうど,ルーカスの島モデルの島々に暮らす人と同じ状況になるわけだ.

(友人の Adam Nach も別の理由を挙げている:株価が上がると,テック系企業の従業員たちの報酬も増える.それで,資産価格の上昇を賃金インフレととりちがえているのかもしれない――これもやっぱり,ルーカスの島効果だ.3つ目の可能性として,単純にテック系の人たちは自分たちのビットコイン・ポートフォリオの将来について楽観しているのかもしれない.彼らはビットコインがインフレから守られていると考えているからだ.)

ともあれ,「住んでいる地域の物価変動は大事だ」「資産価格の変化は大事だ」と言う声があるかもしれない.「そう考える人たちにとって,隠れたインフレが本当にあることにはならないの?」 ――ならないよ.住んでいる地域の物価変動がどうでもいいってわけじゃない――もちろん,大事だ.それに,資産価格の変化がどうでもいいってことでもない――もちろん,大事だ.たんに,経済学者たちがインフレを計測するときにとらえようとしてるのは,そういう概念とはちがうってだけだ.

じゃあ,経済学者たちがインフレをそんな風に定義してる理由の話をしよう.

インフレをざっくり解説

経済学者たちは「価格」(“prices”) を何通りかで考える.いまテレビの購入を考えているとしよう.まず,そのテレビを買うのに使うドル(とかビットコインとか日本円とか)の数字がある.これを「名目」価格という.次に,そのテレビを手に入れるためにあきらめるお金以外のいろんな有用なものの量がある――食べ物とか,住処とか,自分の余暇とか.これを「相対」価格という.相対価格だけが「本物」だと経済学者たちは考えがちだ――つまり,ドルはただの緑色の紙切れにすぎない(あるいはいまどきは比喩的な緑色の紙切れかな)と彼らは考える.他方で,テレビを手に入れるためにあきらめる他のものは本物のコストだ.

ひとつ想像してみよう.ある経済において,あらゆるものの名目価格が2倍になったとする.コストが500ドルだったテレビはいまや1000ドルだし,5万ドル稼いでいた人たちの収入は10万ドルになる,などなど.このとき,相対価格はまったく同じままだ.テレビを買うためにあきらめなきゃいけないピザの量も同じなら,働かなきゃいけない時間も同じだ.典型的に,経済学者たちはこの種の変化は経済の観点ではそんなに重要じゃないと考える.ぼくらの物質的な生活水準はまったく同じままで,たんに物事に割り振られている数字〔名目価格〕だけがちがってる.

この種の変化こそを,「インフレーション」の概念は捉えようとしている.ふだんの言葉づかいでは,「インフレーション」とは「実質の生活費の増加」という意味だと考えがちだけれど,経済学者にとっては,「計算単位をもてあそぶこと」にとどまらないことを意味する.この用語をつくりだした経済学者たちは,おそらく,意図的にインフレをおこす金融政策について考えていたんだろう.そうした金融政策で,基本的に政府は貨幣の価値を下げようと試みて経済にお金を注ぎ込む.これは,債務の実質負担を減らす方法になっている場合がよくある.

経済学教科書にでてくるような理想的なインフレ概念では,インフレによって生活水準は低下しない.なぜなら,物価上昇と足並みをそろえて賃金も上がるからだ.現実には,かならずしもそうなるとはかぎらない.1960年代後半には当時のそこそこ高めのインフレ率 (4-5%) に遅れず給与も上がったけれど,1970年代にはそうならなかった.

経済学者の意図では,インフレは「数字こそ変わるけれどそれ以外になんにも変わらない」という意味なんだけれど,現実には予期しないインフレの昂進で実質の生活費が高まることもありうる.そうなる理由としては,インフレ水準が高くて不安定な状況でインフレに足並みを揃えて労働者たちが交渉で賃上げをさせられないことがありうる.

(横道にそれた註釈:ここからは,インフレの公式数値に賃金を含めるべきかどうかという興味深い問いがでてくる.典型的かつ公式の答えは「ノー」だ.なぜなら,労働力は中間財だからだ――つまり,労働力の価格をインフレに含めるのは,ちょうど,テレビ画面を製造するのに使われるガラスの価格を含めるのと同じことなんだ.ガラスの価格はテレビそのものの価格にすでに組み込まれているから,テレビと別にガラスの価格もインフレの計算に入れると二重に数え入れることになってしまう.でも,他方で,こんな主張もある――「『市場バスケット』〔物価の統計に使われる財・サービスの集合〕に数えられていない消費財に余暇がある,そして賃金は余暇の価格だ.」  ともあれ,さしあたってこの問いは飛ばしておこう.

経済学者がとらえたがっているものを計測する仕事を,公式のインフレ数値は完璧にこなしてはいない.それでも,地域の物価がその数字に含まれていニア理由はかんたんに理解できる.「もうデトロイトで暮らすのはごめんだ,サンフランシスコで暮らそう」とみんなが決めたなら,そりゃサンフランシスコの物価は上がる.だからと言って,それでアメリカドルの値打ちがそれ以前よりも下がるわけじゃない.つまり,「連銀が合衆国経済にどんどんドルを流し込んでいて,ドルの価値が押し下げられている」と思うなら,おそらく,ベイエリアの物価に注目するべきじゃない.目を向けるべきは,アメリカドルでモノに価格がついてるあらゆる場所の物価だ.

(補足:金融政策の仕組み上,連銀が経済にドルを流し込めばいつでもドルの価値が下がるとはかぎらない.ひとつには,市中銀行もマネーサプライをいくらか制御しているからだ.連銀がドルをつくりだすのと同じ速度で市中銀行はドルを消していける.また,人々はドルをもっとゆっくり使うことができるからでもある.これは基本的に,なにかがよりたくさんつくりだされても人々がもっとため込むだけだったらその価値は下がらないという原則に似ている.)

さて,資産価格が――株価・住宅価格などなどが――インフレの数字に含まれるべきかという共通の問いにたどりついた.答えは「ノー」だ.株式について言えば,二重に数えることになってしまうからだ――テレビの価格が上がったとき,テレビを売った企業の稼ぎも増え,それで株価も上がる.だから,株価とテレビの価格をどちらもインフレの計算に入れると,二重に数えることになってしまう.

さらに根本的なことを言うと,株式そのものは価値ある財を代表していない.思い出してほしい.経済学者がインフレを計測してる主な理由って,ドルの価値と価値ある財の価値を分離することにあったよね.株式そのものに価値は備わっていない.だから,インフレの計算に株式を入れても,お金の価値とモノの価値を分離する助けにならない.

「だったら,住宅はどうなの?」 住宅は本物の価値があるモノだ.株式みたいな金融の会計ツールとはちがう.それどころか,持ち主本人が住んでいる住宅の本当の価値の価格をインフレの数値に取り込もうと経済学者たちは試みている.そのために計算してるのが「帰属家賃」だ.かいつまんで言うと,持ち主が住んでいる住宅に注目して,その住宅が市場で貸家に出されたらいくら払わなきゃいけなくなるかを推計したのが,帰属家賃だ.そして,その価格をインフレの計算に取り入れる.言い換えると,経済学者たちは,持ち主本人が自分にその住宅を貸しているかのように扱っているわけだ.

すると,住宅価格が上がったとき,通例,その上昇分はインフレ〔の計算〕に取り込まれる.賃料も上がるからだ.ただ,住宅価格が賃料よりも大幅に上がった状況では――たとえば住宅バブルがそういう状況――賃料だけがインフレの計算に数え入れられる.なぜなら,住宅価格の「追加の」上昇分は,実際の財の価格というより金融資産の価格だからだ.将来,家の価格が上がっていくのを見越して家により多くの払ったからと言って,その家で生活する実際の価値が上がってるわけじゃない.これはみんなが2007年~2008年の苦しみでご存じのとおり.

というわけで,インフレの計算はこんな具合になってる.ドルの価値と現実の財の価値とのちがいを完璧に計ってこそいないけれど,経済学者たちはこうやってそのちがいを計測しようとしてる.「こうすればもっとよくなる」という(めんどい)議論はたくさんある.それでも,地域の物価はインフレに含まれるべきじゃないし,資産価格も同様だ.どちらも,それはそれで大事ではあるけれど,それにはまた別の理由がある.

(追記: 「金融政策は相対価格を変えるのか」についてぼくに質問してきた人たちがいる――たとえば,連銀の行動でベイエリアとデトロイト〔の物価〕が安くなったり,教師の給料を下げる一方でソフトウェアエンジニアの給料を上げたりしてるのかどうか,という質問だ.とても面白い質問だから,そのうち別の投稿でとりあげよう.今後もおたのしみに!)

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