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ノア・スミス「貧困と悪癖についてケヴィン・ウィリアムソンが間違っているところ」(2019年8月3日)

[Noah Smith “Why Kevin Williamson is wrong about poverty and bad behavior,” Noahpinion, August 3, 2019]

先日,ブルームバーグのコラムでこう論じた.先進国において,「悪癖」は――ドラッグ使用・暴力・片親の育児・怠け癖などは――貧困の主な原因ではない.証拠に挙げた国は日本だ.日本は,薬物使用も暴力も片親の育児も怠け癖も低い率にとどまっているのに,貧困率がアメリカにほぼ並んでいて,豊かなヨーロッパ諸国よりも大幅に上回っている.日本にそうした悪癖はとても少ないのに先進国にしては貧困率が高いのだから,悪癖が総体として貧困の主な原因になっているわけがない.

『ナショナル・レビュー』のケヴィン・ウィリアムソンが,このコラムに異論をはさんできた.キツい調子の反駁文で,ウィリアムソンはぼくのコラムをこう言っている――「古ぼけた通説」「しまりのない思考」「長ったらしい」「偏向した決まり文句と誤解された自明の理の混交物」「かりに分析と呼んでいいとしてもゆるい分析.」 ところが,こうして辛辣な言葉を並べつつも,ウィリアムソンはぼくが述べた論点のどれひとつとして中身に立ち入って反駁してない.ところどころ論証で論理的な誤謬を含んでいることもあるし,たんにぼくの論証を誤解しているところもある.

では,ウィリアムソンの記事を通して検討して,彼がぼくの論証を反駁し損なっているワケを明らかにしよう.

1. 絶対的な貧困,それとも相対的な貧困?

ウィリアムソンはぼくの論証を反駁する試みの手始めに,日本の貧しい人たちは実は貧しくなんかないという考えを述べている:

日本に「貧困が多い」という話は自明ではない.(…)スミスはここで「相対的貧困」という役立たずの尺度に依拠している.相対的貧困とは,所得中央値の半分未満しか稼いでいない人口の割合をいう.このアプローチの限界はおわかりだろう:みんなが均等に貧しくて99パーセントの人たちが一日50セントで暮らしている一方で1パーセントは一日49セントで暮らしている社会があったとしたら,この社会の〔相対的な〕貧困率は 0.00 ということになってしまう.他方,全体として所得が上がってきているものの上から 3分の2 の人たちは他よりずっと急速に所得を伸ばしている社会があったとしたら,その社会の〔相対的な〕貧困率は上昇していくし,今年は貧困に分類されなかった人たちのなかには,所得が上がったのに来年は貧困に分類されてしまう人たちがでてくる,などなど.それよりも,絶対的な尺度で貧困を考える方がはるかにマシだろう.ところが,我らが進歩派の友人たちは奇妙なまでにこれに抵抗する.

貧困をうまくとらえるには相対的な尺度と絶対的な尺度のどちらがいいのかという問いは脇に置くとしよう.どちらを推す立場にも,もっともな論証がある(それに,この2つ以外にもまだ貧困の定義をする余地があるかもしれないし).ただ,平均で見ると日本の平均的な貧しい人が送っている生活水準は,たとえばエチオピアの平均的な貧しい人よりも大幅に高いのはまちがいなく事実だ.

でも,それを言うならアメリカの貧困だって同様だ.ウィリアムソンみたいな保守の人たちが,悪癖のせいで貧しくなってるんだと責めているタイプのアメリカの欠乏・貧困だって,相対的貧困であって絶対的貧困じゃない.ウィリアムソンがその経済的な苦難は自業自得だと言ったので有名なニューヨークのガーバットに暮らす人たちも含めて,「貧しい」アメリカ人たちにしたって,やっぱりエチオピアの平均的な貧しい人よりもずっと豊かだ.だから,行動習慣と貧困について保守派が信じていることを値踏みするときには,相対的貧困に目を向けるべきだ.だって,それこそが,保守派が一般的に話題にしている貧困なんだから.

さて,かりに日本の方がアメリカよりも豊かだったとしても,日本はぼくらの比較対象として適切ではないかもしれない.かりに,日本の所得中央値の 50% 〔未満〕を稼いでいる日本人の方が,アメリカの所得中央値の 50%〔未満〕を稼いでいるアメリカ人よりも実質的に暮らし向きがよかったとしたら,ウィリアムソンの議論はなるほどいくらかの反駁になるだろう.でも,実際はどうかと言うと,その真逆が事実だ.購買力平価で比べてみると,日本の世帯所得中央値は,アメリカの世帯所得中央値の 63% ほどでしかない

つまり,絶対的な尺度で見ると,日本の相対的貧困ラインにある人は,アメリカの相対的貧困ラインにある人よりもいっそう悪い状況にあるってことだ.相対的貧困じゃなくて絶対的貧困の基準で考えた方が自説を押し立てることになるとウィリアムソンが考えてる理由はよくわからない.

2. 全国平均を見るとわかることって,どんなこと?

次に,ウィリアムソンの論述は,行動習慣(暴力や薬物使用など)の全国平均に目を向けるよりも,日本の貧困者の行動習慣に限定して目を向けるべきだと論じている:

第二に,スミスの主張によれば,日本以外の各地で貧困にともなって生じているさまざまな病理を日本人は免れているのだそうだが,必ずしも定かではない.たしかに,日本全体を見れば長期的に失業している割合は少ないし,薬物使用率や一人親での育児の割合なども低い.だが,ここで肝心な問いは,貧しい日本人がそうした項目で日本人全体と比較してどうなのか,ということだ.全国平均から貧しい人の状況を近似的に推測できるという仮定は,かりに分析と呼んでいいとしてもゆるい分析だ.

ウィリアムソンは肝心な問いを見誤っている.ここで肝心な問いは,P(相対的貧困|絶対的な悪癖)という条件付きの確率だ.つまり,こういう問いを問わないといけない:「悪癖がある場合にぼくが先進国で低い階層に落ちる確率はどう変わるんだろう?」 悪癖をもつ日本人の割合は,悪癖をもつアメリカ人の割合よりもずっと少ない.でも,そうした人たちのうち,低い社会階層に落ちる人たちの割合はだいたい同じだ(しかも,さっき書いておいたように,絶対的な尺度でみたとき,その低い階層はアメリカのそれよりもさらに悪い.少なくとも,25パーセンタイルの人たちはそうだ).このように,悪癖のせいで貧しくなる個々の日本人がいたとしても,日米ともに貧困がおおよそ同じ原因で生じている場合には,悪癖は統計的に最大の要因ではありえない.

どうしてそうなるのか示すために,単純な例題をやってみよう.悪癖の尺度の一例に暴力犯罪を取り上げてみるとしよう.あくまで架空の話として,10万人当たりの暴力犯罪件数がこうなっていると仮定する:

  • 貧しい日本人: 2件
  • 貧しくない日本人: 1件
  • 貧しいアメリカ人: 20件
  • 貧しくないアメリカ人: 10件

この架空の状況だと,貧しい日本人と貧しくない日本人とでは行動の差がある.しかも,日米どちらでも貧しい人と貧しくない人の悪癖の比率は同じだ! でも,悪癖と貧困の因果関係が日米で同じであるかぎり(この仮定についてはのちほど #9 で語ろう),貧しいアメリカ人に暴力をやめさせたところでアメリカの貧困は大して減らせないだろう.というか,貧しい日本人の暴力犯罪率に並ぶためにはアメリカの貧しい人たちの暴力犯罪は 95% も減らさないといけない.

統計的には,貧しい日本人も貧しいアメリカ人と同程度に悪癖に染まっているかもしれない.言い換えると,ほんとに行動習慣が悪い一世代の日本人が所得分布の下の方に集中している一方で,所得分布でそれより上の方にいる人たちはみんな聖人君子のようにふるまっていることもありえる,ということだ.この場合,日本とアメリカでいろんな尺度の平均値がちがっていたとしても,それはひとえに日米の中間階層と上位階層のちがいから生じていることになる.(この事例は完全に架空の話で実際とはちがうけれど,あくまで議論のたのしみのためにこれで話を続けよう).この例だと,貧しくないアメリカ人は,貧しくない日本人よりもずっとずっと行動習慣が悪い.ところが,この悪癖はべつにそういうアメリカ人を貧困に引きずり下ろしてはいない.つまり,極端な設定にしてあるこの架空の状況ですら,ウィリアムソンの主張ではなくぼくの主張を支持してしまうんだよ.

いまあげたのはたった2つの例でしかない.でも,一般に,悪癖と貧困をつなぐ関数で日本人とアメリカ人それぞれのデータにバチッとはまるものなんて,まず見つけられない.そんな数式がてんで当てはまらないんだ.

というわけで,貧困につながるいろんな原因はどこの国でも似たり寄ったりだと仮定していいなら,全国平均を見るだけでも,統計的に,豊かな先進国で悪癖は貧困の主な原因ではないと結論を下せるんだよ.

3. じゃあアルコールはどうなの?

ぼくの記事では,悪癖の尺度を4つにしぼって議論した――違法薬物使用,婚外出産,暴力,無為だ.ウィリアムソンの主張によると,ぼくが取りこぼしている5つ目の悪癖がある.それは,アルコールだ.

第三に,日本がおおよそ薬物濫用を免れている社会だという話は実証的に見て事実とはちがう.アメリカと同じく,日本でも,もっとも社会的に顕著で破滅的な薬物濫用は合法となっている:アルコール濫用がそれだ.日本ではアルコールが大きな問題になっていて,アルコール濫用は失業と貧困に関連している.ただし,因果関係の問題はややこしい(飲酒のせいで失業しているのか,失業したから飲酒しているのか).さまざまな研究のなかには,破滅的な飲酒は所得の上昇に伴って増加すると主張するものもある.

たしかに,日本で手っ取り早い薬物といえばアルコールだ.でも,ここでもアメリカの方が悪癖の程度は悪い.複数のデータソースを見てみると,どのデータでも日本の 1人当たり飲酒回数はだいたい7回となっているのに対して,アメリカではだいたい9回となっている.アメリカより貧困率が低いフランス・ドイツ・オーストラリアはだいたい12回だ.

また,日本のアルコール摂取に関しては,ウィリアムソンがリンクを貼っているロイター記事を検討してみると有益だ.ロイター記事では,日本でアルコール中毒が問題になっていると述べている.でも,その記事で挙げている事例はというと――

  • 1)6ヶ月入院しても職を失わなかった公務員
  • 2)在職中になくなった財務大臣
  • 3)寛仁親王

こうした事例で例示されるのは,組織・制度のちがいによって行動と経済的な帰結の関係がいかに影響されるかということだ.アルコール中毒でありながらくだんの公務員は失業しなかったし,財務大臣は公職にとどまっていたし,親王は親王のままだった.この点はあとでまた述べよう.

でも,ともあれウィリアムソンはいいところをついていると仮定して,違法薬物使用でも婚外出産でも暴力でも無為でもなくアルコールこそが行動に関連した貧困の原因なのだとしよう.それが事実だとすると,このアルコール以外の4つの悪癖を保守派が強調するのは見当違いで,禁酒とアルコール課税の引き上げを推進することにもっと傾注すべきってことになる.

4. どうして日本の制度はもっと貧困を抑制してないの?

日本の方が就業率が高くて国民皆健康保険があるっていうならどうして日本の貧困率はアメリカよりほんのわずかしか低くないんだとウィリアムソンは問う.

日本の労働参加率は高いとスミスが言っているのは正しい.それに,日本には(それなりに)全国民が対象の健康保険制度があるという点も正しい.スミスはこう言い添えている:「失業・病気・ケガその他の不運のせいで資本主義のあちこちに開いてる地割れから転落してしまう人たちはあまりにも多い.」 日本では 1) 失業率が低いし 2) 国民皆健康保険があって病気やケガに襲われた人たちを助けていると言っておきながら,すぐさまこんな話を付け加えるのはちぐはぐだ. もしかして,失業率が低くて国民健康保険があるだけでは足りないのでは?

まさしくその通りだ.それだけでは足りない.ただ,この2つがあれば十分だなんて,どこにもぼくは書いてないんだけどね.

国民健康保険は,個人が破産するリスクを減らす助けにはなるし(日本みたいにうまくやった場合には)コストも抑制する.失業率を低く抑え続けるのも破産リスクを減らすし,技能やいろんな人とのつながりを失うリスクも減らす.でも,それだけではヨーロッパみたいに低い貧困率を達成するのには十分じゃないことも,他でもなく日本を見ればわかる.貧困率をあそこまで低くするには,まだまだ必要なことがある――他のかたちの所得移転,および/あるいは,社会の所得のうち,低賃金労働者に回る分をもっと増やす制度などが必要だ.

5. 貧困は「資本主義」のせいじゃないの?

貧困を「資本主義」のせいにする議論は国それぞれの制度がちがうのを見落としているとウィリアムソンは主張している:

「資本主義」はすごく範囲の広い用語だ.合衆国は資本主義の国で,しかも豊かな資本主義国だ.日本も同様.シンガポールだって,スウェーデンだって,スイスだってそうだ.こうした国々の保険制度・税制・家族生活・文化規範などなどは根本からちがっている.そこから予想されるとおり,そうしたちがいによって,社会の実に多くの側面が異なっている――だが,それでもこうした国々はまとめて「資本主義」ととらえられている.(…)問題は「資本主義制度」だと論じるのは,一般論に逃げ込んで個別の事実をそれ自体として考えるのを放棄することだ.

たしかに,先進国はそれぞれに制度がちがっているし,こうした国々をひとくくりに「資本主義」とまとめると,はっきりする物事以上にぼやけてしまう物事の方が多くなりやすい.というか,この点については,先日まるまる記事一本を費やして論じているんだよね.ウィリアムソンはぜひ一読するといいよ!

ただ,ヴィルフレド・パレートの時代からよく知られているように,どこの国にも相当の市場貧困 (market poverty) がある.つまり,課税と移転がなされる前の貧困がある.下に掲載したグラフは経済政策研究所のもので,市場貧困率と移転後貧困率を示している:

つまり,どんな風に制度を設計してみても,政府による所得移転なしには相対的貧困を経験する人たちがたくさん出てきてしまうわけだ.そこで,社会的なセーフティネットがすごく重要になる.

資本主義はべつに悪いものじゃない.ある種の資本主義は富を生み出す驚異のエンジンだ.いまわかっているかぎりでは,ある種の資本主義は,生活水準を高く維持し絶対的貧困を根絶するのに必要不可欠だ.

でも,資本主義は万能じゃない.政府をプールの底に沈めて,自由市場経済で泳ぐも溺れるも個々人次第にまかせたら,個々人がどうふるまったところで一部の人たちは貧困に沈んでしまう結果になる.その分だけ,資本主義の制度は社会的なセーフティネットによって改善する余地がある.

ぼくが言わんとしてる要点はこれだ.たいていの人はわかってくれる,と思う.

6. 極度の貧困と精神疾患

アメリカでは,(長期的なホームレス状態も含めて)極度の貧困は精神疾患によって生じている部分が多いとウィリアムソンは述べている:

ニューヨークやロサンゼルスなどの大都市では,シェルターのベッドに空きがあるのに路上で眠る人たちをよく見かける.そうする理由はたくさんあるけれど,間違いなく主な理由は精神疾患だ(その一部には薬物濫用が含まれている).この見解は,都市部のホームレスに取り組んでいる専門家たちでほぼ共通している. 豊かで複雑な社会で精神疾患に対処する方法なら,すぐれたものからそうでもないものまで各種ある.そして,合衆国では最悪手を選んだ:1960年代から70年代にかけて「脱制度化」がなされた――左派の解放思想に右派のケチケチ節約が組み合わさって,精神病院をつぶしていったのだ.その後,そんな問題に対処に向いていない警官と看守の手に問題は委ねられた.こうなったのは合衆国だけではない.多くの(もしかすると大半の)西欧諸国は,アメリカよりもっと効果的な社会福祉制度を有しているが,非常に包括的な福祉国家をすえたスウェーデンでも,精神疾患はいわゆる「就労排除」の主要な原因となっている.

ぼくが知るかぎりでは,これは全面的に正しい.ただ,精神疾患は必ずしも一般的に行動の問題ではない点に注意しよう――アルコール・薬物・暴力は統合失調症をきたす確率を高めうるけれど,日本みたいに行動の問題が少ない国であっても,精神疾患の人たちは大勢いる.ウィリアムソンが述べているように,精神疾患に対処するいちばん効果的な方法は政府がお金を出した治療だ.それに,これもウィリアムソンが述べているように,「右派のケチケチ節約」はアメリカ政府が古典的なかたちの治療を提供しなくなった理由の一端だ――つまり,強制的な収容という対応をしなくなった理由の一端は,政府がお金を出さなくなった点にある(一方,日本では強制的な収容をいまもやっている).精神疾患にはどう対応するのがいちばんいいのかという問いは,まだ決め手となる答えはない.ただ,基本的には,個人的な責任でなんらかの改善をするのではなく,政府が介入して実行するのが答えになるのは間違いない.これも,ぼくの主張を支持する材料だ.

7. 貧困対策プログラムを増やすとアメリカの貧困は減る?

ウィリアムソンはこう書いている:

アメリカで進歩派が一般的に提案している大変化といえば日本がやっているような国民医療制度であったり,スウェーデンのような拡大版の福祉国家だが,実地に試されたときには全体的に効果をあげているようには見えない.スウェーデンやスイスでやっていることをそのままイースタン・ケンタッキーやボルチモアに輸入してその地域に複製してみてもうまくいかないと信じるべきまっとうな理由はある.とは言っても,日本やヨーロッパがやっていることから学ぶべきことがないという話ではない.べつに完璧でなければダメだという話ではないのだ.ただ,話はもっとややこしくなる.アメリカでは,貧困対策プログラムや経済発展プログラムにとてつもないお金を費やしてきた.そして,その多くは約束した結果をまったくもたらしていない.

そうだね,ヨーロッパ諸国に比べてアメリカが社会福祉に使ってるお金が少ないってのは本当だ:

[「いっそう大きなセーフティネットが必要:GDPのうち社会福祉に使われた割合]

でも,他方で,カナダとオーストラリアは(少なくともこの尺度では)福祉支出の割合が低いにもかかわらず,貧困率がアメリカよりも低いという事実もある.アメリカが抱えている課題は他の国々とちがうというウィリアムソンの話はほぼ確実に正しい.だとすると,同じ結果を達成するにはもっとお金を出す必要があるってことになるかもしれない.でも,アメリカでは政府の社会支出がうまくいかないと主張する前に,せめてイギリスやドイツ(あるいは日本)と同じくらいお金を出してみるべきだ.

「アメリカでは,貧困対策プログラムや経済発展プログラムにとてつもないお金を費やしてきた.そして,その多くは約束した結果をまったくもたらしていない」とウィリアムソンは言う.これは事実かも知れないし,そうじゃないかもしれない.ただ,こうしたプログラムには,約束どおりの結果をもたらしたものも多い.近年の例をちょっと見てもらうだけでも,1990年代序盤以降に児童の貧困が低下したのには全面的に政府による所得移転が効いているのがわかる:

さらに,ジョージ・W・ブッシュが始めてバラク・オバマが継続した政策のおかげで,アメリカのホームレスは大幅に低下している

こうしたアプローチは機能している.で,こうして機能しているやり方を強化すべきでない理由ってなんでしたっけ? まして,強化するだけのお金があるってときにそうしない理由って,なに?

8. 感情論と貧困削減

貧困を悪しき行動のせいにする保守派の一例としてぼくが元の記事で著作を引用したウィリアムソンは,こんなことを書いている:

アメリカの貧困について伝える記事で,私はできるかぎり惜しみなく事実を提示するべくつとめた.もしかすると,私がそうするのは道徳的な非難のよろこびを堪能するためなのだとノア・スミスは考えているのかもしれない.だが,意図した目的は,貧困についてまわる感情論を払拭して,関連するあるがままの事実に生産的に向き合えるようにして,和らげたいと願っている当の問題をかえって悪化させる結果に陥らないようにすることにある.(太字強調はぼくが加えたもの)

さて,ぼくが引用したウィリアムソンの記事からいくつか引用しよう:

そうとも,ガーバットの若造諸君――さっさとケツをあげて仕事をみつけたまえ(…) これは誰のせいでもない.自業自得だ.(…)なにかひどい惨事があったわけではない.戦争や飢餓や疫病や外国による占領があったわけではない.過去20~30年ほどに起きた経済の変化ですら,アメリカの白人貧困者の機能不全や怠惰を――さらには理解しがたい恨みを――ほとんど説明しない.(…) こうした機能不全な低所得地域の真実を言うなら,彼らは死んで当然なのだ.経済的には,彼らは消極資産だ.道徳的に言えば,彼らは擁護のしようがない.芝居がかったブルース・スプリングスティーンみたいな安っぽい戯言は忘れてしまえ.苦境にあがくラストベルトの工場街に同情する聖人ぶった言い草も,狡猾な東洋人に仕事をとられているとかいう陰謀論も,全部捨て去れ.くそったれの白いコナのことも忘れろ.エド・バークがあれで手を焼いてるんだったら,バークのことも忘れろ〔民主党議員のエドワード・バークは薬物依存の女性の子供の養父になって,のちに親権をめぐってその女性と裁判になった〕.アメリカの白人アンダークラスは悪しき利己主義文化に毒されている.この文化の主な産物は,貧乏と使用済み注射器だ.

さらに,ウィリアムソンが自ら引用している記事では,こう書いている:

見通しが暗澹としているここでの将来を考えるのは,あまり楽しいことではない.そこで,あまりにも陰鬱な内省をするかわりに,キミはクスリをキメて朝からビールをあおり,次から次にロトくじを引き続け,丘の上の治療ミーティングに行く.連邦政府の金を投じたフードスタンプのペプシと引き換えに,ケンタッキーズ・ベストのタバコだの硬貨だのを手に入れるお決まりの儀式をやる.ガソリンスタンドで山盛りのナチョスを平らげ,ときに覚醒剤をキメてみたかと思ったら,麻薬中毒者の匿名ミーティングに顔を出し,セコい犯罪をやらかし,マリファナをやり,快楽で十代の母をつくりあげては外科手術で母でなくし,死に追いやる(…)

これが「貧困についてまわる感情論を払拭」しているのだとしたら,いったい感情論混じりに貧困事情を伝える記事はどんなものに仕上がるんだろう?

9. ぼくの記事をうまく批判する記事はどんなものになる?

たしかに,800語で2ヶ国を比較した記事では,悪癖は貧困をもたらす最大の原因ではないと主張しようにも水も漏らさない論述はできない.誰か保守派がぼくの記事を読んで議論の穴をあれこれつつき回すのは可能にきまっている.ケヴィン・ウィリアムソンはそういう批判をしていないように思う.ただ,もしもウィリアムソンがちゃんとこっちの議論の穴をついていたら,こんな具合になっていただろう.

「アメリカと日本の経済システムは比較しがたいと思う.だから,日米それぞれの行動と貧困率を比較するのは不適切だ.アメリカは,うまく勤勉に仕事に励めば高く上り詰めていける実力主義の国だ.したがって,アメリカで貧困に陥っているなら,それは努力を怠っているということにちがいない.一方,日本は終身雇用を実施し,努力と成果に報いない非効率な企業制度をとり,性差別があって,しかも失敗すればずっと社会的な烙印が押されたままになる国なので,貧困はたいてい不運によって引き起こされている.」

つまり,たとえ先進国であっても,各国それぞれに根本から異なった理由で人々は貧困に陥っていると主張する手があるわけ.

これは実際ありうる話だ.これが事実なら,日本はもっと制度をアメリカに近づけることで貧困を減らせる余地がたっぷりあることになる.つまり,行状がよくて勤勉な日本人なら,額に汗してがんばれば貧困から抜け出せることになるはずだ.また,これが事実なら,アメリカはすでに制度面ではできるかぎりのことをやっていて,貧しい人たちにはもっとがんばって行いを正すように仕向けるのが最善ということになる.

もちろん,こういう主張に対しても,ぼくは否定するデータをたっぷり示す用意がある――たとえば,さっき述べたように,ここ数十年ほどアメリカ政府は所得移転によって貧困とホームレス状態を減らすことに成功している.あるいは,1990年以降,アメリカでは市場貧困が減らないままでも暴力と薬物使用が大きく減少しているデータも示せる.ただ,少なくとも日本の例を引くだけでは十分な反論にはならないだろうけどね.

(というか,これこそぼくが想定していた反論だ.というのも,日本を引き合いに出した主張に対しては,「日本はぜんぜん違うじゃん」と返すのがよくある議論だからだ.でも,ウィリアムソンはその手を使わなかった.)

というわけで,ぼくの記事は貧困の根本原因の問いを完全に解いたわけではない(それどころか,どんな記事も完全に解くことはないだろう).でも,ケヴィン・ウィリアムソンが試みた反駁は的を外してしまっている.ぼくの記事をさらに補足したすぐれた記事なら,このスコット・サムナーの記事を読むといい.あと,記事の冒頭に載せた写真についてもサムナーに感謝.


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