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ノア・スミス「ヒッケル説を反駁する:貧困削減をめぐる議論」(2021年4月3日)

[Noah Smith, “Against Hickelism,” Noahpinion, April 3, 2021]

貧困は減少してきてる.そして,それは自由市場資本主義のおかげではない.


Mumbai Night City” by Vidur Malhotra, CC PDM 1.0

ジェイソン・ヒッケルを反駁するのは骨折り仕事なうえに,やったところで感謝もされない.ヒッケルのツイートが世間であちこち出回っている.その一方で,そのツイートの冷静な反駁が,かえってツイートの勢いを増しているありさまだ.それでも,反駁はぜひしておかないといけない.なぜなら,ヒッケルの言ってる見当違いな物語は掛け値なしに人口に膾炙しやすいので,永遠に終わらないシジフォスの苦役のごとき反論が必要になるからだ.

人類学者として訓練をうけたヒッケルは,世界について大きなテーゼを2つ抱いている:

どちらのテーゼも間違っている.しかも,「僭越ながら,ヒッケルどの,事実についていささか正しく把握されておられないのでは」的な意味で間違っているだけじゃない.その誤解が現実の帰結をともなう,あやういかたちで間違っているんだ.この記事では,この2つの物語りのうち,1つ目の方だけに反論する.反成長についても後日きっと書くことを約束する.それまでの間,まずはこれこれを読んでみるといいだろう.

今日の記事では,世界の貧困削減をとりあげる.2019年の『ガーディアン』紙コラムで開陳されたヒッケルの考えでは,世界の貧困は過去数十年で悪化しているのだという:

いっそう保守的に考えて,一日 7.40ドル(…)で世界の貧困を計ったとしたらどうなるだろう?  一日 7.40ドル未満で生活している人々の数は,1981年に計測がはじまっていらい,劇的に増加してきている.今日では,その数は42億人に達している.

さらに,中国をこの計算から除外すると,数字はいっそう悪くなる.1981年いらいの40年間で,貧困線以下で暮らす人々の数が増えたばかりか,貧困で暮らす人々の割合はおよそ 60% で停滞したままなのだ.こうした数字の向こうにある苦しみは,いくら大きく考えてもそうそう誇張にはなりにくい.

これは,我々の世界経済システムの欠陥をまざまざと示している.世界経済システムは,人類の圧倒的多数を害しているのだ.

これ以上ないほど間違っている話だ.その理由は,このあとすぐに解説しよう.ただ,まずはどうしてヒッケルがこういう論を立てているのかについて語っておきたい.

基本的に,世界の貧困が減少しているという現実を受け入れると,資本主義の勝利を受け入れることになるんだと,ヒッケルは思っている:

スティーブン・ピンカーからニック・クリストフまで様々な著者たちが,そしてダボス会議の面々などが,こうした数字を持ち出している.自由市場資本主義が世界に広まったことが誰もにとって素晴らしい結果になっているのだと言わんばかりだ.

確かに,世界中で貧困が減少しているのは自由市場資本主義の結果なのだという物語を押し広めている人々もいる.ピンカーはまさにそう主張している.でも,ヒッケルがリンクを貼っているニューヨークタイムズ』コラムの中でニック・クリストフはそういう主張をしていない.コラムを開いて,ページ内検索で「資本」「資本主義」「市場」といった単語を調べてみてほしい〔原文での検索語は “capital”, “capitalism”, “market”, “markets” 〕.本文にそういう単語が出てきてないのがわかるはずだ.それどころかクリストフは世界経済の進歩をもたらした原因なんかぜんぜん論じていない.彼はただ,トランプ時代の悲観論に対する解毒薬として,世界中で貧困が減少してるって事実を寿いでいるだけだ.そこからもっと踏み込んで原因を断定してはいない.ヒッケルは,クリストフが言ってもいないことを言ったことにしてしまっている.

どうしてヒッケルはそんなことをしたんだろう? ピンカーの物語をヒッケルがすっかり受け入れているからだ.現代の世界経済システムが自由市場資本主義で定義される(中国を除く,後述)ってことを,ヒッケルは信じている.そして,クリストフも含めて他のみんなもそう信じていると決めてかかってるんだ.

ヒッケルは2019年に書いたピンカー宛の書簡で自分の世界観をはっきりと述べている:

ですが,あなたの書簡から明らかになっているように,ここであなたにとって本当に掛け金となっているのは,あなたが構築した自由市場の物語なのです.あなたの主張によれば,貧困削減を最も大きく進める要因となったのはネオリベラル資本主義だとされています.この主張には論拠がありません.その理由を述べましょう:

貧困減少の圧倒的多数は,ひとつの地域で生じています:東アジアです.ちなみに,中国や東アジア新興経済の虎たちの経済的成功は――Ha-Joon Chang や Robert Wade といった学者たちが指摘するように――あなたが支持するネオリベラル市場のおかげではなく,国家主導の産業政策・保護主義・規制によるものです(西洋諸国も自分たちの産業育成期に同じ方策をとって大きな結果を得ました).なるほどそうした国々も自由化しました――しかし,それは部分的かつ段階的に,自分たち独自の観点でなされたのです.

南半球はちがいます.それどころか,こうした政策オプションは系統的に南半球の国々がとれなくされているのです.既存のオプションがあっても,つぶされています.1980年から2000年まで,IMF と世界銀行は,その真逆をやる構造調整プログラムを強制しました:関税・助成金・社会支出および資本コントロールを減らす一方で,土地改革や公的資産の民間移譲を逆転させました――しかも,大衆の強い抵抗に直面してもこれらを進めたのです.

こんな具合に,現代の世界経済システム(中国以外)の成功はなんであれ自由市場資本主義の勝利に数えられなくてはいけないのだと,ヒッケルは思っている.だから,彼にとって,資本主義を批判するには,世界の貧困が減っているのを否定する必要があるわけだ.

でも,ヒッケルは貧困に関して間違ってるし,世界経済システムについても間違ってる.

ヒッケルは貧困減少について間違ってる

なにより,世界の貧困がどう変化しているかイデオロギーに中立なかたちで計りたかったら,なんでわざわざ中国を外す? 中国は世界人口の5ぶんの1を占めてる.中国での貧困減少は,人類の偉大な成功譚であり,言祝いでしかるべき出来事だ.イデオロギー的な理由で除外するべきじゃない.

第二に,中国を除外した場合にすら,この数十年で貧困は大幅に減少している.下の世界銀行から引用したグラフをみてもらおう(世界銀行は各国の消費水準について詳しい研究をあれこれやってる).このグラフには,一日 1.90ドルの最低水準で定義した貧困が描き出されている:

見てのとおり,この最低水準での貧困はいたるところで減少してきている(ただ,ごく最近になって中東では貧困が増えている.戦争に起因する増加だ.)

さて,次はもっと高い水準での貧困を見てみよう:一日 5.50ドルではどうだろう.

閾値をここまで上げても,貧困はいたるところで減っている.とりわけめざましいのが,ラテンアメリカとカリブ海・ヨーロッパ・中央アジアでの進展だ.(2000年代序盤に南アジアは加速してきてるように見えるけれど,データは早くに途切れている.)

じゃあ,ヒッケルはこの変化をどうやって否定しているんだろう? 単純だ:一日 1.90ドルや 5.50ドルは貧困について考える水準として低すぎるんだと彼は中傷してる.ヒッケルが書いた『ガーディアン』紙のコラムから引用しよう:

一日2ドルを稼いだからといって,いきなり極貧から抜け出せるわけではない.いきなり段違いの生活になりはしない.

長年にわたって,学者たちはもっと妥当な貧困ラインを用いるように提唱してきた.大半の学者たちは,基本的な栄養摂取と正常な人間の寿命,そして産んだ子供がそれなりの確率で5歳まで生き延びるのを達成するために,一日およそ 7.40ドルが最低でも必要だという点で一致している.

ピンカーへの反論でも他の場所でも,ヒッケルは 7.40ドルの閾値も主張している.彼の『ガーディアン』コラムや Twitter では,これは彼にとっては低すぎること,10ドルかそれ以上の閾値にすべきかもしれないことをほのめかしている

言い換えると,ヒッケルは単一の閾値で貧困を考えるよう主張しているわけだ.貧しい人たちの生活水準が現実に向上することではなく,単一の閾値を何人が超えたかで貧困削減をヒッケルは考えている.そして,その閾値をどこにするかを決めるのは他ならぬヒッケルというわけだ.

2019年に書いた『ブルームバーグ』の記事で,世界の貧困を考えるのにこれがいい方法じゃない理由をぼくは解説した:

[ヒッケルの]議論は,経済学的にも,道義的にも,欠陥がある.たしかにもっと高い貧困ラインも大事で,そちらにも目を配るべきではある.でも,実は低い方の閾値の方がもっと重要だったりする.一日 1.90ドル未満で暮らしている人は,飢え死にの危機に瀕していて,生命を救う医療も適切な衛生管理も基本的な教育も利用できない.この人の所得が一日 7.39ドルに上がったと想像してみよう.これは,生活が一変する向上だ――まだまだ貧しいけれど,危機の瀬戸際からは抜け出しているし,死なないでいるための日々の四苦八苦もしなくてすむ.

でも,ヒッケルの考えだと,この所得増加はなんら貧困減少に該当しない.なぜなら,7.39ドルは彼が選んだ 7.40ドルの閾値を超えていないからだ.これは,分析に欠陥があるのを反映している.というのも,経済学の基本的な事項をひとつ,ヒッケルは理解していないからだ――その基本事項とは,消費の限界効用逓減だ.つまり,「手持ちのお金が少なくなればなるほど,少額の意義が大きくなっていく」ってことを,ヒッケルはわかっていない.

この論証を,ヒッケルはこう言って一蹴している――「ここでも,低水準の所得増加に我々が注意を向けるべきでないことを私は論じていない.」  もっと後になって書いた文章を除いて,ヒッケルはこうした所得増加に注意を向けるのをかたくなに拒んでいる.そのかわりに,ひたすら単一の閾値を超えるかどうかで貧困減少を取り扱いつづけている.そして,「貧困は減っていませんよ」と主張できるのに十分なだけ,その閾値を高く起き続けている.

でも,これはもしかしたらヒッケルの落ち度じゃないのかも? なんといっても,世界銀行その他のデータソースでは,貧困がいろんな閾値で定義されているから,それを見ると,「ひとつの『正しい』閾値があるんじゃないか」と思ってしまうのかもしれない.でも,ぼくらが本当にすべきなのは,世界の所得分布がどう変化してきたかに目を向けることだ.さいわい,『データでみる私たちの世界』(Our World in Data) の人たちがそういう図をつくってくれている:

このグラフに引かれてる「国際的貧困ライン」は無視すること――いいかな,ぼくらは閾値じゃなくて分布に着目してるんだ.かわりに,とにかく分布のカタチをじっと見てほしい.あと,1800年の分は無視しよう.ここで問題にしてるのは,ここ数十年の貧困だからね.1975年から2015年までのあいだに,所得分布の山が大きく右に動いてるのがわかる.最大の変化はアジアで起きてるけれど,ラテンアメリカも大幅に所得を伸ばしてる.アフリカだけは,あまり進歩がないように見える.規模は大きくなっているものの,位置はほんのわずかしか変わっていない.

また,分布のカタチも劇的に変わってる.かつては2つのベルカーブだったのが,ひとつのベルカーブにまとまってきてる.ぼくの目には,これは脱植民地化を示唆する図に見える.けど,その話はあとで.

ともあれ,1988年から2011年までにこの分布がどう変化してきたかをアニメーションで図解したいい感じの GIF を Max Roser がつくってる.こちらでは,地域の区分が少しだけ詳しくなってる:

https://platform.twitter.com/widgets.js

たしかに中国が貧困減少の最優等生ではあるけれど,インドや「他のアジア」もなかなかうまくやってきたのが見てとれるね.耳を貸してくれる人にはことあるごとに言い続けてるんだけど,ぼくらは東南アジア+バングラデシュの上で寝てるんだよ〔シーツや布団などの製品をつくってるのはそういう国々が多いってこと〕.まあいいや.あと,ラテンアメリカや中央アジアも,かなりうまくやってる.

このグラフを眺めてみるだけでも,「世界の貧困は増えている」(あるいは「減少しそこねている」)というヒッケルの物語が間違ってるのがはっきりわかる.所得分布の山は,円滑に,広い範囲で,右へと移ってきてる.しかも,その変化はだいたい継続している.アフリカは比較的に進歩にとぼしいし,中東は近年の戦争による逆転を示している.もちろん,この2つは大きな懸念事項だ.でも,ヒッケル式に閾値にこだわるやり方を避けて,生活水準を広く見るやり方をとると,貧困の減少が広範囲で起こっていて,しかも中国以外でも広く起こっているのがわかる.

ヒッケルは世界経済システムについても間違ってる

ひとつ,大きな項目に関して,ヒッケルは正しい(そして,ピンカーは大きく間違ってる)――教条主義的な市場資本主義,つまりシカゴ・ボーイズワシントン・コンセンサス/1990年代の IMF でみんなが思い浮かべる類いの市場資本主義は,経済成長や貧困削減のすぐれた戦略ではないって点だ.ぼくが書いた『ブルームバーグ』記事への反論で,ヒッケルは奇妙にもこう主張してる――ノア・スミスは,「国家主導の発展戦略」よりも「ワシントン・コンセンサス式ネオリベラリズム」の方を支持しているんだって.でも,この言い分を聞いても,「自分に異論を言う人間は誰だろうととにかく自由市場に仕える司祭にちがいない」という見当外れの信念をヒッケルがどれほど強く抱いているのかがわかるだけだ.というか,ぼくが書いた他の文章でヒッケルの名前が出てこないのをなにか読んでみてくれてたら,ノア・スミスが一貫して産業政策開発国家を固く支持し続けているのがわかったはずだ.ぼくの友達なんて,以前,こんな冗談を言ってた――おまえって,『アジアはこうして発展した』で訓練されたニューラルネットじゃねえの.だって,あんなにしょっちゅう読め読めってみんなに言って回ってるじゃん.

ヒッケルの誤解は,「西洋列強とリバタリアン・イデオロギーと国際機関が共謀して,貧しい国々が混合式アプローチを自国経済に採用しないように謀っている」という発想にある.実際には,積極的な国家の政策はかなりありふれているし,さっき述べたような貧困減少に大きく貢献してきた.

たとえば,インドを例に挙げよう.Dani Rodrik と Arvind Subramanian は,2004年の論文でインドが急成長しているのを検討して,こんな風に述べている:

インドが見せた近年の実績に関する大半の通説では,経済成長の改善を1991年の自由化に結びつけている.本稿では,高成長への移行が1980年に起きていたことを示す.これは,経済自由化に10年先立っている.我々は,この成長の原因に関する多くの仮説を検討する――有利な外的環境,財政刺激,貿易自由化,国内の自由化,緑の革命,公共投資といった諸説を検討し,これらが実態をうまく説明できないことを示す.インドの高成長がはじまる引き金となったのは,政府が(自由化支持ではなく)企業寄りのアプローチをとる方に態度を変えたことだったのを本稿では論じる.この説明と整合するいくらかの証拠をここでは提示する.また,それまでの数十年で気づき挙げられてきた公認の製造業がインド各地の州んぽ成長パターンに影響を及ぼすうえで重要な役割を果たしたことも見出される.

言い換えると,インドはあれこれ自由化しただけじゃないってことだ.インドは独自バージョンの開発国家を実現し,その結果として栄えた.同じことは東南アジアについても当てはまる.東南アジアのマレーシアも,タイも,そして度合いは下がるけれどインドネシアも,それぞれに成功を収めた.こうした国々は,徹底して開発国家と産業政策に依拠してきた.また,ベトナムが近年成長しているのも,その一例だ.

ラテンアメリカでは,たしかにワシントン・コンセンサスによって構造変化と生産性成長が遅くなった.でも,だからといって,ラテンアメリカ各国の政府が貧困減少になんの役割も果たさなかったってことにはならない.ダメな助言のせいで,ラテンアメリカの開発国家の足が引っ張られたってことはあったかもしれない.でも,各国の政府は    広範囲におよぶ再分配と教育向上に携わってきた.

Nora Lustig, Luis F. Lopez-Calva,  Eduardo Ortiz-Juarez  の3人が出した一連論文が,そういう政策を記録している.ラテンアメリカ諸国の格差は,2000年代に大幅に小さくなった:

Lusting et al. によれば,この格差縮小のだいたい半分が,政府による〔所得〕移転と年金政策によるものと考えられるそうだ.他方で,残る半分は,〔所得分布の〕底辺にいる労働者たちの所得が伸びたことによるのを,彼らは見出している――そして,その所得の伸びは教育の向上でもたらされた.というわけで,ラテンアメリカ諸国の政府は,なるほど多くのアジア諸国が使った製造業集中型・輸出先導式の開発政策を追求しなかったけれど,政府の行動でなんとか貧困を減らしてみせたんだ.

それどころか,自由化と自由至上資本主義が貧困減少に最大の貢献をしたと立証されるかもしれない国があるとすれば,それは――皮肉にも――中国だ.国有企業を民営化して大量の外国からの投資を許容すること,これが中国の成長戦略の要でありつづけている.民間企業と土地私有を許すことも――ときに「郷鎮企業」だの土地の「70年リース」だのといった官製の婉曲語法のもとでなされているにしても――中国の発展で重要な要素でありつづけている.

明らかに,中国はネオリベラルの楽園ではない.でも,資本主義への移行は,格差の統計にあっさりと見いだせる.2019年に,Thomas Piketty, Li Yang, & Gabriel Zucman の研究で,私有財産制と私的資本蓄積がいかにして中国の格差を合衆国の水準にまで押し上げたかが立証されている.ピケティが新著『資本とイデオロギー』にそうした発見を取り込んだ途端に,中国政府は同書を発禁にした

というわけで,中国の躍進的な経済成長をヒッケルは資本主義によらない貧困減少の成功例として持ち上げているけれど,実は自由市場・私有財産・民間企業・格差の急激な変化と軌を一にしている.

とはいえ,ここでもやっぱり,一国の経済の自由化が貧困削減のすぐれた戦略だという話にはならない.中国はみずからが開発国家であることから相変わらず利益を得ている.2010年ごろまで,中国には中央で計画立案した産業政策を大してもちあわせていなかった.でも,各地の地方政府は輸出を促進し財政的リソースや実物的リソースを企業が利用できるようにすることに取り組んでいた.ラテンアメリカのような再分配政策を中国が採用していたら,いまみたいな巨大な格差に直面していなかったかもしれない.

ここでの本当の論点は,世界中でネオリベラルが失敗を繰り広げるなかで中国だけは社会主義的に成功しているといってヒッケルが持ち上げてるのが完全に大間違いだってことだ.逆に,貧困削減に成功を収めている国々は,みんな混合式アプローチを採用している――自由市場ドグマでもなく,計画経済でもなく,能動的に介入する政府と民間企業の大きな要素をあわせもつ折衷型を,どこも採用している.

途上国は自力で自分たちを救える

そんなわけで,世界の貧困減少を考えるうえで,ヒッケルのパラダイムはまるっきり見当違いだ.途上国の大半で現に貧困は減り続けている.そして,それは自由市場資本主義のおかげではない.

豊かな国と貧しい国の落差について言うと,これはいまだに大きい.でも,パーセンテージで見てみると,60年代から70年代にかけて落差が大きくなっていったものの,その後,ようやく落差が縮まりはじめている.南半球での成長は1990年代序盤から加速してきている一方で,「世界の二極分化」から「世界の合流」に向かう動きは,1960年代の脱植民地化の頃にまでさかのぼる.

そして,この点がヒッケル的発想のダメなところだとぼくは思う.ヒッケルの考え方では,世界はゼロサムかそれに近いととらえていて,本来なら南半球に行き渡るべき富を豊かな国々が掃除機のごとく「ズゴゴゴゴ」と吸い取っているんだと思っている.同時に,ヒッケルの考え方だと,南半球の国々は西洋の資本主義イデオロギーにとらわれて足を引っ張られているのだと見ている.

この世界観では,南半球の国々に認められる功績があまりに小さすぎる.富を吸い取られて干上がるどころか,そうした国々は発展してきている.国内のいちばん貧しい市民たちによりよい生活をもたらしてもなお,途上国が世界のパイに占める割合は大きくなってきてる.しかも,そうした国々は西洋からネオリベラルのインチキ薬を仕入れて服用するのではなく,政府にもとづく政策や市場にもとづく政策をあれやこれやと実用本位で実験することで,これを成し遂げている――鄧小平の有名な言葉にあるとおり,「川底の石を探り探り,川を渡って」いるんだ.

これこそ,ニック・クリストフやビル・ゲイツやマックス・ローザーやダイナ・ポメランツといった多士済々な面子がそろって称えること間違いなしのやり方だ.こういう現実を否認したり,あるいは修辞的なごまかしを弄して話をぼやかしたりすることで,ジェイソン・ヒッケルは南半球の国々にひどい仕打ちをしている.そうした国々が西洋のネオリベラル・イデオロギーに抑えつけられていると主張することで,そんなイデオロギーに対立している西洋の知識人たちこそが――たぶん左寄りのイギリス人著作家たち?――途上国の救済をもたらすんだとでも思ってるように見える.

途上国のなかには,ワシントン・コンセンサスや IMF による見当違いな要求に痛めつけられたところもある.でも,そうやって痛めつけられた国々ですら,大いに進歩を遂げて回復を果たしている.こうした国々で責任ある立場にある人々は,ヒッケルが思っているよりも賢く,ヒッケルが思っているほどには西洋に恩義を受けていない――彼らはどうすればうまくいくか実験して見つけ出す方法を知っているし,外国からの助言は眉にたっぷりツバつけて聞いている.

というわけで,こうした国々の業績をみくびらないでいよう.それに,発展する自由をぼくらから与えられる必要があるかのようにうそぶくのをやめよう.彼らは自力でできる.彼らは,現に自力でやってる.


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