Interview with Asahi Shimbun in Tokyo – November 6, 2019
先日、日本に旅行した際には、日本の国会での大規模な講演を含む、様々な団体に対するプレゼンテーションを行ったが、多くの報道機関からの関心も寄せられることになった。これは良い兆候だ。紙媒体の報道記事のいくつかを翻訳版としてゆっくりと編集中だ。今日は、2019年11月6日に東京で行われた中道左派の新聞(朝日新聞)による私へのインタビューの翻訳版(私の注釈付き)をお届けする。朝日新聞は日刊紙で、日本の5大全国紙の中の1つだ。朝日には興味深い歴史的過去があるが今日のこのブログエントリの主題ではない。記事は、冒頭で現代貨幣理論(MMT)を紹介した後、Q&A形式に移行している。本エントリで掲載している回答は、朝日新聞の二人の記者のインタビューに実際に答えたものと、前日の東京での合同記者会見の回答を、纏めて編集したものとなっている。
この記事(2019年11月20日)「消費増税『信じがたい』異端『MMT』の名付け親語る」は、2019年11月6日に日本の国会内で、2人の記者(笠井哲也氏と寺西和男氏)との会話を記載したものだ。
この単独インタビューは、私が日本の国会で公開講演を行った翌日に、英語で約1時間行われた。
このエントリは、2019年11月5日の公開講演に引き続いて行われた主要メディアに向けた合同記者会見も元ネタに使っている。この公開合同記者会見も1時間ほど続いたが、通訳が着いていた。
このエントリはオリジナルの日本語バージョンではなく、英語へ翻訳したものを投稿しているが、もし日本語が読める読者がいるなら、リンク先の記事で照合が可能だ。
写真は朝日新聞の記事に掲載されたもので、インタビュー(2019年11月6日)と合同記者会見(翻訳イヤホンを付けているところ)(2019年11月5日)時のものだ。写真のエフェクト(カラーリング等)は朝日新聞が行っている。
記事は、現代貨幣理論を紹介する記述から始まっている。
日本や米国など自国通貨建てで国債を発行できる国は財政破綻(はたん)しないので、もっと財政を拡張し、所得や雇用を増やすべきだ。インフレもコントロールできる――そんな主張の経済理論「MMT」(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論、現代金融理論)。経済学の主流派からは異端視される理論だが、中央銀行の金融緩和でも景気回復の実感がなく格差が広がる中、各国で関心が集まる。最近は退任した欧州中央銀行(ECB)のドラギ前総裁が「MMTに注目すべきだ」と発言した。なぜ今MMTなのか。このほど来日した、MMTの「名付け親」とされる豪ニューカッスル大のビル・ミッチェル教授に聞いた。
――今、MMTが関心を引いているのはなぜだと考えていますか?
主流派マクロ経済学者達は、持続的な経済成長をもたらし、景気後退を防ぐために、金融政策に依存した経済政策を提唱しています。
問題は、彼らが自らに課したこの課題に応えられていないことが、衆人環視下でほぼ明らかになってしまっていることでしょう。多くの国で、実質賃金は低下を続け(そして/ないし)名目賃金は横ばいです。
各国で、QEを用いての準備預金への大規模な注入やマイナス金利が行われていますが、インフレは低水準です。
私たちの社会経済システムの組織化の有り様が、気候変動へのダメージを引き起こしており、これに対処するには、生産と消費の有り様の大規模な変革が必要であり、政府は介入を行い、財政政策によって相当の役割を果たすべきである、こういったコンセンサスに私たちは達しつつあります。
戦争を行えば、政府は軍事に多額のお金を投じます。世界金融危機の際には、銀行は無責任な行為――場合によっては犯罪行為を行っていたにも関わらず、金融崩壊を防ぐために、政府は即座に巨額の資金を投じて銀行を救済しています。
その時、私たちは問うていません「そのお金はどこから来たの?」と。私たちは、そのお金が通貨発行者である政府から来ていることを本能的に知っていたのです。
ところが、「社会的弱者や失業者や貧困層の生活を改善するために支出を割り振るべきだ」とか、「環境保護の為の支出を行うべきだ」と政府が圧力に晒されると、まず最初に「財源はどこにあるのか?」と問われることになります。
そしてこういった質問は、軍事費や金融機関救済処置から何らかの形で利益を得ている保守的な利害関係者がよく行っています。
なので、以下の論点が強調されることになっています――軍事や金融セクターの利益のために政府が使っているその貨幣を、一流の公共インフラの建設や維持のために使うことはできないのだろうか? と。
こういった二分法に欺瞞があることが分かれば、通貨を発行している政府は財政的にはまったく制約されていないことが理解できるようになります。それより、制約されているのは、実質資源、そして究極的には経済活動と消費の観点からの自然環境の持続可能性なのです。
そして、MMTがその中核思想でこの事実を暴いたことは、主流派による緊縮バイアスが影響を及ぼしている環境下で、想定外の方法で政策論争を開拓しています。
今や、財政政策が将来において支配的になるべきである、との理解が高まっています。
そして、財政政策が不人気だった時に、この見解をハッキリと提唱していたのは、MMTの経済学者だけだったのです。
――ECBのドラギ前総裁は、最近になって、財政政策の必要性を語り始めました。先日のG20財務大臣・中央銀行総裁会議では、金融政策は限界に達しており、この先もし世界経済が不況に陥りやすいとするなら、財政政策の重要性を高めねばならない、との意見が出ています。この点についてどう考えていますか?
マリオ・ドラギは退任を記念した最後のスピーチの中で「金融政策は限界に達してしまった」と述べたのです。
加えて彼は「政策立案者は現代貨幣理論(MMT)のような考え方に開かれているべきだ」と言っています。
ドラギは「これらは客観的に見てかなり新しい考えだ … 政策運営委員会では議論されていない。我々はこれらを検討すべきである」と言っています。
オーストラリアでも、フィリップ・ロウ中央銀行総裁は、経済が不況に向かいつつあり失業率が上昇していることから、連邦政府に財政刺激策を導入するようにほとんど懇願しています。
今や世界中で中央銀行の総裁達は、「同じ楽譜を調子外れに歌っている」ように見えます。
言い換えれば、主流派経済学者の「金融政策には便益をもたらす能力がある」との約束がもはや維持できなくなっている、ということなのでしょう。
金融政策を頼みの綱とすることは、支持されなくなっています。
思うに、これは財政政策中心の新時代の幕開けです。
――ですが、財政赤字を拡大して国債発行を増やせば、金利の上昇につながり、経済成長にはマイナスになりませんか?
その論理は、一般的な主流派経済学の神話を繰り返しているにすぎません。
もしその意見が真実の場合、日本政府の財政状況を考えてみれば、日本では財政危機が起きているはずです。
30年近くにかけて、日本は大幅な財政赤字を続け、今や公的債務比率は世界最大で、中央銀行が発行済国債の45%近くを保有しています。
財政危機は起こっていません。
10年国債の金利ですら最近はマイナスになっています。
重要なのは、政府と民間投資は有限な貯蓄の蓄積を奪い合っているのではない、ということです。さらに、民間銀行は、信用力がある民間の借り手には常に貸し付けを行います。貸し付けは、預金もしくは流動性を生み出します。強い制約が機能しているわけではないのです。
そして、究極的には、これら預金は取引上の信頼性を持っています。なぜなら、決済システムが効率的に機能するように、日本銀行が銀行システム内の準備預金を十分となるように常に保証することになっているからです。
なので、財政赤字が続ける報いが、将来の金利上昇になる理由は存在しません。
国債利回りが上昇する危険性は、日本では当面は実現しないでしょう。
これが意味するところは、非政府部門の貯蓄選好に応じるために、日本政府は将来にかけて〔現状より〕相対的に巨額の財政赤字を抱え続けるべきであり、高齢化社会と気候変動といった課題に対応するために完全雇用と一流のインフラを保証履行すべきだ、ということです。
――中央銀行はどのような役割を果たすべきでしょうか?
MMTの見解では、中央銀行の仕事は、政策金利を設定してそれを維持することです。ゼロはゼロ、2%は2%。政策金利を設定しそれを維持する、ただそれだけです。
政府は恒常的に財政赤字を続け、中央銀行は公開市場操作行わない、もしくは過剰準備へのサポート金利を設定しない制度水準に移行すべきであろうことを考慮すれば、私たちはゼロ金利が望ましいと考えています。
MMTの経済学者は、金融政策は、経済活動を調整し安定性を達成するための政策手段としては効果的ではないと考えています。
金融政策は、金利の変動による(貸し手と借り手の)非対称的な分配効果(間接的な手段)に依存しています、これはなんらかの信頼性がある手段で計測が困難となっており、効果は不透明です。
また、過去数十年にかけて中央銀行が行ってきた様々なQE(量的緩和)措置が、その目的であるインフレ率の上昇に失敗してきたことを、私たちは見てきました。
QEによって金融システム内の準備預金を増やせば(国債と準備預金との資産交換を通じて)、銀行は融資を増やし、経済活動は活性化するだろうと、主流派の経済学者たちは考えていました。
しかしながら、この銀行取引の「サプライサイド」的見解は間違えています。銀行は、自行の準備預金をリテール決済市場 [1] … Continue reading に貸し出しているわけではありません。銀行の貸し出しは準備預金に制約されていないのです。世界金融危機後に借り入れが低迷したのは、企業が新規の生産を行う場合の将来的なリターンが不確実になったことと、家計が失業リスクの高まりを受けてリスク回避的になったことが原因です。
財政政策は、支出による直接的な介入の一形態であり、その効果はより予測可能です。
さらに、中央銀行は政治的プロセスから独立しているべきである、という考えは神話にすぎません。中央銀行は、政府の財政機能から決して独立できない多くの理由があります。
政府は、中央銀行の高官を任命しています。
しかしながらもっと重要なのが、財政政策の流動性への影響が、中央銀行の政策運営と釣り合って保証履行されるよう、中央銀行と国家財政委員会(日本の場合は財務省)の当局者は定期的に(毎日)会合を持たねばならないことです。
私たちの全ての国家において、この「政府」の両部門の間には、高いレベルの強調が行われています。
中央銀行の独立性という神話は、マクロ経済政策を脱政治化へと至らせる新自由主義的な動向に便乗したものに過ぎないのです。独立性によって、選挙で選ばれた政府は、「中央銀行がやったのであって、我々は関与していない」と主張することで、厳しい経済政策に付き纏うネガティブな評価をかわすことが可能となっています。
――医療、教育、公共インフラにお金を使うアイデアには共感できますが、MMTの考え方にはリスクがあると思います。もし政府が財政赤字を増やせば、金融市場はどのように反応するのでしょう? インフレが上がり始めたらどうするのですか? いったい誰が責任を取るのでしょう?
なぜインフレが上がり始めるのですか? 日本では、20年間上がってません…。
――(差し挟み質問)たった20年間です。いつ上がるかは誰にもわかりませんよ。
あなた方がインフレのプロセスを理解すれば、私のように「近い将来、日本ではインフレは加速することない」との理解に達するはずです。
20年はとても長い期間です。主流派経済学者の予想になんらかの真実があったなら、財政介入の規模や日本銀行の運営の有り様を考慮すると、私たちは今までの日本でインフレ圧力を観察できているはずです。
「いつ上がるかは誰にもわかりませんよ」といった抽象的な態度を取るのは簡単です。
最終的に、インフレが加速するようなことがあれば、その時には主流派は「最初から俺たちが正しかったじゃないか」と言うでしょう。しかしながら、これは誤った結論論法です。主流派が提唱している因果関係――財政赤字と日銀の国債購入によって経済に「多すぎる」円を流し込むことで、過剰な貨幣は過小な財に対して超過し、インフレの原因となる――は明らかな誤りです。
もし主流派が正しかったのなら、名目GDPは高いはずです。しかしそうではないし、そうもなってきていません。
そもそも、私たちはまず、政府債務とは何であるのを理解する必要があります。
誰が政府債務を保有しているのでしょう?
私たちです。年金ファンドや投資ファンドが保有しています。私たちの金融資産の構成要素の一つです。
そして、政府の所謂「利子負担」は、実際には私たちの所得フローの構成要素なのです。
なぜ、私たちの富や所得を増やすことが悪いことだと考えるのでしょう?
政府の公的債務は私たちの金融資産であり、公的債務によって私たちは富の貯蓄をリスク無しの金融資産として保有することが可能としています。
――財政収支を均衡させる必要はないのですか? 今の政府が発行した財政赤字は、将来世代が負担として支払わないといけないのでは?
いいえ、将来世代は赤字を返済する必要はありません。
私が若い頃ですが、オーストラリア政府は、第二次世界大戦後の国家建設の一環として財政赤字を出し続けた結果、巨額の借金を積み上げることになりました。
私は働き始めてから、それを返済していません。
それよりも、若かった頃に政府が作った優れた教育システムから私は恩恵を受けました。両親は貧しかったので、もし優れた公教育と福祉制度にアクセスできていなければ、私は今の地位に至ることはできていなかったでしょう。
過去の財政赤字は、オーストラリアの社会的流動性 [2] … Continue reading を活性化させ、労働者階級の家庭に生まれた子供たちが貧困から逃れ、教育を通じて物質的保証を得ること可能としたのです。
すると、私の世代はなんらかの形で財政赤字を返してきたのでしょうか?
こういった質問に意味はありません。「政府の財政状態が適切なのはどのような場合であるべきか?」考える際には、文脈を考慮する必要があります。どういうことかと言えば、政府の適切な財政状況とは、非政府部門が支出と貯蓄をどう望んでいるのかの状況に関係した目標となっています。
財政赤字は、それ自体では善でも悪でもありません。適切な財政ポジションを把握する唯一の方法は、経済状況と、消費行動を通じて表現されている非政府部門の願望を並置することです。
私が言いたいのが、政府は常にまずもって完全雇用の達成に責任を追うべきである、ということです。
私たちは、支出が所得と産出を等しく作り上げ、それが雇用を生み出すことを知っています。ある時点において、生産性水準を検討してみれば、利用可能な生産資源を十分に活用できるだけの需要を作り出す支出の水準が一つ存在するわけです。
もし、非政府部門の支出が、その特定水準の支出を生み出すのに不十分であるなら、政府部門の支出が支出不足を補わない限り、経済は完全雇用を達成できないでしょう。
したがって、非政府部門が全体的に貯蓄することを望み、その目標を達成するための戦略を実施した場合、政府部門は通常、完全雇用の目標を維持するために継続的に財政赤字を出さねばなりません。
政府支出と税収が正確に一致する財政収支〔均衡財政〕が、完全雇用を維持する全体的な支出水準と一致する可能性は非常に低いでしょう。
ノルウェーのように北海のエネルギー資源という対外部門から多くの支出を得ているような国の場合、政府は自国経済への過度の支出の供出を避ける為に、財政黒字運営が強要されることになっているでしょう。しかしながら、このような状況は稀です。
ですから、「GDPの2%の赤字が適切だ」とか、「4%の赤字が適切だ」とか、あるいは「4%の黒字が適切である」とか言う前に、生産能力を完全に発揮するための経済状況や立場を把握しなければなりません。
――日本政府は今年の10月から消費税率を10%に引き上げました。一方、消費税の減税や廃止を提唱する政党も存在します。この争点について、あなたはどのような見解を持っていますか?
過去30年間の歴史が物語っているのは、成長を維持し、失業率を低く抑えるために日本が財政刺激策を用いている時に、主流派の経済学者らが「インフレの加速と、金利の上昇が起こる可能性が高いぞ」と言い張ることで、政府は財政赤字の削減圧力に結局は晒されることになってきたことです。
この主流派の恐怖を煽るキャンペーンのより極端なバージョンは、「政府は財政破綻に直面することになるだろう」と予測してきたことです。
残念ながら、日本政府は、この主流派の恐怖を煽るキャンペーンに屈してしまい、何度も緊縮財政を実施し、結果、経済成長を停止させ、失業率を押し上げてきました。
例えば、1997年4月の最初の消費税増税後には、景気後退が起こっています。
経済学を理解している人なら誰であれ、消費税増税の影響が生じれば、経済成長サイクルは終わると予測できていたはずでしょう。家計の消費支出に影響が出るのは明らかでしたし、まさにその通りのことが起こったのです。
日本の経済成長が再起動に戻るためには、数年の歳月と新しい財政刺激策が必要でした。
似たような種類の〔主流派からの〕圧力は2014年にも起こっており、この時も政府は消費税をさらに引き上げ、それが原因で、またしても家計消費支出は大規模に下落し、不可避の景気後退に突入することになっています。
この主流派による政府の財政政策への攻撃は、根拠薄弱な緊縮政策に基づいていますが、現実的には何の根拠もありません。
日本政府は債務不履行に全く直面していませんし、非政府部門の高い貯蓄を前にして、低い失業率を維持するために、財政赤字を続けるのに必要な環境下で運営されているのです。
なので、今年10月の消費税のさらなる引き上げの決定は、いやまあ、「信じられないことをしている」と言うしかありません。
あまりに非現実的であるという意味で信じれませんね。
日本政府は、今回の消費の引き上げが〔民間〕支出にダメージを与えるだろうことを明確に認識しているので、今回は短期的な相殺措置をいくつか施行していますが、最終的には悪影響が明らかにになるでしょう。
消費税の引き上げ措置には一切の経済的根拠はありません。この緊縮財政政策に反対している、日本政治における保守と革新の政治勢力の両方を、私は全面的に支持します。
結論
取材班の皆さん、楽しい時間をありがとう。
しかしながら、ご覧のように、日本では中道左派の中核メディアでも、主流派的な質問が中心となっている。新自由主義的な考え方は、革新勢力の中にも侵入し、厄介なことになっている。
日本語の記事を送ってくれたあきこに感謝(😙)(課金しないと読めなかったのだ)。
今日はここまで!
References
三つ上のパラグラフでは 同じようなフレーズ generate that particular level of spending を 支出を生み出す と訳している一方で ” which generates a lot of spending from its external sector” を ”対外部門から多くの支出を得ている” と訳すのは引っかかりますね。 (私の個人的経験/意見は「得る」のは収入であって支出ではない)
ご指摘ありがとうございます。
その箇所は自分も非常にひっかりました。
後者は北海油田に言及していることもあり「対外部門から収入を得ている」をミッチェル先生が間違えたと思うのですが、自分の一存で文章を改変するのはよくないと思い、あえてそのまま直訳しています。
また何かミス等あればご指摘してくれるとたすかります。