ノア・スミス「3度目の魔法――歴史・科学・人工知能」(2023年1月1日)

歴史・科学・AIについて思い巡らせてみると

今回の記事は,8年前に書いた記事を書き直したものだ.大きなテーマで,当時はまだ考えがまとまってなかった.書き上がった文章に,我ながらひどく不満だったけれど,ほんのいくつかながらも面白い考えの萌芽なら含まれていると思っていた.そこで,いまあらためて再挑戦することにした.今回も,きっとうまくいかないと思う.それでも,挑戦してみてなにか面白い考えがまたひとつでてきてくれたらいいなと思ってる.

人類の生活水準は,他の動物たちにくらべてはるかに上等だ.その差はどこから来たんだろう.多くの人は,こんな風に答える――

「知能がずっと高いことに理由があるんだよ」
「人間の方が言語によるコミュニケーション能力が高いおかげだ」

そういう長所が根底にあることの重要さを過小評価することなく,ぼくとしてはこんな考えを提案したい.「ぼくらの物質的な成功は,その大半が2つの大発明に起因している」という考えだ.たいてい,発明というと,ぼくらはあれこれの具体的なテクノロジーを思い浮かべる――農業とか,文字と筆記とか,車輪とか,蒸気機関とか,コンピュータとか.そういういろんなテクノロジーのなかでとびきり重要なのが,いわゆる「汎用テクノロジー」だ.でも,もっとずっと深いレベルにつきつめていくと,もっと深遠で根本的なメタ発明があって,それがこういう具体的な発明の土台になっているのがわかる.それは,世界についてあれこれを知る方法だ.

一度目の魔法

人類の一度目の大きなメタ発明は,ざっくり言って,歴史だ.これが,ぼくらをたんなる動物としての存在から一段高いところに引き上げた.「歴史」とは言っても,べつに,政治的な出来事や社会の潮流を年代順に並べたいわゆる歴史のことじゃない.ここでいう歴史とは,ようするに,言語で記録された知識のことだ――どうやって作物を育てたらいいかの手引きとか,家族の系譜とか,家を建てたり青銅を作ったりする技術とか,そういう知識のことを,ここではまとめて「歴史」と言う.もともとをたどれば,そういう知識は口承で記録されていた.でも,口伝えなんて,すごくロスの大きい媒体だ.やがて,ぼくら人間は知識を文字で書き残し始めた.すると,農業の解説書とか,数学書とか,いろんなものが書かれていった.これが,ぼくらをグンと前に進ませることになった.

動物だってあれこれの道具をつくる.でも,そういう道具の作り方を集団として記憶しているわけじゃない.歴史,とくに書かれた歴史によって,いろんな創意工夫や改善法をあとあとまで残せるようになった――つまり,誰かがなにかの新しいやり方をひらめくと,そのやり方を他の大勢の人間たちも知ることになりやすい.ひいては,人類全体がそれを知ることにもなる.もちろん,時が経つにつれて,そういういろんな技術は互いの基礎になりうる.現代では,「歴史っておおむね社会科学なんでしょ」と思いがちだけれど,でも,根底では,歴史とはテクノロジーの礎でもあるんだ.この歴史こそが,動物と大差ない水準から農業時代にまでぼくらを引き上げた立役者だ.

二度目の魔法

一度目の魔法のあと――正確にいつとは言わないよ,だって始めと終わりがくっきりしたプロセスじゃないし,正確にいつ一度目の魔法が起きたのかなんて議論はちょっと退屈だもの――人類は,二つ目の魔法を発見した.外界を制御する術をもたらす偉大なメタ発明の第二弾,それは科学だ.

ぼくの考える「歴史」とは,過去を順番に記録して情報を後々に伝えて蓄積していくところが主眼だ.これと対照的に,「科学」は世界の仕組みについてのあれこれの原理をつきとめてそれを一般的に応用するところに主眼がある.惑星の運動を記録することと,まだ発見されてもいない惑星の運動を予測できるようになることは,大違いだ.蒸気機関をあれこれといじりまわして発見したことをあれこれと書き記せば,ときに進歩につながる.でも,熱力学の原理を理解して,それを応用してよりよい蒸気機関を設計できるようになる方が,何十年,何世紀と試行錯誤で改善を重ねていくのに比べて,はるかに効果的だ.

科学はよく実験室で行われるけれど,べつに実験室でやらなきゃいけないわけじゃない.生態学者たちは,たんに自然を観察することで捕食者と被捕食者の関係の法則を導き出せる.ケプラーは,一般に成り立つ惑星の運動の法則を書き表すのに,重力で実験をせずにすませられた.それに,科学に数学が必須というわけでもない.世界を統べる原理の多くは,言葉や絵だけで表現できる.でも,文字と筆記によって,出来事を記録するプロセスが段違いに強化されたのと同じように,対照実験や数学によって宇宙の色んな法則の発見プロセスは段違いに強化された.

対照実験がなぜ強力かといえば,小さなことから大きなことへと飛躍できるからだ――おうちで斜面にボールを転がしてみて,それを利用して運動法則をつきとめれば,星々の運動がどう制御されてるのかわかる.裏庭でエンドウ豆を育てて,遺伝の法則を探り出すこともできる.数学がなぜ強力かといえば,ああいういろんな法則を数学で表現すれば,頭がくらくらするほど多種多様に幅広い範囲でかんたんに応用できるからだ.たとえば,キミが野砲の砲兵だとしよう.何世紀にもわたって蓄積されてきた経験をまとめたフィールドマニュアルがあれば,野砲の射程と精度を調整する方法がわかる.他方で,ちっちゃな木製ボールの実験から導ける物理学の知見を数学で表現してやれば,試行錯誤の回数をずっと減らして,標的に命中させる方法がわかる

あらためて考えみると,世界がそんな風に動いてるなんて,とても信じられないほどすごいことだ.時をさかのぼって 1500年の誰かに会いに行って,こんな風に言ったとしよう.「あのさ,あの頭のどうかしてそうなヤツって,斜面に球っころをコロコロ転がしてるじゃん.あいつ,物理的な世界の仕組みについてマジで正しいからね.何百万人もが蓄積してきた経験が間違ってて,あいつの方が正しいんだよ.しかも,さらにどうかしてるヤツがやってきて,妙ちきりんにもほどがあって喋れる人間なんていそうにない数学の言葉でアイツの知見を書き表してやると,いろんな法則を応用して,誰にも真似できないとんでもなく素晴らしい偉業をあれこれとやってのけられるんだ.」 きっと,こんなことを聞かされた相手は,「ああ,頭のどうかしてるヤツか」って思うよね.実際,どうかしてると当時の人たちは考えた.でも,ほんとに物理学はうまくいったんだよね.それまでに一度としてなかったくらいとんでもなくうまくいった.で,その経済的な結果はごらんのとおりだ:

1960年に,物理学者のユージン・ウィグナーは,「自然科学における不可解なまでの数学の有効性」という論考を書いた.実のところ,この論考では,数学よりも,そもそも「宇宙の法則」なんていう単純で一般化できるしろものが存在してることを主題にしている.物理法則や遺伝学の基礎みたいな原理があれほど単純で,それにもかかわらず時間と空間をとわず一貫してこうも一般化できるのは,いったいどういうわけだろう? とくに明白な理由もないのにこんな風になってるなんて.

実は,モノによってはちゃんと理由はあるんだよね.ぼくが大学1年生だったときに物理学を教えていたチャールズ・マーカスは,こんなことをぼくに言った.「物理学はすばらしい.でも,木がどうやったらできるのかは教えてくれないんだよ.」 物理学ではほんとに木についてなにひとつわからないってことじゃない.ただ,物理学や遺伝学のいろんな法則をもたらしてくれたアプローチでは手に負えない複雑な現象が山ほどあるのは事実だ.言語・認知・社会・経済・複雑系生態――こういうものには,これまでのところ,ニュートンの法則みたいなものは見つかっていない.いつか見つかるかどうかもわからない.

この問題は,ずっと前からとっくに認識されていて,どうにか解決できないかといろんな人たちが考えをめぐらせてきた.「あらゆる複雑な現象は創発特性に統べられているんじゃないか」と考える人たちもいる――「単純な現象は,あれこれの複雑な現象よりも一段高い水準で創発していて,心理や経済といったものにも単純な法則が発見できる.基底にある物理にそういう単純な法則を関連づけなくてもいい」と,そういう人たちは考える.実際,集団としての人間の行動について単純な数理的法則を経済学者たちが書き付けるとき,暗黙にこのアイディアがとられている(ときにはっきりそう明言してる場合もある).こういうアプローチは,「物理学への妬み」なんてからかわれてるけれど,ときに実際にうまくいくこともある.オークション理論は物理学から導き出されてこそいないけれど,Googleの検索広告や周波数帯を使う権利に人々がいくら払うかをかなり上手に予測できている.同じことは,貿易・移民流入・小売りなどなどの「重力モデル」にも言える.

でも,うまくいかないこともある――あるいは,少なくともまだうまくいってない場合もある.でも,心理学マクロ経済学や自然言語処理をはじめ多くの領域で,自然法則の探求は行き詰まってる.今後,本物の進歩がなされるかどうかもはっきりしてない.さっきのウィグナーは,さらにこうも言っている――こういう単純で一般化可能な原理で記述できない人間の知識も一部の領域にはあるんだろう.

複雑性の問題をなんとかしようと試みてるアプローチは他にもある――カオス理論とか,複雑性理論とか.そこから面白い知見ももたらされているけれど,肝心なところを突き詰めて言えば,それぞれが取り組んでる現象をかつてより大幅にうまく制御できるようにすることに成功してはいない.

ぼくらの二度目の魔法は,なるほど強力なことは証明済みとはいえ,まだ万能じゃなかったわけだ.

理解ぬきの制御,知識なしの力

2001年に,統計学者のレオ・ブレイマンが「統計モデリング:二つの文化」という論考を書いた (Leo Breaiman, “Statistical Modelling: The Two Cultures“).その論考で,統計学者たちとそれ以外の人たちとで,だんだんと考えがわかれてきていると彼は述べた.一方には統計学者たちがいて,自分たちがモデル化してる現象のモデルに無駄なややこしさを入れないようにすることに関心がある.他方,他の人たちは,それよりも予測の正確性に関心がある.両者で,関心のちがいが大きくなってるんだと彼は書いた.その証拠として彼が挙げたのが次の点だ――彼の言う「データモデル」にくらべて,「アルゴリズム的」モデル(初期の機械学習技法)の方が,一貫して上手に物事を予測している.ただし,アルゴリズム的モデルの方は,はるかに解釈困難で,いっそ不可能ですらある.

ここから,重大な問いがでてくる:人間の知識の目標って,なんだろう? ぼくの考えでは――ブレイマンの考えでもある――人間の知識の根本的な目的は,理解じゃなくて制御にある.どの季節にどの作物が生育したか記録することで,家族を養う糧がえられる.病原菌によって疫病が引き起こされるのを理解することで,ぼくらは手を洗ったりワクチンを接種したりすることを覚え,病気で死んでしまうリスクを下げる.こういう場面で,知識と理解はぼくらの好奇心をおのずと満たしてくれるかもしれないけれど,そういう好奇心の満足も,自分たちの得になるように世界をつくりかえる能力の重要度にくらべれば霞んでしまう.それに,ブレイマンが語った「アルゴリズム的」学習モデルの方が,ずっと上手に,世界をつくりかえる力をユーザーたちにもたらしてくれる.そういうモデルがみずからが予測してることを理解する見込みこそ少ないとしてもだ.

自分が予測してる事柄を理解するのをぼくらは気にかけるべき理由って,なんだろう? 科学時代に生まれ育ったぼくらの大半にとって,これは笑っちゃうような問いに思えるかもしれないけれど,もっともな理由がこれにはある.科学的な意味での「理解」とは,他のいろんな領域にも当てはめられる単純で一般化できる原理を導き出すことだ.惑星の運動に関するケプラーの法則は,それとして書き表せるけれど,他方,ニュートンの運動と重力の法則にもとづけば,惑星の軌道から野砲の弾丸まで一般化できる.観察したいろんな現象をギュッとまとめて単純で一般化できる法則を導きだして,そういう法則を他の領域にまであらためて拡張することで,他の現象を制御できるようになる.これが,科学の驚嘆すべき威力の根っこにある.だから,世界で最強のツールとなった400年にわたる科学の末席に座ってるキミやぼくは,「物事を理解するうえでこれがものすごく重要なんだ」って当然のように教えられてきたわけだ.

でも,ときに,あいだをつなぐ単純な「法則」を見つけなくてもあっちの現象からこっちの現象へと一般化する方法があるとしたらどうだろう? 悲しいことにブレイマンは自分のビジョンが実りをもたらすのを目にするまで生きなかったけれど,これこそ,人工知能にとりくんでる人たちがどんどんやりはじめてることに他ならない.2009年に――深層学習の革命が本格的にはじまる直前に――Google の研究者 Alon Halevy, Peter Norvig, Fernando Pereira は「不可解なまでのデータの有効性」という論考を執筆して,ブレイマンが残した論証をとりあげた.彼らの主張は,次のとおり――自然言語処理と機械翻訳の場合,単純で一般化できる法則がないときにも大量のデータを応用すれば効果が出る.ほんの少しだけ抜粋しよう:

素粒子ではなく人間に関わる科学の方が,優美な数式になかなか仕上げにくい点はすでに明らかとなっている.(…)英語[のあり方を定めている文法規則の]略式の不完全な[リスト]でも,ゆうに 1,700ページを超える.おそらく,自然言語処理やその関連分野であれば,物理学の方程式のような優美な理論にはついにたどりつくことはなく,複雑な理論にとどまる定めなのだろう.だが,そうだとしたら,極度に優美な理論を書き上がることが自分たちの目標であるかのようにふるまうのはやめて,複雑性を受け入れて,手に入れる最良の味方を活用すべきだ:すなわち,不可解なまでのデータの有効性という味方を活用すべきなのだ.(…)
では,データにしたがって(…)パラメトリック・モデルでデータを要約しようとするのではなく,ノンパラメトリック・モデルであらゆるデータを表す.なぜなら,非常に大規模なデータソースがあれば,データには多くの詳細が含まれるからだ.自然言語への応用にあたっては,人間言語で重要な概念を表すさまざまな単語がすでに進化していると信用する.単語のさまざまなクラスターで新しい概念をつくりだそうとするのではなく,すでにある単語を組み合わせることで,どこまでやれるか見てみるのだ.いくらかデータを集めてきて,それでなにができるか試してみるといい.

(註記: このところ世間を驚嘆させているチャットボットの ChatGPT は,パラメトリック・モデルだけれど,ここではその詳細にあまり深入りしないでおこう.解釈できるかどうかという話をすると,1750億のパラメータがあるモデルは,まったくパラメータのないモデルと実は大差ない.)

ともあれ,ここでの要点は次の点にある――言語のような複雑な現象には,表面的には見えない規則的なパターンがあって,それらを〔少数の原理で簡潔に〕要約するのは難しいものの,一般化は可能だ.十分なデータがあれば,人間言語のすばらしく複雑な規則の多く(すべて?)を符号化できるモデルをつくりだせる(お好みなら「AIを」つくりだせると言ってもいい).そして,これまで一度もなされたためしのない会話に,そうしたモデルを応用できる.これがどれほど強力になりうるかの証明に,ためしにこの記事の主題について ChatGPT に質問してみようか:

ぼく: 予測や制御のためには,予測や制御をしたい対象を理解する必要がある?

ChatGPT: 理解している対象の方が一般に予測や制御が容易です.なにかをよく理解していれば,パターンや規則性をつきとめられますし,その知識を利用して,将来それらがどうふるまうかについて眼識ある予測ができます.また,ある対象についての理解を利用して,その制御のために操作できる主要な変数をつきとめることもできます.
しかしながら,完全に対象を理解していなくても予測や制御は可能です.たとえば,機械学習アルゴリズムを用いれば,完全に理解していない対象について予測できます.それには,対象について収集したデータにパターンを見つけるやり方ができます.また,フィードバックループその他の制御メカニズムを利用すれば,対象の仕組みを詳しく理解することなく,対象を制御できます.
全体的に,理解はものごとの予測や制御に役立つことがありますが,厳密に必要なわけではありません.

農業のさまざまな技術を書きしるせる能力は,力だ.砲弾が描く軌道を計算できる能力は,力だ.上記のようにわかりやすく役立つパラグラフを一貫して安定して描ける能力は,力だ.いったいどうやって文章を書けているのかその原理がぼくらにはホントはわかっていなくても,力になる.

この力は,自然言語処理やチャットボットにかぎられているはずもない.近年,Google の AlphabetFold アルゴリズムはタンパク質折りたたみの形を予測するうえで,伝統的な科学的手法のペースを上回っている.生物学者の Mohammed AlQuraishi がそう書いている:

幅広くいろんな点で,[この分野にたずさわっている]大学の研究者たちの大半は,自分の存在意義をあやうくされる不安を覚えている.(…)結晶学者たちを時代遅れにすることに研究人生を賭けてきた人々は,いまや,自分が時代遅れにされる不安を覚えている.

ほぼ確実に,少なくともしばらくの間は,こういう新しいタイプの予測技法も「科学」と呼ばれるだろう.なぜって,タンパク質の折りたたみみたいに伝統的に「科学」と呼ばれてきた探求のいろんな分野に関わっているからだ.でも,ああいうのも科学と呼ぶと,意味がはっきりする部分よりもかえってぼやけてしまう部分の方が大きいんじゃないかと思う.こういう種類のブラックボックスから予測が出てくる手法を呼び表す新しい名称がいずれ生まれてくれるといいなと思う.べつに,科学よりすごいとか科学より劣ってるからじゃなくて,別物だからだ.

AI で大きな難点は,ユーザーが予測しようとしている事柄をその本人が理解できるようになるわけではないという点だ.この点が,科学とはちがう.形式的な意味では,たしかにそうだ.でも,AI を完全に解釈可能にすべく多大な労力を(おそらくは成果なく)費やすのはやめておいて,次の点を認識した方がいい――科学は,世界を予測し制御するのに使えるツールのひとつにすぎない.科学に比べて,ブラックボックスから出てくる予測には長所と短所がある.

ひとつの短所は――「科学とはちがう」ことによる欠点は――単純な法則がないために,どんなときに AI の力能のためにまずいことになるのかいっそう予測しにくいという点だ.AI が内部でどういう風に動作しているのかわからないために,過学習エッジケースをやらかしてしまう危険はいつもついてまわる.言い換えると,「三度目の魔法」は,それまでの2つの魔法よりも本物の魔法に近いのかもしれない――なるほど AI は言葉に言い表せないすごい威力を発揮して驚くようなわざをしょっちゅうやってみせるかもしれないけれど,根本的に予測しがたいタイミングで失敗をしがちなところがある.

でも,手懐けにくくてしばしば制御しにくい力も,本物の力にかわりない.

いまはまだ,この新しい技法がどれほど強力なのか知りえない.もしかすると,AI の応用範囲はニッチなものになるのかもしれないし,あるいはもしかすると,伝統的な科学では〔研究のコスト・労力に対して得られる発見・知見という〕リターンはだんだん減っていってしまっている分野をすべて革新してしまうかもしれない.1600年代の科学者たちの誰ひとりとして,自分たちのいろんな理論がやがて産み出すことになる驚異がどれほど多数にのぼるか知らなかったのと同じように,ぼくらも,この三度目の魔法がどこまでやってのけるのかまるでわからないでいる.いまから半世紀経ってから,この記事なんかを読み返したとき,歴史と科学につぐ3つ目の認識論的な後継者だと AI をとらえているぼくの思い違いぶりに,人は笑ってしまうかもしれない.あるいは,もしかすると,AI によって人間の力能は飛躍的に向上して,さっきの2つのグラフに比肩するほどの繁栄がもたらされるかもしれない.

例によって例のごとく,やってみるまでどうなるかわからない.

三度目の魔法と経済学

ここで回れ右して,2014年の昔に書いた記事を少し考えてみよう.あの記事には,不満点が2つある.ひとつは,世界を「理解する」いろんな方法にばかり関心をしぼっていて,さっき ChatGPT が言っていたように,この世界を予測したり制御したりするときにぼくらが気にかけるものは理解ばかりじゃないってことを見ていなかったところ.もうひとつ,実証の技法を――対照実験によらない観察データの統計分析を――科学や歴史と別物の3つ目のツールに数えていたところも,いまとなっては不満点だ.少し考えてみると,ここにはそれほど区別をつけなくていいのがわかる.いろんな相関関係を観察するときには,手の込んだ数学も多少は関わってくるけれど,概念的には,季節が移り変わるパターンや惑星運動のパターンを書き記すこととそれほどちがいはない.それに,観察データを使って自然の色んな法則を――たとえば被食-捕食モデル――発見するのは,伝統的な科学をやる新たな方法にすぎない.

ただ,自然実験はちょっとちがうと考えていたのは正しかったと思ってる.この20年ほどで,経済学は理論から実証の方に軸を移してきた.この変化でとりわけ重要な革新が,自然実験の活用だ――自然実験とはなにかっていうと,なんらかの政策変更がなされたり,ランダムと思われる相違が生じたりすると,そこにただの相関ではない因果関係を見てとれるようになる状況のことだ.これはぼくの言う「歴史」とはちがう.なぜって,たんに事実を書きとどめているだけじゃないからだ.自然実験では,因果関係のつながりを立証してるんだ.また,自然実験は科学ともちがう.なぜって,どうしたそういう因果関係のつながりがそこにあるのか,その理由は正確にわからない場合がすごく多いからだ.見方によっては,自然実験もまた,ブラックボックスから予測を産み出すアルゴリズムだ.

とはいえ,経済学にたくさんあるいろんな下位分野はどれもいろんなフィードバックシステムがはたらいていて,あまりにも複雑だ.そのため,その大半で,自然実験を使ったアプローチがうまく使えないでいる.そういう分野には景気循環の研究もある(たいていの人たちに「マクロ」って呼ばれてる下位分野だ).でも,それだけじゃない.他にも,経済成長とか国際金融とか,数多くの研究で自然実験は利用しにくい状況が続いている.そういう分野では(「構造推定」も含めて)いまも理論が研究の中心を占めている.でも,その予測力はすごく低い.

AIツールをこういう難しい問題群に応用するのはどうだろう? 多岐にわたる経済要因を必ずしもしないままで予測するのに AI ツールを利用できないだろうか? Khachiyan et al. による新しい論文はこの問題を論じて,こう答えてる:「できる」.著者たちは深層ニューラルネット(i.e. 人工知能)を使って,昼間の衛星画像を参照し,その超ローカルレベルで将来の経済成長を予測している.そこから得られた研究結果は,とにかく驚嘆すべきものとなっている:

1.2km × 2.4km の長方形グリッドセルを対象に予測した場合(なお,合衆国の平均的な郡のサイズは 55.6km),我々のモデルによる予測は,レベルごとに 0.85 から 0.91 までの決定係数を達成している.この予測精度は,既存モデルをはるかに超えている.また,10年単位の変化の予測精度は 0.32 から 0.46 であり,先行研究にはこれに相当するスパンの予測はなく,よく利用されている夜間照明のデータに比べて 3~4倍も大きい.

これはまだ AlphaFold ほどの域に達してはいない.でも,30%から40%の精度で都市のほんの数ブロックが10年後の将来にどれほど経済成長するかを予測できるなんて,これまでにぼくが見たことある予測を凌駕してる.こういうのを見ると,経済システムはまるっきり理解しがたいカオスっていうわけではなく,経済システムのなかにはあまりに複雑なパターンや規則性をもつものがあって,そのために単純な数理的理論ではうまく簡潔に捉まえられないけれど,それでも AI によって把握し一般化するのは可能らしいのがうかがえる.

しかも,この研究は,比較的にリソースが限られたチームが行った予備的な研究でしかない.DeepMind の人たちが,もっと大きなデータセットを用意してもっと先進的なモデルを使って経済成長や景気循環のいろんな問いに取り組んだら,いったいどうなるだろう?Khachiyan et al. の論文からは,今後10年~20年で,マクロ経済学が大きく変貌する可能性が浮かび上がってくる.単純に理論をつくる分野から,予測が立てられる――したがって制御もできる――分野へと大きく変わるかもしれない.著者たちは,自分たちの研究を応用できるケースとして,地理的な場所に合わせた政策立案,運輸インフラ建設,災害救援の3つを挙げている.

これは,とびきりぼくの心に響いた事例のひとつでしかない(また,この記事を書こうと思い立ったきっかけでもある).でも,ほんの数年前までは「こんな絶壁のぼれるわけないじゃん」と言いたくなるほど困難に思えていた探求分野が,いまやちょっと厳しめの岩肌の斜面ていどにかわり,これから1年,10年,1世紀でかんたんに規模を拡大できそうに思えるかもしれなくなっている.ぼくらをとりまく世界を予測し制御する方法に起こった新たな一大メタ発明のおかげだ.かつて科学革命で起きたのはこういうことだった.あれが再び起こらないと考える明白な理由なんてない.科学革命に匹敵することがまた起こるかもしれないって可能性を考えるだけでも,みんなも興奮で頭がくらくらしてこないかな.

[Noah Smith, “The third magic,” Noahpinion, January 1, 2023; translation by optical_frog]

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