ビル・ミッチェル 「日本の依存人口比率、その何が問題か? パート2」(2019年10月29日)

Bill Mitchell, “What is the problem with rising dependency ratios in Japan – Part 2“,  – Modern Monetary Theory, October 29, 2019.


今回は日本の人口変動についてのシリーズのパート2。パート1-(2019年10月28日)邦訳)では、就業者への依存率の上昇に伴う問題を考察するための準備として、日本の依存率の変化をみた。その目的は「就業者への依存率が上昇すると財政の危機につながり、財政の破綻可能性が高まる」という世間一般の議論を否定することだった。この間違った主張は、緊縮財政政策を目指すことを正当化する理由の一つとして一般に用いられて続けてきたものだが、まさにこの主張こそが日本の成長を損ない、失業を増大させ、その他の悪弊を引き起こした当のものなのだ。「健全財政」のロビイストが押し進める解決策が実際には現実の問題を悪化させるという、この構図が問題なのだ。今回のパート2では、就業者への依存度が高まっていく国が直面する問題の核心である、生産性について考えよう。

 

日本の人口変動

下はパート1に載せるつもりだったものなのだが、過去一世紀にわたる人口の変化をグラフィカルに示している(2050年までの国連の推定を使用)。

3つのグラフは年齢層別の人口分布で、それぞれ1950年と2015年時点の実際の数字、2050年は予測だ。

こうしたヒストグラムでの表示に慣れていない人のために補足すると、グラフの形(長方形だとかピラミッドだとか)によって成長速度が判断できる。

1950年代の形状と比べてグラフが長方形になると人口成長はゆっくりしたものになる。それは各世代がほぼ同じペースで若い世代に置き換えられることになるからだ。

グラフがの形状がピラミッド型の場合は子供の依存率が高いことになる。

つまり、人口の大部分が「肥沃な」時期または生殖期にあるか、それに近づくにつれ生産的な労働者になる日が近いということがわかる。人口の多くが「繁殖力のある」世代に近づいていき、やがて生産的な労働者となっていく。

高齢者の依存率が高い場合の状況と異なるのはその点だ。

1950
2015
Projected 2050

生産性への取り組み

パート1では依存率(測定値としての)の上昇に関する問題には二つの側面があるとした。

1.使用可能な生産のための資源がすべて完全に活用されているかどうか。 もし、働く意欲と能力を備えた資源(資本の場合は仕事に活用できる資源)を無駄にするような政策を政府が選択することを容認するならば、人口の依存率上昇について騒ぎ立てるのは失当だ。

2.生産性。

生産性への取り組みとはシンプルな話だ。

生産されたモノやサービスに依存する人が増え、モノやサービスを生産する人が減っていくならば、後者の層の生産性を高めていく必要がある。さもなければ物質的な生活水準は低下する。このことは、実物資源が利用可能だろうが可能でなかろうが同じだ。

生産性向上とは、国全体として資源の投入単位当たりの生産量が増えることだ。

働く意欲のある人たちに仕事の機会と労働時間を提供することが政治の課題なのだと理解すれば、高齢化社会の真の課題は突き詰めればここに尽きている。

パート1で述べたように、政府の支払い能力(本当は「問題」ではないもの)という観点に立って高齢化社会の問題に取り組もうとすることは、たんに通貨発行国の能力に関する誤った推論や誤解に基づいているというだけ、どころではなく、完全雇用の維持や生産性の十分な向上という、現実の問題に対処する社会の能力をむしろ低下させる政策につながる。

多くの国は、新自由主義時代の進展につれ緊縮バイアスに取りつかれてしまっている。その結果、生産資本への投資が抑制され、スキルの向上が制限され、公共インフラのカバー範囲が狭まり、その質も低下し、生産が抑制され生産性の成長が停滞してしまった。

以上はすべて関連したことなのだ。

生産性向上のために、まず必要なのは人的資本や公共インフラを含む実物資本への投資だ。高齢化する社会において国がそうした投資を絞るなら、それは将来の実質生活水準を低下させるための一番簡単な方法だ。

いま望ましい政策を考えていこう。

依存率が上昇している日本の生産性はどうだったかを調べたかったので、そのパフォーマンスをアメリカと比較してみた。アメリカの依存率はだいぶ低いが上昇してはいる。

次のグラフは、労働年齢人口に対する実質GDP(産出)の比率で生産性を表す一つの指標だが、1990年から2018年までの日本のものだ(1990年を100としている)。

実効依存率の考え方に従って、分母はよく吟味しよう(実際に働いている労働年齢人口を考える)。日本の人口は、出生率が低く移民も少ないため、減少しつつ高齢化している。

労働参加率も低下している。1953年には70%だったのが2018年には61.5%となった。

参加率の問題にはあとで戻る。

最初のグラフから、生産年齢人口は1994年の87,035,000人から2018年の75,451,000人へと幾分減少している。二回の顕著な停滞期があるが、この期間を通して一人当たりの生産性は、大幅に向上したと結論できる。

1990年初頭の衰退は、1991年に発生した大規模な商業用不動産バブルの崩壊によるもので、日本経済の基盤を揺るがせた。

次の停滞は、1997年の消費税増税によるもので成長が鈍化した。

1990年代初頭の悲惨な不動産バブル崩壊を経て、1996年の経済は力強い回復の兆しを見せていた。

年率ベースの実質GDP成長率は、1996年3月期2.9%、6月期2.5%、9月期1.8%、12月期3.4%であり、1997年3月期も3.3%となった。

民間企業の設備投資と住宅建設が大幅に増加した。

しかし1997年4月、日本は財政破綻を主張する保守派の圧力により、消費税を3%から5%に引き上げた。

そして何が起こったか? 底が抜けた。

当時、新自由主義者は増税と長期不況とは何の関係もないと主張した。不況はその後二年間の七つの四半期にわたる景気後退となり、需要デフレーションを定着させることになった。

アジア金融危機のせいだという主張もなされた。しかし、当時の日本の輸出実績を詳しく分析すると、この主張は完全に否定される。この不況期の海外収支の赤字は減少しているのだが、主として国内経済の低迷により輸入が落ち込んだためだ。

この不況が、設備投資の落ち込みと生産性の伸びの鈍化させた。

消費税の害悪については、以下のブログ記事(内の以前の投稿へのリンク)を参照してほしい。

1. Japan about to walk the plank – again (September 30, 2019).
2. Japan is different, right? Wrong! Fiscal policy works (August 15, 2017).

2014年4月、安倍政権は消費税を5%から8%に引き上げた。

第三の衰退期はもちろんGFC(世界経済危機)だ。

重要な事実として、1990年(不動産バブル崩壊直前)から2018年までの平均年間成長率、それが年率1.9%であったことだ。

これは停滞の結果と言うよりも、日本は高齢化する労働力をかなり巧みに扱ってきたことを示唆している(物質的な観点では)。

しかしこれは驚きだ。次のグラフは1990年から2018年における日米を比較したもの。

片方はの社会は高齢化の負担から崩壊しつつある社会で、もう片方の社会はイノベーションの原動力とされている社会だ!

1990年から2018年までのを平均した米国の年間生産性成長率は1.5%であった。

つまり、GFC以降、生産性の伸び(測定値)を加速させてきた日本に比べて米国の生産性はかなり低いのだ。

労働参加率

上記のように、日本は高齢化に直面しているだけでなく、労働参加率も過去数十年で低下している。

1953年には70%だったのが2018年には61.5%にまで低下した。

2018年の労働年齢人口(15歳以上)は1億1101万人であり、労働参加率の低下がなければ、労働力人口は9,435,850人増えることになる。

参加率が低いことの一因は、日本では女性の積極的な労働力への参加がほぼ恒常的に低いことだ。

次の2つのグラフは実際のストーリーを示している。

最初のものは、日本と同じく高齢化問題に直面しているオーストラリアと総参加率で比較したものだが、オーストラリアは日本ほどではない。

日本の参加率は1990年以降は低下傾向だったが、GFC以降は女性の参加が増えたこともあり顕著な上昇が見られる。.

オーストラリアは一貫して増加している途中、周期的に目立ったスランプがあるというパターンだ。

この観点において、両国の労働市場には大きな違いがある。日本の労働市場にはオーストラリアよりもはるかに多くの未使用の生産能力があるが、オーストラリアでは既存の労働力の浪費率が高い。

二番目のグラフは、日本とオーストラリアの男女別参加率の推移を示している。1970年以降、オーストラリアの女性の労働参加率は着実に上昇しているが、日本の女性の労働参加率が顕著に上昇したのはここ数年のことだ。

政策の戦略

ある国の政策オプションを議論する際には注意が必要である。なぜなら、政策の正しさを決めるためには歴史的および文化的相違が重要になるからだ。 ある国には適していても、他の国々では受け入れられないような政策もあろう。

今日の実物投資で50年後も役立つようなものは事実上ないのだから、生産性への取り組みにおいて重要なのは教育だ。

高レベルの教育参加を維持し、学校から職場への移行のための適切な訓練ステップを用意し、十分な雇用が得られるような環境をマクロ経済的に確保しておくことを政策の優先目標にすべきだ。

生産性成長は、人々への投資以外に大学その他の研究機関への投資によってもたらされる。

高齢労働者(日本では女性が)の労働力参加が増えることは健全なのだが、政府が生産的な雇用機会を確保できるようにしなければならない。

「将来の医療や年金の需要を賄うためには政府が資金を 『貯蓄』 しなければならない」という誤った信念の下で緊縮政策スタンスをとることは雇用の伸びを低下させるのだが、もしこのとき同時に高齢者(や女性)の労働参加を促すと、それは政策としては最悪な組み合わせになる。

自滅的かつ懲罰的なものになる。

依存率にプラスの影響を与えるものはすべて望ましいものなのだが、そのためには、働くことを望むすべての人が仕事を得られるようにすることが最善なのだ。

ここで非正規化を促進し不完全雇用を増加させることは、将来のための賢明な戦略ではない。パートタイムの労働機会が広まるほど、人的資本に投資するインセンティブが低下する。

そしてこれらすべての問題は、財政の問題ではなく政治の選択なのだ。

非政府部門に必要な財とサービスを政府が供給する能力、とくに、不足している財を提供する能力は、政府の財政とは全く関係がない。

ところが実際には緊縮財政という足かせが総需要や民間可処分所得の伸びを低下させている。これは産出の結果から判断することができる。

財政黒字がインフレ抑制に寄与するのは明らかだ。財政黒字は、失業と過剰供給の状態を維持し、物価を抑制するデフレ圧として働くのだから。

日本でも高齢化問題に対処するため、いくつかの政策が実施されたり提案されたりしている。

1994年12月、政府はエンジェルプランを導入した。これは1995年から1999年にかけて実施されたもので、子育て支援策を通じて出生率と女性の参加率を高める試みであった。

1999年12月には、次の5年間をカバーするために「新エンジェルプラン」が導入された。 この計画は、保育育への投資を継続し、家族の住居や教育を助成するものだった。

その後も一連の政策介入が行われた。2003年の「次世代育成支援対策推進法」、2003年の「少子化社会対策基本法」、2004年の「子育て支援計画」、2006年の「新たな少子化対策」、2007年「重要戦略」はすべて、出生率を改善し、家族が仕事と家族の責任を拡大しやすくすることを目的としていた。

これより最近では女性の労働参加の必要性が強調されるようになり、女性が育児と仕事を両立しやすくすることを目的とした様々な計画がある。

そのほかに次のような物がある。保育施設整備のための(2014年7月より)「放課後児童総合計画の策定」等の実施。東京以外の若者の雇用機会を増やし、地域センターでの活動を全般的に促進する「地域再生への取り組み」(2014年9月から)。出産奨励、子育て支援、男性の労働時間短縮などを継続的に行う「少子化社会対策大綱」(2015年3月から)。

日本政府は、このような観点から5つの重要な政策分野を挙げている。

1.「子育て支援施策の一層の充実」
2.「若者の結婚・出産の実現」
3.「複数の児童がいる家庭への配慮」
4.「男女の働き方を変える」
5.「地域の情勢に応じた施策の強化」

これらの政策はみな健全であるし、既存の慣行を変える役には立つだろう。

ただ残念なことに、日本政府もまた誤った財政危機という物語の犠牲になっている。

また、日本には労働市場の二重性の問題もある。

それは何で、 それが重要なのはなぜか?

日本には「正規雇用と非正規雇用の分断」という二重性があるのだ(下記のOECD参考文献)。

非正規雇用の割合が増加しているが (パートタイム化された低賃金または不定給で、見通しが立たず安全性がほとんどない)、これでは個人や企業が将来の生産性向上に不可欠な人的・物的資本に投資するインセンティブが提供されない。

この政府文書(2018年9月発行)- アベノミクス:将来の成長、将来の世代、および将来の日本のために -を見ると、政府は立法権限を用いて「同一労働同一賃金」を導入し次のことを目指しているようだ。

非正規労働者が公正に評価され、より高い意欲をもって働けるよう、正規労働者と非正規労働者の間の不合理な労働条件の格差を解消する。

2018年12月20日にOECDが発表した文書-– Working Better with Age: Japan (エグゼクティブサマリーおよび推奨事項) – では、こう書かれている。高齢労働者の就業率を高めるための障害の一つは、そのような労働者(正式な退職後)が

 … 通常は非正規労働者として再雇用された場合でも、賃金が大幅に削減されることが多く、その技能は十分に活用されていない可能性がある。これは彼らの生産性と幸福を損ないかねない。

同時に、非正規雇用は増加傾向にあり、20年前は5分の1未満だったのが、2018年には約5分の2近くに増加した。このことは、多くの労働者が、正規雇用労働者よりも給料が少なく、訓練へのアクセスが制限され、適切な社会保障保護がない非正規雇用になっていることを意味している。その結果、彼らの雇用可能性は、キャリアアップの機会の点で弱まっており、老齢年金受給資格を損ねるだけでなく、より高齢になるまで雇用され続けることになる。

「底辺をめぐる競争させる」という 戦略は、資本の手に権力を移すという新自由主義時代の特徴だが、これは高賃金、高生産性経済を達成するのとは正反対の戦略だ。

OECDは、「国際基準によれば、日本では仕事の負担(仕事の需要と資源との差異)によって測定される労働条件の質は、他の先進OECD諸国と比較してなべて貧弱だ」と指摘している。

彼らは、「過剰労働時間」、「自律性と同僚からの支援の欠如」、および「一部の長時間働く年長者が、一部の女性、特に母親が若い年齢で就職し、より長いキャリアを追求することを妨げている可能性がある」などの否定的な点を指摘している。

政府がとりうる前向きな措置の一つは、女性の労働力参加を増やすことだ。これは、出産後に労働力への再参入できる見通しを良くするということだ。

OECDは、「日本では非正規職で働く女性が男性よりもはるかに多い」と報告している。

 子どもを産むために労働市場を離れた女性の多くは、パートタイムで低レベルな非正規雇用の仕事にしか戻れない。

女性が子どもを持とうと決めることによって、将来の労働市場への関与において不利な立場に置かれていると感じたりしないようにするための改革が必要だ。

関連して、日本政府が導入してきた政策(例えば、2004年の 「高齢者雇用の安定化」)は、高齢労働者の雇用期間の延長を狙ったものだが成功していない。当該世代の雇用そのものは増加しているものの、企業は定年後の賃金など労働者の権利を削減する対応をしてきたからだ。

この問題に対処するためには、定年の引き上げが必要であるが、パート1で指摘したように、これは職務の肉体的負担のために不利な立場に置かれている肉体労働者との間に全体として不平等をもたらす。

そのため、次のような一連の政策が必要になる。

1.定年を延長する。これにより、雇用者が継続就業を希望する労働者の賃金削減契約を再交渉する際の基準が撤廃される。

2.継続雇用か新規雇用かによらず、賃金と条件がより高齢期まで維持されることを確実にする。

3.定年の延長により不利な立場に置かれる肉体労働者には、適切な移行措置を提供する。

二重性を排除するためにOECDはこの正規雇用労働者の条件を攻撃する(雇用保護を弱める)。しかしこれは賢明な戦略ではない。年功序列など(いわゆる 「暗黙の契約」)の内部労働市場システムは、生産性を低下させず、むしろ増加させることが多くの研究によって見出されているからだ。

正規職の条件を弱めるのではなく、非正規職の条件を良くすることに力を入れるべきだ。

諸研究の結果は明瞭だ。健康な労働者ほど高いレベルの長く働くことができる。また、高所得の労働者ほど長く働けることもわかっている。

政府は人々の健康に重要な影響を与えることができる。たとえば無料の予防接種を実施して感染性疾患、特に帯状疱疹、インフルエンザ、肺炎など高齢労働者に影響を与えやすい疾患を減少させることができる。全国的なキャンペーンを通じて栄養、食事、運動の改善、とりわけアルコール・薬物乱用 (タバコを含む) の削減に取り組む。

このような政策の財政的な 「コスト」 は、通貨を発行する政府には無関係である。ただ考慮しなければならないのは、実際の資源を浪費しないようにすることだ。したがって、考えられる限りの効果的な介入をするべきなのだ。

否定的側面

残念なことに日本政府も財政危機という誤った物語の犠牲になっている。

これを物語っているのが最近の消費税引き上げだが、これは経済成長を損ない、雇用機会を減少させるもので賢明な政策とは逆行するものだ。

財政に関するこの誤った物語は、政府が年金受給資格の対象年齢を引き上げようとしていることからも明白だ。

これはまた別の機会に。

結論

この週末は日本に行って、この問題などについて議論してくる。

今日はここまで!

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